2024/12/31 - 2025/01/04
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ishigantouさん
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2024年の11月21日から翌年2025年1月5日まで、インドのゴアにあるボン・ジェズ教会に眠るフランシスコザビエルの聖遺骸が近くのセ・カテドラルに移動され、普段高い位置に置かれている棺が手の届く目の前に置かれた。参拝者は棺に接吻をして、拝んでいた。この年は10年に一度のザビエルの御開帳の年であった。多くの人が教科書でも知っているこの聖人の遺骸は、500年近く経っても腐らずミイラ化した状態で目の当たりに現れた。
現在ザビエルの右腕はローマのジェズ教会、右腕上膊はマカオに、耳・毛はポルトガルのリスボンに、歯はポルトガルのポルトに、足の指はサビエルの生家、ザビエル城へと分散されている。
フランシスコザビエルを巡る聖地巡礼の旅をしてきた私は、これまで生誕地のスペイン・バスク地方、イエズス会を興したフランス・パリ、ポルトガル王の後ろ盾で出発したリスボンの地、アジア宣教の拠点の一つ’マカオ’、日本の上陸地’鹿児島’、日本で数多くの信者に浸透していった長崎。そして遡ること5年前に今回のゴアに一度行こうと試みたのだが、日程と乗り換えの関係で断念し、ザビエルのゆかりの地(宣教地の一つであり、聖遺骸が一時安置されていた)マレーシア・マラッカへと変更した。
そしてついに今回の10年に一度の御開帳で果たせたのである。ヒンドゥー教が多いインドでもゴア周辺はキリスト教を信仰している人が多く、この時は地元の信者から世界中の信者までもが聖遺骸を拝みに来ていた。長い列に並ぶこと1時間以上かかった気がする。
初めてのインド。
今まで訪れた国でe-visaを申請したのは、カンボジアとオーストラリアくらいだった気がする。それでも記入は簡単で時間を要さなかったが、インドのそれは事細かい記入があった。親の事や特にパキスタンに絡む事が多かった気がする。
せっかくインドに行くならインドらしい場所、ヒンドゥー教の遺跡やムガル帝国の廟や混沌とした街並みも見たかったので、前後に首都ニューデリー、第二の都市ムンバイを行程に入れた。
現地での案内は1/1日と3日は、デリーを拠点としている〈Tabizuki India〉 https://tabizukiindia.com/
2日のゴアでは、たびチョク経由で〈バイシャリトラベルズジャパン〉に依頼
https://www.vaishalitravels.com/
12/31日 エア・インディアAI307便
成田12:20発~デリー19:00着
夜着なのでホテルの送迎を利用
The prime Balaji Deluxe at New Delhi Railway Station(Trip.com) 泊
1/1日 デリー観光
ラール・キラー
フマユーン廟
イーサハーン廟 見学
エア・インディア AI881便
デリー16:55発~ゴア・ダボリム空港19:35着
夜着なのでagoda.comからホテルまでの送迎を依頼
Aldeia Santa Rita Hotel(agoda.comから) 泊
1/2日 セ・カテドラル
ボン・ジェズ教会
聖フランシス教会
聖アウグスティヌス教会の遺跡
王立聖アントニオ礼拝堂
パナジ教会
パナジ地区 見学
Aldeia Santa Rita Hotel 泊
1/3日 Indigo 6E585便
ゴア・モパ空港9:15発~ムンバイ10:40着
エレファンタ島の石窟寺院 見学
キャセイパシフィック CX696便
ムンバイ23:10発~香港1/4日7:00着
キャセイパシフィック CX410便
香港9:20発~インチョン13:55着
大韓航空 KE713便
インチョン16:55発~成田19:30着
これでザビエルを巡る最後の旅とするつもりが、ザビエルの生誕の地バスク地方でザビエル城を訪れなかったことを後悔し、ザビエルが亡くなった地、中国の上川島 にも思いをはせてしまった・・・
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
- インディゴ キャセイパシフィック航空 エア・インディア・エクスプレス 大韓航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前日以前からあるゴアの空港に到着し、予約していた送迎車にてホテルヘ。年末年始は道が混むと言われていたが、案の定時間が掛かった。
翌朝ガイドとドライバーが迎えに来て出発。
車を降りて、参道を歩いて行った。 -
長い行列を並ぶこと一時間以上、今回遺骸が置かれているセ・カテドラルに入場する。並んでいる中、日本人の家族連れを見受けた。
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イチオシ
当然内部の撮影は不可だったが、信者が棺に十字を切ってお祈りするのはもちろん、棺に接吻をしていたのは印象的。私もご対面出来た事、ここまで来た甲斐があった。
1619年、ポルトガルのマヌエル様式での建造。 -
そして本来常時遺骸が安置されている「ボン・ジェズ教会」または「ボム・ジェズ・バシリカ」と呼ばれている場所へ移動。
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ポルトガル語のボム・ジェズとは良い(聖なる)イエスという意味。ボム・ジェズ教会の建設は1594年に始まり、1605年に完成した。ルネッサンス様式とバロック様式で造られている。
ローマにある「ジェズ教会」(1580年完成)が世界のイエズス会の教会のモデルとなっている。 -
1552年に中国の上川島で亡くなったザビエルの遺骸はその地に埋葬されたが、翌年掘り起こされた。その時点でまだ生きているかの様相を示していたらしい。その後マラッカにて埋葬。そして1554年にゴアへと移されたが、遺骸が埋葬当時と変わらない生き生きとしていた奇跡が、聖人になった要因の一つとされている。
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ザビエルは現在のスペイン、当時は独自の言語や文化を持つバスクのナバラ王国の宰相の末っ子。1512年にアラゴン王国によりナバラ王国は征服された。そして彼の父は亡くなり、ザビエル城も廃城となる。
彼は兄弟が薦める軍人にならず、19才の時にフランスのパリ大学に入学した。そこで哲学を学んでいき助教にまでなる。僧侶になるなどとは思ってもいなかった。 -
ボム・ジェズ中庭
ザビエルの前に現れたのが、同じバスク出身でかなり年の離れたイグナティウス・デ・ロヨラ。後にイエズス会創設メンバーのリーダーである。彼は初め軍人だったが戦時中に負傷して足が不自由になった。彼は軍人を諦め、国の忠誠からイエスへの忠誠へと神父を目指す事となる。 -
中庭のプレゼペ(イエスの降誕場面)
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ルルドの泉(実物はフランスにあり)
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崩れた遺跡などの展示
