長野旅行記(ブログ) 一覧に戻る
<br /><br /><br />『初旅』<br /><br />列車は少し長いトンネルに入り、<br />車内に煤けた臭いが立ち込めた。<br />蒸気機関車から流れ込むそのひどい煙のせいで、<br />ぼくはようやく目を覚ました。<br /><br />客車に朝の光が差していた。<br />ぼくはとりあえず外気を入れようと立ち上がり、<br />両手で重い窓を持ち上げようとした。<br /><br />窓枠に手をかけたままぼくは息を飲み、<br />窓外の風景に棒立ちになった。<br /><br />列車は山の斜面を横切って走り、<br />その大きな斜面のはるか下には、<br />逆光に光る川の流れを取り囲むように、<br />広々とした大地が朝の光に黄色く光っていた。<br />列車は軽い轍の音を響かせながら、<br />その大地に向かって駆け下りていくところだった。<br /><br />それはぼくの想像をはるかに超える、<br />おおらかで、あけっぴろげな眺めだった。<br /><br />朝の光が流れ込む黄色い大地は善光寺平。<br />そしてその平を潤す流れは千曲川だった。<br /><br />世の中には、こんな凄い世界があったのかと、<br />今思えば大げさだけれども、<br />ぼくはそのとき心底そう思った。<br /><br />それはぼくの初旅の強烈な印象であり、<br />それ以来通い続けることになる信州との出会いでもあった。<br /><br />そして、戦争という暗黒の時代の中で、<br />旅はおろか、人生のあらゆる楽しみを奪われ、<br />ひたすら耐えるしかなかったあの長い年月が、<br />ようやく終わろうとする瞬間だったのだと思う。<br /><br />昭和二十七(1952)年、<br />ぼくは十八になったばかりだった。<br />大学に入ったその年の夏、<br />急に長野県丸子町に単身赴任していった父を訪ねる、<br />という絶好の口実ができた。<br />まだ所用以外で旅行をする人などほとんどいない時代だった。<br /><br />名古屋発長野行きの唯一の長距離夜行列車はもちろん各駅停車で、<br />急行なんて全国的にもまだほとんど走っていない時代。<br />電化ももちろんされておらず、<br />トンネルの多い中央西線の蒸気機関車の旅は、<br />入り込んでくる機関車の排煙との戦いの一夜だった。<br /><br />それでも、<br />それがきっかけだった。<br />ぼくが旅にのめり込んでいったのは。<br />そして、<br />ぼくの旅が信州に通うことから始まったのは、<br />そんないきさつからだった。<br /><br />朝鮮戦争という隣国の不幸でひと儲けした日本で、<br />人々が旅だレジャーだとささやかな楽しみに浮かれ始めるのは、<br />ようやくその頃以降のことである。<br /><br /><br /><br />『それは天王山から始まった』<br /><br />小学生の頃、地図が好きだった。<br />世界地図や日本地図を自分の記憶に頼って描くのが好きだった。<br /><br />京都の郊外に住んでいた。<br />近くに天王山という小高い山があった。<br />歴史に名高い、<br />といってもそんなことにはこの少年はそれほど関心がなく、<br />それよりも、<br />すぐ下で木津川、宇治川、桂川が合流する、<br />その広々としたを眺めが好きでよくその山に登った。<br />合流してからは淀川となって大阪の町へと流れる。<br />そんな風景を一人いつまでも見つめていた。<br />「わあ、地図の通りになってるやん…」<br />あれは、ぼくの旅の原点だったのだろうか。<br /><br />旅、といっても、<br />毎日のように米軍機の空襲がある戦争中のことで、<br />米軍の攻撃目標からはずされていた京都ではあったが、<br />電車に十分ばかり乗るのもときには危険、<br />という事情の中での小旅行だったけれども、<br />あれはぼくにとってはまさに旅だったのだと思う。<br /><br />そして前記のように、<br />大学に入った年、単身赴任の父を訪ねて信州に初めて旅らしい旅をした。<br /><br />そして三十歳になった年からの三年余りのヨーロッパ放浪を経て、<br />文章を書くのが好きだったぼくは、<br />いろいろ回り道はしたけれども、<br />トラベルライターになった。<br />…<br /><br /><br />旅行時期<br />・姨捨の車窓:1952年7月<br />・天王山:1943〜4年ごろ<br />執筆:2002年11月<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

初旅…暗黒の日々が終わった日、ぼくは信州と出会った…

3いいね!

