2007/07/20 - 2007/07/20
383位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/20(金)第13日目:マラムレシュ地方からブコヴィナ地方へ(w/現地ガイド)
【宿泊:Pension Corlatan(グラ・フモールルイ郊外)】
村の市場見学、ドラゴミレシュティ修道院の12使徒の日の特別のミサを見学、プリシュロップ峠でコーヒーブレイク、青のヴォロネツ修道院(「最後の審判」のフレスコ画が一番鮮明に残っている)
この旅行を計画していたとき、公共交通機関でマラムレシュ地方とブコヴィナ地方を直接つなげられないのが悩みのタネでした。
位置的には横に並んでいるのに。
長距離バスの路線は見つけることができなかったし、鉄道では、バイア・マーレからいったんクルージ・ナポカまで南下して、レの字に移動しなくてはなりません。
その原因は、間に横たわるマラムレシュ山脈にありました。
この悩みは、在ブカレストの旅行会社を通じて、現地ガイドを雇うことで解決しました。
つまり、ガイドの車で山越えです。
ガイドのニコラエさんは、今はマラムレシュ地方で暮らしていますが、若い頃はスチャヴァ州ブコヴィナ地方の都市で働いていて、そこで奥さんと出会ったそうです。
ニコラエさんは、マラムレシュの山越えは何度も経験しているので(きっとガイドとして、そしてプライベートの両方で)、頼もしいです。
何が頼もしいかというと、くねくねと曲がる細い山道を行く運転技術や、道に迷わずに行けるか、という基本的なことではありませんよ。
道中、車窓の外の見どころを丁寧に指摘してくれた上、写真撮影に格好な場所で車をストップさせてくれたりしたことです。
何度も山越えをしたニコラエさんは心得たもので、景色がすばらしくて安全に車をストップさせられるところをよく知っていました。
また、ニコラエさんは、前回は春にこの山越えをしたそうですが、そのときに比べると道路が格段に良くなっていることにしきりに感心していました。
それまでは、道路にたくさん穴が開いていて、車がしょっちゅうガタンガタン揺れる上に、タイヤが傷んで仕方がなかったそうです。
それが、少なくともほとんどの穴がふさがれていたので、運転しやすい、しやすいと感激していました。
おそらく今年2007年1月より、ルーマニアがユーロ圏に加わったせいでしょう。
ユーロ圏にふさわしいインフラを整えるためですね。そのための資金援助もあったそうですから。
実際、今回のマラムレシュ地方からブコヴィナへ移動する道中でも、翌日からのブコヴァナ地方めぐりの途中でも、あちこちで道路工事の最中でした。
もっとも、穴がふさがれたところはアスファルトが少し山盛りになっているので、車はしっかり揺れます。
私などは最初、これは十分、「悪路」じゃないかと思っていました。
ところが、途中でまだ穴がふさがっていないところを走ったとき。
舌を噛みそうなくらい車が激しく上下に揺れるのを経験して、ニコラエさんの感動が納得できました。
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スチャヴァ州の地図(左)とマラムレシュ州の地図(右)
本日のマラムレシュからブコヴィナ(スチャヴァ州の北部)への移動のときには、道路標識で村の名前を見つけるたびに、マラムレシュ州の地図を取り出して位置を確認しました。
村の名前の固有名詞の読み方も、口に出して読み上げると、発音が間違っているとニコラエさんが直してくれます。
おかげでさらにルーマニア語のスペルに慣れました。
それにこの後、ニコラエさんと別れて一人で回るときに役立ちました。
旅行後もしばらくは、こうやって旅行記を作成している間は、役立っているし、覚えていられます。
いずれ急速に忘れるときが来るのでしょうが……。
スチャヴァ州の地図を手に入れたのは翌日ですが、この日と翌日に回った経路を、ペンションに戻ったときにたどってみました。
うろ覚えのところはニコラエさんに教えてもらいながら。
★本日の経路
(■は他の旅行記に写真があるもの、◆はこの旅行記)
□ヴァド・イゼイ(Vadu Izei)村を出発
■オンセシュティ(Oncesti)村経由[次のブルサナ村との間にある金曜市場に寄る]
□ブルサナ(Barsana)村経由─ストルムトゥーラ(Stramtura)村経由─ロザヴリャ(Rozavlea)村経由─ボグダン・ヴォーダ(Bogdan Voda)村経由
