2026/02/09 - 2026/02/12
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mom Kさん
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北部に向かっている時は、必ずと言っていいほど眺めていた。トンガリ山を真ん中に裾が広がり、平らな遠景から長閑に見える伊江島。戦争時の惨劇が想像でさえ打ちのめされる。
私はあの島を訪れることがあるのだろうか。行くという気持ちも行かないという気持ちもなく、ただ微かな恐れを感じていた。それが消えないまま長くくすぶり続けていた。
・・・・
もう行かないと。
気になる気持ちだけを頼りにようやく向かった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 自転車 JRローカル 徒歩 ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
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名護の北部合同庁舎前で120番のバスから降りたのが、10時11分。本部港行のバスに乗車したのが10時12分だった。710円
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安和の辺野古埋め立て土砂搬出地点に通りかかる。死亡事故があった場所。物々しい封鎖状況に変容。辺野古関連警備費用だけで一日二千万円と地元民から聞く。それ以上の税金を使っているかもしれないなあと辺野古のすき間なく直立不動の〇〇警備保障集団を見て思う。しかも鮮やかに交替して実行。
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土砂の積み込みを待つトラックの列。
本土の山を削り海砂をさらえ、それでも足りなくて、沖縄本島南部激戦地の遺骨が埋まる土を使おうとする考えを出す我が政府。で、その先は、私達を守らない。歴史が証明。 -
バスは出港20分前に本部港に着いた。出かけに、前夜迄の宿オーナーが油味噌入りおにぎりを持たせてくれていた。熱々だったそれをタオルにくるんでいたので、まだ温かい。
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港の案内所で地図を貰い、そこから見える「伊江島はにくすに郷土・平和資料館」へ先ず向かった。
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米軍・日本軍兵士にも殺されず、集団自決のガマからもかろうじて生き延びた島民の語りを児童の絵で紙芝居に。思い出すことさえ苦痛を伴ったに違いない内容をよく語ってくださったものと思う。
二つの部屋に分かれて遺跡から発掘された物や戦争時の遺物も並べられていた。 -
チェックインタイムにはまだ早すぎるように思い、ゆっくり歩いて寄り道もして伊江島ゲストハウスに到着。オーナーと女性が快く迎えてくれた。
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来る道で通りかかった地元スーパーで購入。店頭には飲み物の段ボールが積み上げ、一見酒屋さんに見えたが、店内奥に惣菜コーナーがあった。M子さんに出会った。
左のパックが出合いのきっかけになった大根のお漬物。 -
まだ2時半。早速〈 ヌチドゥタカラの家 〉を目指した。ラム工場ではサトウキビを絞っている。
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伊江島に渡ると言うと、是非ここにと読谷で出合った若い女性が教えてくれていた。辺野古に行くという私に「一緒に行っていいですか」と言ってくれた彼女。20代の女性とあの場所でまだ私は会ったことがなかったから、嬉しく頼もしく思った。
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広島から移植された”被爆アオギリ二世”がお出迎え。
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阿波根昌鴻
このときはまだ、この地で”戦後”の不条理下を戦い抜いた人物とは知らなかった。
金城実作と記されている。 -
どこにお人がおられるのだろう。向こうに看板が掲げられている建物はあるが・・・そばの建物には電灯が付いていたのでガラス戸を開けて、入った。すぐに正面の壁に目が行き、夥しい資料と雰囲気に呑まれた。
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女性が出てこられたので入館をお願いすると、「入館協力金は、300円です。」と言われる。そのつつましい金額に感じ入った。千円札を渡すと小さな金庫箱を取り出されたので、「おつりは結構です。寄付にお願いします。」と伝えた。
資料館の鍵を開けて下さると言われるが、私はこの部屋が気になって仕方がない。女性に断って、この部屋に置かれている書籍や壁の文字を読み続けることにした。
すると、若い男性が現れ、「明日九時においでいただくと、話ができる者がおります。」と言う。わたし一人に申し訳ないような気がして、返事をためらっていたら、熱心に繰り返してくださる。「お話が好きな方ですから。」とまで。
「お願いします。明日九時に参ります。」と言って、資料館も明日入館させてもらいたいと願った。 -
歩いてゲストハウスに戻ってくると、オーナーが「ビールを飲みましょう」と迎えてくれ、冷蔵庫からお刺身まで取り出す。
断る言葉が出る間もない彼のいそいそ感。とにかく持ち帰った本と冊子類を部屋に置き、大根のお漬物と前の宿で作っておいた島ラッキョウの塩漬けをテーブルに添えた。
乾杯をしていると、裏手にあるというこのお刺身の魚屋さんが登場。島のことを尋ねるチャンスが宴会となって訪れた。 -
何も知らない私にどっと押し寄せてくる。とにかく明日お話してくださる方にお目にかかるまでは少しは知っておきたい。夜読みふけっていたら、驚きで頭が冴え、なかなか寝る気持ちにはなれなかった。
