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東京多摩エリアを唯一縦断する多摩モノレール「満願寺駅」下車、交差点に面した日野バイパス20号を西進約10分の公園に隣接する静寂な真言宗田村山・安養寺(あんようじ、東京都日野市満願寺)があり、ここが武蔵七党の内西党の支族である田村氏の館跡と伝えられています。<br /><br />平安時代後期に武蔵国に発生した小規模的武集団が後世になって武蔵七党と称されるようになり、武蔵国の地域によってそれぞれ党名が付され、西党については始祖である日奉(ひまつり)氏が武蔵守として武蔵国府(現在の府中市)に下向、その子孫が在庁官人となって土着したと言われてます。<br /><br />西党の支配は国府の西部地域、多摩川流域、都築や橘樹両郡に広がりますが領域の中心は多摩川の水運を利用する平山・立川・日野という国府に接するところです。<br /><br />西党日奉氏からは上述の領域の中で日野を起点として支族が多摩川に沿って拡大する中で、武蔵田村と呼ばれ当地に知行を有し居館を構え武士団を田村氏と称されることになります。<br /><br />当寺創建については田村一族の後裔である田村安栖(たむら・あんせい、生没不詳)の開基と言われています。<br /><br />安栖は北条氏政の侍医として仕え、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐では北条一族が籠城耐え切れず開城して降伏、主戦派である氏政と弟氏照が秀吉の命によって切腹する事態となり、両名は田村安栖屋敷に入り7月11日弟氏規の介錯にて執り行われました。<br /><br />尚、本題から外れますが当主北条氏直(ほうじょう・うじなお、1562ー1591)は徳川家康が義父であることから死罪を免れ僅かの臣下と共に高野山追放、その後秀吉から罪を許され大坂狭山にて1万石大名に取立てられます。<br /><br />しかしながら翌年30歳の若さで病死、氏直後は養子となっていた氏規の子、氏盛(うじもり、1577ー1608)が家督相続を許され以降小田原北条氏の名は脈々と明治維新まで続くことになります。<br /><br /><br />2022年11月2日追記<br /><br />安養寺のホームページには下記の如く詳細にわたって紹介されています。<br /><br />「 安養寺の由来<br /><br />田村山安養寺(真言宗智山派)は高幡不動尊から浅川を渡った北東にあり、多摩川の近くに位置しています。将棋好きの言葉で「王手は日野の満願寺」と言いますが、その満願寺の南東に接しています。なお、今日満願寺というお寺はなく、地名として残っているのみです。<br /><br />「田村」というのは、かつての日野市下田のことですが、その名はこの辺りから起こり、居館を構えていた武蔵田村に由来しています。田村氏は日奉氏族西党の一氏で、知行地を有していました。田村駄太郎知実、その子の同三郎広綱(平安時代後期~鎌倉時代初期)等の末裔に、安養寺を開基したといわれる田村安栖がいます。<br /><br />田村安栖は小田原城の御殿医で、小田原北条氏最期の場面に小田原の自邸を提供し、氏政、氏照兄弟が切腹場に当てた(1590年・天正18年7月11日)ことは「北条五代記」(小田原記)に詳しく書かれております。今でも小田原市の中央部に「安栖小路」の名が残っています。<br /><br />安養寺の本堂(1690年頃・元禄時代初期)は田村氏の書院の一部を使い<br />建立されたと伝えられております。<br /><br />また、本堂北側に隣接する茅葺き屋根の庫裏は本堂よりも古く、中興開山法印慶深の位牌に1606年・慶長11年11月22日没と刻くしていることから、その前後に建立されたものと思われます。黒光りする古い柱や床に残されている手斧の跡に、古館の結構を忍ぶことができます。<br /><br />本堂に安置されている本尊阿弥陀如来像(都重宝)は、安養寺の前身である満願寺の本尊であったものと思われ、平安時代後期の作で端麗で細部の手法も見事です。また、藤原時代の毘沙門天像、鎌倉時代の大日如来立像等、多数の古仏も安置しております。<br /><br />現在の本堂は、1983年・昭和58年に檀信徒をはじめ日野市並びに東京都のご協力により、改修復元工事を実施することができました。今月まで幾多の歴史的災害をのりこえてきたこれらの文化遺産を、私達は先人の例に習い、皆様と共に子々孫々に伝え護持していかなければならないと思います。<br /><br />                             合掌<br />                田村山安養寺<br />             第二十一世住職 石黒 忠雄  』

