2010/07/13 - 2010/07/16
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costinさん
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「ブルガス・・勿論私の生まれ育った街だから良いところだけど、ソゾポルもすばらしいわよ。」
ブルガスの少女の、この一言が俺を「黒海奇行」へといざなう。
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ブルガスの少女と電話
「ブルガス・・勿論私の生まれ育った街だから良いところだけど、ソゾポルもすばらしいわよ。」
「是非行ってみたいけど、ホテルとかあるの?」
「ホテルもあるけど、もし良ければ私のとこに来る?今空いてるみたいよ。」
詳しく聞くと民泊で、1泊10EUROだという。 -
ブルガスのホテルを12:00にチェック・アウト。
1泊70レフ、約4200\×3
パッカーには高いけど、去年のワルシャワの80EUROに比べれば全てにおいて満足度が高い。
フロントでバス・ターミナルの場所を聞く。
「坂を下って5分程です。鉄道駅の隣です。」
「ありがとう。本当にここはリラックス出来たよ。」
ホテルを出てしばらく行ったところで、ホテルのフロントのお兄さんが追いかけて来た。
「何か忘れ物があるみたいです。」
そんな筈はない。出るとき2度もチェックしたのに!
フロントに戻ると掃除のおばちゃんが、何やら袋に入れて降りて来た。
どうやら海から戻りシャワーを浴びて海パンを絞ったまま、シャワー室の棚に置き忘れたらしい。
俺のチェックも・・・全くあてにならんなw -
バス・ターミナルに着くと早速怪しげな奴が近寄ってくる。
「ハロー、マイ・フレンド!」
この初対面なのにマイ・フレンドって声かけてくる輩は、どう考えても下心みえみえだw
「どこ行くんだ?ソゾポルか? あそこは両替のレートが悪いぞ。EUROなら俺が良いレートで両替しよう。」
無視しても良いのだが、バスの時間に余裕があるので遊ぶ事にするw
「そうだろう、そう思ってたった今両替を済ませてばかりだ。」
「いくら両替したんだ?」
「およそ800レフだな。」
「そんなにもか。」
実際、トルコ・リラがたんまりあったので、800近く両替を済ませていた。
奴は次に手を変え、
「マイ・フレンド、すまんがこの100レフ紙幣を20レフ5枚に両替してくれないか?」
と、明らかに銀の帯の無い旧紙幣をちらちら見せながら言ってくる。
「すまんな! 俺も小額紙幣は入用なんだ。」
「ん? 俺は両替がしたいんだ。この100レフを20レフ5枚に。」
と今度は英語がわからない振りで訴えかけてくるw
「それじゃ、それ貸せ! 俺がそこの売店で両替して来てやるw」
「お前、俺の言うことが理解できないのか・・・」
と、すごすご退散していったw
シュテファンよ! 名前まで名乗って詐欺って・・お前の将来は暗いぞw
ブルガスのバスターミナル②番バス乗り場から、ソゾポル行きはほぼ30分おきに出ている。
バスに乗ったらローラ(ブルガスの少女)に電話することになっていた。
「今バスに乗ったよ。」
「OK ソゾポルで待ってるわ!」
バスは30分程、湾を迂回しながら走ると最初の町に停車した。
途中、街道の辻で少女3人がバスに乗り込んできた。
ふたりは俺の前の席に並んで座り、もうひとりは俺の隣に座った。
何の躊躇も無く、さっと座られた。
サングラスをした怪しげな東洋人の隣になど普通は座らんだろ?
