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(1)「江蘇省淮安市」<br /><br />               合歓が咲く 石の南船 北馬の碑 <br /><br />  「京杭大運河」を北上し、「南船北馬」の上陸地点である、「江蘇省淮安市」が、今回の目的地である。馴染みのない街だが、市内「楚州区」には、「韓信の股くぐり」で有名な漢代の武将「韓信」の生まれ育った街があり、当時ニートであった「韓信」が、終日魚釣りをしていた場所も、観光地点になっていた。また、「周恩来」総理が、子供時代に過ごした故居があり、祖父は、進士の高級官僚であったので、その家は、大邸宅だった。<br /><br />  高速バスは、上海から蘇州を通り、無錫に入り、そこから「長江」(揚子江)に架かる「江陰大橋」を渡って、揚州に入った。更に北へ向かい、「高郵湖」の脇を通り、約6時間掛けて、淮安市に到着した。<br /><br />(2)この地での、「空海」、「円仁」、「成壽」の足跡を辿る<br /><br />  「空海」さんは、現在の江蘇省の旅について、『運河を北上、太湖の東岸沿いに、蘇州、常州市を経て、「長江」を渡り、揚州市に至る。「山陽とく」と呼ばれる運河を北上、高郵市を経て、淮陰市に至る』と、書いている。「淮陰」は,現在の「淮安市淮陰区」である。ここから空海は、「洪澤湖」を西に見て南下、くい県辺りで、「淮河」を渡り、「淮河」と「黄河」を結ぶ運河である「べん河」(通済渠)を通り、「開封」へ、向かっている。<br />  また、天台宗三代座主、「円仁」は、空海に遅れること約35年後の838年に入唐、そして9年間、各地を旅し、『入唐求法巡礼行記』という日記を書いている。「円仁」は、遣唐使の一員として、この地を通り「長安」に向かい、そして帰国する一行と、一緒に再びこの地を通っている。この後、所謂不法滞在し、師最澄の、仏教求法の地を偲びながら、五台山等の仏教の霊地を回っているのだが、9年間の滞在中、幾度も、この地を通っていたのだろう。日記には、この地を流れる淮河を、「東海に導く一大横断路」と書いており、大運河と淮河の交わる「楚州」(現在の淮安市楚州区)一帯が、交通の要衝であったことがわかる。<br />  「空海」も、「円仁」も、そして宋代に、還暦すぎてから、中国に出かけた「成壽」(醍醐天皇の曾孫,阿闍梨、1072年宋朝治下の中国に行き、1081年中国で71歳で入滅)も、そして、歴史には残らぬ多くの我が同胞達は、時に不安に陥りながら、この運河を船で通ったことであろう。当時、日本から、中国のどの海岸線に辿り着こうが、「長安」へは、必ずこの地を通るという、まさに「長安への道」であったようだ。<br />  「成壽」の日記『参天台五台山記』には、中国の当時の社会システムについて書かれている。この地を南北に貫く大運河に関しては、運河の堰や閘門などの土木技術や、運河を旅する時に、堤防の上に設置された「鉄製の牛」等についても、触れている。<br />  翌日、「洪澤湖」の水位を調整する水路の第一水門の脇で、「鎮水鉄牛」(鉄牛)を捜し求めることが出来た。水位上昇の警戒警報が発令されているのも知らず、水路管理局で、暢気に「鉄牛」の所在を尋ねる日本人に呆れたのか、それでも女性係官がわざわざ案内してくれた。水門の脇の階段を降りると、台座に座る重さ4トンの「鉄牛」に出会ったのである。<br />  ここより上流の「黄河」では、「浮き橋」の鎖留めに「鉄牛」は使われていたようだが、この地方では嘗ては、堤防の上に設置されており、牛は、「易経」では大地とみなされ、水との関係も深く、鉄は水を避けるとされていることから、鉄の牛は大地の安寧と鎮河水、すなわち河川の氾濫忌避を願う象徴であったようである。「成壽」はもちろん、「空海」も「円仁」も、この付近を舟で通った時に、堤防の上にあるこの「鉄牛」を見て、きっと安堵して旅を続けたのであろう。今では、「鉄牛」は、この地方では、僕が見たものと、省の博物館に陳列されている僅か2頭しか残っていなかった。僕の中国の旅は、嘗て、日本人が、旅した中国の地を追っ駆ける旅ではあるが、今回は、この「鉄牛」を見つけたことで、その目的を果たした気になっていた。<br /><br />(3)、旅の終わりに<br /><br />  この後は、この地方の料理を、心置き無く食べ歩くことにした。丁度、日本の暦では、「土用の丑」の日が近い頃でもあったので、まずは、この地方の「鰻料理」を注文した。「鰻を背開きして、大蒜を入れた炒めもの」(軟兜長)、見た目よりは、あっさり味である。もちろん日本語の「鰻」とは異なり、魚偏に「善」の字を書く「田鰻」のようであった。続いて出された「豚肉団子と水中植物の茎入りスープ」(肉元蒲菜)は、この地方のお豆腐料理で、別名「西施豆腐」と言われ、近くの「揚州」に、行幸した清朝『乾隆帝』の大好物であったという。賽の目に切った豆腐に、微塵切りした香菜や青大蒜を入れ、河蝦などと一緒に炒め、最後に片栗でとろみをつけた「豆腐料理」(平橋豆腐)、そして、上海蟹の濃厚な油で炒めた具とスープ入りの団子、ストローを突き刺して、中のスープを飲むのである(蟹黄湯包)。以上が、気温36度の楚州区のレストランでお昼に食べた料理である。この地方の味付けは、「揚州料理」に近かく、どちらかと言うと、日本人好みの比較的淡白な味で、あった。(完)<br /><br /><br />表紙写真:淮安市の運河の船着場近くにあるに「南船北馬」の碑<br /><br /><br /><br /> * Coordinator:  H. Gu                              <br /><br /><br />            <br />                      <br /><br /><br />

