2026/09/25 - 2026/09/25
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ワンダラーさん
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東京都練馬区の郷土史の文化財や、残された自然などを訪ねての旅。
今回は「その8 白子川を遡り牧野記念公園へ」編
主に練馬区西部を北東の和光市から南西に開析する白子川の中流から源流域を訪ねる。
途中、練馬区を東西に貫く江戸時代以前からの「長久保道」と交差し、白子川の氾濫原だったであろう旧水田地帯を抜けて、江戸時代以前からの「清戸道」とも交差し、さらに源流域に達する。
その後、戦前から戦後まで大泉に住んでいた牧野富太郎博士の記念館、庭園を訪ねる。
表紙の写真は、「長久保道」と交差する別荘橋南詰めにある歴史を感じる祠で、年代を感じる庚申塔と地蔵尊。
細い流れの白子川が武蔵野台地にこのような大きな谷間を穿ったこと、谷間の崖が開発を免れて雑木林などが残り川には野鳥も棲んでいることなど、練馬区の自然を改めて実感した旅。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
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今日のスタート地点は、笹目通りに面した島忠ホームズ和光店。
元々は家具屋で、1階はホームセンターになっていて、近年、ニトリ系列になってエスカレーができた。
その名の通り、練馬区の土支田交番交差点からから白子川の大きな谷を降りた和光市にある。園芸用品の品ぞろえがあるので、ときどき立ち寄る店。 -
島忠ホームズ和光店から西に進むとすぐに芝屋橋で白子川を渡る。
下流を望むと、このあたりは、谷の南側の崖下を流れ下っている。
北側の台地は、以前に訪ねた土支田八幡宮の森から稲荷山の森、清水山の森と緑地が続いているので、都23区内には珍しい崖線。 -
水田を埋め立てて住宅がスプロール化したような白子川のすぐ脇まで住宅が建て込んでいる場所が多い。
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矢坂中学校、同小学校を過ぎると、写真では見にくいが、中央の川に白鷺が1羽、右側に鴨が3羽遊んでいるのどかな風景になる。
きっとエサになる魚介などもいるのであろう。 -
白子川右岸(南側)の崖部分を自然公園に残した、清水山の森公園。
毎年4月には、ナラ・クヌギの林間にカタクリの花が咲く名所。練馬区立清水山の森 公園・植物園
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やがて中里地区で、長久保道と交差する別荘橋に差し掛かる。(下流の右手が清水山の森)
だれかの別荘があったわけではなく、先に住んでいた「荘」さんとは別の「荘」さんの屋敷があったので地名になったよう。
昔は人通りも多く、街道沿いに饅頭屋もあったが、近年はコンビニのみ。
練馬区わがまち資料館のホームページによると、
『庄(荘)氏は、武蔵七党のうち、児玉党の一族で、源義朝、頼朝に仕えて名を上げたとする伝承があるようです。その後、庄氏は、後醍醐(ごだいご)天皇の建武中興(けんむのちゅうこう 1334年)の際には、新田義貞に従って勲功があったといい、2年後に義貞が足利尊氏に敗れてからは橋戸村に退いて帰農したといいます。』という名門。 -
別荘橋の南詰めにある祠。
左側は「駒形の青面金剛庚申塔」、右側は「中里地蔵尊」とされる。
明治時代には、この付近に「見留水車」があり、本流ではなく清水山の下の湧水を引いて利用したされる。
この水車と思われるが、見留家納屋とともに田柄用水核心部の旅で訪れた土支田農業公園に移築保存されている。 -
大泉町二丁目あたりで白子川沿いに広大な草地が出現し、雨上がりのため水たまりになっていた。
井頭池から北側の流路には何か所かに堰を設けて、本流から分水し、この分水と本流との間に水田地帯が形成されていたというので、昭和30年代のころまではこのあたりは水田だったのではなかろうか。
(調べると、その後は全薬工業の研究センターで、現在は移転して更地になった草地)
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右岸の崖は練馬区立あかまつ緑地で公園として整備されている。
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白子川は南西方向に曲がり「びくに公園」を目指すが、外環自動車道の大泉インターと、その南側への延伸工事基地があるため、西側に迂回する。
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びくに公園の地下にはゲリラ豪雨などの洪水制御の貯水施設が大きな口を開けている。
