2009/01/26 - 2009/01/26
183位(同エリア650件中)
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昨日の午後9時近くになってキャンパー・ヴァン(キャンピング・カー)で到着したクイーンズタウン。
飛び込みで泊まってみたのはQUEENSTOWN LAKEVIEW HOLIDAY PARK。
キャンパー・ヴァンもホリデイ・パークもニュージーランドで初めてのSUR SHANGHAIとその旦那だけど、二日目にはもうしっくりした感じでよく眠れたね。
車を停めた位置がシャワー棟から離れていると、車からの行き帰りがちょっと寒い感じのニュージーランドの夏の終わり。
それも日本の銭湯に通った頃を思い出す材料になって懐かしい気持ちになったっけ。
この日はクイーンズタウンをちらりと見てから、郊外のアロータウンへも行ってみます。
アロータウンは1862年に金が発見されてからゴールドラッシュで沸いた町。
今はそこで何が見られるだろう。
表紙の画像は、アロータウンのアロー川で砂金探しに興じる少女。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
一夜明けたクイーンズタウン上空は青い空。
昨日フォックス氷河ヴィレッジからやって来た時の6号線沿いのどんよりした空がウソみたい。
この山は、クイーンズタウンを見下ろすボブズ・ピーク。SUR SHANGHAIたちが泊まったQUEENSTOWN LAKEVIEW HOLIDAY PARKのすぐ裏手の山。
てっぺんには展望台があって、スカイ・ゴンドラで上って行けます。
あ、パラグライディングをしている人もいる。
う〜ん、こんなにいいお天気だと展望台にも行ってみたいね。
SUR SHANGHAIとその旦那は、まずは逸る気持ちを抑えて朝ごはんを食べながら今日の段取りを立ててしまおうと思います。 -
ここはクイーンズタウンの一画、ショットオーバー・ストリートとキャンプ・ストリートの交差点。
クイーンズタウンはワカティプ湖周辺の観光の拠点として有名な町ですが、中心部の繁華街だけなら徒歩で楽々見て回れるサイズ。思っていたよりずいぶん小さい。
それでも昨日のあの寂しいくらいに建物も人も見かけなかった6号線沿いと比べると、「わ〜!!ヽ(*^ω^*)ノ町に出てきた!」といううれしさが沸いてくる。
普段は何とも思わないマクドナルドを見ただけでも、「わ〜!!ヽ(*^ω^*)ノマクドナルドがある!」
これって新鮮な感覚だ。
マクドナルドで朝食を摂りながら今日の予定決定。
ちょっとクイーンズタウンの中を見て回ったら、郊外のアロータウンを見学して、フィヨルドランド国立公園の観光の拠点ティアナウへ移動します。
ボブズ・ピークの展望台は惜しくも却下。 -
昨日は夕焼け雲を眺めたワカティプ湖の桟橋あたりの風景。
この桟橋の下には水族館風のアンダーウォーター・ワールドがあったり、パラセーリングやワカティプ湖+カワラウ川をモーターボートで巡るカワラウジェットも出ているようです。
持ち時間や興味に合わせて参加してみては?
SUR SHANGHAIたちはちょっとワカティプ湖畔を歩いてみます。 -
ほんと、昨日のあのどんよりと冷たく湿ったお天気が信じられないほどの好天。
ワカティプ湖はSの字を細長く引き伸ばしたような形をしているから、対岸の山が間近に見える。
ずいぶん透明な水だね。
泳いでいる鳥たちの足も透けて見える。
ワカティプ湖の名の由来は、先住民族マオリの≪ワカ・ティプア・ワイ・マオリ(巨人が横たわる谷間の水)≫から来ているんだそう。
ワカティプ湖を巨人に例えた彼らの言い伝えでは、湖水が潮の満ち干のように日に何度も上下するのは巨人の心臓の鼓動のせいなのだそう。
科学でも解明できない出来事は、言い伝えとともに現代の神秘として残しておくのがいいかも。 -
ワカティプ湖の上を走るモーターボートの音が響いて来たと思ったら、パラセーリングの花が上空に咲いていた。
湖畔の遊歩道から見上げる人もいるこの朝。
う〜ん、気持ちいいだろうなあ。
SUR SHANGHAIは台湾時代にパラグライディングをした事もあったけど、脚に故障が出やすくなった今は敬遠。 -
昨日の6号線沿いで見た景色は、湿った秋の憂鬱を感じさせる眺めが多かった。
今日のクイーンズタウン上空はカラリと晴れた青い空。