そう思い込んでいた俺の方が不意を衝かれてドギマギしてしまったw
何故なら俺からすればその少女は明らかに美しい異邦人なのだから。
亜麻色の髪、大人びた彫刻のような横顔、大理石のようなその肌、そして透き通った青灰色の瞳は見て見ぬ振り出来ぬほど鑑賞の対象になりうる。
筈なのだが・・・窓枠に肘をつき、頬杖をついてぼんやり窓外の景色なぞ見ている振りをする俺だった。
そんな最中、バスが停車したもんだから
『あれ? ここがソゾポルか?』
乗客の半数が降りていく。
心細くなり、隣の少女に
「sozopol?」
「NO」
この少女、正面から見ると余計に美形だ。尚且つ、正直で素直な面構えだw
少女の絶対的「NO」でそのまま乗り続ける。
バスは遠目にも美しい岬を備えた町に入って行く。
new town old townの標識を左折、バスはold townへと進む。
そして公園のような一角にあるロータリーに停車する。
「sozopol?」
「Dar....Yes!」
『お! カミやがった、俺の勝ち!』 -
バスから降りると早速電話が来る。
「どこ? あなたを見つけられないw」
「今、バスから降りたとこだよ。」
背後から声がかかる。
「costin ?」
「Lora か?」
写真とは若干違うが、正真正銘ブルガスの少女だ。
噂によると17歳らしい。
「早速だけど、宿に案内するわね。ついて来て!」
「OK」
ソゾポルのバス停は、OLD TOWNの入り口にある。
そこから坂を上り、高台の住宅街に向かう。
全くの民家の門をくぐり、2階の部屋に案内される。
「この部屋なんだけど、どうかしら?」
2ベッド・ロッカー・エアコン・TV・トイレ・シャワーも部屋にある。
良いところは、小さなバルコニーがありテーブルに椅子2脚。
ここで朝食もいけそうだ。
「十分だな、申し分ない。」
「OK、1泊10EUROね!」
「10EUROって何リベだ?」
「19.3リベ。」
ブルガスのドミが20リベだったので、それから考えると素敵だ。
「疲れたでしょ? お昼寝でもしてゆっくりしてね。」
そんなに疲れてはいない。すぐにでも探検に出たいくらいだ。
そんなやる気満々の顔だったのか?w
「添い寝して欲しい?」
こういう娘のいたずらな一言は、微妙に大脳中枢を刺激する。
言った方は冗談の心算でも、言われた方は・・中々サラリと受け流しにくいもんだw
荷解きしてベッドに横になると、素直な俺は・・いつのまにか転寝してしまっていた。 -
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5時頃・・むっくり起き出す。
『とりあえず・・散歩してみよう。』
いかにも観光地らしい物売りが軒を並べる通り(ローラがハッピー・ストリートと呼んでいた。)を下る。
1EURO shopみたいなのがあり、そこで刃渡り25cmほどの果物ナイフを購入0.5レフ
ビーチに出る。
浜辺はブルガスと違い、全くの観光地の様相だ。
白いビーチパラソルがずらり並んでいる。
ビーチ自体は、両脇から海に突き出た半島に仕切られこじんまりしている。
人の少ない時期なら、プライベート・ビーチ感覚で好い感じかもしれない。
小1時間ほどほっつき歩き宿に帰ると、ローラは風呂上りの態で髪と体をバスタオルで包んでいる。
隣のパイプを咥えたおっさんが大家らしい。
挨拶を済ませ、ちょっとローラと話し込む。 -
このブルガスの少女はどうやら・・・日本オタクらしいw
三浦春馬だとかゴクセンだとか花より男子だとか・・俺の知らないTV番組をことごとく観ているようだ。
日本語の使い方も、妙に的を射ている。
これは感性の問題なので、きっと言語中枢が発達しているんだろうw
『ワタシ』と云うイントネーションが微妙なんだが、コケティッシュだったり・・
突然『それは俺んだ!』と叫んでみたりw
ドラマ好きの女子なんかだと、きっと話が合った事だろう。
すまんかったねローラ、全くドラマを観ないおっさんでw -
「後でね、10時くらいからだけどROCK BARってビーチにあるバーに7-8人集まって飲むんだけど、あなたも来てよ!」
人見知りの・・俺としては正直不参加を表明したい。
そういう集まりは億劫なんだ。
多分東洋人は俺一人。色んな事聞かれ、いちいち答え、気を使い、疲労困憊するのは目に見えている。
しかも10時スタートって・・・何時に終わるんだよw
10時になり庭のテラスに降りてみると、またもや風呂上りの女性が体にバスタオルを巻いて電話している。
俺の突然の登場に驚いた様子だったので・・
「あ! すいません。」
「あなた、日本から来たローラの友達ね?」
「です です。」
「じゃ、こっち来て・・ここに座ってちょっと待っててくださいな。私も5分で着替えて戻るから。」
彼女の名はぺトラ。
プラハ出身のチェコ人で、ブルガスに来て10年以上になるらしい。
ローラも現れぺトラを紹介された。
夏場は旅行代理店の現地ツァー・コンダクターみたいな事をやり、冬場は学校の講師をしていると言っていた。
3人でビーチのROCK BARに入る。宿から歩いて3分ほど。
どうやらぺトラの客らしいチェコ人が4人、既にビールを飲んでいる。
この後ローラの友達、ブルガスの学生が2人、チェコの他のグループのご婦人3人も合流して、一大勢力での宴会になる。
