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ヨーロッパの地質学に関心のある私はアルプスについては少し勉強したのですが、オーストリアには地表に出たマグマの上に城があるということは、割と最近知りました。それで次回オーストリアに行くときには最優先で行ってみたいと思っていました。今回、日程がきつい中で何とかウィーンから日帰りで行って来ました。シュタイアーマルク州はVulkanland (volcano region)と呼ばれていて、千数百万年前にアフリカプレートがユーラシアプレートにぶつかった場所にあるため、マグマが地上まで達して、隣のブルゲンラント州とともに火山の痕跡が残っています。このため温泉や鉱泉がいくつかあることでも知られています。リーガースブルクは中でも最も規模が大きく、一見してマグマ由来の岩石であることが分かるため、有名なのだそうです。知らなかった。この地域はグラーツから1時間くらいのところで、美しいことで有名なシュタイアーマルク・ワイン街道に沿った場所です。城内には魔女博物館があり、これにも興味がありました。<br />城の見学を済ませてからグラーツまで走り、短時間でしたがいくつか見ることが出来ました。ウィーンに住んでいた三十数年前はこの地域に行くことはあまりなかったのでそれなりに新鮮でした。

マグマの上に立つRiegersburg城と魔女博物館

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2025/09/11 - 2025/09/11

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66

Rolleiguy

Rolleiguyさん

ヨーロッパの地質学に関心のある私はアルプスについては少し勉強したのですが、オーストリアには地表に出たマグマの上に城があるということは、割と最近知りました。それで次回オーストリアに行くときには最優先で行ってみたいと思っていました。今回、日程がきつい中で何とかウィーンから日帰りで行って来ました。シュタイアーマルク州はVulkanland (volcano region)と呼ばれていて、千数百万年前にアフリカプレートがユーラシアプレートにぶつかった場所にあるため、マグマが地上まで達して、隣のブルゲンラント州とともに火山の痕跡が残っています。このため温泉や鉱泉がいくつかあることでも知られています。リーガースブルクは中でも最も規模が大きく、一見してマグマ由来の岩石であることが分かるため、有名なのだそうです。知らなかった。この地域はグラーツから1時間くらいのところで、美しいことで有名なシュタイアーマルク・ワイン街道に沿った場所です。城内には魔女博物館があり、これにも興味がありました。
城の見学を済ませてからグラーツまで走り、短時間でしたがいくつか見ることが出来ました。ウィーンに住んでいた三十数年前はこの地域に行くことはあまりなかったのでそれなりに新鮮でした。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通手段
レンタカー
航空会社
スイスインターナショナルエアラインズ
旅行の手配内容
個別手配
  • レンタカーの運転は今日も娘に任せて窓外の景色を見るだけ。<br />南アウトバーンで出発。

    レンタカーの運転は今日も娘に任せて窓外の景色を見るだけ。
    南アウトバーンで出発。

  • 小一時間走るとアルプスのほぼ東端にあたるシュネーベルクやラックスが遠望出来ました。スイスと違い気軽に行ける近場には本格的な山が少ないので、昔ハイキングでここには何度か行きました。

    小一時間走るとアルプスのほぼ東端にあたるシュネーベルクやラックスが遠望出来ました。スイスと違い気軽に行ける近場には本格的な山が少ないので、昔ハイキングでここには何度か行きました。

  • 更に走るとRiegersburg城が見えて来ました。デーンと盛り上がったマグマの上にある立派な城です。<br />お城は1122年に出来たそうですが、ヨーロッパのお城は12世紀に出来たものが大変多く、何故だろうと長年疑問に思っていたのですが、それまでの築城術による城は平城か、せいぜい少し高台に砦レベルのものしかなかったのが、十字軍の遠征においてイスラムの築城術を学び、それを取り入れて出来たのだそうで、いわば流行のようにこの時期に集中的に出来たようです。

    更に走るとRiegersburg城が見えて来ました。デーンと盛り上がったマグマの上にある立派な城です。
    お城は1122年に出来たそうですが、ヨーロッパのお城は12世紀に出来たものが大変多く、何故だろうと長年疑問に思っていたのですが、それまでの築城術による城は平城か、せいぜい少し高台に砦レベルのものしかなかったのが、十字軍の遠征においてイスラムの築城術を学び、それを取り入れて出来たのだそうで、いわば流行のようにこの時期に集中的に出来たようです。

  • お城は険しい山の上にあるのでエレベーターで登ります。歩いて登る道もあります。

    お城は険しい山の上にあるのでエレベーターで登ります。歩いて登る道もあります。

  • 着いたところから見下ろす。

    着いたところから見下ろす。

  • 眼下にはワイン畑が広がっています。もう少し南に行くと南シュタイアーマルク・ワイン街道というのがあり、まるでトスカナのような風景で感激してしまいます。今日は時間がないのでここで我慢しますが、秋に紅葉したブドウ畑の美しさが想像される風景です。