もう爽やかな秋の訪れを思わせる空気があった。 -
過ぎ行く夏の光の名残を体感しようと、ワカティプ湖畔のベンチで横になっている人たちも。
おじさ〜ん、お連れさんの足が頭のすぐ横に来てるんですが…。(^^;
それとも靴や足の匂いがお好きで楽しんでらっしゃるんでしょうか。
そうでしたら失礼しました〜。m(__)m -
ワカティプ湖畔には、魚料理を出す洒落た造りのレストランも並んでいた。
昨夜は閉店間近の時間帯にザ・モールの中の一軒に行ってガッカリ体験をしてしまったSUR SHANGHAIたち。
変な時間帯に行ったSUR SHANGHAIたちもよくなかったかもしれないけど、それなら「もう閉店ですから。」と断ってくれればよかったのに…。
有名なお店のサービスとは思えなかった。
出来たら、雰囲気もサービスも味もいいお勧めのお店を地元の人に聞いて行ってみては? -
ペンキ塗り替えなんて町の風景も見られたクイーンズタウン。
お疲れさまぁー!(。・д・。)ノシ -
ヴィクトリア女王にふさわしい町として名付けられたというクイーンズタウンは確かに風光明媚。
町並みもきれいだし、ホテルもアクティヴィティも揃っているし。
でも、ワイルドさが欲しいSUR SHANGHAIとその旦那には、やっぱりリゾートはちょっと似合わないみたい。
で、ワカティプ湖畔に立っていたこの像のモデルはキーウィなんだろうけど、サイズは今はもう絶滅してしまった巨鳥モアになってます。(^^; -
ちょっと観光客になって、クイーンズタウンのお店も数軒拝見。
これはそのうちの一軒で、マオリ族の伝統的なデザインをアレンジしたアクセサリーのお店≪JADE FACTORY≫。
その名の通りにヒスイ製アクセサリーが多いお店。
これはクイーンズタウンの店舗ですが、ニュージーランド各地にあるようです。
http://www.jadefactory.com/ (英語版) 各地の店舗の所在地のほか、ヒスイの説明、商品紹介、マオリ族伝統デザインの意味を説明したページもあり。
クイーンズタウン店の所在地は、BEACH STREETの22番。
ペンダント・ヘッドが一番多くて、50NZドル位〜100NZドル前後。
店員さんも質問によく答えてくれて親切。
マオリ族伝統デザインについて説明したリーフレットがあるので、もらっておくといいですよ。 -
ここから先は、クイーンズタウン近郊にあるアロータウンをご紹介。
クイーンズタウンから車だと20分の郊外にあるアロータウン(ARROWTOWN)は、1862年にアロー川で金が発見されてからゴールドラッシュで沸いた町。
今では当時の繁栄振りは見られませんが、当時の町並みが再現されています。
アロータウンのさらに北には同じように金で栄えたメイスタウンもあるんですが、そちらへの道は悪路でレンタカーは走行禁止になっていました。
メイスタウンへはクイーンズタウンからのツアーで行けるようです。
これはアロータウンの目抜き通りのバッキンガム・ストリート。
目抜き通りと言ってもご覧のように和やかな雰囲気の田舎町といった風情。この道の両脇にかつて栄えた当時の建物が60軒以上再現されて並んでいます。
この画像に写っている建物は郵便・電報局。レトロな赤い筒型ポストも立っています。 -
アロータウンの中心にはレイクス・ディストリクト博物館(LAKES DISTRICT MUSEUM)があって、ゴールドラッシュで沸いた頃のアロータウンや入植者たちの暮らしを知る事が出来ます。チケット6NZドル。
所在地は49BUCKINGHAM STREETで、上の画像で見た郵便・電報局のすぐお向かい。
バッキンガム・ストリートと聞くとずいぶん大きい道のような感じですが、アロータウンの中心部は小ぢんまりしているので、歩けばすぐに見つかります。
小さい博物館ながら内容は濃いのでお勧めです。
サイトはこちら。http://www.museumqueenstown.com/ (英語版)アロータウンの町の歴史も紹介されています。
博物館と並んで、観光インフォやカフェもありました。 -
イチオシ
アロータウンで金が採れたのは、町のすぐそばを流れているアロー川。
そのアロー川に沿って、砂金採取目的の中国人労働者が住んでいたチャイニーズ・ヴィレッジもあるんですが、先にこのレイクス・ディストリクト博物館を見学してから行ってみようと思います。
