2010/02/16 - 2010/02/16
252位(同エリア374件中)
旅姿さん
JR「大森駅」前の高台に位置する山王・馬込の地に、大正末から昭和初期を中心とした時期、多くの文士や芸術かたちが住み、いつしか『馬込文士村』と呼ばれるようになった。
どのような方がどのような生活をしていたのか----。
一度訪れて見たかった所です。
大森駅前から文士村レリーフ~大森貝塚~尾崎士郎記念館~
徳富蘇峰の記念館へと坂道を歩いてきました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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大森駅西口前の池上通りを渡ると、天祖神社への登り口がある。
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「馬込文士村の住人」のレリーフ
ここにいる人だけでも43人。
名前を聞いたことがある人が
・石坂洋次郎 宇野千代 尾崎士郎 川端康成
川端龍子 北原白秋 小島政二郎 佐藤惣之助
萩原朔太郎 室生犀星 ---まだまだおります -
天祖神社への階段にレリーフが続く。
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小説家・尾崎士郎と宇野千代
文士仲間の幹事役?の存在だったか。 -
昭和の初め仲間同士が集まってのマージャンが盛んになる。
女性が一人入って、ウィスキーの角瓶を傍に。 -
マージャンに続いてダンスパーティが開かれ
恒例となる。
萩原朔太郎夫妻、室生犀星、宇野千代さんの
姿があったという。 -
昭和の初め、断髪が流行。モダンガール(モガ)が
現れる。 -
昭和3年に「大森相撲協会」が発足。文士たちが力士と
なる。 -
天祖神社へ向かう。
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天祖神社の境内にある「しいの木」の大木。
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天祖神社からレリーフのある階段をおりる。
前の池上通りの前が大森駅。
文士むら住人のイメージを頭に入れ、
先ずは近くにある「大森貝塚」に向かう。 -
大森駅西口から八景坂を上がってくる。
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JR京浜東北線の傍にある。
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この碑は中学生の歴史の教科書でみた記憶があります。 碑が建てられたのが昭和5年、発掘から50年余りが経過していた。
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大森駅が開業した翌年の明治10年(1877)にアメリカ人エドワード・Sモース博士によって発見された。
実際に発掘するまでは数ヶ月かかった。「誰かが自分より先にそこえ行きはしないか気が気でなかった」と自著で述べているそうです。いかにも考古学者らしい。 -
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最初の大森貝塚の碑から300m大井町に向かったところの、品川区にもあります。
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霧の向うに----。
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モース博士の碑。
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大森貝塚から発見された本物の貝。
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本物が残っていました。
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最初の碑より1年前の昭和4年に起工。
次に、この公園をでて池上通りをわたり大森駅方面に
もどる。 -
大森山王日枝神社。
日枝神社は全国に3800社あるという。そう言えば2年前に千代田区永田町にある日枝神社に初詣に行った。 -
境内にある「しいの木」の大木。
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なにやら動物の顔に見える?!
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池上通りを大森駅に戻り、右折すると「ジャアーマン通り」にでる。
大正14年から平成3年までドイツ学園があったことに
由来する。 -
尾崎士郎を訪ねていきます。
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閑静な住宅街です。
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尾崎士郎記念館。
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☆尾崎士郎
明治31年(1898)愛知県生まれる。
早稲田大学入学のため上京し、大正12年から
現在の馬込に移り住み、昭和29年にこの記念館
の地に初めての家を持ち、以後10年余りを此処で
暮らし、此処で亡くなる。 -
玄関の上に。
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戸をガラリと開けて中に入る。家族の写真。
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「こんにちわ」
『まあ あがれや』
の声が聞こえてきそうです。 -
横を見ると。
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『まあ、いっぱいやるっか』
の声?
酒が好きだったんでしょうか。 -
横綱「白鵬」があこがれる「双葉山」関と稽古場で。
相撲も好きだったようです。
「大森相撲協会」の力士でもあり、昭和25年に大相撲の横綱審議委員会委員になっている。 -
当時の井戸。
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庭にある「人生劇場」文学碑。
昭和8年新聞に連載始め、
尾崎士郎の自伝的大河小説といわれている。
歌、映画にもなり広く知れわたる。
☆歌(昭和13年)
作詞:佐藤惣之助 作曲:古賀正男
(佐藤惣之助は文士村の住人)
この歌は戦後、村田英雄がリバイバルで
ヒット。 -
小学生時代の先生にどこか似ています。
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尾崎記念館からしばらく歩くと
「山王草堂記念館」にでる。大森駅から徒歩約12分。 -
徳富蘇峰は大正13年、この地に居宅を建て、「山王草堂」と称して昭和18年まで此処に起居した。徳富蘆花の実兄。政論家。歴史家。「近世日本国民史」を残している。
馬込文士村全盛期に山王に住んでいたが、文士たちとの交流はあまりなかったようです。
この地はかなり高台に位置したいます。
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蘇峰公園内
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館内の展示物。
伊藤博文からの書簡。達筆です。 -
蘇峰 愛用のステッキ。
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山王草堂から環7通りに向かって下ってくる途中で。
この文士の説明板の建っているあたりに家があった。 -
藤浦 洸
美空ひばりの子供のころの歌で
「悲しき口笛」「東京キッド」の作詞や
テレビ「私の秘密」のレギュラーで茶の間の
人気者。 -
この通りは「梅の木通り」と呼ばれ親しまれている。
閑静な住宅街が続く。 -
山本有三(小説家)
中学の国語の教科書に「路傍の石」がのっていまし た。 たしか「吾一」少年が登場。
片山広子(歌人)
大森の貴婦人と言われていたらしいが、
名前は存知あげません。
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まだまだ「馬込文士村散策のみち」は続きますが、 今日はこのへんで失礼します。
山王、馬込地域に多くの文士や芸術家たちが
何故住むようになったか?
また日をあらためて訪ねてみます。
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