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今日も”ヌチドウタカラの家”に行くと言う私に、オーナーは自転車に乗っていきなさいと言ってくれた。感謝。一昨日は悪天候でフェリーは欠航だったと言うが、一転昨日から太陽がいっぱいのお天気。自転車は新しく、サドルも低く、快適に朝の道を向かった。
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「おはようございます。」9時5分を待って扉を開けた。
昨日の男性が「申し訳ありません。話をする者の具合がよくなくて・・・。」と言われ、私の島での予定を尋ねてくれる。明後日までの滞在だが、取り立てて何もないと応えると「明日おいでください。」と言ってくださる。ご高齢と思われるし、約束が負担になっては申し訳ない。今日は資料館をゆっくり拝見させていただきますと言って、明日のお願いはしなかった。 -
青年は鍵を開け、電灯を点け、カセットデッキのスイッチを入れ、私一人にしてくれた。
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ガマで赤ん坊の泣き声がじゃまになると、日本兵が刺し殺し、滑り落ちた幼子のあと、母親の手元に残ったと。
この出来事は、以前から本では知っていた。しかし、目の前で見るのは凄まじい。 -
全て、戦後です。戦後。
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そうさせるのは、私たちの心のあり方、生活の仕方だと気づいてはいる。
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阿波根昌鴻
昨日初めて知ったお名前。何という人に今私は出合えたんだろう。 -
語る言葉を持ちえた人はどのようにしてここまでたどりつかれたのだろう。
知りたい。知りたい。 -
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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戦後です。琉球の警察官です。
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繰り返し、「学習」の言葉があらわれる。
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本土は焼け野原であっても自分の家があった場所に戻れることができた。
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夜、基地外の自分の畑の草刈をしていた人に米軍基地からの演習弾が当たり、即死。
米軍は基地内に運び込み、保障はしなかった。一家で唯一生き残った男性。
なぜこれらの写真が存在するのか。カメラの必要と入手について、阿波根昌鴻さんの強い支えであった本土在住の弟さんの存在とあとで知る。 -
もう一度自分で操作させてもらって、テープを聴き、資料館をあとにした。
朦朧としている私に「この裏に美しいビーチがあります。」と言って、行き方も詳しく教えてくれた。さらに、「明日、9時においでください。」と、また繰り返して下さった。 -
誰もいない伊江ビーチ。
この瞬間も世界では、外に知られず無情で理不尽なことが起こっていると、今は確信する。
じゃ、私はどうする。 -
一時半を過ぎていた。途中で見かけたおそば屋さんも閉まっている。お弁当屋さんもおにぎりの看板のお店も「今日はおしまいです。」と言われた。コンビ二は、行かない。昨日、オーナーが「裏にJAがあるよ。」と教えてくれていた。
でも昨日のローカルスーパーがいい。食感お味も驚いた大根のお漬物へ。
店内の一番奥のそのコーナーに並んでいなかった。落胆で尋ねた。もう今日は売切れてしまってと言いながら、奥のほうから取り出してきてくれた。二つ分でもうほんとにおしまいのようだった。嬉しくてお名前を尋ね、写真をお願いした。
その漢字まで教えてくれたので、カメラを向けながら「妙なる調べですね。」と言うと、こんなお顔になった。一枚目より断然素敵だった。「全国の皆さんに公開します。」と言うと、いいですよとまた笑ってくれた。
いかのてんぷら大袋をひょいと、大根のお漬物と一緒に袋に入れ、
♀「食べて。」「えっ、だめです。」
♀「いいの。早く帰りたいから。」
次から次へとこの島では何かが私に押し寄せてくる。 -
沖縄タイムスを読む。選挙結果は、今日のできごとからあまりにも遠い。
私たちは、何を学んでいるのだろう。 -
まだあそこに会うべきことがある。写真も撮りたい。お話を伺うつもりはないので、早めに行き、野外教室の場となったところにもう一度立つと決めた。
なのに、この花の写真を撮っていると、どこからか男性が現れ、招き入れられた。 -
謝花悦子さん、87歳。
1時間以上が過ぎたころ、入浴のお知らせがあり、それを機会に辞去しようとしたら、みなさんが引き止めてくださる。甘えることにした。 -
入浴の時間、建物の周りをゆっくり見学させてもらった。
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「11時の船で協力してくれている人たちが来ます。一緒にご飯を食べましょう。どこに泊まっているの。ここに泊まりなさい。」とまで言ってくれる。
事務棟で沢木耕太郎氏の文章を見つけていた。それは、きっと2年前届いたときに読まれているだろうが、私の気持ちを表してくれているようで、謝花さんに「読ませてください。」とお願いした。
読み終えると、♀「沢木さんにお会いなりますか。」と尋ねられた。「いいえ、メディアにも出られない方ですし、お目にかかったことはありません。」♀「もし電話ができたら、よろしくお伝えください。」
まだまだお話したいことをお持ちのようだけど、3時間近くになっていた。
「またきっと参ります。」と繰り返す私に彼女は残された時間の少なさを訴える。
