2008/10/21 - 2008/10/21
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井上@打浦橋@上海さん
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「上海タイフーン」の最終回に出て来た外灘ビューのレストランは、外灘6号で、まず間違いないと踏んで、その確認のため久しぶりに外灘まで出かけました。
ついでに、延安高速の外灘への高架道路がなくなったあとの延安東路の様子もカメラに収めてきました。あの外灘への高架道路からの眺めは、上海の名物観光スポットでもあったわけで、「上海タイフーン」や「夜の上海」など、多くの映画やテレビドラマで使われてきました。アレが、なくなってしまうと聞いた時は、非常に残念に思いましたが、この日、延安東路を外灘に向かって歩いてみましたら、ああ、コレはコレで意味があったのかとも、思えてきました。つまり、あの広い道・延安東路の景観が非常によくなったと言うことです。もともと広い延安東路が、外灘に向かって更に道幅を広げ、大パノラマ景観が楽しめると言うことです。2年後には、私の想像ですが、延安東路のセンター部分には遊歩道が出来ると見てます。そして、何年か後にはその遊歩道を歩いて外灘へ向かう道は人気の散歩コースになってるかもしれません。
では、その延安東路の様子と、2年後には外灘の準主役になってるかもしれない気象塔と外灘6号の隣りにあります M on the Bundからの眺めをどうぞ。
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コレは、その日の散歩コースです。
江西中路から延安東路に入り、外灘方向に向かい、中山東路を渡り、外灘のプロムナードへ。
プロムナードを北に行き、福州路付近の歩道橋渡り、中山東路の西側の歩道へ行き、今度は南に下がり、外灘5号まで行くコースです。 -
江西中路から延安東路に出たところです。
下が延安高速の高架があった頃の写真です。城市ロ巴から取り込みました。去年の夏頃のものだと思います。
上が、その日のもの・・・・高架がなくなりましたので、見通しがイイですね。 -
江西中路の交差点から見た延安東路の外灘方向の風景です。
どうですか、高架がなくなってみますと、見晴らしよくなったでしょう。
下の画像は城市ロ巴の画像でして、去年の風景ですが、全く違う風景ですね。 -
コレは四川中路との交差点から見た外灘方向の風景です。
下の高架があった頃の写真と比べてみてください。 -
ここで延安東路のことについて・・・・
上の散歩コースの案内図を見てもらうと分ると思いますが、延安東路はクネクネ曲がってるんです。
これはつまり、昔は、この道には川と言いますか、自然に出来た水路があったということなんでしょう。
実際、昔は、ここに水路があり、それは洋浜(ヤンジンバン)と言ったそうです。
そして、コレが英国租界とフランス租界の境界となったということです。
上の画像は、水路だった頃の延安東路です。
おでんタワーの上海歴史陳列館に展示されていました、当時の復元想像図です。
水路の右側がフランス租界だったのか、あるいは英国租界だったのかは分りません。
下の画像は、水路が埋め立てられ、広い道として生まれ変わり、しばらく経ってからのものなんでしょう。
この頃は、この道はEdward ? Avenue(漢字表記:愛多亜路)と言ったそうです。
向こうが明らかに外灘方向と分りますので、道の左側が英米共同租界で、右側がフランス租界と言うことなんでしょう。
当時は、共同租界は200Vで、フランス租界は100Vとインフラが別々だったそうです。
ですから、電柱の形や消火栓の形も違っていたそうです。 -
また現在の、延安東路に戻ります。
外灘が近づいてきました。
解放前は、黄浦江の向こうはなにもなかったはずです。
いや、20年前でもなにもなかったはず。
解放前、このあたりから見えたのは女神像だったとか・・・ -
そして、コレが、当時のこのあたりの主役であった女神像です。
正式名は欧戦紀念碑と言ったそうです。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
第一次世界大戦で戦死した欧米居留民を記念して共同租界とフランス租界の境界付近のバンドに建造された女神像。戦時中、日本軍により撤去された。・・・・とあります。 -
今後、このあたりの主役は、この気象塔になるのかもしれません。
今までは延安高速高架の左カーブ部分に隠されていましたが、今は、前面に顔を出すようになって来ました。 -
どうですか、なかなか趣きありますね。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・
工部局が1884年設置、徐家匯天文台からの気象情報を信号旗で示す。1907年に現在のものに改築。高さ50m。基礎部にアールヌーボー様式の意匠。60年代半ばまで使用。1993年外灘第二期拡張工事の際、東約10mに移築し、塔内に外灘史の展示室を開設。・・・・とあります。
この気象塔、ギュツラフ気象塔とも呼ばれてるそうです。
ギュツラフというと、思い出すのは、新約聖書の日本語訳を作った人物です。
その日本語訳を手助けしたのが、音吉という数奇な運命を辿った日本人なんです。
音吉も、日本を離れて漂流し、アメリカにたどり着き、そのあとイギリスに行き、上海でも働いていたとか・・・。
果たして、その音吉関連のギュツラフが、この気象塔のギュツラフと同一人物なのか、いなか・・・・ -
さて、またまた、昔に戻ります。
コレは、女神像があった所から見た外灘北方向の風景です。
上の画像には上海大厦(1934年竣工)が見えませんので、1933年以前なんでしょう。
中の画像は、遠くに上海大厦が見えますので、1934年以降なんでしょう。
下の画像は1980年代でしょう。勿論、この時には、もう女神像はありません。 -
気象塔を右に見ながら、車が右に左にドンドン行き交う中山東路を渡りました。