武蔵日野満願寺 武蔵七党西党出身で小田原北条氏の御殿医を務め合戦の際小田原城下の自邸を氏政・氏照切腹場所として供した『田村氏本拠』散歩

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2014/04/26 - 2014/04/26

220位(同エリア573件中)

2

20

滝山氏照

滝山氏照さん

東京多摩エリアを唯一縦断する多摩モノレール「満願寺駅」下車、交差点に面した日野バイパス20号を西進約10分の公園に隣接する静寂な真言宗田村山・安養寺(あんようじ、東京都日野市満願寺)があり、ここが武蔵七党の内西党の支族である田村氏の館跡と伝えられています。

平安時代後期に武蔵国に発生した小規模的武集団が後世になって武蔵七党と称されるようになり、武蔵国の地域によってそれぞれ党名が付され、西党については始祖である日奉(ひまつり)氏が武蔵守として武蔵国府(現在の府中市)に下向、その子孫が在庁官人となって土着したと言われてます。

西党の支配は国府の西部地域、多摩川流域、都築や橘樹両郡に広がりますが領域の中心は多摩川の水運を利用する平山・立川・日野という国府に接するところです。

西党日奉氏からは上述の領域の中で日野を起点として支族が多摩川に沿って拡大する中で、武蔵田村と呼ばれ当地に知行を有し居館を構え武士団を田村氏と称されることになります。

当寺創建については田村一族の後裔である田村安栖(たむら・あんせい、生没不詳)の開基と言われています。

安栖は北条氏政の侍医として仕え、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐では北条一族が籠城耐え切れず開城して降伏、主戦派である氏政と弟氏照が秀吉の命によって切腹する事態となり、両名は田村安栖屋敷に入り7月11日弟氏規の介錯にて執り行われました。

尚、本題から外れますが当主北条氏直(ほうじょう・うじなお、1562ー1591)は徳川家康が義父であることから死罪を免れ僅かの臣下と共に高野山追放、その後秀吉から罪を許され大坂狭山にて1万石大名に取立てられます。

しかしながら翌年30歳の若さで病死、氏直後は養子となっていた氏規の子、氏盛(うじもり、1577ー1608)が家督相続を許され以降小田原北条氏の名は脈々と明治維新まで続くことになります。


2022年11月2日追記

安養寺のホームページには下記の如く詳細にわたって紹介されています。

「 安養寺の由来

田村山安養寺(真言宗智山派)は高幡不動尊から浅川を渡った北東にあり、多摩川の近くに位置しています。将棋好きの言葉で「王手は日野の満願寺」と言いますが、その満願寺の南東に接しています。なお、今日満願寺というお寺はなく、地名として残っているのみです。

「田村」というのは、かつての日野市下田のことですが、その名はこの辺りから起こり、居館を構えていた武蔵田村に由来しています。田村氏は日奉氏族西党の一氏で、知行地を有していました。田村駄太郎知実、その子の同三郎広綱(平安時代後期~鎌倉時代初期)等の末裔に、安養寺を開基したといわれる田村安栖がいます。

田村安栖は小田原城の御殿医で、小田原北条氏最期の場面に小田原の自邸を提供し、氏政、氏照兄弟が切腹場に当てた(1590年・天正18年7月11日)ことは「北条五代記」(小田原記)に詳しく書かれております。今でも小田原市の中央部に「安栖小路」の名が残っています。