気後れする俺をwローラは17歳とは思えない社交性を発揮しw、日本についての事前説明をしてくれたりw色々助けてくれた。
この晩最後までつきあったが、俺たち3人が宿に帰り着いたのは午前3時を回っていた。 -
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旅の途中に出会った日本人にこの写真を見せた時の会話。
「2番目・・ゴツイっすねぇ。」
「・・ゴツくて何が悪い!」
「え?w」
「よく見ろよ!豊満で美しいじゃないか!」
「そうっすね(汁)」 -
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翌朝ローラに相談、
「実は、君のクラスメートがレストランやってるって云ってたけど場所わかる?」
「ついて来て!」
なんのことはない、宿から歩いて2分。
中々のレストランだ。
「ここかぁ、ローラ・・君も一緒に何か食えよ。」
入るとウェイトレス2名が掃除をしている。
「時間的にちょっと早かったかな?」
「平気よ。ここに架けて待ってて!」
ローラはブルガリア語でウェイトレスと何か話している。
ウェイトレスが何やら電話をしてくれて、ものの3分もしないうちに昨夜一緒に飲んだ
身長200cm超のだいだらぼっちが登場する。
父親はブルガスの人で、母親がウクライナ人だと云っていた。
温和な性格で、ぬーぼーっとしている。
「昨夜君んちがレストランやってるって言ってたんで、ローラに頼んで早速連れて来てもらったよ。」
俺は母親がウクライナって事で「ボルシチ」をオーダー。
ローラは普通にブルガリア・サラダを頼んだようだ。 -
ボリューム・・・満点!
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ローラとこの・・だいだらぼっちは、クラスメートらしい。
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ローラとふたりで宿に戻るとぺトラが待ち構えていた。
「今日はあなたをツァーに連れてってあげるわ!」
「はぁ?」
意味がわからない。
ローラが補足説明してくれる。
今日はたまたまツァーの人数が少ないので、俺を無料で連れてってくれるという話だった。
どこに連れて行かれるかも、何時間のコースかもわからないままぺトラの自家用車に乗せられる。
ソゾポルの町中のホテルで2人のチェコのご婦人を拾い出発。
【ワイン工場見学】・・・① -
【教会兼ウイスキー工房見学】・・・②
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セント・ジョルジュ
ドラゴン退治で名を馳せた聖人。
正教(オルトドックス)系では4番目の位置付けだと言っていた。
1キリスト
2マリア
3忘れた
4セント・ジョージ -
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「これ これ娘、そんなとこにシッコしちゃいかんよ!」
「え? (//∇//)」 -
「これにしてくれんかのー♪」
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「爺いぃ・・腸むかつく!」
ボコッ←歴史遺産の壁が凹む音 -
【ネセバル観光・昼食】・・・③
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ちょっとネセバルがどんな所か?
wikiから引用してみる。
≪概要≫
ネセバル(ブルガリア語:Несебър、Nesebar)、あるいはネセブルはブルガリアの古代都市であり、現在では海岸沿いのリゾート地となっているブルガス州の町、およびそれを中心とした基礎自治体。トラキア語での名称はメネブリア (Menebria)、現代ギリシャ語ではメシンヴリア (Μεσημβρια、Mesimvria)、かつての名称はメセンブリア (Mesembria) である。ネセバルは3千年紀を超える長い歴史に裏付けられた、豊かな都市博物館である。
ネセバルか黒海で最も顕著な旅行先であり、リゾート地である。ネセバルには多くのリゾート拠点があるが、その中で最大のものは町のすぐ北に位置しているサニー・ビーチである。
ネセバルの古代都市は、細長い人口の地峡によって大陸部とつながった半島(かつては完全な島であった)の上に築かれ、その地形ゆえに多くの異なる文明による征服から逃れてきた。その豊富な歴史的建造物の存在により、ネセバルは1983年にUNESCOの世界遺産に登録された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%BB%E3%83%90%E3%83%AB -
≪変遷≫
もともとは、紀元前2千年紀に興ったメナブリア (Menebria) という名のトラキア人の集落であり、メガラ (Megara) からきたドーリア人によって紀元前6世紀初頭にギリシャ植民地となった。以降、重要な交易拠点として、アポロニア(ソゾポル)のライバルとなった。ヘレニズム時代の遺物にはアクロポリス、アポローンの神殿、そしてアゴラがある。青銅、銀のコインが紀元前5世紀から、金のコインが紀元前3世紀から鋳造されていた。