白子川の洪水は地下箱式の比丘尼橋下流調節池(貯水量約21.2万m3 )内に流入し、連結管を通って関越自動車道や目白通り地下までの巨大トンネルの白子川地下調節池に流入する構造となっているという。 -
その上流でも水道本管の移設工事中。
朝霞浄水場から上井草給水所への直径2.7m水道本管が白子川の底を横切っているが、白子川改修工事に邪魔で、さらに下に移設するという大工事。 -
ここ月見橋から北西に大きくカーブし、その後南西に向かう。
川床に低い堰がつくられ流れが緩やかな部分と滝の部分が現れる。 -
ここは「小泉牧場」という練馬区に残る酪農牧場。
売店は休業中のよう。小泉牧場 グルメ・レストラン
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旧大泉村役場跡
明治24年に周辺の村々を合併して大泉村ができたという。
明治44年からこの南からの清戸道が西に曲がる角近くに村役場が移転され、大正11年に新築されて村の中心として発展した。
役場建物は、板橋区時代から練馬区になっても使用され、昭和54年に取り壊されたとされる。旧大泉村役場跡 名所・史跡
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旧大泉村役場跡を利用した、練馬区立中島公園。
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旧清戸道を南に向かうとすぐに白子川がある。
中島橋から西武池袋線までは、中流よりも流入する雨水が少ないなるためか、川床に植物が繁る。 -
西武池袋線は大泉学園駅の東側まで連続立体化されたが、ここ大泉学園駅の西側では、地表を走る複線のままで踏切が残っている。
白子川沿いの道は途切れるので、西側の踏切まで廻って、南側に抜ける。 -
西武線の踏切は高台にあり上り坂はさほど感じなかったが、南側に抜けて南東側を目指すと、随分と深い谷になっている。このあたりは川の両側に水路敷を利用した道路が走っていて、明るく開放的な感じ。
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いよいよ白子川の源流部である練馬区立大泉井頭公園に着く。
井頭という地名は「井の頭」と同じで、湧水が湧く場所だったのであろう。
昔は0.6Haほどの井頭池という池があったというが、戦時中に埋め立てられたという。
公園内には、白子川の河床部分に降りられるデッキがあり、水辺の生きものと直接触れ合うことができ、こどもが魚を掬っている。
橋のたもとにはねりまの名木に選定されたマルバヤナギがある。 -
大泉井頭公園から南側の道路を越えると、水路敷は狭くなり、川とは呼び難い排水溝のようになってしまう。
白子川の本当の源は西東京市の田無にまでさかのぼるとされる。
ここから牧野記念公園に向かう。 -
牧野記念公園の入り口。
無料公開が嬉しい。牧野記念庭園 公園・植物園
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庭園内には、牧野富太郎博士の胸像が建つ。
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建物は3つあり、入口の建物は管理室と、この写真の講習室、トイレなど。
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花壇には、牧野富太郎博士ゆかりの草花が育てられている。
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今は、ヒガンバナが真っ盛り。
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こちらの建物は記念館で、手前が常設展示で、奥が企画展示になっている。
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こちらが常設展示で、年表のほか、博士に因んだ展示。
無料公開ではありがたみが少ないのか、平日はガラガラのよう。
牧野富太郎博士はNHKの連続テレビ小説「らんまん」で取り上げられた2023年ころは来館者が多かったであろうが。 -
1926年に渋谷から大泉のこの地に来てからのことも展示されている(1957年まで)
1923年にあった関東大震災の影響で、標本を火災から守るためという説がある。
当時は、1924年の武蔵野鉄道東大泉駅(現西武池袋線大泉学園駅)開設で駅の北側は人家もあったであろうが、駅の南側のここは畑の中で、延焼リスクは皆無だったのでは? -
こちらは奥の常設展示室。
現在は、「海を渡ってきた植物の物語」という展示で、スケッチがきれい。
残念ながら、室内は撮影禁止。
最後の建物は、博士が使っていた書屋の保存建物。
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