2025/10/15 - 2025/10/15
46位(同エリア624件中)
かっちんさん
東京大学のある本郷台地。この台地から小石川の白山通りに向けていくつもの坂道があります。
文京区にはわかっているものだけでも115か所以上の坂道があります。
坂道には川があった所もあり、今は暗渠になっている川の流れを想像しながら歩くことができます。
地形的には武蔵野台地の東端にあり、台地と谷・低地をつなぐ道が坂道になっています。
本郷台地(海抜20m)と白山通り(海抜7m)の高低差13mあるスリバチ地形を歩きます。
この旅行記は、白山通りから本郷台へ向かって、西片町にある石坂を上がり、清水橋を通り、東大校内を歩きます。最後に東京都水道歴史館を見学します。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・マピオン地図
・西片町会「石坂」「西片の歴史」
・シンコー沖縄「世界のレンガの積み方!!」
・文京の古本屋「第八回:「わが町探訪 第三回『映世神社』」
・文化遺産オンライン「東京大学本郷正門及び門衛所」
・東大新聞オンライン「郷キャンパス建築めぐり 明治期煩悶時代の正門」「安田講堂竣工100周年 東大新聞で振り返る安田講堂100年史」
・東大、国の登録有形文化財登録「法文学部1号館」
・歩・探・見・感「東京大学本郷地区キャンパスで前方後円形マンホール蓋を探す」
・東京大学附属図書館「夏目漱石『三四郎』と三四郎池 - 本郷」
・木々の移ろい「オオモクゲンジ」
・文京ふるさと歴史館「赤門」
・東京大学広報「懐徳館庭園が国の名勝に」
・隈研吾建築都市設計事務所「東京大学大学院 情報学環 ダイワユビキタス学術研究館」
・東京都水道歴史館パンフレット
・文京区「本郷給水所公苑」
・ウィキペディア「さかえビル」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
「本郷の凹凸地形」(NHK学園の配布資料)
続編の散策ルートは、
「白山通り→西片公園→清水橋→安田講堂→三四郎池→竜岡門→水道歴史館」です。 -
「江戸時代末期、今昔重ね地図」(NHK学園の配布資料)
広大な敷地は大名屋敷。
現在の東大付近は加賀金沢藩「前田家」、清水橋付近は三河岡崎藩「本多家」、西片公園は備後福山藩「阿部家」でした。
これから「阿部家」、「本多家」、「前田家」だったところを順番に歩きます。 -
「白山通り」
本郷通りから菊坂下道を下り、白山通りの地下鉄三田線「春日駅」付近にいます。
水道橋方面に「東京ドームシティアトラクションズ」が見えます。
ここは今回の町歩きで一番低く「海抜7m」。 -
「白山通り」
反対側の巣鴨方面を眺めると「西片交差点」があります。
広い通りには、昭和40年代まで都電35番系統が軽快に走っていました。 -
旧町名案内「田町」
白山通りの西片交差点から本郷通りへ向かう道の両側です。
この道は便宜的に「言問(こととい)通り」と呼ばれいます。正式には本郷弥生交差点から先です。
この辺一帯は昔、田畑と菊畑であったので「田町」となりました。 -
西片1丁目の緩やかな階段
西片交差点から「言問通り」を少し歩き、左に曲がると「緩やかな階段」。
階段の先を右へ曲がると「石坂」へ通じます。 -
S字カーブの「石坂」
「石坂」を上がると「本郷台地」に戻ります。
この場所は文字「S」のちょうど下にあたる位置。 -
「石坂」案内板
坂の台地一帯は、備後福山藩「阿部家」の武家屋敷があったところ。
明治以降、東京大学に近いため、学者、文人が居住し、西方町は学者町といわれました。 -
イチオシ
S字カーブの急坂(石坂)
文字「S」の中央にあたる位置を歩いてます。
武家屋敷があった時代に、中山道の出入り口から邸内を南北に縦断する主要道路(西御殿前通り)が通っていました。
