2000/02/06 - 2000/02/08
4457位(同エリア8719件中)
唐辛子婆さん
マニラから小さな飛行機にのって
めざすは北部のイサベラ州ギバン村。
そこには私たちが支援する奨学生達が暮らしています。
私たちとは、10人たらずのアリンコみたいにちっちゃな国際協力NGO。
ほとんどが主婦なので家をあけるわけにはいきません。
で、国内でバザーとかをして資金をあつめ、現地で汗水たらして活動しているグループを応援するというかたちをとらせていただいてます。
つまり、規模は段違いだけれども、やってることは恐れ多くも曽野綾子さんたちとおんなじ!っていばってどーする(^.^)?
そして、いける時は自分達で資金を届け、いけない時は現地のグループに託すという仕組みです。今回は3名が村を訪問することができました。
マニラまでつづく日比友好道路が工事中なので、内陸部に迂回したバイパスを走りました。
★Japan 鎌倉 モンタナ修道院
聖母訪問会にシスターのお話を伺いに
http://4travel.jp/traveler/tougarashibaba/album/10437750/
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トゲガラオ空港から小型トラックバスにのって
お尻が何度もジャンプするような道をギバン村までむかいます。
バイパスを通ったおかげで
ほんとうに緑の美しいのんびりした田園風景を楽しむことができました。 -
空港近くでは馬、途中では牛、ギバン村の近くでは水牛がふえてきました。
見事に耕された棚田がきれい。
米・トウモロコシ・サトウキビ・キャッサバが植えられていました。 -
牛の親子 -
ギバン村は山から降りてきた人々がつくった村です。
山に隠れている共産ゲリラを恐れたマルコス大統領(当時)は
山岳地帯に住んでいたすべての人々を強制的に平地に移動させたそうです。
村には200以上の家族が住んでいます。 -
子供たち
村には電気がひかれてはいますが
全世帯が利用できるわけではありません。
水は共同ポンプかポンプのある家にもらいにいく。
お金を払うということはないそうです。
燃料は薪が一般的。
勤め人はプロパンガスを使っているそうです。 -
屋根の葺き替え -
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さあCBHDP(地域健康促進プログラム)のメディカルセンターにつきました。
ここはヘルスワーカーたちがボランティアで村民の健康管理や保健衛生活動をするためのセンターです。ギバン村は全くの無医村ではありませんが、遠かったり高かったりでほとんどの人がお医者にはかかれませんからね。
私たちは、このヘルスワーカーの子供たちへの教育支援をしているのです。 -
CBHDPは誰が立ちあげてもいい民間の組織ですがギバン村のはたまたまシスターが立ちあげ、教会の司教様が理事をしてるそうです。
1986年から日本のカトリック医師団が毎年一回ここを訪れて医療支援をしているそうです。
村人は待ちかねたようにうじゃうじゃうじゃうじゃわらわらわらわらバスを乗りつぎ炎天下をあるき一日がかりでやってきます。
「虫歯を全部ぬいてくれ」
「無茶なこといわんでくれ!血がとまらなくなったらどうするんだ?いっぺんには無理だよ。」
「歯医者にかかれるのは一生に一度だけなんだ!いま抜いてもらわんかったら死ぬまで痛いの我慢しなくちゃなんねーんだ!頼むよ!」
で、目をつぶって抜いた。
という歯医者さんもいらっしゃいます。 -
CBHDPメディカルセンター敷地内の家
ハーブを栽培しての石鹸つくりや薬草を育てています。
糞を肥料にするために水牛を飼っています。 -
敷地内のパパイヤをとってくれるTさん
Tさんは看護婦の資格をとって20年もここで働いています。
とても働き者で優秀で真面目。
日本に6週間研修にいったことがあります。
彼女がいつもくわしく知らせてくれるので奨学生たちの様子がわかります。
Tさんは今はカワヤンの大学で看護学の先生をしています。
その大学では日本語の授業もあるとか。
なぜなら、日本・フィリピン政府間でフィリピン人看護師を日本に送り込む計画があり、留学生は4年間の留学中に日本の国家試験にパスしなければならないからだそうです。 -
三大疾病コンテストのポスター
ヘルスワーカーたちはメディカルセンターに村人をあつめて薬草のつかい方を教えたり、広い地域をまわって血圧をはかったり、重病の人を病院につれていったりしています。