    眼下にはワイン畑が広がっています。もう少し南に行くと南シュタイアーマルク・ワイン街道というのがあり、まるでトスカナのような風景で感激してしまいます。今日は時間がないのでここで我慢しますが、秋に紅葉したブドウ畑の美しさが想像される風景です。

  • 早速見学。

    早速見学。

  • このお城のことが記された最古の記録は1138年で、当時の名前はRuotkerspurchというもので、その時の所有者だったRuediger von Hohenbergという人の名前が由来のようです。von Hohenbergという家系で思い出すのは、ハプスブルク家の皇太子で第1次世界大戦勃発の契機となったサライェボで暗殺された、フェルディナント大公妃ソフィーとその子どもたちに皇帝フランツ・ヨーゼフから与えられていた名前です。ハプスブルクを名乗ることを認められなかった子どもたちはこの古い家系の名前を用いました。

    このお城のことが記された最古の記録は1138年で、当時の名前はRuotkerspurchというもので、その時の所有者だったRuediger von Hohenbergという人の名前が由来のようです。von Hohenbergという家系で思い出すのは、ハプスブルク家の皇太子で第1次世界大戦勃発の契機となったサライェボで暗殺された、フェルディナント大公妃ソフィーとその子どもたちに皇帝フランツ・ヨーゼフから与えられていた名前です。ハプスブルクを名乗ることを認められなかった子どもたちはこの古い家系の名前を用いました。

  • お城の入り口。1249年に、ドナウ河畔のデュルンシュタイン城主だったキューンリング家の所有になりました。1400年ころに、Walseer家がゴシック様式の礼拝堂を作ったそうです。

    お城の入り口。1249年に、ドナウ河畔のデュルンシュタイン城主だったキューンリング家の所有になりました。1400年ころに、Walseer家がゴシック様式の礼拝堂を作ったそうです。

  • お城は数世紀に亘り所有者を替え、再建、拡張を繰り返したため、時代による建築様式の変遷があり、それぞれの特徴が残されているそうです。<br />16世紀の終わりころにStadl家が豪華な居住区とルネサンス様式の騎士の間を改築。<br />

    お城は数世紀に亘り所有者を替え、再建、拡張を繰り返したため、時代による建築様式の変遷があり、それぞれの特徴が残されているそうです。
    16世紀の終わりころにStadl家が豪華な居住区とルネサンス様式の騎士の間を改築。

  • 1637年にグラーツの資産家貴族であったFreiherr Seyfried von Wechslerが購入し、彼には子どもがいなかったので妹のElisabeth Katharinaが相続した。リーガースブルク城を語るときに必ず言及される人物が、所有者だったエリーザベット・カタリーナ・フライフラウ・フォン ガラー(Elisabeth Katharina Freifrau von Galler 1607-1672)です。このお城の所有者だった彼女は結婚に際して、当時は女性の権利が制限されていたものの、財産権を夫に譲らないことを結婚契約書に定めたほか、数々の社会規範を変えることで事業、経済、法律面で大きな変革をもたらしたと言われています。このお城をバロック様式の国内最大の城にしたのも彼女の仕事でした。遣りて女性だった彼女は他人とのいさかいを気にせず、そのためもあって芳しくないあだ名(&quot;Schlimm Liesli&quot;)をつけられたそうです。<br />

    1637年にグラーツの資産家貴族であったFreiherr Seyfried von Wechslerが購入し、彼には子どもがいなかったので妹のElisabeth Katharinaが相続した。リーガースブルク城を語るときに必ず言及される人物が、所有者だったエリーザベット・カタリーナ・フライフラウ・フォン ガラー(Elisabeth Katharina Freifrau von Galler 1607-1672)です。このお城の所有者だった彼女は結婚に際して、当時は女性の権利が制限されていたものの、財産権を夫に譲らないことを結婚契約書に定めたほか、数々の社会規範を変えることで事業、経済、法律面で大きな変革をもたらしたと言われています。このお城をバロック様式の国内最大の城にしたのも彼女の仕事でした。遣りて女性だった彼女は他人とのいさかいを気にせず、そのためもあって芳しくないあだ名("Schlimm Liesli")をつけられたそうです。

  • お城の入り口には彼女の家系Wechslerを示すワッペンが見えます。<br />書かれているのは、「イエスとマリアが私とともにおられますように。カタリーナ・エリーザベット・ガラー旧姓ヴェクスラー 云々」<br />&quot;JESVS VND MARIA SEY MIT MIR. CATHARINA ELISAWETH FRAV GALLERIN FREYIN GEBORENE [WEC]HSLERIN FREYIN FRAV ZV STAIN RIEGKHERSPVRG VND LIECHTENEGK [...]B ANNO 1653.