安養寺の本堂(1690年頃・元禄時代初期)は田村氏の書院の一部を使い
建立されたと伝えられております。

また、本堂北側に隣接する茅葺き屋根の庫裏は本堂よりも古く、中興開山法印慶深の位牌に1606年・慶長11年11月22日没と刻くしていることから、その前後に建立されたものと思われます。黒光りする古い柱や床に残されている手斧の跡に、古館の結構を忍ぶことができます。

本堂に安置されている本尊阿弥陀如来像(都重宝)は、安養寺の前身である満願寺の本尊であったものと思われ、平安時代後期の作で端麗で細部の手法も見事です。また、藤原時代の毘沙門天像、鎌倉時代の大日如来立像等、多数の古仏も安置しております。

現在の本堂は、1983年・昭和58年に檀信徒をはじめ日野市並びに東京都のご協力により、改修復元工事を実施することができました。今月まで幾多の歴史的災害をのりこえてきたこれらの文化遺産を、私達は先人の例に習い、皆様と共に子々孫々に伝え護持していかなければならないと思います。

                             合掌
                田村山安養寺
             第二十一世住職 石黒 忠雄  』

旅行の満足度
3.0
交通手段
高速・路線バス 徒歩
  • 安養寺周辺地図<br /><br />多摩モノレール「満願寺駅」を下車、交差点に周辺地図が配置され、安養寺の所在を確認します。 地図によれば右手の多摩川と左手の浅川(多摩川支流)に挟まれ河川で敵の侵攻を防御する独特なエリアで城郭ファンなら思わず逞しい想像が働いてしまいます。

    安養寺周辺地図

    多摩モノレール「満願寺駅」を下車、交差点に周辺地図が配置され、安養寺の所在を確認します。 地図によれば右手の多摩川と左手の浅川(多摩川支流)に挟まれ河川で敵の侵攻を防御する独特なエリアで城郭ファンなら思わず逞しい想像が働いてしまいます。

  • 安養寺・正門

    安養寺・正門

  • 安養寺・寺標<br /><br />「真言宗智山派 田村山 安養寺」と刻されており、その中で山号は西党田村氏に因んで号されています。

    安養寺・寺標

    「真言宗智山派 田村山 安養寺」と刻されており、その中で山号は西党田村氏に因んで号されています。

  • 多摩四国八十八か所札所標

    多摩四国八十八か所札所標

  • 「多聞天」石碑<br /><br />参道途中にある年代を経た石碑の「多聞天」は当寺に保存されている毘沙門天の別名で仏法を保護する四天王の一つです。

    「多聞天」石碑

    参道途中にある年代を経た石碑の「多聞天」は当寺に保存されている毘沙門天の別名で仏法を保護する四天王の一つです。

  • 安養寺・薬師堂

    安養寺・薬師堂

  • 安養寺・山門

    イチオシ

    安養寺・山門

  • 安養寺・山門寺額<br /><br />山門に掲載の社額は山号「田村山」が掲げられています。

    安養寺・山門寺額

    山門に掲載の社額は山号「田村山」が掲げられています。

  • 安養寺・山門寺標

    安養寺・山門寺標

  • 安養寺・「関東八十八か所霊場第六十八番」標

    安養寺・「関東八十八か所霊場第六十八番」標

  • 安養寺本堂・説明板<br /><br /><br /><br />『市指定有形文化財(建造物)<br />       安 養 寺 本 堂<br />安養寺は、その創立は明らかではないが、中世のこの地方の豪族、西党日奉氏の一族田村氏の居館跡といわれる。<br /><br />現本堂は再建されたもので、昭和57・58年(1982・83年)の修理時の調査等から、その建立は18世紀初頭を下らないものと見られる。建物は方丈形式で、元は茅葺であったが、大正7年(1918年)の修理時に向拝を取付け鉄板葺とし、上記昭和の修理時に屋根構造を復し銅板葺となった。庫裏も本堂と同時期の建立と見られ、江戸時代に造営された方丈形式の、本堂と庫裏が現存する好例である。(構造形式)桁行九間 梁間五間 寄棟造 向拝一間 背面内々陣方一間突出 屋根本瓦葺型瓦棒銅板葺<br />  昭和40年(1965年)3月1日指定  日野市教育委員会  』