フィリピンはカトリックがほとんどで教会は中絶は禁止だが家族計画は禁止してないそうです。しかし中央政府のやりかたが押しつけがましいので住民の反発をかっていてうまくいってない。男性側の理解・協力も進んでないので子供はポロポロ増えるそうです。 -
奨学生たちは揚げバナナをつくって待っていてくれました。 -
ココナツを割って歓迎の準備 -
この子たちのほとんどはCBHDPから離れたところに住んでいて学校もバラバラです。そして家から学校までが遠いので親戚の家や寮に泊まっている子が多いのです。
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緊張した面持ちの奨学生たち -
ビニール風船の地球儀で日本とフィリピンのありかを示すKさん。
日本人はお金持ちと思われがちなので、奨学金はいろいろな方の協力と労働で得られたお金であることをわかってもらうため、バザーなどの資金作りの様子を載せたパネルをもっていきました。 -
奨学生のことをくわしく知るためにアンケートに記入してもらいました。 -
この子たちの日常語はイロカノ語です。
タガログ語は7才、英語は10才ぐらいから学校で習いはじめるということがわかりました。 -
将来の夢は、男の子は軍隊に入りたい、が一番多かったです。女の子は、とにかく学校を卒業したい。来年も奨学生でいられますか?と心配そう。
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私たちが支援しているのはハイスクール生。といっても高校と訳すことは疑問です。フィリピンは小学校6年間、中学と高校をあわせて4年間、そのつぎが大学となるからです。
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奨学金を受けていると近所の子供の嫉妬をかって、豚を盗まれたりすることもあるとか。
ハイスクールをドロップした奨学生もいますし、卒業生の中にはマニラで行方不明になったり殺されたりした子もいます。
でもだんだん状況はよくなってきて、マニラでメイドや秘書をしたり、イスラエルで介護の仕事についたりする子もでてきました。 -
以前はハイスクールを卒業しても仕事がなく農業のてつだいをしたりも多かったのですが、一番がんばった子は州の奨学金を受けて大学にいき、教師になることができました。
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私たちを歓迎してつくってくれたバレンタインカード
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奨学金を手渡しました。
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いろいろな方からよせられた文房具の説明をしました。
この頃にはみんなの緊張もとけて笑顔が。 -
Tさんがごちそうしてくれたミルクフィッシュと野菜の炒め煮 -
夕方、村の中を散歩しました。
私たちは宗教や政治とは無関係のNGOですが、フィリピンでは日本人シスターたちのお世話になっています。今回もギバン村に同行してくださいました。
はじめてギバン村にはいった頃は、川で水浴びをするなど大変な苦労をされたそうです。地域の人々の警戒心をとくのに1年かかったとか。なにしろ戦争の爪あとが大きく残っている国ですからね。
今では村を歩くと誰からもうれしそうな声がかかります。
その後、ギバン村はある程度の自立ができたのでシスターたちは撤退し、もっと大変な独立直後の東ティモールの支援へとむかいました。
私たちもハイスクール卒業生の中には専門学校や大学に行く子もあらわれたので、10年以上続けたギバン村への支援をひとまず終わらせ、今はより困難なミンダナオ島のマノボ族への支援をしています。
そして2003年から東ティモールへの支援もはじめました。メハラ村にいつか行ってみたいと思っています。
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この旅行記へのコメント (4)
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- aminaさん 2006/01/21 22:10:55
- ミンダナオでのより困難な人達の支援
- 投票と書き込み、どうもありがとうございました!