    お城の入り口には彼女の家系Wechslerを示すワッペンが見えます。
    書かれているのは、「イエスとマリアが私とともにおられますように。カタリーナ・エリーザベット・ガラー旧姓ヴェクスラー 云々」
    "JESVS VND MARIA SEY MIT MIR. CATHARINA ELISAWETH FRAV GALLERIN FREYIN GEBORENE [WEC]HSLERIN FREYIN FRAV ZV STAIN RIEGKHERSPVRG VND LIECHTENEGK [...]B ANNO 1653.

  • Elisabeth Katharina von Gallerの肖像画<br />最初の夫とは死別し、2回目の結婚をしましたが、この夫はトルコとの戦いで戦死し、65歳のときに35歳も若い貴族と3回目の結婚しましたが、その後離婚しました。<br />離婚理由として37点も挙げ、夫が週に5-6日一緒にいないこと、下僕を殴ったこと、毎日酔っぱらっていること、断食日に肉を食べたことなどが書かれていたそうです。

    Elisabeth Katharina von Gallerの肖像画
    最初の夫とは死別し、2回目の結婚をしましたが、この夫はトルコとの戦いで戦死し、65歳のときに35歳も若い貴族と3回目の結婚しましたが、その後離婚しました。
    離婚理由として37点も挙げ、夫が週に5-6日一緒にいないこと、下僕を殴ったこと、毎日酔っぱらっていること、断食日に肉を食べたことなどが書かれていたそうです。

  • 17世紀のトルコとの闘いではこのお城は住民の避難場所にもなったとか。トルコの支配地までは30キロ足らずだったそうで、さぞ落ち着かなかったことでしょう。<br /><br />

    17世紀のトルコとの闘いではこのお城は住民の避難場所にもなったとか。トルコの支配地までは30キロ足らずだったそうで、さぞ落ち着かなかったことでしょう。

  • 1822年に城は競売に付されてリヒテンシュタイン家が購入し、現在に至っています。

    1822年に城は競売に付されてリヒテンシュタイン家が購入し、現在に至っています。

  • 城の中から入り口方向を見たところ。丁度人が少なくなった。

    城の中から入り口方向を見たところ。丁度人が少なくなった。

  • 長閑な昼下がりの城内

    長閑な昼下がりの城内

  • さてここからが魔女博物館。魔女はドイツ語でHexeヘクセと言いますが、必ずしも女性とは限りません。魔法を使ったり悪魔と親しくしたりすると魔女と看做されたようですよ。疑わしい場合は両手を縛って水の中に沈めて、抜け出たら魔女とみなされ、抜け出られなかったら魔女と縁を切ったと見なされ、いずれにしても死んでしまったようです。英語では魔女はwitch、男の魔術師はwizardと区別されています。今はwizardといえばコンピュータ用語ですね。

    さてここからが魔女博物館。魔女はドイツ語でHexeヘクセと言いますが、必ずしも女性とは限りません。魔法を使ったり悪魔と親しくしたりすると魔女と看做されたようですよ。疑わしい場合は両手を縛って水の中に沈めて、抜け出たら魔女とみなされ、抜け出られなかったら魔女と縁を切ったと見なされ、いずれにしても死んでしまったようです。英語では魔女はwitch、男の魔術師はwizardと区別されています。今はwizardといえばコンピュータ用語ですね。

  • 魔女と言えば裁判。シュタイアーマルクの魔女裁判は1546年から1746年までの間に数多く行われました。<br />これはこの近辺の町村ごとの魔女裁判の件数です。驚くほど多く、無実の人も多かったと思われます。集団心理による攻撃性の高まりの結果だったのかもしれません。

    魔女と言えば裁判。シュタイアーマルクの魔女裁判は1546年から1746年までの間に数多く行われました。
    これはこの近辺の町村ごとの魔女裁判の件数です。驚くほど多く、無実の人も多かったと思われます。集団心理による攻撃性の高まりの結果だったのかもしれません。

  • これはシュタイアーマルク州の17-18世紀の魔女裁判の場所を示した地図です。<br />18世紀になってもあったことに驚きます。

    これはシュタイアーマルク州の17-18世紀の魔女裁判の場所を示した地図です。
    18世紀になってもあったことに驚きます。

  • どんな種類の魔術を使ったのか羅列してあります。曰く、悪魔との結束、空を飛ぶこと、魔女ダンス、天気を操ること、他人を傷つけること、子どもを殺すこと、家畜を傷つけること、占い、魔術の用具の売買、死者を呼び戻すこと。うーん、出来そうもないことが出来ると見なされると魔女にされてしまうのか。しかし犯罪に過ぎないこともあったようだし、要は善人で居続けないと魔女扱いされる恐れがあったようですね。

    どんな種類の魔術を使ったのか羅列してあります。曰く、悪魔との結束、空を飛ぶこと、魔女ダンス、天気を操ること、他人を傷つけること、子どもを殺すこと、家畜を傷つけること、占い、魔術の用具の売買、死者を呼び戻すこと。うーん、出来そうもないことが出来ると見なされると魔女にされてしまうのか。しかし犯罪に過ぎないこともあったようだし、要は善人で居続けないと魔女扱いされる恐れがあったようですね。