坂道はその南端部に開かれていた切通しの急坂で、当時は石の階段が設置されていたので「石坂」と呼ばれていました。
明治になると近隣の人も通行できるようになり、坂道のルートを東方向に曲げて、現在のようなS字状の広い坂道になった経緯があります。 -
「旧駒込西方町」案内板
江戸時代は、備後福山藩の「阿部丸山屋敷」と幕府の「徒士組の屋敷」がありました。
当時の町名は、中山道をはさんで「駒込東片町」の反対側にあったので「東片町向側」。
明治5年に「東片町」に対して「西片町」の町名になりました。 -
十字路の広い角(西片1丁目)
坂の上の本郷台地は敷地の広い住宅が並んでいるせいか、十字路の角が広く切り取られています。 -
十字路の広い角(西片1丁目)
こちらも同じ。
煉瓦の積み方は、小口積みと長手積みを交互に段を違えて積む「イギリス積み」。
最も堅実で合理的な煉瓦の積み方と言われています。 -
「西片公園」(西片2丁目)
江戸時代に西片公園のまわりが、「阿部家」の武家屋敷でした。
この公園の場所には、樹齢400年といわれる「大椎樹(おおしいのき)」があったのですが、昭和33年に枯れて危なくなったので切り倒されました。
ここは海抜20m。言問通りは海抜8mだったので、石坂の高低差は12mです。 -
「お洒落な建物」(西片2丁目)
外壁の木目を縦と横に並べた住宅です。
西片公園から南東方向の東大を目指して歩いています。 -
「清水橋」(西片1丁目と本郷6丁目の間)
橋を渡ったところでふり返ると、西片公園が見えます。
流れる川は清水川かな? -
橋の下は「言問通り」(白山通り方面の眺め)
あれっ、川が流れていない。 -
「清水橋(からはし)の今昔」案内板
江戸時代、西片町には備後国福山藩「阿部家」、森川町(本郷6丁目)には三河岡崎藩「本多家」の江戸屋敷がありました。
当時はまだ西片町と森川町の間に橋がなく、谷底に一筋の清水が流れる急峻な谷間で隔てられていました。
この地に「清水橋」が最初に架けられたのは、明治13年(1880)に阿部邸前から本多邸前への道が整備された頃と考えられています。
同じ頃、谷底は道路として整備され、清水の流れも道の端に残るだけとなったことから「からはし(空橋)」とも呼ばれるようになったと伝えられています。
なるほど。。。 -
谷底へ下りる階段(本郷6丁目)
-
「いやに広い交差路」(本郷6丁目)
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数えてみると「6差路」(本郷6丁目)
正面中央左の細い道の先には戦前まで「映世(えいせい)神社」がありました。
江戸時代に「本多家」の脇に初代本多平八郎忠勝を祀る神社です。
この広い場所は、参道から続く「宮前広場」と呼ばれていました。
正面に本殿、北側に神楽殿が建ち、宮前広場のほぼ中央に高さ約4mの石の鳥居がありました。 -
「旧森川町」案内板(本郷6丁目)
江戸時代は森川宿と称した。
明治5年に岡崎藩主「本多氏」の屋敷地と、先手組屋敷と併せ、「森川宿」から「森川町」と名付けた。
先手組頭は「森川金右衛門」で、中山道の警備にあたった。
与力はたいてい森川氏の親族で同じく森川姓を称していたので「森川宿」といわれた。
宿(じゅく)とは、当時の中山道の馬建場で人馬の休む所だったところ。 -
老舗喫茶店「万定(まんさだ)フルーツパーラー」(東大前)
現在休業中のようです。 -
「東大正門前」交差点に到着(本郷通り)
-
「東大正門」
東大校内は少人数であれば自由に見学できます。
花崗岩製の正門は、冠木門を基調にデザインされたといわれています。 -
「東大正門」(校内側からの眺め)
左右対称型に正門・煉瓦塀・門衛所が並んでいます。 -
「正門の門衛所」
むくり屋根の妻を見せる門衛所は、煉瓦壁と白丁場石でできています。 -
「東大校内案内図」