中山東路を地下道や歩道橋を利用せずに渡ったのは久しぶりです。
8・9年ぶりのような・・・・
渡って、歴史的建築が並ぶ、向こうを振り返りました。
向こうに並ぶ建物は、左から外灘4号、外灘5号、外灘6号に建つ建物です。それぞれ、昔は、有利銀行(ユニオン・アシュランス・ビル)、日清汽船、中国通商銀行が使っていたビルです。
「外灘4号」の号番号は共同租界・フランス租界の境界(今の延安東路)から順番に1号から20何号までふられた住居番号なんでしょう。
ちなみに、和平飯店は20号で、時計塔が聳え立つ上海海関は13号です。 -
外灘のプロムナードに上がりました。
まだ、皆さん、半袖です。日傘を差してるお嬢さんも居ます。
向こうの近未来都市は、まだ、ビルがニョキニョキ・・・・・
栓抜きビルが完成したと思ったら、もう、その3つ左に超高層ビルが建設中です。
こんなにたくさん、造っちゃって、ちゃんと、人が入ってるのかなぁ・・・・・・ -
プロムナードを福州路あたりまで行き、中山東路を渡る歩道橋に来ました。
この歩道橋は中山東路改修工事に伴う仮設の歩道橋でして、鉄板を張り合わせて造った無骨な橋です。
橋の下では、地下道撤去工事が行われていました。
ここには、福州路から外灘のプロムナードへ行くたのの地下道があったのです。 -
歩道橋を下り、中山東路の真ん中に出てみました。
工事に伴って、センターライン部分が広く開放されています。
なかなか、こういうところに立つと言うことはありません。
普通とは違った風景が体験できます。
解放前ですと、車も少なかったので、ココにたつことは、いくらでもあったんでしょうが、今となると、なかなか・・・
いや、待ってください、もしかしますと、いずれは、ここを歩けるようにするのかもしれません。
ここを行き来する車は全て地下のトンネルに追いやられるはずですから。 -
中山東路の歩道を南へ行きます。
右に見えてきたのが外灘6号です。
その向こうが外灘5号。
まずは、外灘6号に行きました。ここの4階のテラスが「上海タイフーン」の最終回の外灘ビューのレストランなんです。
しかし、残念ながら、今はやってませんでした。
改修中らしいです。いや、思うに、売りの外灘ビューが工事用機材に邪魔をされている常態ですので、営業しても客を呼べないので一時休業ということなんでしょう。
ということで、お隣の外灘5号の M on the Bund に切り替えることにしました。
そして、そこから外灘6号のテラスを見下ろすことにしました。 -
手前が外灘5号で、向こうが外灘6号ですね。
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これが外灘6号6階にある M on the Bund の店内です。
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窓際の席からテラス越しに見た浦東方向の風景です。
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テラスに出ました。
目的は写真を撮り捲ることですが、やはり、それだけではまずいので、グラスビールを注文しました。45元でしたが、あまり冷えてませんでした。
欧米人のアベック客(アベックって死語かな?)が記念写真を撮っていました。
適度な風もあって五星紅旗(中国国旗)もたなびいていました。 -
午後2時20分と言う時間ですから客は少ないですね。
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6階テラスから見た浦東の近未来都市風景です。
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向こうが南側で、前に見えるのが外灘4号でして、
そこにある屋上テラスが 3 on the Bund です。 -
そして、また北へ行き、北隣りの下を見ましたら、ありました。
あの、「上海タイフーン」最終回に使われた外灘ビューのテラスが・・・。
正にココですね。 -
そして顔を上げますと、外灘の歴史的建築群がズラーッと並ぶ風景が、目に前に広がります。
イイ眺めですね。
湾曲してるのがイイ・・・・ -
また、南に目を移します。
眼の前の建物は 3 on the Bund がある外灘4号。4号にあるのに、何故「3」なのかは分りません。
上海で数々の建物の(例えば和平飯店、錦江飯店など)の設計をしてきたパーマー&ターナーの最初の仕事がこの建物らしいです。1916年の竣工です。 -
望遠で気象塔を撮りました。
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そして、黄浦江を撮りました。
やはり、流れがあそこで、ほぼ直角に曲がってるのがイイんでしょうね。
おでんタワーが建つ、あの一帯が突き出てる感じで、陸家嘴という名が付くのが良く分ります。いかにも、「嘴」(くちばし)と言う形してますから。 -
室内に戻りました。
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室内の窓から見下ろした外灘6号のテラスです。
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これは、借りた画像ですが、3 on the Bund からの夜景です。
M on the Bund のテラスが見えますね。 -
最後は、M on the Bund に置いてありましたリーフレットを撮ったものです。
このグループは、香港で M at the Fringe と言う店もやってるようです。いや、その店のほうが古くて、もう19年になるそうです。M on the Bund のほうは、まだ9年ということらしいです。
これで「 M on the Bundへの散歩道」は終わりです。
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