  • 魔女裁判で特に有名になったのが「フェルトバッハ魔女裁判」です。実に95人が魔女と告発されました。(日本語では魔女としか書けませんが、この裁判では男の魔女も告発されました)。告発された罪状は、冷害を引き起こしたこと、悪魔との契約、魔女の集会への参加、空を飛んだこと、黒ミサを行ったことなどでした。どれも言いがかりのようにみえるけどね。

    魔女裁判で特に有名になったのが「フェルトバッハ魔女裁判」です。実に95人が魔女と告発されました。(日本語では魔女としか書けませんが、この裁判では男の魔女も告発されました)。告発された罪状は、冷害を引き起こしたこと、悪魔との契約、魔女の集会への参加、空を飛んだこと、黒ミサを行ったことなどでした。どれも言いがかりのようにみえるけどね。

  • この裁判で告発された人には近在の司祭であったGregor AgricolaやElisabeth KatharinaのメイドであったKatharina Paltaufなどがいます。

    この裁判で告発された人には近在の司祭であったGregor AgricolaやElisabeth KatharinaのメイドであったKatharina Paltaufなどがいます。

  • リーガースブルクのバラの魔女と呼ばれたカタリーナ・パルトアウフ。<br />「フェルトバッハ魔女裁判」の被告の一人だった彼女は最初は罪を否定していたが、後に獣の姿の悪魔が夜に彼女を訪れることや、魔女の集会への参加、天気を操ることを白状し、更に悪魔の酒宴に参加したとして3人の聖職者の名前をあげた。裁判で死刑と宣告され、斬首の後、灰と塵になるまで火で焼かれたという。

    リーガースブルクのバラの魔女と呼ばれたカタリーナ・パルトアウフ。
    「フェルトバッハ魔女裁判」の被告の一人だった彼女は最初は罪を否定していたが、後に獣の姿の悪魔が夜に彼女を訪れることや、魔女の集会への参加、天気を操ることを白状し、更に悪魔の酒宴に参加したとして3人の聖職者の名前をあげた。裁判で死刑と宣告され、斬首の後、灰と塵になるまで火で焼かれたという。

  • 1487年にドミニコ会のHeinrich Kramerが書いた魔女についての本が、その後の魔女裁判に大きな影響を与えたと言われています。この本には、魔術を証明する方法や、魔術の有害性、魔女裁判の進め方などが書かれていたそうです。他方、イエズス会のFriedrich Speerは一貫して魔女裁判に反対し、その廃止を訴えました。

    1487年にドミニコ会のHeinrich Kramerが書いた魔女についての本が、その後の魔女裁判に大きな影響を与えたと言われています。この本には、魔術を証明する方法や、魔術の有害性、魔女裁判の進め方などが書かれていたそうです。他方、イエズス会のFriedrich Speerは一貫して魔女裁判に反対し、その廃止を訴えました。

  • 博物館には魔女以外の火あぶりの記録もありました。<br />この女性はマリア・ファン・ベックムというオランダ貴族の女性で、16世紀にドイツ圏で広がったアナバプテスト(当時一般的だった幼児洗礼から成人後の再洗礼を主張した)という信仰者の群れがあり、プロテスタントからもカトリックからも疎まれて異端とされていました。その信仰の故に彼女は火あぶりの刑に処せられましたが、このことはアナパプテストの群れを一層団結させたそうです。<br />絵はJan Luikenによるもので原画はオランダ国立美術館にあります。

    博物館には魔女以外の火あぶりの記録もありました。
    この女性はマリア・ファン・ベックムというオランダ貴族の女性で、16世紀にドイツ圏で広がったアナバプテスト(当時一般的だった幼児洗礼から成人後の再洗礼を主張した)という信仰者の群れがあり、プロテスタントからもカトリックからも疎まれて異端とされていました。その信仰の故に彼女は火あぶりの刑に処せられましたが、このことはアナパプテストの群れを一層団結させたそうです。
    絵はJan Luikenによるもので原画はオランダ国立美術館にあります。

  • マリア・ファン・ベックムと同じアナバプテストの信仰者の火あぶり。<br />ザルツブルク 1528年。この絵もJan Luikenによるものです。<br />こうした絵が沢山残されているのは、それだけ裁判が身近にあったのかもしれません。

    マリア・ファン・ベックムと同じアナバプテストの信仰者の火あぶり。
    ザルツブルク 1528年。この絵もJan Luikenによるものです。
    こうした絵が沢山残されているのは、それだけ裁判が身近にあったのかもしれません。

  • 火あぶりにはいろいろなやり方があったようですが、絞首、斬首の後に火あぶりにされたこともあったようです。これはやはりJan Luikenによるもので、1569年の<br />Anneke Hendriksの殉教。彼女はアナバプテスト信仰者で、同胞の名前を明かすことを拒み、為政者の怒りを買って口に火薬を詰められて火あぶりにされました。そのようなやり方は当時であっても異例だったそうです。