    安養寺本堂・説明板



    『市指定有形文化財(建造物)
           安 養 寺 本 堂
    安養寺は、その創立は明らかではないが、中世のこの地方の豪族、西党日奉氏の一族田村氏の居館跡といわれる。

    現本堂は再建されたもので、昭和57・58年(1982・83年)の修理時の調査等から、その建立は18世紀初頭を下らないものと見られる。建物は方丈形式で、元は茅葺であったが、大正7年(1918年)の修理時に向拝を取付け鉄板葺とし、上記昭和の修理時に屋根構造を復し銅板葺となった。庫裏も本堂と同時期の建立と見られ、江戸時代に造営された方丈形式の、本堂と庫裏が現存する好例である。(構造形式)桁行九間 梁間五間 寄棟造 向拝一間 背面内々陣方一間突出 屋根本瓦葺型瓦棒銅板葺
      昭和40年(1965年)3月1日指定  日野市教育委員会  』

  • 木像毘沙門天像(市指定文化財・彫刻)・説明板<br /><br />檜材の寄木造りで鎌倉時代初期製作(推定)とのことです。<br />

    木像毘沙門天像(市指定文化財・彫刻)・説明板

    檜材の寄木造りで鎌倉時代初期製作(推定)とのことです。

  • 安養寺・本堂

    安養寺・本堂

  • 安養寺・本堂寺額<br /><br />寺号である「安養寺」と揮毫された扁額が見えます。<br /><br />

    安養寺・本堂寺額

    寺号である「安養寺」と揮毫された扁額が見えます。

  • 安養寺・葵の御紋<br /><br />本堂扉に葵の御紋が付されています。徳川家の庇護があったと思われます。

    安養寺・葵の御紋

    本堂扉に葵の御紋が付されています。徳川家の庇護があったと思われます。

  • 安養寺・本堂

    イチオシ

    安養寺・本堂

  • 安養寺・本堂屋根<br /><br />屋根にも葵の御紋が付されています。

    安養寺・本堂屋根

    屋根にも葵の御紋が付されています。

  • 安養寺・境内<br /><br />本堂から山門方向を捉えます。

    安養寺・境内

    本堂から山門方向を捉えます。

  • 安養寺・弘法大師像

    安養寺・弘法大師像

  • 安養寺・庫裡<br /><br />本堂から右手に繋がる庫裡の玄関は立派です。

    安養寺・庫裡

    本堂から右手に繋がる庫裡の玄関は立派です。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ateruiさん 2014/05/07 22:59:49
    おつかれさまでございます
    安養寺いかれたんですね!

    お薬師さんのお祭りが一番ここはにぎやかそうですね!
    ここの庫裡の地下がまた立派なんですよ!

    ここから家迄歩いて三分なんですよ!

    enn8801

    滝山氏照

    滝山氏照さん からの返信 2014/05/08 16:50:45
    安養寺訪問
    enn8801さん こんにちは


    昨日はメッセ−ジをいただきありがとうございます。


    過日武蔵七党の西党・田村氏に関係する安養寺に行ってまいりました。

    西党日奉氏に関連する東光寺薬師堂(日野市栄町)からスポ-ツ公園を経て安養寺へのル-トを取りました。


    日野バイパスが開通して府中方面への連絡が混雑緩和され、沿道も随分発展してきたような印象があります。


    安養寺はご自宅に近接の様子ですが少し離れた所に神社もあり、また土方歳三の博物館も通りを隔ててありますから見学場所は恵まれた所ですね。



    滝山氏照







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