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昭島市拝島にある啓明学園「北泉寮」を訪ねました。<br /><br />北泉寮は、1892年(明治25)、現在の千代田区永田町の旧首相官邸のところに建てられた鍋島直大侯爵の邸宅が原型となっています。近代日本の貴族や政界・財界人の邸宅が洋館とセットの和・洋並置式邸宅として建てられていたように、鍋島鄭も和館と洋館がありました。<br /><br />1923年(大正12)の関東大震災で、洋館が倒壊してしまいましたが、和館はほとんど被害を受けませんでした。震災後、三井八郎右衛門が鍋島侯爵からこの建物を買受け、1927年(昭和2)三井家別荘として現在の啓明学園構内に移されました。<br /><br />北泉寮の名称は、三井北家(三井高雄)の北を、泉は住友家(英子夫人の母方の実家)の屋号泉屋に由来しています。<br /><br />北泉寮は江戸時代の大名屋敷の伝統を受け継いでおり、玄関部分の格式のある構え、1階和風客室、2階居間、夫人居室、寝室等の座敷飾りに書院造りの流れが認められます。一方、1階洋風客室、次の間、食堂等には近代洋風のデザインが加味されており、折衷様式を見ることができます。<br /><br />北泉寮は通常公開されていません。年に数回一般公開され、その時だけ見学することは可能です。

啓明学園北泉寮(国登録有形文化財)を訪ねて

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2008/11/04 - 2008/11/04

272位(同エリア572件中)

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Weiwojing

Weiwojingさん

昭島市拝島にある啓明学園「北泉寮」を訪ねました。

北泉寮は、1892年(明治25)、現在の千代田区永田町の旧首相官邸のところに建てられた鍋島直大侯爵の邸宅が原型となっています。近代日本の貴族や政界・財界人の邸宅が洋館とセットの和・洋並置式邸宅として建てられていたように、鍋島鄭も和館と洋館がありました。

1923年(大正12)の関東大震災で、洋館が倒壊してしまいましたが、和館はほとんど被害を受けませんでした。震災後、三井八郎右衛門が鍋島侯爵からこの建物を買受け、1927年(昭和2)三井家別荘として現在の啓明学園構内に移されました。

北泉寮の名称は、三井北家(三井高雄)の北を、泉は住友家(英子夫人の母方の実家)の屋号泉屋に由来しています。

北泉寮は江戸時代の大名屋敷の伝統を受け継いでおり、玄関部分の格式のある構え、1階和風客室、2階居間、夫人居室、寝室等の座敷飾りに書院造りの流れが認められます。一方、1階洋風客室、次の間、食堂等には近代洋風のデザインが加味されており、折衷様式を見ることができます。

北泉寮は通常公開されていません。年に数回一般公開され、その時だけ見学することは可能です。

  • 啓明学園入口にある「数寄屋門」です。<br />

    啓明学園入口にある「数寄屋門」です。

  • この学園は、1940年(昭和15)に三井総本家11代目三井八郎右衛門の実弟三井高雄によって創設されました。<br />創立者自身が海外での子弟教育の不便さを痛感し、海外生活で得た国際的感覚と外国語を伸ばせないのは国家の損失と考え、将来世界に飛雄し、国際的に奉仕できる信仰(この学校はキリスト教主義です)を持った人材を養成したいと考えました。<br />最初港区赤坂台町の私邸において小学校を創設しましたが、空襲で焼失したために、現在地拝島に所有していた別荘地に移り、戦後学園全体がここに移転し、現在に至っています。

    この学園は、1940年(昭和15)に三井総本家11代目三井八郎右衛門の実弟三井高雄によって創設されました。
    創立者自身が海外での子弟教育の不便さを痛感し、海外生活で得た国際的感覚と外国語を伸ばせないのは国家の損失と考え、将来世界に飛雄し、国際的に奉仕できる信仰(この学校はキリスト教主義です)を持った人材を養成したいと考えました。
    最初港区赤坂台町の私邸において小学校を創設しましたが、空襲で焼失したために、現在地拝島に所有していた別荘地に移り、戦後学園全体がここに移転し、現在に至っています。

  • 児童たちが昼休みに元気よく遊んでいます。<br />学園のすぐ裏には多摩川が流れ、自然環境に大変恵まれています。

    児童たちが昼休みに元気よく遊んでいます。
    学園のすぐ裏には多摩川が流れ、自然環境に大変恵まれています。

  • 北泉寮が見えてきました。<br />この建物は1892年(明治25)に建てらた数寄屋造りの和館で、建築面積1,622 ?の広さがあります。<br />当初は三井家拝島別荘として使われていました。1988年、文化庁によって文化財登録されています。<br /><br />

    北泉寮が見えてきました。
    この建物は1892年(明治25)に建てらた数寄屋造りの和館で、建築面積1,622 ?の広さがあります。
    当初は三井家拝島別荘として使われていました。1988年、文化庁によって文化財登録されています。

  • この写真は北泉寮の南側から撮ったものですが、壁の部分が全くなく、ガラス窓とガラス戸だけです。<br />開放感があっていいですが、これだと、台風の時や大雨の時は雨が入って大変でしょう。