町は紀元前71年にローマ帝国の支配下となるが、その後も独自のコインの鋳造など以前からの特権は守られた。町は紀元後5世紀以降の東ローマ帝国時代には最も重要な要塞のひとつとなり、東ローマと第一次ブルガリア帝国の間の戦闘が行われた。812年にはブルガリア帝国のクルム (Krum) によってブルガリアの支配下となったが、2週間の包囲の後に東ローマへと復した。864年にはブルガリア皇帝シメオン1世によって再征服され、再度ブルガリア領となった。
第二次ブルガリア帝国の時代もまた、ネセバルはブルガリアと東ローマの争いの的となり、ブルガリア帝国のイヴァン・アレクサンダル帝(在位1331年-1371年)の支配下で反映を謳歌したが、サヴォイ泊アマデウス6世 (en) 率いる十字軍に征服された。1366年に町は東ローマの支配下に復する。町のスラヴ語名称であるネセバル (Nesebar)、あるいはメセバル (Mesebar) の名は11世紀以降使われていたことが明らかにされている。
中世からの建造物には、5世紀-6世紀にかけての「古主教区」(Стара Митрополия / Stara Mitropoliya、en。聖ソフィア聖堂。トランセプトがない)、10世紀の聖堂(生神女聖堂)、11世紀の「新主教区」(Нова Митрополия / Nova Mitropoliya、en。聖ステファン聖堂)、聖パラスケヴァ聖堂 (en)、聖テオドレ聖堂、聖ミハイル聖堂、聖ガブリエル聖堂、St John Aliturgetos聖堂などがある。
町は1453年に東ローマ帝国からオスマン帝国の支配下へと変わり、町は衰退を始めるが、その歴史的遺物は保存され、また19世紀にはブルガリアの黒海沿岸部で典型的な東ルメリア様式の木造建築の家屋が建ったことでその重みを増した。1878年のブルガリア解放以降は、ネセバルはオスマン帝国の自治州である「東ルメリ自治州」の一部となり、後の1886年に同自治州がブルガリアに併合されたことにより、ブルガリア領となった。
19世紀の末には、ネセバルはギリシャ人の漁民、ワイン生産者の住む小さな村となっていたが、20世紀に入ってからはブルガリアの沿岸部リゾートの要として開発が進められた。1925年の住民交換によりギリシャ人が追放されてから新市街が建設され、歴史的地区は修復された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%BB%E3%83%90%E3%83%AB -
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ぺトラねえさん。
時々飛び出すお国訛り(チェコ語)が可愛かったw -
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お!
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突然の驟雨にみなさん、雨宿り。
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「よく降るねぇ。」
「祟りじゃねぇか?」
「何の?」
「海神様とかさ〜。」
「お前の前の彼女の恨みじゃねぇの?」
「・・・・・」 -
素知らぬ振りして・・もう1枚。
この時、俺の心拍数が300を超えていたのは内緒。 -
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【ブルガリア民族村の夕べ】・・・④
俺的にはこれが一番面白かった。
何が面白いって、世界中のスラブっ子が一堂に会して楽しんでいる。
民族村自体よりも、それを観に来る観光客のスラブ民族ウォッチングが楽しめた。 -
ローラ「ねぇねぇ、あれ着てみたらw」
俺 「え?w」
ローラ「きっと・・似合うわよ!」
俺 「俺、こういうの苦手で・・」
ローラ「え〜、見たいなぁ」
ぺトラ「さっさと着なさいよ。時間押してんだから!」 -
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「何ブーたれてんのよ?」
「いいなぁ〜、俺もどっかイキテェ!」
「当然・・私も一緒よね?」
「え?w」 -
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理由はハッキリしない。
だがかなりの高確率で、少女を狙う俺の手は小刻みに震える。
まぁ、一種の病気ですな。 -
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この民族村の良さを一言で言い表すならば・・・
「夏。スラブの祭典。」
ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ポーランド・チェコ・スロバカイ・・世界中のスラブが一堂に会している。
しかも連日夏祭り状態でひしめき合っている。
最後の2時間ほどは、生バンドでお客総出のフリー・ダンス。
でもこいつ等・・ノリはすばらしく良いんだが、如何せんリズム感がトンと無い。 -
色んなショーが終了するのが、午後11時。
ソゾポルに帰り着いたのが、午前1時近かった。
こいつ等どんだけ午前様なんだよw
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