2025/10/25 - 2025/10/25
1233位(同エリア1302件中)
かくちゃんさん
- かくちゃんさんTOP
- 旅行記73冊
- クチコミ41件
- Q&A回答1件
- 17,148アクセス
- フォロワー2人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
十九日目。
午後0時20分、曇天の近江鉄道豊郷駅を出発。くれなゐ園からは中山道ではなく彦根道に入るため北上。宇賀川を渡り、琵琶湖線のガードをくぐって、稲里町の交差点で彦根道に入り、愛知川を越え、琵琶湖線の踏切を渡ると能登川集落である。
天神社で小休止。給水、体操して、能登川駅に立ち寄り洒落た駅舎を眺めた後、伊庭御殿跡、繖命水を経て安土城跡へ。安土宿、安土駅を経て鍵之手町から八幡宿に入り、碁盤の目状の道を進み、旧八幡郵便局を見て、日牟禮八幡宮の大鳥居をくぐり、白雲橋から八幡堀を眺めた後、八幡堀の石畳の小径を通って小休止。宿場に戻り、朝鮮人街道を西へ進み、加茂、江頭の古い町並みを抜け、日野川を越え、田園地帯を通って、住宅街に入った後、琵琶湖線の踏切を渡る辺りから雨が降り始める。外和木追分で中山道に入る頃には土砂降りで、背くらべ地蔵で少し雨宿りするも止みそうにないので仕方なく出発。雨の中、中山道を西に進み、野洲川を越え、守山宿に入り、何とか中山道守山宿にぎわい広場に到着。今日はここで止まることとする。本日の走行距離、八里二十一町也。
天満宮で着替えた後、5分ほど駅とは反対方向に歩いて「門わき」さんを訪問。京料理とお薦めの日本酒をいただき、十九日目を締めくくったのでした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
近江鉄道豊郷駅
近江鉄道の車内アナウンスによると滋賀県で一番小さい町で丸紅・伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛を輩出した近江商人の町なんだそうです。乗降客は思ったより多く、10人以上の人が下車していました。豊郷駅 駅
-
能登川の天神社(てんじんじゃ)
立派な舞台のような建物がありますが、案内板がないのでこれが何だか分かりません。守山の天満宮にも同じような建物がありました。二社とも菅原道真公が鎮座していますのでこれと関係があるのかもしれません。 -
彦根道能登川
案内板は特にありませんでしたが、間の宿のような雰囲気があります。 -
能登川駅
古い町並みの中に洒落た造りの駅舎が建っています。能登川駅 駅
-
能登川高校の手前にある瓜生川
能登川という川は現在ありませんが、この川がかつての能登川だったと考えられているのだそうです。 -
伊庭御殿跡
徳川家が上洛する際に利用した休憩施設で、大坂冬の陣・夏の陣、寛永3年(1626年)の後水尾天皇二条城行幸に際して利用されていますが、17世紀の末には廃止されてしまったのだそうです。 -
繖命水(さんめいすい)
鈴鹿山脈に源を発した伏流水が「きぬがさ山トンネル」の採掘により湧き出て、その水を近隣の方が飲料水として利用しているのだそうです。水量はかなりありました。「繖山」と書いて「きぬがさやま」と読むのだそうで、その「繖」に「名水」や「銘水」ではなく「命水」とネーミング。センスの良さを感じます。 -
安土城址
琵琶湖に突出した丘陵の安土山を城域とした安土城。大正時代から保存が始まり、写真の石碑は内務省が昭和2年(1927年)に建立しています。時間の関係で大手道を仰ぎ見るだけでしたが、観光客がいて、そこそこ混んでいました。安土城跡 名所・史跡
-
彦根道安土宿
特に案内板はありませんが安土には宿場町があったようで、駅前を中心にその雰囲気が残っているとともに、道が桝形となっています。鳥居中央には「活津(いくつ)彦根大神宮」と書かれた額が掲げられています。 -
