2025/10/25 - 2025/10/25
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きみちゃんです。さん
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この旅行記のスケジュール
2025/10/25
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電車での移動
大阪駅8:52→近江八幡駅10:20 (JR琵琶湖線新快速)
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バスでの移動
近江八幡駅10:38→八幡山ロープウェー口10:51(近江鉄道バス)
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徒歩での移動
八幡山ロープウェー口→白雲館観光案内所(徒歩2分)
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徒歩での移動
白雲館観光案内所11:10→日牟禮神社11:20
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徒歩での移動
日牟禮神社11:50→八幡山ロープウェー公園駅10:55
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その他での移動
八幡山ロープウェー公園駅12:00→八幡山ロープウェー公園駅12:10
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徒歩での移動
八幡山山頂散策(お願い地蔵堂、北の丸、西の丸、出丸、村雲瑞龍寺)所要時間約90分
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その他での移動
八幡山ロープウェー山頂駅13:45→八幡山ロープウェー公園駅13:55
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徒歩での移動
八幡山ロープウェー公園駅14:00→西川まるたけ14:10 その後の昼食時間約50分
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徒歩での移動
八幡堀周辺散策(岡田弥三右衛門邸址、近江兄弟社本社、ヴォーリズと少女像、八幡堀など)約1時間ほど
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バスでの移動
八幡山ロープウェー口16:15→近江八幡駅16:30(近江鉄道バス)
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電車での移動
近江八幡駅16:54→大阪駅18:20 (JR琵琶湖線新快速)
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この旅行記スケジュールを元に
琵琶湖一周サイクリングなどで何度も滋賀県は訪れていますが、近江八幡は何時も予定外になっていましたので今回が初訪問です。近江八幡は豊臣秀吉の甥、秀次が開いた城下町です。無念の死を迎えはしますが、秀次の先見性が感じられる街でもあります。八幡山に城を築き、八幡堀を開削して琵琶湖の水運に繋ぐことで北国との交易を盛んにします。秀次の死後このような気運がこの街に産まれてやがて岡田弥三右衛門をはじめとする多くの近江商人が全国的に活躍することに繋がって行ったのだと考えています。そんな街に興味を持って訪ねてみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR琵琶湖線近江八幡駅です。大阪駅から新快速を利用し1時間余り、京都駅からだと30分余りなので関西地方の観光のついでに訪れました。観光の中心である八幡堀エリアは歩くには遠すぎるので駅北側からバス(6または7番)を利用します。八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェー口で下車します。
近江八幡駅 駅
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八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェー口で下車すると、オシャレな外観の白雲館があります。1階にある観光案内所に行き、観光情報を手に入れます。
白雲館 名所・史跡
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白雲館の1階にある観光案内所です。非常に親切に応対していただき好感が持てました。2階は休憩ができるようです。
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白雲館観光案内所を出て、前面の道路を渡ると日牟禮神社の立派な一の鳥居があります。自動車も入ってきますので参道らしくない参道を進んで行きます。
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日牟禮神社の一の鳥居をくぐると白雲橋があります。ここから見る八幡堀の景色は観光案内所でいただいた資料にある光景です。ということは近江八幡の代表的な光景の一つなんでしょう。
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しばらく参道を歩くと右手に立派な楼門が見えてきます。非常に歴史がある神社にふさわしい楼門です。1359年近江守護職の佐々木六角が造営しましたものです。その後2回焼失しますが、その度に再建されたようです。
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1188年源頼朝が近江守護職佐々木氏に命じて造営したものです。その後、改修を重ね昭和になって銅板葺の屋根になりました。拝殿は破風部に金装飾が施されています。ご祭神は誉田別尊、息長足姫尊、比売神です。
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日牟禮神社からさらに進むと、八幡山ロープウェーの山麓駅があります。売店もあり赤コンニャクをはじめ近江八幡特産品の販売もしています。
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ロープウェーは9時から17時まで15分間隔で運行しています。ゴンドラ内から日牟禮神社の参道や近江八幡の市街地がよく見えます。
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ロープウェー山上駅に到着したゴンドラです。定員15人ほどでこじんまりしたものです。背景は近江八幡市街地です。
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ロープウェー山上駅から八幡城址に向かって歩くと、最初にこじんまりしたお堂が現れます。お願い地蔵尊と呼ばれています。お堂内は狭くて数人が入れるくらいです。
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お願い地蔵尊の内部の様子は少しわかるかと思います。お地蔵さんをお堂に安置し何か願かけをしたんでしょうね。
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続いて八幡城址の北の丸を経て西の丸に向かいました。西の丸からは近江平野や琵琶湖がよく見えます。
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西の丸から見た琵琶湖と琵琶湖湖岸にある岡山という山です。広い近江平野にポツンと山がある感じです。帰宅してから国土地理院の地図で確認したら標高188mと書いてありました。
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再びお願い地蔵尊近くまで戻ると、村雲御所瑞龍寺門跡への分かれ道があります。ここから右手の道を辿り村雲御所瑞龍寺門跡に向かいます。
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村雲御所瑞龍寺門跡は豊臣秀吉の実姉、羽柴智(とも)の開基です。子息である関白豊臣秀次は切腹し、一門は処刑されました。その菩提を弔うため羽柴智は出家しました。代々の住職は皇族、華族などから入寺したので門跡になっています。
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本堂にお参りしてから右手に行くと、ひっそりした感じの金生稲荷神社があります。金生稲荷神社は全国にありますが、五穀豊穣の神様とされているようです。
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時間的に少し遅くなったランチを八幡堀に近い西川まるたけでいただきました。近江八幡まで来たら近江牛を外すわけにはいきません。西川まるたけさんは近江牛を扱う肉屋さんでもあるので品質は問題ないはずと思って決めました。メニューは店員さんのお薦めもありすき焼きをいただくことにしました。
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ランチでいただいたすき焼きです。脂に甘さが感じられ口に入れると溶けてしまうような感じの霜降りがきれいな肉です。小鉢に近江八幡名物赤コンニャクと佃煮がありました。ボリューム面でも十分と思います。
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近江牛のすき焼きを堪能した後は、時間に余裕があったので八幡堀を散策しました。岡田 弥三右衛門(おかだ やざえもん)は江戸時代初期の商人で、蝦夷地まで進出した近江商人岡田家の初代とされる人物です。八戸を拠点に呉服の行商を奥州で行い財を成しました。さらに現在の北海道松前町でも活躍をします。松前藩の信頼も厚く、御用商人として海産物を北前船で現在の山形、北陸、大阪まで運ぶなど活躍した人物です。
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岡田 弥三右衛門邸址は八幡掘近くにあります。建物は外観しかわかりませんが、木造2階建の切妻造です。正面道路沿いは前面格子戸が設けられています。2階は白漆喰仕上げになっています。
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近江八幡といえば、メンソレータムで有名な近江兄弟社があります。ここがその本社です。1910年にヴォーリズは宣教活動のための経済的基盤を築くため、ハモンドオルガンの輸入代理業務を行っていた近江セールズ株式会社を作りました。これが近江兄弟社メンソレータムで知られる製薬事業の始まりである。
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1905年にヴォーリズがキリスト教の伝道を志し、滋賀県八幡商業学校に英語教師として赴任します。彼は83歳の生涯を終えるまで近江八幡に居住し、キリスト教の伝道とさまざまな事業を行ったことを記念して作られたヴォーリズと少女の像です。近江兄弟社本社の前にあります。
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橋の上から見る八幡堀も風情がありますが、堀の両側にある小段まで下りると、堀を巡る船に乗る乗客の目線の高さから景色が楽しめます。
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