「今年中に必ず参ります。」と自分にも固く約束をして、ようやくこの場から離れることができた。 -
本島からずっと眺めるだけだったあのとんがり山(城山)へ行こう。
いつものようにいい加減な道探し、なだらかな坂道が自転車ではしんどくなってきた。教育委員会の軒下に置かせてもらって出てくると、この建物。 -
島で唯一残ったコンクリート建物。
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出合った人に尋ね尋ね、ようやく登山口を見つけた。
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資料館の展示説明でビデオで彼女の行動を知る。当時東京の定時制高校生黒田操子さんの碑。
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急な階段。すぐそこに見えていたてっぺんなのに息が上がり、立ち止まる。
前から小学4年生ぐらいの男の子が走り降りてきながら、「チバリヨーーー」と声をかけてくれて去っていく。
いいなあ、未来くん。 -
朝からずっと曇り空。寒い。
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向こうは米軍基地。パラシュート舞台の訓練場。島に渡る日の朝、以前は読谷で行われていたと宿のオーナーのお父さんは教えてくれていた。
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あの白い大きな建物の近くに、謝花悦子さんがおられる”ヌチドウタカラの家”がある。
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M子さんに写真を届けようとお店に行ってみたら、出かけているということだったので、そのまま自転車で基地の方までいくことにした。
これは、島ラッキョウみたいですね。 -
ミツバチの箱かな。
先に進んでいたら、小さなトラックと人がいた。「その先は行けませんよ。」?行き止りだった。目の前に菊を育てているという畑とビニルハウスがあった。伊江島のことを尋ねたら、ご家族のことまで話してくださった。「ここは離島の離島だからね。」と呟かれた。 -
資料館の男性に「木の上の兵隊」のことを教えてもらっていた。地図にも載っている。向かった。
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ニーバン(屋号)家のカジュマルの意で、映画の撮影で使われたガジュマルが残されていた。島のマラソン会場にもなっているミースイ公園内。
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M子さんのお店に寄り、写真を渡し、明日帰ることを話すと、やきそばと白菜のお漬物を私に押し付けるようにする。昨日といい、今日といい、まごまごする私に、そばにきた男性が「もらっておけ。」と一言。
夕食時、フライパンで温め、美味しくいただいた。もう一度来ること。M子さんにも京都のお土産を忘れないこと。決心が増えた。 -
8時の船で出る。港の売店は7時半開店だった。
サトウキビのシロップを買った。 -
船室から朝日を眺める。私の心はずっと彷徨い続けている。
本部港に着く直前、お手洗いに向かったら、そばの席から手が伸ばされた。M子さん!とてもおしゃれをされていて、お化粧も服装も完璧。一瞬分からなかった。
そのことを口にすると、また「黒糖ピーナッツを持っていきなさい。」とバッグを開けだす。「駄目です。」ときっぱり断われた。彼女は笑っていた。素敵だったのでまたカメラを向けた。 -
塩川を通る。砂利運搬船は14隻浮かんでいた。
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読谷に戻るバスの中で、余りにも悲惨な状況を生き抜いた人々の優しさと強さを感じていた。海の向こうに伊江島が見えた。
まだ私の心は落ち着くところが見つからない。頭の中の一部は妙に覚めている。 -
伊江島ゲストハウスのオーナーが、鈴なりのパパイヤの木から一つだけ黄色くなっているのをもいで「すぐ食べられるよ。」と、持たせてくれた。
黒い種のないパパイアを初めて知った。極上の甘さだった。 -
<6日後>
旅の最後はコザに2泊した。7時のバスに乗らないと、飛行機までの時間に余裕がなくなる。ホテルの珈琲は美味しい。それだけを7時開始の朝食時間までに飲めたらありがたい。
レストランに荷物を持って入って、準備中のキッチンにその旨を断った。朝食を食べたい気持ちもなかった。
入れたての珈琲は一層美味しかった。食事は不要と断った私のテーブルのそばに
女性のスタッフがわざわざ来て、腰をかがめながら、「トーストもできますよ。」と優しく言ってくれる。もう出発のとき。
ふと、「こちら(コザ)の方ですか。」と尋ねてみた。男性は、「いいえ、伊江島です。」
伊江島に行ってきましたが、もう一度いくつもりです。と言う私に、二人は「百合の季節に来てほしいです。」と言いながら、両手を脇にそろえて見送りのお辞儀をしてくれた。
普天間を通る。折りしも辺野古の滑走路は短いので、普天間継続案浮上News。
あまりにもあまりにも今別れたお二人と遠い世界よ。
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この旅行記へのコメント (1)
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- クラウディアさん 2026/02/20 20:30:55
- 伊江島
- こんにちは。
伊江島には行ったことはないのですが、いいところですね。10年以上前に長期出張で沖縄に行っていましたが、仕事ばかりしていて職場とホテルの往復ばかりでした。博物館くらいいけばよかったと思っています。
伊江島にあった厨子甕のうつくしいこと。
私もお骨になったら、こういう厨子甕に入りたいと思いました。
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