    火あぶりにはいろいろなやり方があったようですが、絞首、斬首の後に火あぶりにされたこともあったようです。これはやはりJan Luikenによるもので、1569年の
    Anneke Hendriksの殉教。彼女はアナバプテスト信仰者で、同胞の名前を明かすことを拒み、為政者の怒りを買って口に火薬を詰められて火あぶりにされました。そのようなやり方は当時であっても異例だったそうです。

  • 魔女とされた人が火あぶりにされたのは、キリスト教でいう最後の審判の日に復活しないようにという理由だそうです。この絵はウィーンで最初かつ唯一の魔女とされた人の火あぶり。

    魔女とされた人が火あぶりにされたのは、キリスト教でいう最後の審判の日に復活しないようにという理由だそうです。この絵はウィーンで最初かつ唯一の魔女とされた人の火あぶり。

  • これは地獄か?

    これは地獄か?

  • この絵の説明を記録しておかなかったので内容は分かりませんが、女性が聖職者から首を絞められそうになっているように見えます。<br />魔女裁判は訴えられた人の社会的地位により裁かれ方が違っていたようです。<br />多くは庶民だったでしょうが、「フェルトバッハ裁判」のように、聖職者が裁かれることもあり、その場合は世俗の裁判所ではなく、異端審問のような宗教裁判になり、このケースではザルツブルクの大司教が招集したそうです。

    この絵の説明を記録しておかなかったので内容は分かりませんが、女性が聖職者から首を絞められそうになっているように見えます。
    魔女裁判は訴えられた人の社会的地位により裁かれ方が違っていたようです。
    多くは庶民だったでしょうが、「フェルトバッハ裁判」のように、聖職者が裁かれることもあり、その場合は世俗の裁判所ではなく、異端審問のような宗教裁判になり、このケースではザルツブルクの大司教が招集したそうです。

  • 悪魔はこんなイメージだったようですよ。

    悪魔はこんなイメージだったようですよ。

  • 魔女は拷問にかけられました。ここは拷問具を展示してありました。拷問は1776年にマリア・テレジアが廃止し、死刑にすることはヨーゼフIIの時代1787年に廃止されました。<br />

    魔女は拷問にかけられました。ここは拷問具を展示してありました。拷問は1776年にマリア・テレジアが廃止し、死刑にすることはヨーゼフIIの時代1787年に廃止されました。

  • これはヨーロッパのお城でよく見かける「鉄のマドンナ」と呼ばれる拷問・処刑道具です。捕虜を中に押し込めて蓋を閉じると身体中を釘が貫くという恐ろしい道具です。どこのも同じ顔をしているので相当人気があって沢山製造されたのかもしれません。

    これはヨーロッパのお城でよく見かける「鉄のマドンナ」と呼ばれる拷問・処刑道具です。捕虜を中に押し込めて蓋を閉じると身体中を釘が貫くという恐ろしい道具です。どこのも同じ顔をしているので相当人気があって沢山製造されたのかもしれません。

  • 拷問具がいろいろ取り揃えてあります。

    拷問具がいろいろ取り揃えてあります。

  • 魔女や拷問の展示ばかり見て気分がいまひとつになったのでお城の様子を再度みることにしました。

    魔女や拷問の展示ばかり見て気分がいまひとつになったのでお城の様子を再度みることにしました。

  • お城の窓から見下ろす下界。

    お城の窓から見下ろす下界。

  • これは天水を貯めておくための装置で、1640年製造。26メートルの深さがあり、そこまでは砂利と砂が入れてあって、濾過した水がたまる仕組み。

    これは天水を貯めておくための装置で、1640年製造。26メートルの深さがあり、そこまでは砂利と砂が入れてあって、濾過した水がたまる仕組み。

  • 結構な大きさです。

    結構な大きさです。

  • 上部のパビリオンには蹄鉄が隠されていて、それを見つけた人には幸運が訪れ、それが未婚の女性であればその年のうちに伴侶を見つけることが出来るという伝承があったそうです。見つけられましたか? 上が開いた蹄鉄で、三日月形、中ほどの高さのところに見えます。

    上部のパビリオンには蹄鉄が隠されていて、それを見つけた人には幸運が訪れ、それが未婚の女性であればその年のうちに伴侶を見つけることが出来るという伝承があったそうです。見つけられましたか? 上が開いた蹄鉄で、三日月形、中ほどの高さのところに見えます。

  • 説明書とQRコードまでありました。一寸味気ないと思うのは年寄りだけか?

    説明書とQRコードまでありました。一寸味気ないと思うのは年寄りだけか?