レイクス・ディストリクト博物館に入ると、まず砂金採取や計量に使われていた器具、当時の様子などが展示されています。
アロー川で金が発見されたのは1862年のことで、人々が押し寄せたゴールドラッシュ最盛期には人口七千人の町に膨れ上がったというアロータウンの歴史を知ることが出来ますよ。 -
1862年にアロー川で金を発見したのは、探検に来ていた二つの小さいグループだったらしい。
その発見はしばらく秘密にされていたんだそう。
その直後にアロー川とは別のショットオーバー川でも2人の羊毛刈りを生業とする人物によって金が発見され、それからは世界各国から金を求めてやって来る人々でゴールドラッシュが巻き起こったという歴史。
この画像の人物たちは誰とは特定されていないようでしたが、それらの人々の中の2人だったのだと思います。
当時のいでたちがよく分かる画像。 -
レイクス・ディストリクト博物館には、アロータウンに金を求めてやって来た中国人労働者関連の展示も多かった。
1850年代からすでにポツポツとニュージーランドにやって来ていた中国人が本格的にアロータウンに増えたのは金鉱発見後の1865年以降のことだったらしい。
最初はオーストラリアの金鉱から移動して来ていたのが、後には中国南部の広東省から直接やって来るようになったのだとか。
この画像には商売で成功した華僑らしい男性の顔写真も出ていますが、ほとんどが貧しい故郷への仕送りのためにやって来たという展示内容を読むと、華僑とは違う華工として渡って来たに違いない。
この画像に出ているコロニアル・バンク・オブ・ニュージーランドの≪預金と利子、砂金の買取、香港通貨為替≫の看板も中国語で書かれています。
以前福建省の厦門(アモイ)で見学に行った華僑博物館の展示を思い出す。
その華僑博物館の様子も知りたい方は下記の旅行記も併せてご覧ください。
★福建省の旅 ?(完) −龍岩市から厦門(アモイ)、そして上海へ
http://4travel.jp/traveler/casa/album/10157683/ -
1860年代後半に撮影されたと思われる写真には、砂金を求めてアロータウンあたりにやって来た中国人労働者グループが写っていた。
その中には女性や子どもの姿はありません。
彼らの多くはニュージーランドに腰を落ち着けようとして渡ってきたわけではなく、ある程度の財産が出来れば中国の故郷に戻って行くつもりだったので、結婚していても妻子は伴わずに来ていたらしい。 -
レイクス・ディストリクト博物館からだと徒歩10分足らずの所にあるチャイニーズ・ヴィレッジから発掘された当時の中国人住民たちの生活品。
酒瓶らしきガラスの瓶や、賭け事に使われたというゲームの駒もあって、砂金探しの毎日の中にも慰めを求めていたのが分かる内容。
そのチャイニーズ・ヴィレッジの住民の中でリーダーと目されて、西洋人からも中国人からも尊敬されていたのは商店経営者だったアー・ルンという人物らしい。
博物館の展示を見終わったら、その復元された住居を見学しに行ってみます。 -
イチオシ
これは西洋人入植者が採取した金の鉱石をトロッコに積んでいる場面。
ずいぶんリアルに作ってあるので、人形とは思えません。 -
アロータウンに一攫千金を狙って押し寄せた人々の後からはその生活を支える職業の人々もやって来て、町は栄えていったという歴史を髣髴とさせる品々も多数。
右の画像の袋のような物は種蒔き器。
白黒の画像に出ているように、種が入った袋を首から提げてハンドルを回すと種が蒔ける仕組みになってます。 -
イチオシ
レイクス・ディストリクト博物館にはタバコのパッケージのコレクションもあった。
あ! キャメルのパッケージは今と同じじゃない? -
レイクス・ディストリクト博物館には往時の医療関連の展示もあった。当時使われていた医療用品のほか、これは新しくまとめられたらしい記事。
アロータウンではゴールドラッシュで町の人口が増えるに従って、何度か病気が流行したらしい。
左側に書いてあるのは、
1876年 腸チフス
1879年 ジフテリア
1885年 コレラ
1893年 ジフテリア
1895年 ジフテリア
これとは別に中央に書いてあるのは、個人の死因。
この町の歴史と時代を感じさせる採掘中の爆発とか、馬に蹴られてという死因もある中、53歳での出産が死因という記述もあってびっくり。
画像をクリックして元画像で見てみると、文字もだいぶはっきりします。 -
レイクス・ディストリクト博物館にはアロータウンのゴールドラッシュ関連の歴史とは直接関係無いと思われる展示もあって、これはかつてニュージーランドに生息していたモアの骨格の一部。
モアはダチョウ目モア科の飛べない大型鳥で、最大の種では3m近い体高があったのだそう。
そのがっちりした脚部の骨格だけでも、160cmあるかないかのSUR SHANGHAIを圧倒する大きさ。
モアが絶滅してしまった原因はマオリ族による乱獲とか隕石の衝突とかとも言われて、16世紀には姿を消してしまったのだそう。 -
イチオシ
レイクス・ディストリクト博物館の地下階。
当時使われていた馬車や印刷機のように大型の展示物のほか、アロータウンのゴールドラッシュ時代の町並みが再現されていました。
商店の店先などの再現以外には…、 -
…学校の教室を再現した部屋もあった。
こうした学校に通った子どもたちの何人かは、今のアロータウンの住民の祖先になったんだろうな、と想像してみたSUR SHANGHAI。 -
ゴールドラッシュで賑わっていたアロータウンの道を駆けていたに違いない馬車。
当時から現代への時間を駆け抜けて、今はレイクス・ディストリクト博物館で静かに休む。
車輪が景気よくガラガラ回っていた音や、町のざわめき、馬のいななく声が聞こえてきそう。 -
レイクス・ディストリクト博物館の階段脇にあった展示。
ゴールドラッシュ時代にアロータウンにやって来た人々の肖像画が飾られています。
その人々の来歴も簡単に記されているので、ちょっと見てみるといいですよ。
出身国の国旗マークを見るだけでも、ヨーロッパ各国の出身者がいるのが分かります。
これらの人々がアロータウンで出会って今の町の礎を築いたのかと思うと、運命の糸の始まりを見たような気分。
画像右下に見えている夫婦らしき2人はスコットランド出身。スコットランドの旗(青地に白い斜め十字がある聖アンデレ十字)が出ています。
1865年からアロータウンの農民になったのだそう。
男性はアロータウンの町長にもなったようです。 -
「小さいけど、見応えがあったね。」とレイクス・ディストリクト博物館を出てくると、そこには現代のアロータウンの町が。
正面にはゴールだラッシュ時代を再現したレトロな郵便・電報局があるし、この時はたまたま右に写っているような車もいたので、いつの時代の町なのか混乱しそう。(*^o^*) -
レイクス・ディストリクト博物館から徒歩10分足らずの所にあるチャイニーズ・ヴィレッジへの途中でちょっと一休み。
何て言う名のカフェだったかな。
ホテルも兼ねているような場所だったけど覚えていない。
爽やかな秋の始まりの光が満ちるテラスには、砂金探しの男性像もあって、今見てきた博物館の展示と印象が重なる。 -
外側にピリ辛い味付けをしてじっくり揚げたポテト・ウェッジはSUR SHANGHAIの大好物。
外がカラッとして、中がホクホクの食感がたまりません。
元々芋っぽい食べ物が好きだから、ドライブ中のスナックもポテト・チップが多いような…。(〃ω〃)
で、ちょっとつまむ積もりで頼んだウェッジのこの量!
おまけにこってりしたサワー・クリームがてんこ盛り。
水分でせっかくのサクサク感が無くなるから、別盛りにして欲しかった。
旦那と2人でも食べきれずにギブアップ。 -
レイクス・ディストリクト博物館から徒歩10分足らずの所にあるチャイニーズ・ヴィレッジ入り口。
(看板にはチャイニーズ・セトルメントと出ています。)
砂金が採れたアロー川のほとりの林の中にあるこの集落跡は見学無料。
ここは上の方でも言ったように、アロータウンのゴールドラッシュ時期にやって来た中国人労働者が住んでいた場所。
町が寂れてからは忘れ去られていたのが、近年になってから発掘・再現作業が行われたようです。
SUR SHANGHAIたちが行った時には、入り口あたりでこの区域の保護維持費募金もしていました。 -
チャイニーズ・ヴィレッジに入ると、林の小道脇に説明書きが出ていたり、復元された住居や住居跡がポツリポツリと並んでいました。
SUR SHANGHAIが気付いた限りでは10軒程度。
ちょっと少ないような気がするなあ。
これは住居跡の発見や復元が完全ではないからなのかも、と思ったSUR SHANGHAI。間違っていたらお許しを。
この画像だと、右手数十mほどの所を砂金が採れたアロー川が流れています。 -
チャイニーズ・ヴィレッジの通路にいくつも出ている説明書きの一つ。