■ドラゴミレシュティ(Dragomiresti)の修道院でミサ見学
□サチェル(Sacel)村経由─モイセイ(Moisei)村経由─ボルシャ(Borsa)村経由─バイア・ボルシャ(Baia Borsa)村[スキーリゾートのそば]
□ピエトロ山(Vf. Pietrosul)[このあたりの山脈では一番高い山(2303m)]を横目に山道を走る
◆プリシュロップ峠(P. Prislop(1416m))[コーヒーブレーク]─[この後、スチャヴァ州へ]─ヴァトラ・ドルネイ(Vatra Dornei)経由
◆メステカニ峠(Pasul Mestecani(1096m))の山頂レストランで昼食
□クンプラン・モルドヴェネスク(Campulung Moldovenesc)経由─グラ・フモールルイ(Gura Humorului)経由
■ヴォロネツ(Voronet)で修道院見学
◆グラ・フモールルイ(Gura Humorului)村郊外のペンションへ -
スキーリゾートのあるボルシャ(Complex Borsa)を見下ろして
Lonely Planetによると、ボルシャ村より10km東にある小さなスキーリゾートで、ロドナ山脈への登山・ハイキングの拠点ともなっています。
冬はヨーロッパで最もスキーが行われるリゾート地の一つだそうです。 -
スキーリゾートのあるボルシャ(Complex Borsa)を見下ろして
※チスラ(Cisla)川沿い
途中で経由したボルシャ村は、昔から(14世紀中ごろ)鉱山の街でした。2km先のバイア・ボルシャでは、堂、鉛、銀鉱山がありました。 -
プリシュロップ峠にて、建設中のルーマニア正教会と
マラムレシュ州とスチャヴァ州の境にあるプリシュロップ峠。
ロドネイ(Rodnei)山のプリシュロップ(Prislop)峠1416mと看板に書かれてあります。
このあたりは国立公園(5,900ヘクタール)でもあります。 -
プリシュロップ峠から眺めたマラムレシュ山脈
Lonely Planetによると、プリシュロップ峠は、1717年、モンゴル人がルーマニアに撤退する前の最後に占拠したところだそうです。 -
プリシュロップ峠から眺めたマラムレシュ山脈
針葉樹の森が美しいです。
風景にアクセントをつけるために、フェンスと共に。 -
プリシュロップ峠から眺めたマラムレシュ山脈
牧歌的な山脈風景。 -
プリシュロップ峠から眺めたマラムレシュ山脈
道路と。 -
プリシュロップ峠にて。
このあたりも牧場になっています。
そのためのフェンスです。 -
プリシュロップ峠から眺めたマラムレシュ山脈
山の稜線と針葉樹が形作るラインが美しい……。 -
このあたりが国立公園であることを示す看板
-
このあたりの農家で飼われているウシと、駐車中のキャンピングカー
水道から水をごくごく。
今年(2007年)7月のルーマニアの猛暑は、家畜たちにとっても厳しくて。 -
途中の美しい渓谷を夏の白い花と共に
プリシュロップ峠を過ぎてしばらくしたところで、とても景色の良いところがあるといってニコラエさんが車を停めてくれました。
もちろん、山道なのでどこでも停められるわけではありません。
ニコラエさんは、路肩が広くなっているところをちゃんと知っていたのです。 -
途中の美しい渓谷
谷底に流れる川もよく見えます。 -
途中の美しい山々を見まわして
ところどころ森林がなく禿げているのは、伐採されたか、あるいは雷や山火事のせいだそうです。 -
途中の美しい渓谷
谷底の川にズーム
このあとスチャヴァ州に入りました。
マラムレシュよ、さらば。 -
メステカニ峠(Pasul Mestecani(1096m))の山頂レストランのテラスから
次の旅行記でご紹介するチョコネシュティ村の後です。
ここで昼食を取りました。
土地を分ける生垣はうっすら撮れています。
マラムレシュ地方とブコヴィナ地方の風景の違いは、ただ漫然と眺めていただけでは、私にはわからなかったでしょう。
一番の違いは、ブコヴィナ地方では家や畑の境界を必ず柵で囲んでいるところです。
深い森のある険しい山が多いブコヴィナ地方では、農地への野生動物の侵入を警戒しなくてはなりません。
また、マラムレシュ地方と違って家畜は放牧しっぱなしではなく、日が暮れたら家の庭の家畜小屋に戻すため、家畜が勝手にうろつかないようにしなくてはなりません。
そのために柵が必要なのです。
