2012/12/26 - 2012/12/26
371位(同エリア772件中)
魅々さん
東急田園都市線下りは、「たまプラーザ駅」の次が「あざみ野駅」です。
現在、あざみ野駅には横浜市営地下鉄が乗り入れ、1日の乗降客はたまプラーザ駅より多いといわれています。
今回は、あざみ野駅とその周辺について紹介します。
写真は「あざみ野駅 西口」です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
PR
-
東急田園都市の溝の口〜長津田が開通したのは1966年でした。
あざみ野駅周辺は開発が遅れていて、開通当時、あざみ野駅はありませんでした。
写真は宮崎台の「電車とバスの博物館」にあったパネルで、開通当日の「長津田」駅のテープカットです。
渋谷行きの電車が写っています。 -
遅れること11年、1977年になってようやく「あざみ野駅」が出来ました。
写真はあざみ野駅開業1周年記念切符です。
当時の駅の様子が良くわかります。 -
写真は、1982年9月撮影のあざみ野駅周辺の航空写真です。
赤○印が「あざみ野駅」、白○印が「たまプラーザ駅」です。
あざみ野駅が出来てから、5年後の様子です。 -
写真は、上の航空写真の「あざみ野駅」の周辺を拡大したものです。
空き地が多く、まだあまり開発されていませんね。 -
現在のあざみ野駅西口の写真です。
-
西口前のバスターミナルです。
-
東急電鉄田園都市線の改札口です。
-
田園都市線の渋谷方面行きのホームです。
上の切符の開業当時と比べていただくと、すっかり変わっています。 -
あざみ野には横浜市営地下鉄が乗り入れています。
横浜市営地下鉄が、こちらに延びてくる時、東急田園都市線とどこで交差するか?
東急は「たまプラーザ」に来てほしいのに対し、
横浜市は「将来、新百合が丘方面に延伸する計画」があるとして
横浜市と東急電鉄の間で、激しい綱引きが行われたようです。
最終的に、横浜市は計画通りにすすめ、1993年、市営地下鉄の「あざみ野駅」が出来ました。
この時、東急「あざみ野駅」はこれまでの運行計画にしたがって急行通過駅でした。
ようやく、急行が停車するようになったのは2002年になってからです。
写真は地下鉄あざみ野駅に降りて行く階段です。 -
地下鉄のホームです。
猶、新百合ヶ丘方面の延伸計画は、事業主体や経費の問題で頓挫したままです。 -
写真は、あざみ野駅の東口です。
-
ここを出ると左に24時間営業の「東急ストア」があります。
遅く帰ってもオープンしていますから、買い物に心配しなくてもいいです。 -
右側にはコーヒーショップがあります。
-
東口から外に出てみましょう。
写真は外から見た東急ストアです。 -
写真は、あざみ野駅から、たまプラーザ方面に行く「けやき並木」の通りです。
-
写真は、山内地区センターの図書館入口です。
以前は、ここが区役所でした。 -
少し離れて、浄土真宗本願寺派の影顕山「西勝寺」があります
-
山内小学校です。
-
驚(おどろき)神社です。
-
毎年驚神社を中心に、付近の神社が一体となって行う「牛込の獅子舞」は平成13年神奈川県指定無形文化財になっています。
牛込の獅子舞は、元禄時代から疫病退散、五穀豊穣祈念して舞います。
一人立ち三頭獅子舞が特徴で、牛込地区で生まれた男子が締太鼓を胸に勇壮に踊ります。
毎年10月の第二土曜日に、神明社の宵宮際で神前に奉納し、翌日は、保木、平川、荏子田、船頭、宮元の各谷戸から繰り出す大太鼓、お神輿、お囃子が驚神社まで練り歩き、最後に神前に奉納されます。 -
「業務用食品スーパー」があります。
以前は「十字屋」という名称で、昔ながらの対面販売を行う形式の店舗でしたが、いつの間にか近代的なスーパーに変わりました。
しかし、来年には閉店するようです。 -
今度は、あざみ野駅の西側を歩いてみます。
写真は、西口付近の最近の航空写真です。 -
駅を背に、右側に大きな駐車場と竹藪があります。
-
竹藪の中に日本昔話に出てくるような、藁ぶき屋根の民家が二軒建っています。
-
写真は大通りから撮ったこの家の門扉です。
以前はこの門扉はなく無断見学者が多いので、このような頑丈な門扉やフエンスが出来ました。
なぜ駅前の一等地にこのような民家があるのでしょうか?