【江蘇省】 楚州 * 円仁 「入唐求法巡礼行記」を 旅する(3)

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2007/07/26 - 2007/07/30

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

(1)「江蘇省淮安市」

              合歓が咲く 石の南船 北馬の碑

  「京杭大運河」を北上し、「南船北馬」の上陸地点である、「江蘇省淮安市」が、今回の目的地である。馴染みのない街だが、市内「楚州区」には、「韓信の股くぐり」で有名な漢代の武将「韓信」の生まれ育った街があり、当時ニートであった「韓信」が、終日魚釣りをしていた場所も、観光地点になっていた。また、「周恩来」総理が、子供時代に過ごした故居があり、祖父は、進士の高級官僚であったので、その家は、大邸宅だった。

  高速バスは、上海から蘇州を通り、無錫に入り、そこから「長江」(揚子江)に架かる「江陰大橋」を渡って、揚州に入った。更に北へ向かい、「高郵湖」の脇を通り、約6時間掛けて、淮安市に到着した。

(2)この地での、「空海」、「円仁」、「成壽」の足跡を辿る

  「空海」さんは、現在の江蘇省の旅について、『運河を北上、太湖の東岸沿いに、蘇州、常州市を経て、「長江」を渡り、揚州市に至る。「山陽とく」と呼ばれる運河を北上、高郵市を経て、淮陰市に至る』と、書いている。「淮陰」は,現在の「淮安市淮陰区」である。ここから空海は、「洪澤湖」を西に見て南下、くい県辺りで、「淮河」を渡り、「淮河」と「黄河」を結ぶ運河である「べん河」(通済渠)を通り、「開封」へ、向かっている。
  また、天台宗三代座主、「円仁」は、空海に遅れること約35年後の838年に入唐、そして9年間、各地を旅し、『入唐求法巡礼行記』という日記を書いている。「円仁」は、遣唐使の一員として、この地を通り「長安」に向かい、そして帰国する一行と、一緒に再びこの地を通っている。この後、所謂不法滞在し、師最澄の、仏教求法の地を偲びながら、五台山等の仏教の霊地を回っているのだが、9年間の滞在中、幾度も、この地を通っていたのだろう。日記には、この地を流れる淮河を、「東海に導く一大横断路」と書いており、大運河と淮河の交わる「楚州」(現在の淮安市楚州区)一帯が、交通の要衝であったことがわかる。
  「空海」も、「円仁」も、そして宋代に、還暦すぎてから、中国に出かけた「成壽」(醍醐天皇の曾孫,阿闍梨、1072年宋朝治下の中国に行き、1081年中国で71歳で入滅)も、そして、歴史には残らぬ多くの我が同胞達は、時に不安に陥りながら、この運河を船で通ったことであろう。当時、日本から、中国のどの海岸線に辿り着こうが、「長安」へは、必ずこの地を通るという、まさに「長安への道」であったようだ。
  「成壽」の日記『参天台五台山記』には、中国の当時の社会システムについて書かれている。この地を南北に貫く大運河に関しては、運河の堰や閘門などの土木技術や、運河を旅する時に、堤防の上に設置された「鉄製の牛」等についても、触れている。
  翌日、「洪澤湖」の水位を調整する水路の第一水門の脇で、「鎮水鉄牛」(鉄牛)を捜し求めることが出来た。水位上昇の警戒警報が発令されているのも知らず、水路管理局で、暢気に「鉄牛」の所在を尋ねる日本人に呆れたのか、それでも女性係官がわざわざ案内してくれた。水門の脇の階段を降りると、台座に座る重さ4トンの「鉄牛」に出会ったのである。
  ここより上流の「黄河」では、「浮き橋」の鎖留めに「鉄牛」は使われていたようだが、この地方では嘗ては、堤防の上に設置されており、牛は、「易経」では大地とみなされ、水との関係も深く、鉄は水を避けるとされていることから、鉄の牛は大地の安寧と鎮河水、すなわち河川の氾濫忌避を願う象徴であったようである。「成壽」はもちろん、「空海」も「円仁」も、この付近を舟で通った時に、堤防の上にあるこの「鉄牛」を見て、きっと安堵して旅を続けたのであろう。今では、「鉄牛」は、この地方では、僕が見たものと、省の博物館に陳列されている僅か2頭しか残っていなかった。僕の中国の旅は、嘗て、日本人が、旅した中国の地を追っ駆ける旅ではあるが、今回は、この「鉄牛」を見つけたことで、その目的を果たした気になっていた。

