2009/04/04 - 2009/04/04
186位(同エリア261件中)
福の海さん
琉球館(柔遠駅)の開館時間は月曜日から金曜日までの昼の時間帯を除いた9時から16時頃までです。
写真は中日友好の碑と琉球館の碑です。
福州で清明節 旅行記について
1 球商会館と琉球館(柔遠駅)までの道順
2 琉球館(柔遠駅) ← 本旅行記
3 万寿橋
4 番船浦と潘船浦天主堂、琉球人墓地
PR
-
なんとか琉球館に到着
まずは周辺にある石碑を見学です。 -
中日友好の碑
-
琉球館の碑
1983年8月に市級の文物保護対象史跡になったようです。 -
柔遠駅の碑
-
琉球館の場所がわかったので
この後すぐ
次の目的地“万寿橋”に移動しようと思ったのですが、ドアをノックしてみることにしました。
トン、トン
トーン、トーン・・・
すると中から
“誰ですか〜。何か用事ですか〜”
という声
しかし、誰も出てくる気配がありません。
「今日は清明節、休みだよ。」
今度は家内が呼びかけてみることにしました。
「すみませ〜ん。誰かいますか〜」
当日はお墓参りに出発したので、何とか入館したい想いでした。
すると、 -
中から20代前半の女性が出てきました。
“今日は休館日です。私は非番でしたが、たまたま出勤してきていました。あなた達日本の方ですね。何人で見学したいのですか・・・3人ですね。中にどうぞ”
清明節の日に故人を偲び、史跡めぐりをしているのを伝えたからなのでしょうか。
この女性の御厚意により入場することことができました。
館内は資料館になっているようで展示室は1階と2階に分かれていました。 -
それでは展示室へ
-
沖縄との友好の品々の展示
-
福州と那覇は1981年に友好姉妹都市の関係を締結したようです。
-
福州と那覇との間において相互に派遣した研究生についての簡略図
-
福州市と那覇市の友好都市締結における議定書
-
沖縄人形の展示
-
鄭和の大航海の略図
-
福清の隠元和尚により福清と長崎に前後して立てられた建てられた黄檗寺についての資料
隠元豆は隠元和尚により日本にもたらされたもののようです。
参考
黄檗に関するサイト
http://www.biwa.ne.jp/~m-sumita/jiten-o.html -
柔遠駅に関する資料
-
福州及び福州と琉球との歴史上の関係についての説明
-
三国時代の海運図
-
福州と那覇の地理上の位置
-
明清時代の福州と那覇の友好往来についての説明
-
福州と那覇が各々
省会と県庁所在地になっており、
また明清時代においては各々の友好往来の
窓口となる都市であったという旨の説明 -
明清両朝の琉球への使節団、著作物
その年表 1(1372年〜1472年) -
年表 2(1479年〜1683年)
-
年表 3(1719年〜1866年)
-
そしてこの資料館にはなんと
-
墓石も展示されていました。
墓石 1 -
墓石 2
-
墓石 3
-
墓石 4
御冥福を心よりお祈り致します。 -
琉球の使者が福州から持ち帰った主要物品(道光17年)
-
琉球の使者が福州に持参した主要物品(道光16年)
-
琉球の学生が福州で学んだ
師匠、学習内容、帰国後の成果、
その年表(1455年〜1788年) -
琉球の金将軍
アヘン戦争における林則徐について琉球人が親族に宛てた手紙
等などの資料 -
琉球各界友好の翼訪華団団員が福州にある琉球墓石群の中から自らの祖先の墓石を探した時の資料 等
-
琉球に移民した閩人の姓氏36
沖縄の方の御先祖さんの中には
福州出身の御先祖さんも
少なくないということなのでしょう。 -
石垣市の唐人墓
琉球墓碑 他
以上にて資料館の見学終了です。
係の方へ
当日は非番にもかかわらず開館してくださりありがとうございました。感謝致します。
この資料館を見学させて頂くことにより福州と琉球の関係を詳細に学ぶことが出来ました。
中日友好を願う人達の往来がこれまで以上に盛んになることを願っています。
福州で清明節 3 万寿橋へと続きます。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
福州(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
35