詳しいことは分かりませんが、東急グループの田園都市開発に反発し、頑なに昔の生活を続ける、ここ一帯の地主の老姉妹がこの家に住んでいるとのことです。
-
駅前の商店街を抜けて、少し足を延ばしてみましょう。
-
カリタス女子短期大学があります。
-
カリタス女子短期大学の横の桜並木です。
-
カリタス女子短期大学の向かい側に劇団「四季」の養成所があります。
-
あざみ野団地の内部の道です
-
剣山の交差点です。
-
すぐ近くに「東急剣山スポーツガーデン」がありります。
ここには広い敷地にテニスコートやゴルフ練習場、さらに9ホールのショートコースもあります。
しかし、現在改修中で、マンションや、商業施設などもできるようです。 -
剣山交差点をまっすぐ進むと「すすき野団地」に行きますが、ここを右の曲がって、「たまプラーザ」方面に向かいます。
-
たまプラーザに向かう道を左にそれ、「相田みつを心の散歩道」に向かってみましよう。
この道は青葉福祉学院“万寿の森”の施設の一部です。
万寿の森はデイサービスセンターやグループホームを運営する社会福祉法人です。
この施設の社会福祉に対する姿勢に賛同した相田みつを美術館長相田一人さんの全面的協力により入居者の回復を願ってこの散歩道が出来ました。
詳しくは私のブログの下記をご参照ください。
http://4travel.jp/traveler/yasminoru/album/10710397/相田みつを心の散歩道 名所・史跡
-
小道にそって相田みつをさん自筆の詩が彫られた石板があります。
-
山道に入って行くと、整備された林と竹藪のなかの小道のところどころに石板が並んでいます。
-
たまプラーザに近づくと、「満願寺」があります。
この寺は徳川家の菩提寺である芝・増上寺の裏鬼門(南西方面)にあたり、守護・守衛の役割を担っており、将軍秀忠・正室お江さまのお位牌があります。
東日本大震災の後、重い瓦の屋根が、銅版の屋根に葺き替えられました。 -
写真の真ん中が、お江さまと、夫で二代将軍秀忠公の位牌です。
一般公開はされていません。 -
このお寺の本堂で、2010年12月5日、2011年のNHK大河ドラマは「江〜姫たちの戦国」の講演会がありました。
江戸時代、満願寺は石川村にありました。
石川村をはじめ、王禅寺村、荏田村、川和村はお江さまの化粧料となっていました。
彼女が亡くなった後、これらの村々は芝・増上寺の御霊屋領(みたまやりよう=墓所を維持管理するための領地)となりました。
寛永3年、お江さまが亡くなった時、石川村など化粧料の村々から、お江さまの棺を担ぐ人々が結集したといいます。
それは子孫にも伝えられ、家康公の命日(17日)と秀忠公の命日(24日)とお江さまの命日(15日)には精進物を用い、行事が行われてきたといわれています。
写真は郷土史研究家・横溝潔さんの江戸時代の絵地図を用いての講演の様子です。
http://4travel.jp/traveler/yasminoru/album/10710238/王禅寺 寺・神社・教会
-
満願寺の坂道を降りてゆくと、平崎橋です。
この橋の下には、早渕川が流れ、あざみ野と美しが丘の境界になっています。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
40