2006/07 - 2006/07

22388位(同エリア29269件中)

0

0

KAUBE

KAUBEさん




『初旅』

列車は少し長いトンネルに入り、
車内に煤けた臭いが立ち込めた。
蒸気機関車から流れ込むそのひどい煙のせいで、
ぼくはようやく目を覚ました。

客車に朝の光が差していた。
ぼくはとりあえず外気を入れようと立ち上がり、
両手で重い窓を持ち上げようとした。

窓枠に手をかけたままぼくは息を飲み、
窓外の風景に棒立ちになった。

列車は山の斜面を横切って走り、
その大きな斜面のはるか下には、
逆光に光る川の流れを取り囲むように、
広々とした大地が朝の光に黄色く光っていた。
列車は軽い轍の音を響かせながら、
その大地に向かって駆け下りていくところだった。

それはぼくの想像をはるかに超える、
おおらかで、あけっぴろげな眺めだった。

朝の光が流れ込む黄色い大地は善光寺平。
そしてその平を潤す流れは千曲川だった。

世の中には、こんな凄い世界があったのかと、
今思えば大げさだけれども、
ぼくはそのとき心底そう思った。

それはぼくの初旅の強烈な印象であり、
それ以来通い続けることになる信州との出会いでもあった。

そして、戦争という暗黒の時代の中で、
旅はおろか、人生のあらゆる楽しみを奪われ、
ひたすら耐えるしかなかったあの長い年月が、
ようやく終わろうとする瞬間だったのだと思う。

昭和二十七(1952)年、
ぼくは十八になったばかりだった。
大学に入ったその年の夏、
急に長野県丸子町に単身赴任していった父を訪ねる、
という絶好の口実ができた。
まだ所用以外で旅行をする人などほとんどいない時代だった。

名古屋発長野行きの唯一の長距離夜行列車はもちろん各駅停車で、
急行なんて全国的にもまだほとんど走っていない時代。
電化ももちろんされておらず、
トンネルの多い中央西線の蒸気機関車の旅は、
入り込んでくる機関車の排煙との戦いの一夜だった。

それでも、
それがきっかけだった。
ぼくが旅にのめり込んでいったのは。
そして、
ぼくの旅が信州に通うことから始まったのは、
そんないきさつからだった。

朝鮮戦争という隣国の不幸でひと儲けした日本で、
人々が旅だレジャーだとささやかな楽しみに浮かれ始めるのは、
ようやくその頃以降のことである。



『それは天王山から始まった』

小学生の頃、地図が好きだった。
世界地図や日本地図を自分の記憶に頼って描くのが好きだった。

京都の郊外に住んでいた。
近くに天王山という小高い山があった。
歴史に名高い、
といってもそんなことにはこの少年はそれほど関心がなく、
それよりも、
すぐ下で木津川、宇治川、桂川が合流する、
その広々としたを眺めが好きでよくその山に登った。
合流してからは淀川となって大阪の町へと流れる。
そんな風景を一人いつまでも見つめていた。
「わあ、地図の通りになってるやん…」
あれは、ぼくの旅の原点だったのだろうか。

旅、といっても、
毎日のように米軍機の空襲がある戦争中のことで、
米軍の攻撃目標からはずされていた京都ではあったが、
電車に十分ばかり乗るのもときには危険、
という事情の中での小旅行だったけれども、
あれはぼくにとってはまさに旅だったのだと思う。

そして前記のように、
大学に入った年、単身赴任の父を訪ねて信州に初めて旅らしい旅をした。

そして三十歳になった年からの三年余りのヨーロッパ放浪を経て、
文章を書くのが好きだったぼくは、
いろいろ回り道はしたけれども、
トラベルライターになった。



旅行時期
・姨捨の車窓:1952年7月
・天王山:1943〜4年ごろ
執筆:2002年11月







PR

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

KAUBEさんの関連旅行記

KAUBEさんの旅行記一覧

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP