2026/10/18 - 2026/10/18
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この旅行記のスケジュール
2026/10/18
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電車での移動
西鉄福岡天神9:00発→西鉄二日市9:15着 ※西鉄大牟田線特急利用
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徒歩での移動
西鉄二日市9:20発→飛梅原木→鶴の墓→榎社9:45着
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徒歩での移動
榎社10:00発→大宰府条坊跡→大宰府政庁跡10:20着
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徒歩での移動
大宰府政庁跡10:30発→庚申塔→大宰府学校院跡10:45着
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徒歩での移動
大宰府学校院跡10:50発→観世音寺11:00着
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徒歩での移動
観世音寺11:20発→戒壇院11:25着
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徒歩での移動
戒壇院11:45発→高橋紹運墓道碑11:50着
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徒歩での移動
高橋紹運墓道碑11:55発→晴明の井12:10着 ※昼食休憩30分
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徒歩での移動
晴明の井12:40発→隈麿の墓12:45着
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徒歩での移動
隈麿の墓12:50発→西鉄都府楼前駅13:15着
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電車での移動
西鉄都府楼前駅13:17発→春日原(乗換え)→西鉄福岡駅13:37着
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この旅行記スケジュールを元に
予定していた旅行を台風接近があるかもしれないと思ってキャンセル。何もすることがない天候に恵まれた日曜日を利用して都府楼跡地を散歩しました。事前に調べてみると、意外に知らないところが多いので行ってみることにしました。
西鉄都府楼前駅で下車して、行程は西鉄二日市駅→榎社→都府楼跡地と周辺散策→観世音寺・戒壇院→西鉄都府楼前駅です。知名度は高くなく今回初めて訪れたところは、榎社周辺では鶴の墓、紅姫供養塔、都府楼跡地周辺では大宰府朱雀門礎石、帯塚、庚申塔、観世音寺・戒壇院周辺では大宰府学校院跡、僧玄昉墓、?橋紹運墓道碑、西鉄都府楼前駅に戻る途中にある晴明井、榎納骨堂、隈麿公の墓など盛りだくさんの一日でした。歴史に興味のある方は是非どうぞ!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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西鉄二日市駅近くにある福岡法務局筑紫支局から榎社まで南北に続く道があります。この道はブラタモリでも紹介された「古代の道」です。菅原道真公が通った道だそうで、きっと天拝山に登り身の潔白を訴えた時にも通られたと想像します。
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「古代の道」を北に向かって歩いていると、西鉄大牟田線と交差します。その手前100mほどの所に西に入る小道があります。この道をしばらく進むと、「飛梅の原木」があります。個人の住宅敷地内にありますので、声をお掛けしてから拝見しました。
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西鉄大牟田線の踏切を渡ると榎社ですが、参拝する前に踏切を渡った所にある「鶴の墓」を見ました。飛騨職人が木製の大きな鶴を作り、その出来栄えがよかったのでこの鶴に乗り唐まで行ったそうです。日本への帰路に矢が当たり片羽になった鶴がやっとのことで日本まで戻り力尽きてこの地で亡くなりました。この鶴を弔う墓です。
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榎社の鳥居のすぐ横には榎社についての説明がありました。太宰府天満宮の秋の神幸祭では、榎社に向けてお神輿のご神幸が行われるそうです。
榎社 寺・神社・教会
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榎社です。菅原道真公が、901年(延喜元年)に大宰府に左遷されてから903年(延喜3年)に逝去されるまで謫居された地にあります。
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紅姫の供養塔です。菅原道真公は大宰府に左遷された時に幼子2人である隈麿と紅姫を連れて行くことを許されました。隈麿はその翌年にこの地で病気のため急逝しました。紅姫はその後の消息は分からない(高知に流された道真公の兄を頼って高地に行ったとする説があります)ようです。
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唐の長安もとにして飛鳥時代に造営された碁盤の目のような地割をした都市の跡です。その後奈良時代になって朱雀大路などを設けました。この資料を見る限りは初期のもののようですが、最終的には南北22条(2.4km)、東西24坊(2.6km)の都市計画のようでした。
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国道3号線バイパスから見る朱雀大路です。朱雀大路は南北に走っていて、この突き当りには大宰府政庁跡があります。
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国道3号線バイパスと朱雀大路が交わる付近にあるのが大きな円形の石が大宰府政庁の玄関、朱雀門の礎石です。1982年にすぐ横を流れる御笠川の改修時に発見されたそうです。
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大宰府政庁跡の南側入口にある石碑です。1921年(大正10年)に大宰府政庁が史跡に指定されたのを記念して建てられたものだそうです。奥に見える広大な敷地に大宰府政庁がありました。さらに奥の山は四王子山です。
大宰府政庁跡 名所・史跡
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記念碑から少し進むと大宰府政庁跡地があります。7世紀後半~平安時代末期まで九州を統括する政治に中心地として、その役割を果たしました。外交、防衛、大陸への玄関の役割を果たすために政庁が建設されました。政庁の建物は現存せず、建物の基礎は遺されています。
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大宰府政庁跡に残る中門の跡です。礎石のみが遺されています。左右には回廊跡の礎石があります。
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大宰府展示館の裏手にある小高い丘のきれいに剪定された生垣があります。生垣が一部ないところがあります。ここから帯塚に行くことができます。
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同人誌『ホトトギス』の高浜虚子の同人河野静雲が建立した佛心寺には高浜虚子を祀る虚子堂があります。その奥には写真の帯塚があります。高浜虚子が愛用した博多帯を静雲に託し、佛心寺のそばに帯を埋めてほしいと遺言したので1954年(昭和29年)
に帯塚として建てられたものです。 -
福岡市姪浜から運ばれてきた石で作られた庚申塔です。近隣の屋敷の外にあったものが現在の地に移されました。中国の道教思想に始まる庚申信仰は60日ごとにある庚申の日の夜に眠らずに夜を明かすものだそうです。
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観世音寺・戒壇院のすぐ西側にあります。九州各地の子弟を教育し官人を養成した施設の跡地です。ひな壇状に造成された敷地で石垣や土塁のようなものが残っているようです。建物の礎石や庭園跡などもあるとのことでした。北側には有名な山上憶良の貧窮問答歌が書かれた説明板があります。
大宰府学校院跡 名所・史跡
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観世音寺本堂です。観世音寺は天智天皇の母である斉明天皇の供養のために創建されたものです。最盛期は多くの子院を持っていたそうですが、大半は焼失しています。金堂と講堂も焼失しましたが江戸時代初期に再建されました。
観世音寺 寺・神社・教会
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観世音寺にある鐘楼です。鐘は日本最古のものとして知られ、国宝に指定されています。京都妙心寺の鐘と同じ鋳型から作られた鐘です。鋳造された時期を考えると大宰府に流された菅原道真公もこの鐘の音を聞かれたと想像されます。
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現在は別の寺となっていますが、かっては観世音寺にあった戒壇院です。僧に授戒をする戒壇院は、奈良東大寺、下野薬師寺と併せて天下三戒壇とされていました。ここで正式な僧侶として戒律を授かるために多くの出家者が訪れたそうです。参道からみる小ぶりな山門と両側にある赤土の土塀の佇まいが大好きです。
戒壇院 寺・神社・教会
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戒壇院の本堂と鐘楼です。761年聖武上皇の勅願で観世音寺境内に設置され、九州の僧侶の授戒の道場とされてきました。江戸時代初期に本堂の修理・改築が行われ、鐘楼と梵鐘は江戸時代中期に造られたものです。
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戒壇院の参道から少し西側に歩くと、うっかりすると見逃しそうな路地の角に高橋紹運墓道碑がありました。紹運は写真奥に見える四王子山の岩屋城で北上する島津勢の大群と戦い討ち死にした武将です。筑前への島津勢を阻止した結果につながります。
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大宰府の朱雀には平安時代中期の有名な陰陽師安部晴明が作ったと伝えられる井戸があります。晴明の井と呼ばれ、どんな干ばつが起こっても水が涸れないと言われています。出産時にこの水を使うと安産であるという信仰もあります。祠には三角形の石がありますが、水の神様だということです。
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菅原道真公は大宰府に左遷された時に幼子2人である隈麿と紅姫を連れて行くことを許されました。隈麿はその翌年に大宰府で病にかかり急逝しました。道真公が謫居された地である榎社の東側の小高い丘に納骨堂があります。そこには隈麿を供養するお墓があります。
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隈麿の墓とされる祠です。すぐ横には六弁の花をつける梅の古木もあります。ちなみに道真公は隈麿が急逝した翌年に亡くなられています。
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