画像をクリックして元画像で見てみても文字がよく見えない時には、コピーで保存してさらに拡大すると見えるようになると思います。 -
上の画像の一部。
ゴールドラッシュ当時はニュージーランドにほとんどいなかったとされる中国人女性も、この写真が撮られた1911年には増えつつあったようです。
それでも50人はいなかったという時代。
日本で言うと、大正時代風洋装の女性たち。
この画像も、クリックして元画像で見るとだいぶはっきりします。
中国の故郷に仕送り目的で金の採掘にやって来た中国人労働者は、いずれは故郷に帰るつもりで妻子は同伴しなかったらしいので、これらの人々は華僑としてニュージーランドにやって来た人々の家族だったのかも。 -
チャイニーズ・ヴィレッジの中に復元された中国人労働者たちの住居が小道の脇に並んでいた。
徒歩で10分足らずのアロータウンの中心に住んでいた西洋人の家とは比べ物にならない質素な造り。
砂金で一財産作ったら故郷に帰るつもりの人々が多かったらしいから、仮の住まいは雨露がしのげるだけの設備で十分と思っていたんだろうか。
≪招かれても歓迎されなかった≫という中国人に対する差別待遇があったとも聞いたけど、その結果としてのこの住居なのかどうかは不明。 -
上の画像の住居内。
この竈以外には土間だけの一間。
実際に人が住んでいた時にはもう少し家財道具もあったに違いないと思っても、やっぱり質素すぎる。
一財産作る夢を見ながら砂金採取に励んでいた人たちの息遣いが残っているような気がして耳を澄ます。 -
チャイニーズ・ヴィレッジ内部。
レイクス・ディストリクト博物館の展示にも説明が出ていたヴィレッジ内の商店周辺。
やはり質素な建物が並んでいて、こう言っては何ですが何も知らなければ物置小屋か家畜小屋にしか見えないのが侘しい。
商店だったのは、一段高い所にある小屋。
チャイニーズ・ヴィレッジの住民の中でリーダーと目されて、西洋人からも中国人からも尊敬されていたアー・ルンという人物がその経営者だったらしい。 -
チャイニーズ・ヴィレッジ内部。
跡地だけが残っている場所もあって、≪アー・グムの小屋≫という立て札だけがあった。
ここで砂金を採りながら暮らしていた人もいたというのが信じられない。 -
チャイニーズ・ヴィレッジのどん詰まりにあった最後の一軒。
入り口から200m位じゃなかったかな。
裏手には、墓地へと続く小道があった。
途中まで行ってみたら、草木が茂って道を塞いでいたので引き返したSUR SHANGHAIとその旦那。
石を積み上げて作ったこの住居も、このほかにも見かけた住居もやはり中はがらんどう。
発見された品々は全部レイクス・ディストリクト博物館の方に展示されているようです。 -
チャイニーズ・ヴィレッジからアロータウンの中心への帰り道は、アロー川に沿って歩いてみることに。
これはチャイニーズ・ヴィレッジあたりから下流方向を見たアロー川。
晴れて水位が低いから、足首までの深さしかない。
ジャブジャブ歩けて気持ちいいね。
この小川のようなアロー川で、ゴールドラッシュを起こしたほどの砂金が採れたのかあ。
川下にあるアロータウン方向に歩いて行くと…、 -
…砂金採りに興じている家族の姿があった。
専用のお皿を借りて参加できるようですよ。
今ではもう財産が出来るほどの砂金は出ないようですが、お時間がある方はお遊びで砂金探しをしてみるのもいいかもです。
ゴールドラッシュの時期には、この細いアロー川に一攫千金を目論む人々がずらりと並んで一心に砂金を探していたんだろうな。
その時に出た土砂を積んだらしい場所もすぐそばにありました。 -
イチオシ
最初にアロー川で金を発見した人々はしばらくその事を秘密にしていたので、ゴールドラッシュの人々が押し寄せる前に100kg以上の金を探し当てたんだそうです。
ここから見える向こう側の川原には、砂金探しの後の土砂を積んだと言われる場所が見えています。
一人アロー川の川原に残って砂金探しを続ける少女。
こういう姿だとのどかでいいね。
。・ ゚・。* 。 +゚。キラリ!・。* ゚ + 。・゚・
あった? (*^o^*)
指輪が出来るくらい見つかるといいね。
この後のSUR SHANGHAIとその旦那は、フィヨルドランド国立公園方面へと車を進めます。
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