2025/12/24 - 2025/12/25
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chiaki-kさん
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千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館、通称「歴博」を訪ねてみた。「歴博」は、千葉県佐倉市の佐倉城趾にあり、江戸時代には佐倉藩の藩庁が、明治時代からは陸軍佐倉連隊が置かれていた由緒ある地で、日本の歴史、民俗学、考古学を総合的に研究・展示する施設として、1983年に一般公開された。
初代館長には東大名誉教授で、明治新政府の要人だった井上薫の孫にあたる井上光貞氏が選ばれていたが、開館直前に亡くなり、開館時は東大名誉教授の土田直鎮氏が館長となった。
表紙の写真は国立歴史民俗博物館の入口階段、平日で雨模様だったせいか混雑は全く無かった。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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12/24
ひょんなことで千葉県佐倉市へ一泊で行くことになった。降ったりやんだりのお天気の中、上信越道→関越道→圏央道と順調に進み菖蒲PAで休憩。ここは栃木県では無いが、売店で売っていたレモン牛乳で一服。 -
12:30に佐倉市へ到着。時間調整もありイオンタウン・ユーカリが丘店内にある「インド・タイ料理SAINO」でランチ。タンドリーチキンと・・・
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チキンライス。インド&タイ料理で満腹に。
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昼食後一件目の用事を済ませたあと、二件目の場所に移動し、そこで夕食を頂く。今日は12月24日のクリスマスイブということで、豪華ではないが健康的な美味しいディナーでした。
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12/25
健康的な朝食をいただいてから最初に訪問したのは旧堀田邸。ここは明治2年まで最後の佐倉藩主を務めた堀田正倫伯爵が明治時代に建造した邸宅で国の重要文化財。また、庭園は国の名勝に指定されている。写真は冠木門(黒門)と門番所。 -
「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」にも指定されている。
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玄関はこんな感じ。
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庭園はこんな感じ。
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庭園から邸宅を眺める。時間の関係で邸宅(有料)は見学しなかった。
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侘びさびを感じさせる、こんな茅葺きの門もあった。
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旧堀田邸を後に、クルマで15分ほど移動して佐倉城址に到着。佐倉城は、1610年に、徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城が再開され完成した城であり、日本100名城に選定されている。
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佐倉城は沼や川を利用した堀や土塁で囲まれており、石垣の無い城で有名。
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ここは三層の天守があった場所だが、明治維新後に廃城令により建物のほとんどが撤去されてしまった。
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下総国佐倉城天守跡の石碑あり。
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建物撤去後、陸軍歩兵第2連隊、後に歩兵第57連隊(通称・佐倉連隊)の駐屯地となる。
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終戦後、佐倉連隊関連の施設は解体、1964年に歴史公園として整備され、1983年には前述のとおり公園の一角に国立歴史民俗博物館が建設される。
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では、博物館に入ろう。
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館内は広く、一つの展示室だけで普通の博物館が成り立つほどなので、全体図を頭に入れておかないと迷子になるかも知れない。なお、第5展示室はリニューアル工事中ということで、見ることが出来なかった。
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館内の写真撮影は一部を除いてノーフラッシュならOK。
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第1展示室は「先史・古代」。日本列島に人類が出現した旧石器時代から、中世への扉が開き始める10世紀までの人々の生活を復元模型や復元画を用いて描かれている。最初は、いきなり実物大のナウマン象がお出むかえ。
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絶滅したオオカミも出現。
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旧石器・縄文時代は、貧しいながらも人々が協力しあい、狩猟・採集・漁労などで生きていた平和な時代だった。
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「縄文人の一生」なんて掲示もあったよ。これなら小学生でもわかるね。
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弥生時代の子ネコだって。
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ネコといえばネズミだね。ちなみにこの板はネズミ返し。
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弥生時代に稲作が普及したのは良かったが、持つ者と持たざる者が生まれた結果、争いが勃発するようになる。このミニチュアは外敵の侵入から集落を守る人々を現している。
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武器も進化してゆく。
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有名な「漢倭奴国王」金印の模型。この頃から古代国家の形が、次第に出来上がってゆく。
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第2展示室は「中世」。平安時代から安土桃山時代までの日本の文化と生活を、貴族や武士、庶民といった、様々な階層の立場から描かれている。これは王朝時代の貴族の服装だね。
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やがて、貴族に代わって武士が政治を行うようになって行く。これは鎌倉幕府が置かれた頃の鎌倉の模型。由比ガ浜が大きかったのね。
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これは戦国時代末ごろの京都の町並みを復元したミニチュア。
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海外の国との交易も盛んになり、朱印船貿易が活発に行われた。
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1543年にポルトガル人によって伝えられた火縄銃が、日本の歴史を変えていった。
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第3展示室は「近世」、ほぼ江戸時代。これは「江戸図屏風」、大名屋敷が江戸城を取り囲んでいるのがわかる。
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「江戸広小路」のミニチュア。江戸橋から日本橋付近にかけての町並み・市場・盛り場が復元されている。
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佐倉といえば忘れてならないのは、農民一揆を指導した佐倉惣五郎。(パネルは一般農民。惣五郎は名主だったらしい)
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一揆にも、いろいろな取り決めがあったのね。ちなみに惣五郎は単身で将軍に直訴、訴えは聞き届けられたが、惣五郎、妻、子供4人は刑死したと伝えられている。
次の第4展示室は「民族」なのだが、なるべく明るいうちに帰宅したくなっていたこともあり、ほぼ素通り。
第5展示室「近代」は明治から大正時代の展示なのだが、リニューアル工事のため閉鎖中。展示再会は2026年3月だそうだ。 -
第6展示室は「現代」。1930年代から1970年の激動の昭和時代だが、戦前は戦争一色。ちなみに、この銃は陸軍の三八式歩兵銃。持ち上げてみると意外と軽いのに驚いた。
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そして戦後。戦後の闇市やTVスタジオの模型、そしてアイビールックにミニスカート。
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なぜかサニークーペにカローラクーペ?
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そして、最後はゴジラ。
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13:30 見学終了後、館内の「レストランさくら」でランチ。
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注文したのは、縄文人が見たら腰を抜かす「古代米カツカレー」。美味しゅうございました。
「歴博」を後に、稲敷ICから圏央道→関越道→上信越道をひた走って帰宅、自分にお疲れ様。と、いうことで「2025年 佐倉城址&国立歴史民俗博物館探訪」はこれで終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。 -
OMAKE1
佐倉へ出かける前日に撮影した野辺山開拓記念碑と、冬タイヤに替えたフロンクス。ブラックのアルミホイールが良いね。なお、佐倉を往復したフロンクスの燃費は 18.7km/L でした。ガソリンも安くなって超うれしいです。 -
OMAKE2
八ヶ岳連峰。左から主峰赤岳(2,899m) 中央が横岳(2,830m) そして右端は硫黄岳(2,760m) -
OMAKE LAST
赤岳のUP。赤岳頂上山荘と、上空には飛行機雲も見えるね。
おしまい
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