2026/05/18 - 2026/05/19
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Kちゃんさん
あの震災から15年が経ちました。
震災3か月後に気仙沼を訪れて以来、野次馬的ではありましたが毎年訪れて復興具合を定点観測的に記録してきました。
その間、東北以外でも熊本や能登、さらに先日の再び熊本と大きな地震が発生し被災される方も多くいらっしゃいます。
それらの地域も東日本大震災の各地同様に復興には長い年月を要すものと思います。
私の訪れた地域も復興が始まってから数年は毎年大きな変化に驚かされたものですが、この何年かは一段落したのか、また地域の方々も新しい環境の中でそれぞれの生活が始まり、外観からはすくなからず新しい街の落ち着きを感じられます。
そういう意味では15年目の今回は一つの区切りにもしたいと思います。
前編は南三陸志津川と陸前高田あたりです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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早朝の東京駅 人影もまばらです
それでも待合室の椅子には多くの方が待っていらっしゃいます。 -
まだ土産物店も店開きしていません
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この南側の売店だけは朝一番の開店、多くの方が乗車前の買い出しに訪れます。
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一番のはやぶさ号はそれなりの乗車率です。
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仙台到着
仙台から北へ向かわれる方も多いのですね。 -
仙台駅のトイレで。
かわいい子供用がありました。 -
ちょうど登校時間あたり。
JKたちが学校へ急ぎます。 -
今回訪問の脚はこちらで調達
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ちょうどこの時間、多くのビジネスマンが列をなしています
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車を借り出して45号線を東に向かいます。
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仙台港東ICから高速に乗るのはいつもと同じです
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利府から三陸道へ向かいます。
震災後、この道路は一度再舗装がなされスムーズな路面になりましたが、再び荒れ始めているのを感じます -
河北ICで降りて北上川の土手を西へ
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最初に訪れたのは大川小学校跡
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駐車場に停まるこのバイクはどこのナンバー?
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どこかの企業か自治体の研修でしょうか?
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遺構として整備された大川小学校跡
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今の周囲は雑草だらけの広大な空き地で、この写真のようにこの小学校の周りに集落があった形跡は全く感じられません。
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遺構として保存するためには当然なのでしょうが、きれいに整備されすぎていて現実味は薄れてしまっています。
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それでも体育館の入り口のなかには「通常の小学校」の様子が残ります。
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野外ステージに描かれた宮沢賢治の詩を基にした壁画は2001年卒業生の残したもの
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当時の避難の様子が示されています。
左下の少し高い所への非難を試みたようです。 -
その目指した方向です。
北上川に掛かる橋の部分は確かに少し高台になりますが学校からは標高差で7mにもみたないものです。 -
後になれば何とでも言えますが、この裏山を目指さなかったのは何故か?
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学校裏から山へ続く小径には「津波到達地点」の標識があります。
野外ステージからはほんの100mほどの距離です。 -
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山藤が綺麗に咲いていました。
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綺麗な伝承館ですが
私が訪れた2回とも「閉館」でした。 -
2019年、
震災からだいぶたったころに初めて大川小学校跡を訪れましたが当時はまだ遺構としての整備は進んでいませんでした。 -
2019年
整備が進んでいない分
いまよりももっと校舎跡などに近づけ、まだ片付いていない生々しい様子もみられました。 -
2019年
上の現在と比べてみればこの壁画も今よりも色鮮やかだった気がします。 -
ここで今回の脚のご紹介。
毎回レンタカーでいろいろな車種を楽しむのもこの旅行記では恒例のものです。
今回は「トヨタGR86」 -
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残念ながらATですけど
久しぶりに「スポーツカー」を楽しんでみます。 -
4人乗り、後ろの席もありますが・・
手荷物置き場以外の何物でもありません。 -
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大川小学校跡を出て北上川を渡ります。
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北上川河口付近
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河口先の漁港
今のこの風景だけを切り取れば長閑そのものです。 -
付近の海岸から離れた場所に設けられた移転住宅地。
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南三陸、志津川に到着。
さんさん市場です。 -
川を挟んで復興祈念公園
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荒木とよひささんの歌碑
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海に向かって慰霊碑
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志津川駅跡です。