    この写真は北泉寮の南側から撮ったものですが、壁の部分が全くなく、ガラス窓とガラス戸だけです。
    開放感があっていいですが、これだと、台風の時や大雨の時は雨が入って大変でしょう。

  • 建物の前では児童たちが自由に遊んでいますが、かつてはある時期生徒たちの寮だったり、柔道所だったりしたこともあるそうです。

    建物の前では児童たちが自由に遊んでいますが、かつてはある時期生徒たちの寮だったり、柔道所だったりしたこともあるそうです。

  • 北側に回ってみました。

    北側に回ってみました。

  • 北側にある正面玄関です。この玄関脇には家族用の玄関も設けられています。

    北側にある正面玄関です。この玄関脇には家族用の玄関も設けられています。

  • 1階大広間です。<br />以前は和室でしたが、今はカーぺットが敷かれ、講演会、音楽会、学園行事等の様々な用途で使われています。

    1階大広間です。
    以前は和室でしたが、今はカーぺットが敷かれ、講演会、音楽会、学園行事等の様々な用途で使われています。

  • 1階は来客をもてなす場となっていて、広間、応接室、食堂等があります。ここは「応接室」です。

    1階は来客をもてなす場となっていて、広間、応接室、食堂等があります。ここは「応接室」です。

  • 応接室の暖炉がある側を撮ってみました。

    応接室の暖炉がある側を撮ってみました。

  • 応接間のとなりにある「次の間」です。<br />擬った装飾は何もありませんが、落ち着いた感じの部屋です。

    応接間のとなりにある「次の間」です。
    擬った装飾は何もありませんが、落ち着いた感じの部屋です。

  • 格格子と寄木張りの床を持つ「食堂」です。<br />応接間に比べると、大変簡素で、華麗ではないが、重厚である。

    格格子と寄木張りの床を持つ「食堂」です。
    応接間に比べると、大変簡素で、華麗ではないが、重厚である。

  • 四方が建物に囲まれた小さな中庭があります。

    四方が建物に囲まれた小さな中庭があります。

  • ここから2階に上がリます。<br />階段は「高欄手摺階段」と言われ、親柱の柱頭に擬宝珠(ぎぼし)をのせています。

    ここから2階に上がリます。
    階段は「高欄手摺階段」と言われ、親柱の柱頭に擬宝珠(ぎぼし)をのせています。

  • 2階大広間です。今では襖がほとんど取り払われています。

    2階大広間です。今では襖がほとんど取り払われています。

  • ゲスト用化粧間です。<br />4畳の狭い部屋に洗面台が設けられ、椅子に腰かけて使われることを想定して造らています。

    ゲスト用化粧間です。
    4畳の狭い部屋に洗面台が設けられ、椅子に腰かけて使われることを想定して造らています。

  • 夫人用化粧間です。<br />昭和初期からお湯と水が出る洗面台鏡棚が備えつけられています。

    夫人用化粧間です。
    昭和初期からお湯と水が出る洗面台鏡棚が備えつけられています。

  • 現在公開されている北泉寮は全体の約3分の1で、この写真の部分は未公開です。

    現在公開されている北泉寮は全体の約3分の1で、この写真の部分は未公開です。

  • 広大な敷地をどんどん進んで行くと、「伏見庭園」と書かれたところに出てきます。

    広大な敷地をどんどん進んで行くと、「伏見庭園」と書かれたところに出てきます。

  • 北泉寮の東側に広大な森があります。<br />これは以前旧伏見宮別邸のあったところで、今は「伏見寮」と呼ばれるかっての宮殿部分だった建物の一部が保存されています。このまわりが伏見庭園と呼ばれています。

    北泉寮の東側に広大な森があります。
    これは以前旧伏見宮別邸のあったところで、今は「伏見寮」と呼ばれるかっての宮殿部分だった建物の一部が保存されています。このまわりが伏見庭園と呼ばれています。

  • ここは遠くに多摩川を見下ろす高台になっていて、素晴らしい眺望を眺めることができます。<br />特に夕方太陽が沈む頃が一番良いとのことです。時々生徒たちが河べりでマラソンしているのを見ることができます。

    ここは遠くに多摩川を見下ろす高台になっていて、素晴らしい眺望を眺めることができます。
    特に夕方太陽が沈む頃が一番良いとのことです。時々生徒たちが河べりでマラソンしているのを見ることができます。

  • 1983年(昭和58)から6年かけて、北泉寮は改修工事が行われました。<br />その工事に携わったのが京都の「桂離宮昭和の大改修」に参加した宮大工の安井清でした。彼はこの竹を京都から持って来て、ここに植えました。今ではこんなに大きくなっています。

    1983年(昭和58)から6年かけて、北泉寮は改修工事が行われました。
    その工事に携わったのが京都の「桂離宮昭和の大改修」に参加した宮大工の安井清でした。彼はこの竹を京都から持って来て、ここに植えました。今ではこんなに大きくなっています。

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