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セ・カテドラルと考古学博物館
後から知ったことだが、この門からVIPは並ばずに車にてセ・カテドラルまで行けるようだった。 -
修道院付属の高齢者ホーム
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修道院付属の高齢者ホーム
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イチオシ
十字架が立つ。インドとは思えない風景。
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イチオシ
聖アウグスティヌス教会の鐘楼跡
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1602年にアウグスティヌス会の修道士によって建てられた
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かつては約46mの高さを誇るゴア最大級の建造物だった
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1835年に修道院や教会のヴォールト(円天井)が崩落したが、半壊した状態の4層の鐘楼のみが見られる。
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サン・アントニオ王室礼拝堂
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イチオシ
パナジ教会
正式名称は、無原罪の御宿り聖母教会。 -
1609年に建てられ、白亜と左右対称の美しい外観は、バロック様式による。
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パナジ地区は、ポルトガル時代の建物が多くみられる。
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と言っても相当年季が入っている
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パナジ地区
先のロヨラはローマ法王の御旗を立て、イエスやマリヤに尽くす目標に向け突き進む中、哲学で生きようとしていたザビエルに執拗に迫った。4年間という長い年月の後、ザビエルが僧侶になるのを切望していたザビエルの姉が亡くなった時、学資の継続が難しくなったのと同時に姉の希望をしていた僧侶の道を決めたのであった。 -
パナジ地区
そしてついに1534年8月15日(聖母マリアの被昇天の祝日)に、ロヨラ、ザビエル他5名がモンマルトルの丘で初めてのミサを行ったのである。
誓いは清貧、貞潔、エルサレムへの巡礼、教会への奉仕だった。 -
案内を進めてくれたドライバーの車内には、ハンドル前の十字架とぶら下げたヒンドゥー教のお守りがあったのが印象的だった。
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一通り教会を廻った後ホテルに送ってもらい、ホテル裏手のビーチへと行く。
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ちょっとした森の中を進むと海岸へと向かう、広い道に出た。
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イチオシ
’キャドリムビーチ’はアラビア海を望む赤茶けた砂の海岸線だった。
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ビーチパラソルの下は、欧米人や地元インド人がバカンスの最中。
昔のゴアはヒッピーなどが来て、覚せい剤パーティーなどをやって荒れた時期もあったらしい。 -
ビーチハウスいわゆる海の家
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海の家と言えば、ビール。
この日の気温は失念したが、半袖でもそこそこ暑かった気がする。 -
スタッフが写真を撮ってくれと言い出した。(全て掲載許可済み)
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彼も。
インド人は皆写真を撮りたがる。デリーでも一緒に写真に写ってほしいと言ってきた男性がいた。 -
しまいにはカメラを貸してほしいと言ってきて、いろいろ撮った挙句、WhatsAppでお互い繋がり、後で写真を送ってくれとなった次第。
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海岸の夕景
さて、元来た道からホテルに戻り夕食を摂ろう。 -
ホテルに戻る。案内看板はまさにポルトガル風なアズレージョ(青タイル)
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宿泊棟
色とりどりの建物もポルトガル風 -
日中こちらのプールでは、欧米系のシニアが寛いでいた。
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こちらのホテルでも可愛いプレゼペが・・
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レストラン入口
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まだ早い時間だったので、客は私ともう一組。
食事途中で生ギターの演奏が始まり、シニアのカップルが踊っていた。 -
部屋の入り口
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部屋番号もアズレージョ
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モンマルトルの丘で誓いを立てた7人は学業を終えた後、エルサレム巡業を目指してベネチアに向かった。ところが当時オスマン帝国との戦争の関係で安全な航路が確保出来ず、ベネチアへの渡航が不可能になった。エルサレムへ行けなくなった彼らは、教皇パウルス3世に会い自分たちの活動を認めてもらうため、ローマへと向かう。
1540年9月27日パウエル3世は勅書「Regimini militantis Ecclesiae(戦う教会の統治)」を発布してイエズス会が誕生した。
そして当時、新植民地の略取や維持のために東洋への布教を進めたいと考えていたポルトガル国王ジョアン3世がイエズス会の事を聞き、ポルトガルへザビエルを招いた。ポルトガルに滞在の後、1541年にリスボンを出航し翌年ゴアに到着。それからアジアでの布教が始まった。日本の鹿児島に来たのは1549年の年であった。 -
喫煙者である私は、部屋を出てそこが喫煙場所という申し分のない場所。
外の風を感じると共に、ホテル界隈の音も入ってきた。1月1日は夜遅くまで音楽をかけて人々の話し声が聞こえていた。
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