  • 長閑な下界

    長閑な下界

  • これはエレベーターを使わず、昔の人と同じに歩いて城内に入る道です。

    これはエレベーターを使わず、昔の人と同じに歩いて城内に入る道です。

  • 城の外にはこのように牧歌的なアプローチがありました。

    城の外にはこのように牧歌的なアプローチがありました。

  • ブドウ畑。ワインづくりは気候変動もあってなかなか厳しいようです。

    ブドウ畑。ワインづくりは気候変動もあってなかなか厳しいようです。

  • 空が高い

    空が高い

  • リーガースブルク城は現在リヒテンシュタイン家の所有です。一族であちこちにお城を持っているのですね。オーストリアでは第一次世界大戦後に貴族制度は廃止され、公的には称号もありませんが、元貴族たちは今でも何とかプリンスとかプリンセスとか自称している人が少なくありません。仲間内での自己満足に過ぎませんが。アイゼンシュタットのエステルハージの当主を「領主」と呼ぶ取り巻きが今でもいるようです。

    リーガースブルク城は現在リヒテンシュタイン家の所有です。一族であちこちにお城を持っているのですね。オーストリアでは第一次世界大戦後に貴族制度は廃止され、公的には称号もありませんが、元貴族たちは今でも何とかプリンスとかプリンセスとか自称している人が少なくありません。仲間内での自己満足に過ぎませんが。アイゼンシュタットのエステルハージの当主を「領主」と呼ぶ取り巻きが今でもいるようです。

  • 人は高いところに住みたいのでしょうかね。

    人は高いところに住みたいのでしょうかね。

  • こちら側から見るとマグマを感じさせません。

    こちら側から見るとマグマを感じさせません。

  • この色彩感は暗い中世ではなく、南国的ですね。

    この色彩感は暗い中世ではなく、南国的ですね。

  • このアングルでの写真は撮れなかったので、お城のショップで買った絵葉書を載せます。これを見るとまさにマグマの上に建っていますね。

    このアングルでの写真は撮れなかったので、お城のショップで買った絵葉書を載せます。これを見るとまさにマグマの上に建っていますね。

  • このアングルもきれいです。ドローンでもないと撮れませんが。

    このアングルもきれいです。ドローンでもないと撮れませんが。

  • 可愛い魔女が飛んでいます。こうしたことが出来る人はすぐ魔女に認定されてしまいますから、注意が必要です。

    可愛い魔女が飛んでいます。こうしたことが出来る人はすぐ魔女に認定されてしまいますから、注意が必要です。

  • 借りたレンタカーのオペル。昔はドイツで存在感を示していましたが最近はすっかり影が薄くなってしまいました。日本への輸入も大分前になくなった。

    借りたレンタカーのオペル。昔はドイツで存在感を示していましたが最近はすっかり影が薄くなってしまいました。日本への輸入も大分前になくなった。

  • 今日は忙しい。リーガースブルクを発って1時間ほどで州都のグラーツヘ。<br />シンボルの時計塔。

    今日は忙しい。リーガースブルクを発って1時間ほどで州都のグラーツヘ。
    シンボルの時計塔。

  • シュロスベルクへ上る道

    シュロスベルクへ上る道

  • ここにも井戸がありました。

    ここにも井戸がありました。

  • トルコ井戸という名前。高台にあるので94mも掘って作ったもので、地下水脈まで達しているそうです。

    トルコ井戸という名前。高台にあるので94mも掘って作ったもので、地下水脈まで達しているそうです。

  • この場所自体はそれほど見どころがありません。

    この場所自体はそれほど見どころがありません。

  • こんな階段をゆっくり歩いて下ります。

    こんな階段をゆっくり歩いて下ります。

  • チューブ滑り台。

    チューブ滑り台。

  • 見下ろしたグラーツの街

    見下ろしたグラーツの街

  • 雰囲気はウィーンよりも南欧的ですね。

    雰囲気はウィーンよりも南欧的ですね。

  • 第2次世界大戦において、連合軍がイタリアに上陸後は比較的近かったグラーツは爆撃を受けて市街地の半分が破壊されました。こうした古い建物は再建されたのかもしれません。

    第2次世界大戦において、連合軍がイタリアに上陸後は比較的近かったグラーツは爆撃を受けて市街地の半分が破壊されました。こうした古い建物は再建されたのかもしれません。

  • 世界遺産のエッゲンベルク城。閉館時間に間に合わず外から見るだけになってしまった。

    世界遺産のエッゲンベルク城。閉館時間に間に合わず外から見るだけになってしまった。

  • もっと時間があれば市内見学をして、この城もゆっくり過ごしたかった場所です。<br />午後6時近くなったので門のすぐそばにあるレストランで夕食にして、<br />ウィーンには遅くに戻りました。昔はなかった山岳地方を通るアウトバーンで真っ暗闇のなかを走りました。途中にミュルツツーシュラークという町の表示が出てきて、ああここはピアニストのクラウディオ・アーラウが滞在中に亡くなった町だと思い感慨深いものがありました。1991年だったと思いますが、近くをドライブしていてラジオのニュースで知りました。アーラウの弾くショパンの遺作ノクターン20番(https://www.youtube.com/watch?v=SreMxXuXjA4&amp;list=RDSreMxXuXjA4&amp;start_radio=1)は他のピアニストと比べて非常にゆっくりとしていて、一つ一つの音を噛み締めながら聴くと自分でも弾けたらいいなといつも思います。脱線。気忙しくはありましたが、楽しみにしていたお城を見ることが出来て満足の一日となりました。

