1994/03/27 - 1994/05/22
29429位(同エリア37226件中)
バウトさん
1994年3月、パリに住む友達を訪ねて初めての海外旅行に行きました。
それまで勤務していた会社でリストラの対象となり、私は24歳でまだ勤続2年弱でしたが、退職金として30万円を手にしていたのでした。
これは行くしかないと思い立ち、すぐさま新宿のHISに向かいました。当時の格安航空券の情報は、専らHISの貼り紙やチラシに頼るしかなかったのです。
アエロフロート航空でモスクワ乗り継ぎのオープンチケットが8万円位で購入出来ました。その頃は飛行機の座席でもタバコが吸えて、着陸すると拍手が起きたものでした(アエロフロートだけかもしれないけど)。機内食のパンがとても硬くて、ソ連崩壊後のロシアの食糧事情を気にかけた事を覚えています。
シャルルドゴール空港に降り立つとジタン(煙草)の香りがすると聞いていましたが、そうだったかどうかは覚えていません。でも友達からのフランス語特訓を受けたおかげで、初日からカフェに行って、ジタンの煙にまかれることが出来ました。
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初めての海外に浮かれて、フランスかぶれになってきていたある日、友達が休みになったということで、2人でフランス一周の旅に出た。
今思えば、そんな事があるのならちゃんとフランスの事を予習しておくべきだった。でも何も知らないまま目にしたフランスの景色や体験した文化だからこそ、生涯心に残る経験になったのかなとも思う。 -
友達が車を運転してくれて、夜になったら車内で寝泊まりし、山を越えるとそこはコートダジュールだった。
ニースにシャガール美術館があると知り、富山でシャガールを見た時に涙が出たことを思い出して、友達に寄ってもらった。
涙が出たと言えば、パリで地下鉄に乗車している時、大道芸人が人形劇を披露し始めて、そのBGMに What a Wonderful World が流れてきて、なんだか涙が出てきた。チップを渡したかどうかは覚えていない。 -
たしか道中のドライブインで、ウインドブレーカーが内蔵されたリュックサックと一緒に、マジックテープ素材のボールとミットを買っていた。ニースの海岸でキャッチボールをして遊んだ。
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カンヌの街を歩く。
その頃の日本人のステレオタイプとして、カメラを首から下げ、やたらと写真を撮りまくる、というイメージが欧米諸国に広まっていた。そしてその頃の日本人はお金を持っていた。そのためカメラを持っていると狙われると言われていて、私はせっかくのフランス旅行なのにカメラを持たずに出かけたのだ。自分で撮った写真が一枚も無いなんて、今考えるともったいない。 -
S.te MAXIME(サンマキシム)では、通りががりに見つけた、かわいいホテルに泊まった。この頃は実際に見て宿を探さないといけなかった。フランス語を話す友達いわく、チェックインの際に、小さいベッド2つの部屋と大きなベッドひとつの部屋があるけど、どちらがいい?と聞かれていたようです。
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マルセイユ、カルカッソンヌ、ボルドーを経て、ラ・ロシェルまで北上したところでも、フランスらしい、かわいいホテルに泊まった。ヤングライオンが海外遠征でルームシェアしているような写真ですが、フランス語を話す友達いわく、我々が初めて泊まった(初めて見る)日本人だと言っていたみたいです。
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さて、パリでは何をしていたかと思い返すと、川沿いをひたすら歩いた事を思い出す。あとはフランス語でタバコを買わなければならないので、発音が簡単なマールボロを買う場面や、ゲームセンターで紙幣を10フランコインに両替する場面(当時は東洋人がゲームをしていると見物人が現れると聞いて行ってみたのだ)、TATIという安物デパートのビニール袋が欲しくて買い物に行った事。そしてチュイルリー公園の椅子にフランス人の真似をして座ってみたりした事を思い出した。
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モンマルトルの丘は気に入っていた。
メリーゴーランドの近くに大きな生地屋さんがあって、そこで布を物色したり、階段の上の高台からパリの街を眺めて手紙を読んだりした。私は東京の玄関口として上野駅を利用する者だったので、なんとなく上野を思わせるここの雰囲気が郷愁を誘うのだった。
滞在している間には、とある日本人が印刷を手掛けたカタログのミスプリント箇所に訂正シールを貼るという作業の手伝いにも数週間通っていた。その往復に利用していた深夜のバス停の場面や作業場のあったアパートのエレベーターで出会った少年なども思い出した。 -
友達の忠告も聞かず、夜のバスティーユにも行った。ディスコティークでは皆シャンソンで盛り上がっていた。立ち飲み屋では映画監督を志している人のグチを聞いた。これもパリなのだと思った。
ポンピドゥセンター近くでタバコを吸うなんて事が今出来るのだろうか?
