1997/01/06 - 1997/01/06
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砂布巾さん
最初に書いておきたいことがあります。この時のツアーでひときわ賑やかな一団が居ました。例えば米軍兵士がバスに乗ってきて敬礼すると「格好いい」など、まるで物見遊山気分。同じ日本人として本当に恥ずかしかった。板門店は韓国人は決して行けない(実際には違っているようですが)場所であり、また民族分断の地なのです。決して観光する場所ではなく、(ですから「その他の観光地」にするのが苦痛ではあったのですが)厳粛に訪れるべき場所なのです。群集心理でもし自分も集団で行っていたら、同じような行動を取っていたかも分かりませんが、いずれにしても旅行に行く場合は、こういったマナーにも十分気を付けたいものです。
*但し、実際に協定が締結された「板門店」は、現在の「板門店」から五百メートルほど北朝鮮側に入った地域にある。
(最後から2枚目の写真)
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十年前はまだ大韓旅行社のツアーしかなかった時代でした。バスはロッテホテルを出発し、一路北へ向かって進みます。(随分前なので記憶違いがあるかも知れません、悪しからず)
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最初に停車したのが肉弾十勇士を記念する慰霊碑です。
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犠牲になったジャーナリストを慰霊する碑です。
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鉄道中断点。
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ハングルで書かれているのは「鉄馬は走りたい」。
8ヶ月後に訪問した際の写真。ここから線路が延長され、開城(ケソン)工業団地へ貨物便が運行されている。 -
昼食をとった米軍基地の建物。この中ではブリーフィングの後、「もし不測の事態が起こっても全ての責任を負います」旨の署名もさせられる。
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この英語は一体どういう意味なのだろう? どなたか教えて下さい。
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板門店全景。中央のせいぜい15センチのコンクリートが軍事境界線。北の兵士2人はギリギリの所に立っている。右側の建物から半身身を乗り出して警戒する兵士も凄い!
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青色の建物の中だけは北の領域にも入れる。
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マイクのコードが「軍事境界線」。外、後方に見えるのは北朝鮮側の兵士。
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「帰らざる橋」。南北(確か韓国の李承晩大統領は一方的に捕虜を釈放したはず)の捕虜がこの橋を通って帰っていったので、この名が付いた。
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車内から見る橋。
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南北の小競り合いに発展し、死者も出たポプラ事件のポプラがあった場所。
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遥か遠くに見えるのが北朝鮮の宣伝村。
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宣伝村。
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1953年に休戦条約が結ばれた「本当の」板門店。残念ながら北側からしか行けない。
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錆びた鉄板が軍事境界線の印。
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旅行記グループ 北朝鮮訪問記(金剛山、開城)+軍事境界線(板門店、鉄の三角)シリーズ
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