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かつて使われていた改札からホームに向かう地下道は閉鎖され入れませんが、ホームには入ることができます。
ホームの「志津川」を示す駅標は新しくなっています。
島式のホームが2つ。 単線だった気仙沼線ですが志津川は主要な駅だったのでしょう。 -
この先が下り気仙沼方向
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祈念公園の目玉は防災センター跡
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鮮やかな朱色(さび止め色)だった塗装もだいぶ落ち着きました
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震災前後の志津川の様子が示されています
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さんさん市場から道路を挟んで上山八幡宮
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静かな空間です
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その上山八幡宮横のだらだら道を上がっていくと
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今はさんさん市場従業員の駐車場になっていますが、かつてはここに志津川保育園がありました。
ここは上山公園と名するように震災前から小高い丘の上に位置し(たぶん)保育園も八幡宮もかろうじて津波の被害を免れたと思います。
嵩上げ工事が終わってみると、あたり一帯は上山公園と同じ高さまで盛り土され、以前の風景は想像さえできません。 -
2012年
震災後1年たったころですが初めて志津川を訪れた時のもの。
漁港の堤防上からです。 -
2012年
堤防内側の漁業施設もこんなでした -
2012年
その漁港から市街地方向。 -
被害にあった建物はほとんど解体されていましたが志津川病院の建物はまだ残っていました、ただし隣にあった西棟はすでにありませんね。
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同じ2012年。
上の写真と同じ場所です。
ここだけ切り取れば震災前と全く変わっていない? -
2012年
そこから市街地方向を振り返ればこんなでした。
立っている木の先はかさ上げされ、現在のさんさん市場の場所です。 -
2013年
その翌年
観洋ホテルから志津川市街へ入っていくと
仮説の道の横に吉野会館が見えますね。
当時はまだ平坦です。 -
2013年
その道を先に進むと、防災庁舎の様子 -
2013年
八幡神社や保育園のある丘(上の山公園)へはまだこうやってだらだらと上る道が続いていました。 -
2013年
上の駐車場の場所です。
当時とすれば丘の上にあった保育園は震災後も稼働していました。 -
2015年のこのあたり。
こんな感じの漁港を見下ろせる高台にある公園でした。 -
可上げ工事が本格化した2014年
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2014年
一部では土砂が積み上げられていますが道路などはまだ平坦部に設けられて(迂回しながら)ましたね。 -
2014年
防災センターも次第に埋まっていきます -
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2014年
八幡川両岸の防潮堤も高くなってきました -
2016年
嵩上げ工事もここまで高くなりました。
防災庁舎跡の後ろの盛り土山が今の祈念公園です。
左手前の土盛りがいまのさんさん市場となります。 -
現在に戻って
さんさん市場土産物店 -
さんさん市場には多くの飲食店が店を構え海鮮を売り物にしていますが
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フードコート的な店も含めて少なくとも平日は商売になっているように見えません。
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さんさん市場開設当時からのコンビニ店もなくなっていました。
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そういうなかでスイーツ店がオープンしています
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資料から
震災前の志津川航空写真です -
資料から
こちらは震災後の市街の様子。
左が志津川病院、右が吉野会館ですね。 -
資料から
嵩上げ工事中の様子です -
さて
45号線へ戻ります -
志津川の交差点から少し北上するといくつかの商業施設があります。
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志津川警察など主要な施設もこのあたりに移転
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国道の周囲は復興住宅地となっており旧市街から移転してきた人たちの新しい生活が始まっています。
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そのまま三陸道に乗り北を目指します
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気仙沼港横断大橋、気仙沼港を跨ぎます
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私の旅行記に何度も出てくる「霧立トンネル」
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2013年
ここはまだ三陸道の一部ではなくまだ45号線のバイパストンネルでした。
復興工事用ダンプが行きかう中でトンネル内はこぼれた土砂によって先が見えなくなるほどの粉塵です。 -
陸前高田市街の手前で三陸道を降り
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旧45号線
目の前に広田湾が見えてきます -
陸前高田の復興祈念公園前の交差点
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その先を左折して新しい市街に入っていきます
このあたりも嵩上げされていますが、それほど高くはなく5mくらい? -
2018年
嵩上げがまで及んでいない時期ですが大船渡線の踏切が残っていました。
最近の新しい車種でこそありませんが、当時ここを通ると車のナビが「踏切です」と声を発したものです。 -
新設され楽天東北イーグルス陸前高田球場と命名されたスタジアムでは高校野球の県大会が開かれていました。
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その原野と化している旧市街あたりにただ一つ残るビルは震災前は包装品などを扱っていた米沢商会ビル。
津波に高さは屋上に突き出した5階部分にまで及んだようです -
遺構化されようとしているのか?
現在は放置されただけのように見えます。
このあたりの嵩上げ高さは4m~5mくらいで、この段差が嵩上げ高さを示していますね -
嵩上げされた「原野」は区割りごとにスポンサーが付き植栽が始まっていますね。
何年かすれば緑が復活するでしょう -
2012年
震災後1年経った頃の広田湾漁港です。
まだ何も手がついていませんでした。 -
2012年
市街地あたりへ来ると
MAIYA、NTT, JA農協、などの大きな建物はまだ残っていました。 -
資料より
上の写真を反対から見た震災前の街の風景。
JAとMAIYAのビルですね。 -
2012年に訪れた時のもの、
避難所に指定されていながら避難された多くの方が犠牲となった市民体育館跡 -
2012年
隣の消防署もこのとおりでした。 -
2012年
高台の際にあった県立高田高校。
この高校のグラウンドは裏山の上にあり、津波は校舎の3階まで達しましたが多くの方がグラウンドに上がり避難されました。 -
2012年
校舎の内部です。
全く片付けに手がついていませんでしたね。 -
資料より
多分、陸前高田駅から駅前ロータリー越しに市街の様子と思います。 -
2012年
すでに「奇跡の一本松」と命名されていた高田松原の松。
破壊されたユースホステルが見えます。
水門が見えますが、これは気仙川の防潮水門ではなく河口と古川沼を仕切っていた? -
2012年
国道横の浄水場も機械設備が大きな被害を受けました。 現在建物の概要は残し設備の更新を図り復旧しています。 -
2015年
陸前高田の嵩上げ工事は気仙川対岸の山から使われることとし、巨大なベルトコンベアが設置されていました。 -
2016年
嵩上げ工事が進んだ地域です -
2016年
造成計画高さ14mとあります。
ちょうど今のアバッセあたりの地域になります。 -
2017年になると
道路も整備され、アバッセの一部も開業しています。 -
車を商業施設に停め昼食にしましょう
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街中マップです。
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と、いうよりもこちらのほうが興味深いもの。
標識のQRコードを読み取ると震災前のこの地域の様子が出てきます。
(多分この写真からも読み取れるはずです、試してみてください) -
こういう洒落たお店もありますが
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目指したお蕎麦の「やぶや」さんは定休日でした。
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2013年頃
街中のお店が被災された後、一関寄りの高台に開店した仮設店のころの「やぶや」さん -
その時は天ぷらそばをいただきましたが、
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名物の「冷やしたぬき」もいただきたくなり注文。
おなかいっぱいでした。 -
2018年
アバッセ横の通りに開店した新店舗にお邪魔しました。 -
このときもやっぱり冷やしたぬきですね。
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ということで今回は数軒先の「鶴亀寿司」さんにお邪魔します。
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こちらも震災前の市街で長年営業なさっていたお店。
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店内の一角は「ドジャース、佐々木朗希」一色です。
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きょうは大将が居らず若い息子さんが切り盛り
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ランチメニュー(丼ぶり系)です。
もちろん握りもあります。 -
海鮮丼をいただきます。
上記のメニューのようにたっぷりと海鮮の載った丼は道の駅などからと比べれば大変にリーズナブル -
お椀も本格的で美味しい。
やはりお寿司屋さんですね。 -
お箸の袋は一本松です
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2019年にお邪魔した時の写真です。
大将も頑張っていらっしゃいました。 -
2019年
この時も海鮮丼 -
お店を出ます
商業施設横の空き地に巨大な「横たわるサラリーマン」 -
ちょっと拝借してここでお昼寝のようですね
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商業施設を中心に周囲も活発に開発されているようです
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さてちょっと買い物の用があってアバッセへ
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ここも「朗希」です
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この時間、店内はお客さんまばら?
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百均でお買い物
(夕方から雨予報でビニール傘を調達) -
田植えの終わったばかりの水田です。
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毎回同じような写真を出しますが、道の駅と震災遺構館の間の水盤が見事です。
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2017年
この遺構公園の整備中の風景です。
当時はこんな綺麗な公園になるとは想像すらできませんでした。 -
かつて古川沼として国道と松原のあいだにあった沼は震災によって広田湾とつながってしまいました
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2016年
まだ公園として整備される前の古川沼 -
その沼を渡る橋の部分は数年経った今、盛り土部の地盤沈下か手すりに段差が生じています。
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防潮堤の上に設けられた献花台です
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海に向かって祈る方。
市民の方も訪れる人々も、こういう気持ちになる場所です。 -
新たに植えられた松も大きくなりました。
防潮堤の高さを超え新たな「高田の松原」がみられるのは何年後でしょう -
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この鉄骨は、
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道の駅の横にあった物産館のものです。
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資料より
震災前の風景、国道45号線に並ぶ道の駅と物産館 -
2012年
私が最初に訪れた時の様子です。 -
道の駅も遺構として残されようとしていますが
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現在はただ現状維持というか立ち入り禁止区域となっているのみです。
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資料より
今は想像もつかない「高田の松原」は震災前はこんなだったそうです。 -
町を離れ気仙沼方向に移動します。
気仙大橋を渡ったすぐのこの道は以前の45号線。
現在は高台に迂回しています。 -
気仙沼河口に設けられた巨大な水門。
防潮堤とつながり被害を防ぎます。
震災当時、気仙川河口には水門がなく津波は気仙川を遡って数キロ先まで被害が及びました。 -
気仙川対岸から一本松
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気仙川堤防に設けられていた小さなクレーン。
震災前に何の目的で設けられていたのか? -
気仙中学校遺構
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14mを超える波はこの屋上まで水位が達したのですね。
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貴重な写真が残されていました。
生徒や職員は全員が高台に避難できたそうです。
海岸から離れた市街地と異なり河口に位置した中学校からは津波の前兆となる大きな引き潮がみえたとのこと。 国道を挟んですぐ高台だったことも幸いしたのでしょうか。 -
陸前高田をあとにして気仙沼に向かいます。
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