こういう日々があったことを大切に思う。そしてきっと、もうこういう旅は出来ないのだ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- nachopapaさん 2026/01/09 21:23:50
- フランス旅行の記憶と、いつかまた辿りたい道
この旅行記を読みながら、思わず「あ”~そうだったそうだった」と声が出てしまうほど懐かしく思い出しました。
確かソビエト崩壊直後で、モスクワ空港でのトランジットでは、食事も含め、とんでもなく質の低いものを食べた記憶があります。そんな時代でしたから。
また、おそらくバウトさんが歩いているこの「カンヌ」という写真は、ニースだと思います。
ここでニースの代表的なサラダ『サラダ・ニソワーズ』を食べて、「やはり本場はうまいな」といったような会話をした記憶があります。
バウトさんとしたあの自由で何も何も束縛されないスタイルの旅ををすることは、もう二度とないような気がしています。
精神的なことだけではなく、社会環境や、時代の流れ、社会的インフラも含め、携帯もなく、インターネットも普及しておらず、どうやって街の情報を得て、どう手配しながら辿り着くのかということも含め、今では経験することが不可能な旅だと思うのです。
“当時どうしてたのかな?”とあまりに変わりきってしまった現代から見ると、当時の世の中のシステムを思い出すことすら困難です。
このフランスをほぼ一周するようなコースのほかにも、ドーバー海峡を望むモン・サン・ミッシェルまでドライブしたこともありましたよね。
バウトさんが過ごした時間は、一般的な旅行という概念からすると、少しばかり期間が長く、旅行というには生活そのものとして…語りたくなるような時間でした。大変な時間だったと思います。
フランスでのバウトさんも旅行者というより、その街に生きている人のような生活をしている日々でした。
いつかお互い、本当の意味でリタイアした時に、同じように車を借りて、記憶を辿れる限り同じコースを辿る旅に出たいと思います。
その日まで、お互いなんとか頑張りましょう。
素敵な旅行記、楽しく拝読しました。
- バウトさん からの返信 2026/01/10 00:45:48
- Re: フランス旅行の記憶と、いつかまた辿りたい道
- ありがとうございます!歩いている町はニースでしたか、いくつか記憶が違っていて、地下鉄の大道芸人の話も、初めはアコーディオン奏者のオーバーザレインボーと書いていました、それが、ふと記憶が蘇ってきて、いや、まてよ、違うぞと、後から書きかえました。
モン・サン・ミシェルや、ベルサイユ、そして、あの餃子屋さんもよく覚えてます。楽しかったなー
今の自分のスタイルは、準備期間が長いので、実際に旅行に行く前に、ほとんど、もう行ってきた?という位に詳しくなってしまっています。それはそれで、短い期間で無駄なく旅行するには良いのですが、やはり、行き当たりばったび、はいいですよね。というか、今って、調べすぎてしまえちゃうじゃないですか、なんでも、、きっと世界中の人たちが調べすぎてしまっていて(情報が入りやすくなっていて)その情報にとらわれすぎてしまっているから、日本に旅行に来ている人たちも面白くない、誰かと同じ写真を撮りたくて同じ所に行ってるのでしょうね、おれもだけど。皆同じようにスマホを見てて、皆日本人みたいだな、なんて思います。
そうですね、また行けるようにリタイアしても動けるように頑張っていきましょう!
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