広い敷地は、江戸時代に加賀金沢藩「前田家」だったところ。
見学ルートは、正門から安田講堂、中央食堂、三四郎池、赤門、懐徳館、春日門まで歩きます。 -
「銀杏並木通り」(東大)
正門から安田講堂へ向かうメインストリートです。 -
「工学部列品館」(東大)
戦前に建てられた校舎のほとんどは「ウチダゴシック」と呼ばれるスタイル。
建築学科教授、内田祥三が「震災復興の様式」として案出。
列品館1925(大正14)年はその最初の建物で、ロの字型のプラン(平面図)に連続アーチのポーチ、先端に装飾が付いた柱型、縦長の窓などが特徴です。
外観は四隅が入隅(いりずみ)とされ、立体感に富む。現在は事務棟ですが、学術標本を展示する(列品する)博物館となるはずでした。 -
イチオシ
「前方後円形のマンホール」(東大 銀杏並木通り)
-
「マンホールの蓋」(東大 銀杏並木通り)
中央に「暗」、そのまわりに「東京帝國大學」と書かれています。
「暗」は暗渠という意味でしょうか。 -
「マンホールの蓋」(東大 銀杏並木通り)
このマンホールは「帝大下水」。 -
「法文学部1号館」(東大 銀杏並木通り)
旧法文科大学や旧図書館の建物に用いられていた尖頭アーチ、その屋根上のクロケットを入口のポーチ部分に用いることによって、過去のキャンパスからの意匠上の継承性が認められます。
震災復興計画に基づく建物で、西側部分(現在の文学部教室)は、昭和4年2月竣工。
全体は昭和10年2月竣工。 -
「法文学部1号館」(東大 銀杏並木通り)
法文学部1号館アーケード(尖頭アーチ)三廊形式の教会の内部構成を思わせるゴシック様式は、コンドルに由来する本郷キャンパスの伝統的建築モチーフです。 -
イチオシ
「回廊を歩く東大生」(法文学部1号館)
実は見学者です。
東大生は校舎内にいるようで、あまり見かけません。 -
「安田講堂」(東大)
安田講堂の設計は東大工学部教授・内田祥三と、東大工学部建築学科を卒業した岸田日出刀(ひでと)によって行われました。
ゴシック建築を基調にした安田講堂の設計は、英ケンブリッジ大学の門塔から着想を得たものだとされています。 -
「三四郎池」(東大)
現在,通称「三四郎池」と呼ばれて本郷キャンパスの憩いの場となっている池の周辺は,「育徳園」といわれる加賀藩上屋敷の大名庭園でした。
この名園「育徳園」は,明治の初めに東京大学の敷地の中に編入され,その後多少の改修築をされたものの,当時の面影が努めて保存せられています。
「育徳園」の池は形が「心」という字をかたどっていることから心字池と言われてます。 しかし,明治の東京大学を今に伝える夏目漱石の『三四郎』により「三四郎池」と呼ばれるようになりました。 -
「三四郎池」(東大)
キャンパス内の森といっても過言ではない木立は,東京大学創立以前から生えていたと思われる背の高い樹木も多い。
春の新緑,秋の銀杏の紅葉は見事である。また小鳥や水鳥だけでなく栗鼠などの小動物と出会うこともある。
樹木・水・土・生物という自然の感触を味わうことのできる小さな楽園です。 -
イチオシ
秋の「オオモクゲンジ」(東大 赤門付近)
果実は袋状で、3枚の葉が葉脈をくっつけ合ったような形をしており、各々の葉状の面の中央に実を付けます。 -
「赤門」(東大)
明治時代以降、加賀藩邸だった頃の建造物はほとんど取り壊されましたが、その中で「赤門」だけ残されました。
「赤門」は正式には旧加賀屋敷御守殿門(ごしゅでんもん)と言い、文政10年(1827)、第11代将軍徳川家斉の娘溶姫が加賀藩第13代藩主前田斉泰に嫁入りする際して建てられました。
江戸時代、将軍の娘を嫁に迎える時には、奥方御殿を新たに造り、朱塗りの門を構える慣習があり、加賀藩でもそれに基づいて赤門を建てました。
江戸時代の赤門で、現在も残っているのは加賀藩のものだけです。 -
「経済学研究科棟」(東大)