    もっと時間があれば市内見学をして、この城もゆっくり過ごしたかった場所です。
    午後6時近くなったので門のすぐそばにあるレストランで夕食にして、
    ウィーンには遅くに戻りました。昔はなかった山岳地方を通るアウトバーンで真っ暗闇のなかを走りました。途中にミュルツツーシュラークという町の表示が出てきて、ああここはピアニストのクラウディオ・アーラウが滞在中に亡くなった町だと思い感慨深いものがありました。1991年だったと思いますが、近くをドライブしていてラジオのニュースで知りました。アーラウの弾くショパンの遺作ノクターン20番(https://www.youtube.com/watch?v=SreMxXuXjA4&list=RDSreMxXuXjA4&start_radio=1)は他のピアニストと比べて非常にゆっくりとしていて、一つ一つの音を噛み締めながら聴くと自分でも弾けたらいいなといつも思います。脱線。気忙しくはありましたが、楽しみにしていたお城を見ることが出来て満足の一日となりました。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • jijidarumaさん 2026/04/16 18:25:10
    シュタイアーマルクのVulkanland !に立つリーガースブルク城は見事です。
    Rolleiguyさん、
    今晩は。遅いコメントで恐縮です。

    オーストリアにもかつての火山地帯があっても不思議ではありませんが、
    このRiegersburgリーガースブルク城には驚きました。
    とりわけ、岩壁がはっきり見られる絵葉書はすごいですね。
    実は偏西風さんが訪れたFestung Hohenwerfenホーエンヴェルフェン要塞
    を拝見したことがあるのですが、その際、観光局?の資料を見つけました。
    【オーストリアで最も美しい城ベストテン】
    Burg Hochosterwitzブルク ホッホオスターヴィッツ城、
    Festung Hohensalzburgホーエンザルツブルク要塞、
    Burg Liechtensteinリヒテンシュタイン城と共に、
    前述の2つの城も出てきました。
    あまりオーストリアの城・要塞を知らなかったので、大変興味深いものでした。

    魔女博物館、拷問器具といった所は、既視感がありますが、
    ドイツ語圏は魔女裁判という忌むべき、歴史的な資料が残っているのが、
    国民性なのでしょうか。

    多分、ご承知でしょうけど、ドイツ南西部のVulkaneifel(かつては火山地帯)
    ヴァルカンアイフェル地方は起伏のある山地と深い森、火山湖が見られ、
    小高い山上に先住民族のケルト人が砦を作り、その後、ローマ軍団が要塞化した、
    古城があります。また、シュタイアーマルク・ワイン街道のように、このあたりは
    希少なアール赤ワイン街道があるのですよ。

    それではまた。
    jijidaruma

    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2026/04/16 21:57:25
    RE: シュタイアーマルクのVulkanland !に立つリーガースブルク城は見事です。
    jijidarumaさん、こんにちは。

    お城好きのjijidarumaさんのご関心を呼ぶかもね、と思っていました。
    オーストリアには城が大小2000くらいありますが、見学したのはそのほんの
    僅かです。Hoch Osterwitzは有名ですし、その佇まいが圧倒的なので、
    ここは一度だけですが下から歩いて登りました。Hohenwerfenは近くにある
    氷の大洞窟を見学したときに遠望しただけで行っていません。
    何故近くまで行って見学しなかったかというと、いつでもまた行けると
    思っていたのと、この城は押し出しは立派ですが、オーストリアの代表的な
    城とは思われていなかったと認識していたためです。今日、念のため
    ”Oesterreich-Schloesser, Burgen, Kloester"というオーストリア全土の城や修道院を
    網羅した本を見てみたのですが、載っていませんでした。索引にさえ名前が
    出ていないので、何か理由があるのかもしれません。調べてみたいと思います。
    「オーストリアで最も美しい城ベストテン」に載っているとのことですが、
    どうしてでしょうかね?
    他の資料"Oesterreich, Burgen, Schloesser, Stifte, Panoramakarte"を見ると
    一応載っていました。この城は戦時中にかなり破壊されたらしいので、
    オリジナルの状態が保たれていないのかもしれません。でも立派ですね。
    (このパノラマカルテはjiidarumaさんに差し上げようと思って持っているのですが、
    その機会がなくて実現していません)。
    Vulkaneifelのことはしばらく前にNHKのライン川を紹介する番組で割と詳しく紹介して
    いましたが、結構北なのにと意外でした。

    魔女のことは偏西風さんの書き込みに少し追加しましたが、
    関東大震災のときの朝鮮人に向けられた攻撃性のように、
    集団ヒステリーのような背景もあるのではと思っています。

