2006/05/04 - 2006/05/04
121位(同エリア160件中)
早島 潮さん
ペンディケントのルダーキ博物館にはソグド人の城邑跡の遺跡から発掘された壁画の写しが展示されていた。本物はこの博物館には保存されていない。本物を撮影した絵葉書を売っていたのでこれを求めて掲載することにした。
ソグド人とはどのような存在であったのかをインターネットで検索して調べてみると
http://www.tabiken.com/history/doc/K/K320L100.HTM というサイトに以下のような説明があったのでこれを転載させて頂く。以下は全て上記URLからの引用である。
ソグド人とは
中央アジア古代のソグディアナの住民。イラン系の民族で,すでにアケメネス朝ペルシア帝国の時代から,豊かなザラフシャン川流域で農業や牧畜に従事し,オアシス都市群を擁していた。しかし,この民族を有名にした最大の理由は,ソグディアナの立地を利用した商業活動であった。とくに,東・北方への進出が顕著で,中国へ至る東西交易路上に植民地を営み,唐代の長安にも多数のソグド人が居住していた。また北方の遊牧地帯でも活躍し,ここでは単なる商業活動だけでなく,イラン系の先進文明を代表する一種の政治的・文化的な国家顧問としても活動し,とくにウイグル帝国内で大きな位置を占めた。ゾロアスター教を信仰していたがのちにはマニ教も取り入れ,これらの宗教の伝播と,ソグド語とソグド文字の普及は後代まで内陸アジア社会に大きな影響を与えた。13世紀にソグディアナがモンゴルによって征服されてから,ソグド人は他の諸民族のあいだに吸収され消滅していった。
ソグディアナとは
ソ連邦中央アジアのウズベク共和国西南部,ザラフシャン川流域地方の古名。古代アケメネス朝ペルシア帝国内の一辺境州として初見するソグダのギリシア語形で,前4世紀末のアレクサンドロス大王の征討によってその領域の一部となった。ソグド語を使うソグド人が住み,中心地はマラカンダ(現サマルカンド)で,アム川の支流であるザラフシャン川に依存する豊かな農業と,東西交易の中継拠点である立地を利用した商業によって繁栄し,中央アジアの一大中心となっていた。8世紀末にイスラーム教徒のアラブ人の征服を受けたが,彼らもこの地を“地上の楽園”と呼び,アム川とシル川のあいだの地の意味で“マーワラーアンナフル”と称した。13世紀にモンゴル族による征服のためにソグド人社会が崩壊したことによって,ソグディアナの名称こそ消滅するが,以降も14世紀のティムール帝国が都をサマルカンドに置いたごとくに,中央アジアの一大中心地である地位には変わりがなかった。
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