2007/04/29 - 2007/04/30
423位(同エリア481件中)
たぬぽんさん
熱田を出、途中から快速列車に乗り換え、
豊橋まではぶっとばします!
次なる下車駅は豊橋から東京方面へ1駅、
二川駅:東海道33番目の宿場町の二川宿があります。また、ここはぎりぎり愛知県。一つ隣の駅から静岡県になります。
そのせいか、近頃運用開始されたTOICAは、少し中途半端ですがこの駅が運用区間の東の端です。
途中、岡崎などで下車しようかと思ったんですが、
熱田で歩いてだいぶ疲れてしまったので車内で座って休憩してたら気づいたら豊橋だったんです^^;
あれ、最近宿場町の旅行記ばかりだな・・・(笑)
ま、いっか♪
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14:50二川駅着。
東海道本線の愛知県の東端のためか、
乗り降りの方が多かったです。
ほんの少し東へ行けば静岡県です。 -
なんとなく、二川駅の様子。
こういう眺め、けっこ好きかも。 -
二川駅北口のロータリー。
さすが宿場町を抱える駅。
ロータリーがなんとなくそれっぽい(あやふや^^;)!
そして立て看板もいろいろ。
ハイキングコースの説明、二川の説明など。
小さな駅ですが、
観光に力を入れてる感じですね。 -
東のほうへ歩きます。
ここも旧東海道。
周辺の住民の方の抜け道になっているようで車通りも多く、街道の雰囲気が薄れていますが、
本陣(資料館として公開)付近に近づくにつれ、雰囲気も濃くなります。 -
西問屋場跡
問屋場は、宿場で人馬継立などを扱うところ。
本陣の東には、東問屋場跡もあります。
この西問屋場は大岩村、
東問屋場は二川村の運営です。 -
高札場跡
高札場は幕府や大名が法令や禁令を掲示したところ。
ここはちょうど二川村と大岩村の境で人目につきやすかったのかな。
また、境ということを示すように、枡形になっています。
車どおりが多く、こんな桝形なんて見通しを悪くするだけでドライバーにはデメリットしかないところですが、
歩く人間にとっては、こういう道でさえ街道の雰囲気を感じられる場所なので、
残っているのはすごくありがたかったです。
また、ここの高札場跡の復元が、
本陣資料館の駐車場に展示されています(後述します)。 -
壷屋
要するに、味噌屋、かな。
だいぶ横長な建物です。
この建物と道を挟んで向かい側に、、、 -
二川宿本陣資料館
があります!
旧東海道で本陣としてこれだけ立派に復元されているところはそーありません。
駅から徒歩約15分、約1キロで到着です。
こんな佇まいなので、入り口は道に面している面のどこかにあるのかと思いましたが、
隣にある駐車場の奥から入るようです。。。わかりにくいなぁ(笑) -
資料館の駐車場にある高札場
駐車場の規則が書いてあります(うそです^^;)
さて入館。
入館料400円
開館時間9:30〜17:00(入館は30分前まで)
主屋座敷で一服できます、一服300円(土日祝のみ)、10:30〜16:00
資料館・本陣・旅籠屋清明屋の3施設を見学できます。
二川宿本陣について
この建物は文化4年(1807年)から明治3年(1870年)の本陣廃止まで本陣職を勤めた馬場家の建物です。
安政2年(1855年)には総建坪233坪半となって本陣として最も整備された状態になりました。
馬場家以前の本陣は後藤家・紅林家が営んでいました。 -
本陣見学中、おや、なんだか騒がしくなってきたぞ・・・
通りの方へ出てみると人がいっぱい・・・ -
なんとまーポチたまですよ!だいすけです。
私はテレビを見てなかったのであまりよくわからなかったのですが。。。
子供たちに大人気です。
さて、資料館について
資料館は2階建て、かなりいろんな資料が公開されています。
持ち帰り用にワークシートがNo.8まであります。
私もこの資料が、今や大助かりです^^;
子供遊び用に東海道五十三次双六があります。
実際、こんな双六は街道現役時代にも娯楽として遊ばれていたようです。
本陣はこの時期、五月人形展のような感じで、空いてる部屋にたくさん飾られていました。
着る事もできるようです。
本陣の隣に旅籠屋清明屋が公開されています。
学んだこと。
昔もやはり、悪い旅籠屋があったようです。
呼び込みして、客引きして・・・・みたいに。
そして、「講」と呼ばれる今の旅館協定みたいなものができあがりました。
「浪花講」の札がありました。 -
本陣資料館を後にします。
町を歩いてきょろきょろしていると、
「錦屋」とかの屋号が見つかります。
それぞれがどんな意味をもっているのか、果たしてわかりませんでした。
また、きょろきょろしてると
「後藤」「馬場」の表札がよく見当たりました。
この両氏、先ほども出ましたが、
本陣となった方の苗字です。
本陣を運営するのは、その土地の有力者です。
だから、このお宅は、お金持ちなのかも^^;
ただ、「紅林」の表札はあまり見当たりませんでした。
しばらく東へ歩きます。 -
こちら、脇本陣跡。
後藤家です。
では、二川宿のデータ(天保14年・1843年)
本陣1軒
脇本陣1軒
旅籠屋38軒
総人口1468人
江戸から数えて33番目の宿場町。
江戸から72里(約282.7km)の距離にあります。
もともと二川村と大岩村の二つの村で一つの宿場を構成していましたが、
この二村の距離が離れていたため、
二川村を大岩村付近に移転させて、大岩村を加宿として改めて二川宿としたそうです(正保元年・1644年)。
その昔、
戦いに勝った豊臣秀吉が隣の白須賀宿を出て境川の手前にあった茶屋に立ち寄り、
その際に食した餅を「勝和餅」と称したのが「かしわ餅」の始まりといわれています。
だから二川は、かしわ餅が名物、なのかな? -
東問屋場跡
西問屋場跡とは違い、この跡地は何か営まれています。
ある意味、問屋場が引き継がれている・・・?^^;
さらに東へ歩いていくと
商家「駒屋」という豊橋市指定有形文化財があります。
田村家という二川宿の有力者のものです。
内部見学は残念ながらできないそうです。
さて、そろそろ引き返しましょうか。 -
本陣資料館前の側溝です。
木でつくられているみたいです。 -
大岩神明社
大岩村の氏神で、境内には寛延4年(1751年)の灯篭などがあるようです。
ということで、
二川はおわり。
またも街道の勉強をさせていただきました。
次の下車駅・・・
またも街道・・・か?^^;
つづく。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 義臣さん 2007/11/13 16:52:25
- 東海道
- ここ二川の宿は面白そうですね
年末の青春18切符は名古屋周辺を予定しているので
参考にさせていただきます
有難う、そこで一票
義臣
- たぬぽんさん からの返信 2007/11/13 20:58:47
- Re:東海道
- こんばんわー義臣さん!
投票&書き込みありがとございます!!
駅に観光案内所があるわけではないので少し戸惑う所ですが、
駅前に看板がありますし、一本道なので迷う事はまずないと思います。
今回私はいけませんでしたが、もしお時間と体力に余裕があれば、
二川の一つ京方面の隣の宿場町・吉田宿へいかれるとよいかもです!
歩くだけで雰囲気が味わえるところなのでかなーり楽しかったですよー
二川宿だけならばそれほど時間のかかるところでもないのでかるーいウォーキングには最高ですね♪
あとだいすけにも会えたら^^;
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