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松尾芭蕉が日光見学後、玉生より黒羽に向かう途中、馬を借りて「馬が止まったら放して返してください」と農夫に無料でしかも“馬”だけを借りて、那須野が原を旅しました。馬の後を二人の子供が付いて来ました。一人は女の子、名を聞けば“かさね”と言ったそうです。「かさねとは八重撫子の名成べし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)と曽良がうたいました。そんな那須野が原の東にある「西教寺」を訪ねました。奥の細道最長の14日間滞在の宿はこの地「余瀬」と黒羽城にあります。

芭蕉の宿「鹿子畑翠桃邸跡」の「旧粟野宿」(余瀬)

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2006/11/23 - 2006/11/23

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しんちゃん

しんちゃんさん

松尾芭蕉が日光見学後、玉生より黒羽に向かう途中、馬を借りて「馬が止まったら放して返してください」と農夫に無料でしかも“馬”だけを借りて、那須野が原を旅しました。馬の後を二人の子供が付いて来ました。一人は女の子、名を聞けば“かさね”と言ったそうです。「かさねとは八重撫子の名成べし」(かさねとは やえなでしこの ななるべし)と曽良がうたいました。そんな那須野が原の東にある「西教寺」を訪ねました。奥の細道最長の14日間滞在の宿はこの地「余瀬」と黒羽城にあります。

交通手段
自家用車
  • 国道293より西側、田畑の中に旧奥州街道、宿場町「粟野宿」(現在大田原市黒羽町余瀬)があります。道標が無ければ激走して通り過ぎてしまいます。

    国道293より西側、田畑の中に旧奥州街道、宿場町「粟野宿」(現在大田原市黒羽町余瀬)があります。道標が無ければ激走して通り過ぎてしまいます。

  • 二十三夜塔と道標。「南:南金丸経…」

    二十三夜塔と道標。「南:南金丸経…」

  • 村落の入り口に史跡案内版

    村落の入り口に史跡案内版

  • 「西教寺」境内

    「西教寺」境内

  • 「西教寺」前、掲示板。特に松尾芭蕉を「追っかけ」している訳ではありませんが。那須地区を散策していると「芭蕉」の句碑がいたるところで見かけます。この場所も偶然発見しました。大田原市作久山から黒羽刑務所への近道だからです。「掲示板発見!!」なんだろうかと急停車して貴重な宿場町を発見しました。

    「西教寺」前、掲示板。特に松尾芭蕉を「追っかけ」している訳ではありませんが。那須地区を散策していると「芭蕉」の句碑がいたるところで見かけます。この場所も偶然発見しました。大田原市作久山から黒羽刑務所への近道だからです。「掲示板発見!!」なんだろうかと急停車して貴重な宿場町を発見しました。

  • 「かさねとは八重撫子の名成べし」句碑

    「かさねとは八重撫子の名成べし」句碑

  • 木造 「阿弥陀如来立像」お願いして本尊を見せていただきました。製作時期は江戸時代初期。以前、くすんだ色になったため大枚をはたき金箔を再現したそうです。檀家は5・60人の様でした。同じ集落より、西側の本城山(白旗城跡)を越えた集落に多いそうです。苗字を見ましたら、西海とか磯とか那須野が原には似合わない苗字がありました。財政は厳しいそうですが檀家の方々は皆、協力してくれるそうです。

    木造 「阿弥陀如来立像」お願いして本尊を見せていただきました。製作時期は江戸時代初期。以前、くすんだ色になったため大枚をはたき金箔を再現したそうです。檀家は5・60人の様でした。同じ集落より、西側の本城山(白旗城跡)を越えた集落に多いそうです。苗字を見ましたら、西海とか磯とか那須野が原には似合わない苗字がありました。財政は厳しいそうですが檀家の方々は皆、協力してくれるそうです。

  • 「いやに太い柱の納屋だな?」と思っていましたら、解体される黒羽城の材料を使用して納屋を作成、町の大切な文化財だそうです。しかし、財政が厳しく「そのうちになんとか保護します」が長年続いているそうです。

    「いやに太い柱の納屋だな?」と思っていましたら、解体される黒羽城の材料を使用して納屋を作成、町の大切な文化財だそうです。しかし、財政が厳しく「そのうちになんとか保護します」が長年続いているそうです。

  • 境内に四角竹!「益子町西明寺からですか?」栃木県小山市にある同じ宗派のお寺の“カブ分”けだそうです。四角竹については、本年8月14日の益子町「西明寺」編をご覧下さい。貴重な竹を一本いただいてきました。殖えるでしょうか?枯れずに育ったら報告しなければなりません。優しい奥様でした。

    境内に四角竹!「益子町西明寺からですか?」栃木県小山市にある同じ宗派のお寺の“カブ分”けだそうです。四角竹については、本年8月14日の益子町「西明寺」編をご覧下さい。貴重な竹を一本いただいてきました。殖えるでしょうか?枯れずに育ったら報告しなければなりません。優しい奥様でした。

  • 同じ村落に松尾芭蕉が宿泊した「鹿子畑翠桃邸宅跡」があります。松尾芭蕉は黒羽に14日間滞在しました。“翠桃邸”と“桃雪邸”に滞在しました。詳しくは「http://www.bashouan.com/pbKurobane_ds.htm」を参照下さい。勉強させていただきました。

    同じ村落に松尾芭蕉が宿泊した「鹿子畑翠桃邸宅跡」があります。松尾芭蕉は黒羽に14日間滞在しました。“翠桃邸”と“桃雪邸”に滞在しました。詳しくは「http://www.bashouan.com/pbKurobane_ds.htm」を参照下さい。勉強させていただきました。

  • 現在、翠桃邸は墓地のみが存続しています。

    現在、翠桃邸は墓地のみが存続しています。

  • 墓地前の説明版。松尾芭蕉が奥の細道にて「那須の黒羽と云う所に知人あれば…」と訪ねたのは、黒羽城、城代家老俳人「桃雪」と弟の「翠桃」の兄弟であった。二人は江戸にて芭蕉の門弟であった。二箇所に寝泊りして近くの神社仏閣等を散策したそうです。14日も滞在して奥州に旅立ちました。

    墓地前の説明版。松尾芭蕉が奥の細道にて「那須の黒羽と云う所に知人あれば…」と訪ねたのは、黒羽城、城代家老俳人「桃雪」と弟の「翠桃」の兄弟であった。二人は江戸にて芭蕉の門弟であった。二箇所に寝泊りして近くの神社仏閣等を散策したそうです。14日も滞在して奥州に旅立ちました。

  • 「七吟歌仙」翠桃邸宅にて詠んだ句が載っていました。芭蕉・翠桃・曽良・はせを・翁・翅輪・二寸・桃里等の名がありました。俳諧書留(抄)よりと但し書きがあります。旧暦4月14日新暦6月1日雨だったそうです。

    「七吟歌仙」翠桃邸宅にて詠んだ句が載っていました。芭蕉・翠桃・曽良・はせを・翁・翅輪・二寸・桃里等の名がありました。俳諧書留(抄)よりと但し書きがあります。旧暦4月14日新暦6月1日雨だったそうです。

  • 「翠桃邸宅墓地」余瀬集落の東側、田畑の中にあります。周りはナスが栽培されたあとで、枯れていました。

    「翠桃邸宅墓地」余瀬集落の東側、田畑の中にあります。周りはナスが栽培されたあとで、枯れていました。

  • 余瀬集落の西側に黒羽城以前の城跡があります。戦国時代の城です。「白旗城」と言い、源頼義が奥州阿部頼時を攻めたときこの地にて白幡を翻し軍揃え(いくさぞろえ)をしたことに拠るそうです。「余瀬」という集落の名は当地にて軍勢を寄せ集めたことから“寄勢”となり後に“余瀬”と改められたそうです。知れば知るほど面白いですね!

    余瀬集落の西側に黒羽城以前の城跡があります。戦国時代の城です。「白旗城」と言い、源頼義が奥州阿部頼時を攻めたときこの地にて白幡を翻し軍揃え(いくさぞろえ)をしたことに拠るそうです。「余瀬」という集落の名は当地にて軍勢を寄せ集めたことから“寄勢”となり後に“余瀬”と改められたそうです。知れば知るほど面白いですね!

  • 白旗城跡」空掘り【空湟】の城だったそうです。現在は杉林となっています。往時を偲ばせる城跡でした。

    白旗城跡」空掘り【空湟】の城だったそうです。現在は杉林となっています。往時を偲ばせる城跡でした。

  • 那珂川支流、湯坂川沿いの南北に連なる白旗丘陵南端部を利用した城。1394年から1576年頃に大関家が居城としたそうです。この後、黒羽城へ移築しました。

    那珂川支流、湯坂川沿いの南北に連なる白旗丘陵南端部を利用した城。1394年から1576年頃に大関家が居城としたそうです。この後、黒羽城へ移築しました。

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