今度はミンダナオでのより困難な人達の支援を開始したとのこと、とっても素晴らしいです。
NGO大国といわれるほど貧困改善のためのNGOが世界から多く来ているフィリピンの中でも、ムスリムが多いということでキリスト教系入植者を送られ、政府、国軍から圧迫され、虐げられているミンダナオでは知名度も低くほとんど支援のNGOがいないのが実情みたいで、心配している所なんです。
難民となっていろいろな所へ逃れても、フィリピン国内でムスリムということで子どもまでもがひどいいじめ、暴力にあっているそうです。
ミンダナオの人達への医療支援、本当に応援しています。
ミンダナオの医療支援をしている、『ミンダナオの風』というNGOがあります。ご参考になればと思います。
http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/index.htm
スペイン支配が始まる前、フィリピンにはミンダナオにイスラム教が伝わり、後は特に大きな宗教はありませんでした。ミンダナオだけは唯一スペインによる支配にムスリムが抵抗し、伝統が残り、スペイン支配の影響を受けなかったのですが、スペインはムスリム居住地区に国境線を無理やり引き、差別統治してムスリムの村を焼きました。それがきっかけでそれまで共に住んでいたキリスト教徒の村と焼き討ちのし合いが始まり、今でもそれが絶えないそうです。
近年でも、圧倒的にカトリック教徒であるフィリピンの政府はどんどんミンダナオのムスリムの土地を追い込み、キリスト教徒も移住していきますます差別化してしまう政策を影で行っています。
フィリピンの自らの伝統を守ろうとする団体はほとんどムスリム団体で、政府は国軍でものすごく弾圧をしてきました。最近ではミンダナオの資源の利権を狙った米軍が反テロとしてフィリピン軍と一緒にムスリムのそういった団体を大規模に攻撃しています。こういったことは、さらにムスリムの一般の住民、子どもたちの犠牲を増加させ、暮らしを厳しくしています。
だからミンダナオの圧迫されている人々への援助はとても貴重だと思うし、ミンダナオムスリム・少数民族の医療支援を本当に充実出来るように願っています。
私も、国際協力で、地元の人達と交流する、地を這うような旅行が大好きです。
やっぱり一番その土地のことをよく知ることが出来る旅の仕方だと思うからです。
様々な国を、こういった方法で巡りたいです。
これからもぜひ支援を継続して頑張ってください。応援しています。
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/01/23 13:01:57
- RE: ミンダナオでのより困難な人達の支援
- aminaさんへ
『ミンダナオの風』というNGOのページ読ませていただきました。
素晴らしい活動ですね。
若いaminaさんがこのようなことに関心を持ってくださっているのが嬉しく、頼もしいかぎりです。
私達のグループではまだミンダナオにいけませんので、現地で活動していらっしゃるスペイン人のシスターに支援金をお届けしています。
はやく危険な状態じゃなくなって訪れることができるよう祈っています。
〜唐辛子婆〜
-
- ginさん 2006/01/10 16:38:54
- 始めまして.
- どうも御苦労様です頭がさがります.私達にとって些細な事でも或る人達にとってはそれがその人の人生を左右する位大事な事も有ると思います.今後共頑ばってください.Gin
- 唐辛子婆さん からの返信 2006/01/10 19:21:59
- 頭なんてさげないで(^0^)
- ginさんはじめまして。
カキコありがとうございます。
>どうも御苦労様です頭がさがります.
>私達にとって些細な事でも或る人達にとってはそれがその人の人生を左右す>る位大事な事も有ると思います.今後共頑ばってください.
????
ギバン村(フィリピン)旅行記のことでしょうか?
私にとってはご苦労なことではないんですけどね。
観光客のいかないところで地元の話をじっくり聞けるし、バロット(孵化しかかりのゆで卵)食べられたし、楽しいことがいっぱいで。
なにより子供達に喜んでもらえることが嬉しくて。
ああ、はやく東ティモールのメハラ村にいけるチャンスがめぐってこないかなー。海がめっちゃきれーで熱帯魚と一緒に泳げるんですって。
インドの香辛料の村のページ、投票させていただきました。
こういう地を這うような旅が大好きな唐辛子婆。
楽しませてもらってまーす。
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