平成13年(2001)竣工の建物。 -
イチオシ
「医学部1号館」(東大)
曲線階段にあわせた上げ下げ窓が独特です。 -
「懐徳館庭園」(東大)
南西端に広がる懐徳館庭園は、旧加賀藩主・前田侯爵家の庭園を継承し、現在は東大にとって大切なお客様をもてなす迎賓の場として使われている庭園です。 -
「懐徳館庭園」(東大)
庭園には入れないので、外から眺めています。
懐徳館の南側に広がる芝生による平庭の空間、東側を占める築山の空間、そして築山の滝(現在は枯れた状態)から流れ落ち西側の池に広がる池泉の空間という三種の空間から構成されています -
「ダイワユビキタス学術研究館」(東大)
2014年に竣工した東京大学大学院 情報学環の新分野(ユビキタスコンピューティング)のための研究棟。
自然素材(木、土)で作られたウロコ状のパネルが、ゆるやかにうねりながら、スムーズで生物的なファザードを構成します。 -
「春日通り」
東大の春日門から出たところは「春日通り」。
春日通りを挟んだ向かい側にある「さかえビル」。
昭和9年(1934)、春日通りに面して、薬学博士により薬学研究所と貸事務所を兼ねたビルとして建設。
建物の装飾には、1910年代から1930年代にかけ欧米で流行した「アール・デコ」が取り入れらています。
登録有形文化財です。 -
「東京都水道歴史館」(本郷2丁目)
江戸-東京400年、過去から学び、未来を創造する・・・
「東京都水道歴史館」では、平成7年の開館以来、大切な水道の歴史を学べるところです。 -
「水滴くん」のお出迎え(水道歴史館)
マスコットキャラクター「水滴くん」の本籍は雲の上。
いつもピカピカに磨かれている体や靴からわかるように少し几帳面。 -
「村山貯水池にある取水塔」(水道歴史館)
実物大で再現しています。 -
「浄水場別の給水地図」(水道歴史館)
小河内貯水池だけでなく、相模川、利根川、荒川などからも取水しています。 -
「馬水槽(ばすいそう)」(水道歴史館)
ロンドン市牛馬給水槽協会から東京市に寄贈されたもの。
現在は、新宿駅東口に設置されています。
この共用栓には、牛馬用、犬猫用、人間用の3つの飲み水場が設けられています。 -
「蛇体鉄柱式共用栓」(水道歴史館)
明治末頃から大正頃まで使われていた共用栓。
水の出口が竜をかたどっています。
「蛇体(じゃたい)鉄柱式共用栓」と呼ばれ、後の水道の「蛇口」の語源となったものです。 -
「消火栓」(水道歴史館)
これは、昭和2年(1927)に製造され、浅草近くの春日通りの歩道に設置されていました。
この消火栓は、昭和30年(1955)年代の砲弾型以前のタイプで、当時使用されていた鉄柱式共用栓と同じく、頭部が西欧寺院モスクのドーム型屋根のデザインとなっています。
黄色の本体部に、赤で「消火栓」の文字、青で東京都の亀甲マークが施されているというカラフルな配色でした。
黄色の消火栓は欧米にならった彩色で、現在でも、早くから水道を開始した函館市では黄色の地上式消火栓を使用しています。 -
思い出の記録「函館の消火栓」(2014/1/18訪問)
黄色い消火栓です。 -
「神田上水石樋(せきひ)」(水道歴史館の屋外)
昭和60年代に発掘された神田上水遺跡の一部を移築・復原しました。
江戸時代の水道管の姿です。 -
「本郷給水所公苑」(水道歴史館の屋外)
東京都水道局が管理する本郷給水所の上部の人工地盤上に造成された公苑です。 -
イチオシ
「神田川沿いを走る電車」(御茶ノ水付近)
スリバチ地形散歩を解散後、お茶の水に出てきました。
総武線直通電車です。 -
「神田川とオレンジ色の電車」(御茶ノ水付近)
中央線の快速電車です。
最近、グリーン車を連結するようになりました。
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