(3)、旅の終わりに

  この後は、この地方の料理を、心置き無く食べ歩くことにした。丁度、日本の暦では、「土用の丑」の日が近い頃でもあったので、まずは、この地方の「鰻料理」を注文した。「鰻を背開きして、大蒜を入れた炒めもの」(軟兜長)、見た目よりは、あっさり味である。もちろん日本語の「鰻」とは異なり、魚偏に「善」の字を書く「田鰻」のようであった。続いて出された「豚肉団子と水中植物の茎入りスープ」(肉元蒲菜)は、この地方のお豆腐料理で、別名「西施豆腐」と言われ、近くの「揚州」に、行幸した清朝『乾隆帝』の大好物であったという。賽の目に切った豆腐に、微塵切りした香菜や青大蒜を入れ、河蝦などと一緒に炒め、最後に片栗でとろみをつけた「豆腐料理」(平橋豆腐)、そして、上海蟹の濃厚な油で炒めた具とスープ入りの団子、ストローを突き刺して、中のスープを飲むのである(蟹黄湯包)。以上が、気温36度の楚州区のレストランでお昼に食べた料理である。この地方の味付けは、「揚州料理」に近かく、どちらかと言うと、日本人好みの比較的淡白な味で、あった。(完)


表紙写真:淮安市の運河の船着場近くにあるに「南船北馬」の碑



* Coordinator:  H. Gu


    



同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス タクシー

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  • 洪澤湖の水位を調整する水路の第一水門の脇に、保存されているで、“鎮水鉄牛”

    洪澤湖の水位を調整する水路の第一水門の脇に、保存されているで、“鎮水鉄牛”

  • 洪澤湖の水位を調整する水路の第一水門の脇に、保存されているで、“鎮水鉄牛”

    洪澤湖の水位を調整する水路の第一水門の脇に、保存されているで、“鎮水鉄牛”

  • “韓信の股くぐり”で有名な、漢代の武将「韓信」が、股くぐりをしている絵。

    “韓信の股くぐり”で有名な、漢代の武将「韓信」が、股くぐりをしている絵。

  •   琉球通信使の通事、鄭文英が、この地で亡くなった。その後、地元の人達は、彼の墓を今日まで大切に守っている。地元の人は、日本人の墓だと言う。名前から見ると中国人のようであるが、琉球は福州からの移住者が多く、琉球時代は、福州に福州琉球館があり、大勢の琉球人が滞在していたようだ。

      琉球通信使の通事、鄭文英が、この地で亡くなった。その後、地元の人達は、彼の墓を今日まで大切に守っている。地元の人は、日本人の墓だと言う。名前から見ると中国人のようであるが、琉球は福州からの移住者が多く、琉球時代は、福州に福州琉球館があり、大勢の琉球人が滞在していたようだ。

  • 琉球国通事鄭文英の墓。住宅街の中にあり、中学校の隣に位置し、周りは住宅街である。墓地はとても丁寧に管理されている。日本人の墓がこのように丁寧に管理されているのは珍しいのである。当初道がよく分からなかったので、中学校で聞いたら、、「ああ、日本人の墓ですね、それならあそこですよ」と、丁寧に教えてくれたのである。

    琉球国通事鄭文英の墓。住宅街の中にあり、中学校の隣に位置し、周りは住宅街である。墓地はとても丁寧に管理されている。日本人の墓がこのように丁寧に管理されているのは珍しいのである。当初道がよく分からなかったので、中学校で聞いたら、、「ああ、日本人の墓ですね、それならあそこですよ」と、丁寧に教えてくれたのである。

  • うなぎを背開きして、大蒜を入れた炒めもの(軟兜長)、見た目よりは、あっさり味である。もちろん日本語の”鰻”とは異なり、”魚偏に善”の字を書く”田鰻”のようであるが。

    うなぎを背開きして、大蒜を入れた炒めもの(軟兜長)、見た目よりは、あっさり味である。もちろん日本語の”鰻”とは異なり、”魚偏に善”の字を書く”田鰻”のようであるが。

  • 豚肉団子と水中植物の茎入りスープ(肉元蒲菜)

    豚肉団子と水中植物の茎入りスープ(肉元蒲菜)

  • 上海蟹の濃厚な油で炒めた具とスープ入りの団子、ストローを突き刺して、中のスープを飲むのである(蟹黄湯包)。

    上海蟹の濃厚な油で炒めた具とスープ入りの団子、ストローを突き刺して、中のスープを飲むのである(蟹黄湯包)。

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