2001/12/22 - 2001/12/24
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korotamaさん
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首里城に続いて、中部にある中城城跡、勝連城跡、座喜味城跡の3つを巡りました。
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【中城城跡】
中城城(なかぐすくじょう)は本島東海岸中部の中城湾沿いの標高167mの高台に、15世紀に尚巴志(しょうはし)と伴に琉球王国の統一に大いに活躍した武将・護佐丸(ごさまる)が築いた城で、太平洋戦争による大きな被害を免れた、遺構をよく残しているという城跡です。 -
【中城城跡】
三の郭の城壁
角が丸みを帯びているのが印象的です。 -
【中城城跡】
三の郭の城壁
美しい石積みです。
郭内にはこの横にある裏門から入ります。 -
【中城城跡】
三の郭の内側かな。 -
【中城城跡】
城壁越しに中城湾を眺めます。 -
【中城城跡】
二の郭から一の郭につながる門 -
【中城城跡】
自然と同化しつつある城壁 -
【中城城跡】
広い一の郭。
ここに正殿が建っていました。 -
【中城城跡】
何重にも重ねられた城壁。
堅固な造りなんですね。 -
【中城城跡】
一の郭から二の郭を眺めます。
無粋なブルーシート。発掘調査中だったのかな? -
【中城城跡】
一の郭から南の郭へとつながる門 -
【中城城跡】
門をくぐって、振り返ります。 -
【中城城跡】
南の郭には雨乞いの御獄(うたき)などの拝所がいくつかあります。 -
【中城城跡】
正門です。
修復工事中だったのでしょうかね。 -
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【勝連城跡】
勝連城(かつれんぐすく)は、本島中部勝連半島の根元に位置する丘陵に13〜14世紀に築かれた城で、琉球王国に抵抗していた阿麻和利(あまわり)という人が住んでいたそうです。
15世紀半ばに首里軍に敗れて後は廃城となったのだとか。
標高は約60m〜98m。 -
【勝連城跡】
四の郭から三の郭へと続く坂道 -
【勝連城跡】
三の郭から二の郭、一の郭を眺めます。
標高差が結構ありますね。 -
【勝連城跡】
三の郭から二の郭に上がる石段。
ここには壁はないんですね。 -
【勝連城跡】
二の郭に、舎殿跡 -
【勝連城跡】
二の郭の奥に勝連城の守護神がまつられている御嶽(うたき)、「ウシヌジガマ」 -
【勝連城跡】
一の郭から二の郭を眺めます。 -
【勝連城跡】
一番高台にある、一の郭 -
【勝連城跡】
一の郭には勝連城を守る霊石、「玉ノミウヂ御嶽」 -
【勝連城跡】
城壁越しに勝連の町、そして中城湾 -
【勝連城跡】
南は、中城湾(なかぐすくわん) -
【勝連城跡】
北は、金武湾(きんわん)に、勝連半島と海中道路で結ばれている平安座島、宮城島、伊計島 -
【勝連城跡】
まるで遊歩道のように幅のある、厚みのある城壁 -
【座喜味城跡】
座喜味城(ざきみぐすく)は、本島中部西海岸、残波岬(ざんぱみさき)でも有名な読谷村(よみたんそん)にある、15世紀初期に尚巴志(しょうはし)と伴に琉球王国の統一に大いに活躍した武将・護佐丸(ごさまる)により築かれた城です。 -
【座喜味城跡】
二の郭 正門 だったかな? -
【座喜味城跡】
二の郭から一の郭に通じる門 -
【座喜味城跡】
二の郭
ちょっと入り組んだ感じのする座喜味城です。 -
【座喜味城跡】
一の郭に舎殿跡 -
【座喜味城跡】
流れるような流線型の城壁が美しい。
そして、その向こうには「象の檻」こと、米軍の楚辺通信所が見えます。。。 -
座喜味城跡を後にし、残波岬に足を伸ばしました。
残波岬ロイヤルホテルの風車です! -
断崖絶壁が続く、残波岬
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残波岬突端に立つ「残波岬灯台」
灯火までの高さは地上からは約27.6m、水面からは約40m。 -
残波岬にて
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残波岬にて
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暮れゆく沖縄の海
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暮れゆく琉球の海
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