平地は少ないですが、山の裾野はマラムレシュ地方に比べるとなだらかな斜面が多いため、農地や牧草地は斜面にも広がっています。
なので、斜面に延々と柵が続く風景は、マラムレシュ地方では見られない、ブコヴィナ地方らしい景色といえます。とても牧歌的な雰囲気があります。 -
メステカニ峠(Pasul Mestecani)(1096m)の山頂レストランのテラスから
ブコヴィナ地方に入ったら、ルーマニア旅行のハイライト中のハイライトの修道院めぐりが始まります@
ちょっくらここで予習。
★ブコヴィナ地方と修道院(その1)
「時は西暦1359年。マラムレシュの太守ボクダンは、ハンガリー人の支配に不満を持つモルドヴァの住民に招かれる。首長たちから公に推された彼は、モルドヴァの最初の統治者となった。ハンガリー人の反対にもかかわらず、1365年に亡くなるまで公位に留まった。
15世紀に入ると、トルコ人のオスマン帝国に対峙したシュテファン大公が登場。彼の治世下で、中世ルーマニアの文化が華開いた。大公は領内各地に教会を建て、ルーマニア正教の庇護と民衆への啓蒙に努めた。中でも領域の北辺にあたるブコヴィナ地方に、美しいフレスコ画を外壁に配した、独特の修道院を数多く建てた(注:フレスコ画が外壁に描かれたのは、息子のペトル・ラレシュの時代)。これらの修道院はユネスコの世界文化遺産に登録され、ルーマニア正教の至宝として世界中から参詣客を集めている。(つづく)」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
メステカニ峠(Pasul Mestecani)(1096m)から
★ブコヴィナ地方と修道院(その2)
「オスマン朝の脅威に晒されながらもモルドヴァ公国が文化の華を咲かせたのは、15世紀から16世紀半ばにかけて。その繁栄を担ったのは、時にはトルコ軍と直接刃を交え、またあるときはその宗主権下に退きつつ雌伏したシュテファン大公、ボグダン3世、ペトゥル・ラリッシュ公ら歴代の名君であった。
彼らが文化面で最も力を入れたのが教会の建設。シュテファン大公などは、戦勝のたびに記念として、1つずつ建て増していった。戦時の際には村々から集められた民兵が、ぶ厚い防禦壁に囲まれた修道院に立てこもって戦闘に備えた。この時代にモルドヴァ北部のブコヴァナ地方に建てられた教会群の多くには、外壁にしばしば美しいフレスコ画が描かれた。(後略)」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
メステカニ峠(Pasul Mestecani)(1096m)から
★ブコヴィナ地方と修道院(その3)
「1785年、ハプスブルグ家にブコヴァナが占領されて後はほとんどの修道院は閉鎖され、住民は信仰を放棄することを強いられた。社会主義政権下では、みな一様に迫害の日々を送らねばならなかった。彼らが再び地域で自由な宗教活動ができるようになったのは、1990年以降のことであった。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
AD LIBRI社シリーズの「ROMANIA - Bucovina」
価格は13.08レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)
ガイドと別れ、2日後に訪れたヤシの書店で買いました。
表紙の写真は、左から、ブコヴィナ地方の美しい文様入りのイースターエッグ、民族衣装の少女が教会でろうそくを捧げているところ、そしてモミの木のある、柵の連なるブコヴィナらしい田園風景。 -
フェンスの連なるブコヴィナ地方らしい田園風景の写真
AD LIBRI社シリーズの「ROMANIA - Bucovina」より
そして、一緒に写っているのは、買った場所はブカレストのお土産屋ですが、ブコヴィナ地方らしい文様の入ったイースターエッグです。
手作りなので、文様は似ているようでいて同じのはありませんでしたが、選ぶのに苦労しました。
ちなみに、去年は、ルーマニアみやげにやっぱりイースターエッグを買ったのですが、持ち運ぶのに丈夫で安心できる木製の卵を買いました。
でも、これはちゃんと卵です。
割らないように、大事に持って帰りました@
この旅行記のタグ
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