安土駅
駅前のロータリーで織田信長像が出迎えてくれます。安土駅 駅
-
旧八幡郵便局
大正時代に建築家ヴォーリズが郵便局として設計した2階建の洋風木造建築。昭和35年(1960年)まで郵便局として使用されていました。長らく空家となっていたところ、保存再生され一般開放されるようになったのだそうです。旧八幡郵便局 名所・史跡
-
八幡堀
天正13年(1585年)豊臣秀次(秀吉の甥)が城下町を築いた時にできたという八幡堀は、高度経済成長期ドブ川に成り果て、埋め立て計画が進んでいたところを青年会議所が保存運動を展開、市民と行政が協力し今の姿にまで回復を遂げたのだそうです。関係者の努力に頭が下がるばかりです。八幡堀 名所・史跡
-
八幡堀石畳
柳が風情を醸し出す一役を買っている石畳は、時代劇のロケに使われることもあるのだそうです。八幡堀石畳の小路 名所・史跡
-
彦根道八幡宿
本能寺の変の後、主なき城下町となった安土の町を移し、縦十二通り、横四筋の区画整然とした城下町として誕生したという近江八幡は、八幡山城廃城後も商業都市として栄え、宿場町としても機能していたようです。
地域の皆様の御努力によりかつての商業都市と宿場町の風情を残す近江八幡。これからもこの風景、残してもらいたいものです。 -
近江八幡の街中に建つ朝鮮人街道の石碑
彦根道は、将軍が上洛の際に利用したほかにも、将軍が交代するたびに朝鮮国より国王の親書をもって来日する「朝鮮通信使」が通ったことから、「朝鮮人街道」とも呼ばれ街道一帯で随員の昼食や休憩場所を提供し、文化交流が盛んに行われていたのだそうです。近江八幡より西では彦根道ではなく「朝鮮人街道」若しくは「京街道」と呼ばれていたようです。 -
新家棟川橋
この橋を越えると田園地帯の朝鮮人街道の中に高木の桜並木が現れ、街道らしさを演出してくれます。新家棟川橋通り 名所・史跡
-
野洲駅手前の踏切
街道は線路でぶった切られ、遠回りを強いられることも少なくないのですが、ここは街道に沿って線路を斜めに横切る形で踏切が作られています。 -
外和木追分
写真右端に「朝鮮人街道分岐点です」と書かれた案内標識がありますが、朝鮮人街道を解説した案内板は中山道のこの先野洲小学校の正門付近にあります。 -
背くらべ地蔵
鎌倉時代に造られたという二体の石仏、地元の子を持つ親たちが「わが子もこのお地蔵さんくらいになれば、あとは良く育つ」と背くらべさせるようになり、いつしか「背くらべ地蔵」と呼ばれるようになったのだそうです。背くらべ地蔵 名所・史跡
-
中山道守山宿本陣跡
案内板には「本陣があったと推定されている場所です」と紹介されています。守山宿ほどの大きな宿場町で、皇女和宮も宿泊したという本陣のあった場所が推定というのも腑に落ちませんが、この辺りにあったようです。 -
中山道守山宿にぎわい広場
本日の終点。宿場でイベントをやる時などに利用されているようです。中山道守山宿にぎわい広場 公園・植物園
-
かど脇
ご主人の門脇さんは元々京都の方で縁あってこの地で京料理屋を始められ、コロナ禍以降は一人でお店を切り盛りされていたものの体調を崩されたため、今日でお店を閉めるのだそうです。一見の旅人が偶然にもお店の最終日に訪問とは不思議な縁を感じます。店内には花束が置いてありました。 -
瀬田のしじみ汁とサバ押し寿司
お料理の最後に出てきました。琵琶湖のしじみに京のサバ押し寿司、滋賀の京料理といったところでしょうか。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
近江八幡・安土(滋賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
23