    では。
    Rolleiguy


  • 偏西風さん 2026/04/16 00:50:56
    新しいオーストリア!?
    Rlleiguyさん、今晩は、今頃ですがお邪魔します。

    オーストリアの新しい顔?を教えていただきました。私が知らなかっただけのことでは
    ありますが、シュタイアーマルクは「火山の国(?)」と呼ばれていたのですか。
    私はリーガースブルク城を知りませんでした。見たことがあるとしても、きっと小高い丘の上の城としか思いません。マグマの上に立つ城なのですね。

    お嬢様が運転なさったとか。頼もしいお嬢様ですね。

    魔女の火刑jの図は怖いです。ドイツのミュンスターという町のなんという教会だったか、三つの檻が高いところにぶら下がっていました。
    再洗礼派の人たちのミュンスターが、やはりカトリックとプロテスタントの連合軍に敗れて、三人の指導者が処刑され、檻に入れられたのだそうです。

    前の旅行記のおしまいの三枚の写真、どこか見覚えがあると思っていましたが、
    「グリーヒェンバイスル」ですね。ここで食事を摂られたのでしょうか。

    新しい(私にとりまして、ですが)オーストリアの姿を教えていただいた気がします。
    ありがとうございます。

    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2026/04/16 15:58:41
    RE: 新しいオーストリア!?
    偏西風さん
    こんにちは。お出でいただき有難うございます。
    ヨーロッパではイタリアやギリシャなどは地震がそれなりにあり、
    南には火山もありますが、オーストリアのような山国でも
    その痕跡があることはあまり知られていませんし、私自身も
    良く知りませんでした。大陸がぶつかった辺りには地層のずれや
    マグマの噴出あとなどがあり、それが温泉として目に見える形で
    残っているのですね。
    アルプスの山々を構成する岩にいろいろ変化があって面白いなと
    思っています。

    旅行のときは殆どレンタカーです。どこでも停めて景色を眺める
    ことが出来る自由度が好きです。運転はもう危ないかもしれないと
    思って同行する子どもに頼ることにしています。
    今回は次女、以前は長女や長男のこともありまた。

    魔女のことは、証明する必要はなく、理由はいくらでも後付け出来るもので、
    教会に行きたがらない女は魔女の疑いがあり、熱心に行く女は偽装した魔女の
    可能性がある(森達也『A3』)というくらいだったそうですから、現代にも
    当てはまりそうですね。

    「ウィーン ノスタルジー」の最後の辺りの写真は仰る通り「グリーヒェンバイスル」です。ウィーンを発つ日のランチに行きました。高いレストランなのでウィーンに住んでいたときにも滅多に行きませんでした。話題程度ですね。

    偏西風さんの旅行記をいくつか拝見しました。次のを楽しみにしています。

    Rolleiguy

  • ドロミティさん 2026/04/14 15:00:21
    リーガースブルク城
    Rolleiguyさん、こんにちは!

    ヨーロッパんのお城は12世紀に建てられたものが多いということを
    初めて意識しました。イスラムの建築術を取り入れて競うように建
    てられたのですね。

    漠然とですが、次のヨーロッパはウィーンに行ってグラーツまで
    足を延ばしてエッゲンベルク城に行ってみたいなんて考えていた
    のです。夏が終わり秋の訪れる前の長閑な景色も素敵ですね!
    旅行記を拝見したら見上げんばかりの岩山の上に建つリーガース
    ブルク城にも俄然興味が湧いてきました。
    ただ車でがないとアクセスは難しそうですね。夫はしばらくは
    仕事が忙しくて付き合ってもらえそうもないです。

    クラウディオ・アーラウのノクターン20番を聴きながらコメントを
    書いています! ありがとうございました。

                         ドロミティ

    Rolleiguy

    Rolleiguyさん からの返信 2026/04/14 21:40:58
    Re: リーガースブルク城
    ドロミティさん、こんにちは。ご覧いただき有難うございます。
    次のご旅行でグラーツをお考えとか。エッゲンベルク城は近年日本の文化財が発見されて注目を浴びていますので、期待を裏切らないと思います。リーガースブルク城は確かに車がないとアクセスが難しいかもしれませんが、秋のシュタイアーマルクはとても美しいので、何とか方法が見つかるといいですね。グラーツから車を雇う方法もあると思います。一寸高くなりますが、こういう時にお金を使うのも無駄ではないと思います。私ももう自分では海外での運転はしないことにしたので、娘を連れて行きました。 スロベニアも近いので組み合わせもいいですよ。アーラウのショパン、良かったでしょう? 私は彼のノクターンやワルツの演奏を、楽譜を見ながら聴き至福の時を過ごすのが好きです。何度でも費用をかけずに楽しめるのがいいですね。
    急に初夏を通り越して夏日になりました。どうぞご自愛ください。
    Rolleiguy

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