五島列島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
かねてから行きたかった「長崎五島列島」に行ってきました。今年は3月の「熊野古道」に次ぐ世界遺産旅です。<br />旅の目的は、当然「潜伏キリシタン関連遺産」の教会を出来るだけ沢山見ることでしたが、大小150の島々(友人島は18)に隠れ住んだという所に50以上ある教会を、全部見ると1週間以上はかかる所を3日間で見るので完全ではないものの、海上タクシーというチャーター船を駆使して、世界遺産指定の3つを含む16の教会を見ることが出来て大満足です。特にハイライトは船上から見るだけでも大変な「キリシタン洞窟」に上陸して真近に見れたことで、イタリア「青の洞窟」並みの快挙です。<br />また教会だけでない「五島」の顔を新発見したこともあって、地形的に東シナ海を挟んで大陸に近いために、平安時代の僧「空海」も漂着した「遣唐使」最後の寄港地として栄えた島であり、本土最西端の「航空自衛隊」の基地が、中国や韓国からの侵入を見張っている島でもあり、また長崎半島との間に挟まれた「五島灘」はかつては捕鯨の猟場で、禁止されてからも南洋捕鯨基地として栄えたこと、そしてこの岩礁に乗り上げて遭難した、亀山社中の帆船に乗っていた同志の霊を弔う碑がある「坂本龍馬」ゆかりの地でもあるなど認識を新たにしました。<br />2018年に世界遺産に登録されてから、観光地化が進み、ホテルもグルメも十分堪能しましたが、特に感銘したのは、Uターン組や移住者も含め、働く方々の地元愛が随所で感じられ、中でも3日間随行して説明してくれた4人のガイドさんの分かりやすい内容とひしひしと伝わってくる熱意は、今回の旅を充実した楽しいものにしてくれました。<br />*今回あらためて勉強になった「潜伏キリシタン」についての知識をまとめます。15世紀ヨーロッパの大航海時代から、1543年ポルトガル人が初めて種子島に鉄砲を伝え、1549年にはフランシスコ・ザビエルがキリスト教布教をはじめ、キリシタン大名大村純忠により長崎はキリスト教布教の中心となり多くの教会が建てられ、戦国時代には一時2,000人まで信者が増えたが、1596年秀吉から始まった禁教令で途絶え、江戸後期に大村藩から潜伏キリシタンが五島各地に渡り再びキリシタン集落ができたものの、キリスト教に対する弾圧は益々厳しくなり、1797年には大村藩から開拓を目的として多くの農民(実は潜伏キリシタン)が五島に移住してきて3,000人以上が島の各地に広まった。そして1865年、大浦天主堂の「信徒発見」をきっかけにカトリック教の復興が始まり、「五島崩れ」などの弾圧に対して外国からの厳しい非難もあって、ついに明治6年(1873)禁教が解かれると、多くの教会が各地に建てられた。

五島列島7島 3日間の世界遺産旅

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2025/10/04 - 2025/10/06

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Bach

Bachさん

かねてから行きたかった「長崎五島列島」に行ってきました。今年は3月の「熊野古道」に次ぐ世界遺産旅です。
旅の目的は、当然「潜伏キリシタン関連遺産」の教会を出来るだけ沢山見ることでしたが、大小150の島々(友人島は18)に隠れ住んだという所に50以上ある教会を、全部見ると1週間以上はかかる所を3日間で見るので完全ではないものの、海上タクシーというチャーター船を駆使して、世界遺産指定の3つを含む16の教会を見ることが出来て大満足です。特にハイライトは船上から見るだけでも大変な「キリシタン洞窟」に上陸して真近に見れたことで、イタリア「青の洞窟」並みの快挙です。
また教会だけでない「五島」の顔を新発見したこともあって、地形的に東シナ海を挟んで大陸に近いために、平安時代の僧「空海」も漂着した「遣唐使」最後の寄港地として栄えた島であり、本土最西端の「航空自衛隊」の基地が、中国や韓国からの侵入を見張っている島でもあり、また長崎半島との間に挟まれた「五島灘」はかつては捕鯨の猟場で、禁止されてからも南洋捕鯨基地として栄えたこと、そしてこの岩礁に乗り上げて遭難した、亀山社中の帆船に乗っていた同志の霊を弔う碑がある「坂本龍馬」ゆかりの地でもあるなど認識を新たにしました。
2018年に世界遺産に登録されてから、観光地化が進み、ホテルもグルメも十分堪能しましたが、特に感銘したのは、Uターン組や移住者も含め、働く方々の地元愛が随所で感じられ、中でも3日間随行して説明してくれた4人のガイドさんの分かりやすい内容とひしひしと伝わってくる熱意は、今回の旅を充実した楽しいものにしてくれました。
*今回あらためて勉強になった「潜伏キリシタン」についての知識をまとめます。15世紀ヨーロッパの大航海時代から、1543年ポルトガル人が初めて種子島に鉄砲を伝え、1549年にはフランシスコ・ザビエルがキリスト教布教をはじめ、キリシタン大名大村純忠により長崎はキリスト教布教の中心となり多くの教会が建てられ、戦国時代には一時2,000人まで信者が増えたが、1596年秀吉から始まった禁教令で途絶え、江戸後期に大村藩から潜伏キリシタンが五島各地に渡り再びキリシタン集落ができたものの、キリスト教に対する弾圧は益々厳しくなり、1797年には大村藩から開拓を目的として多くの農民(実は潜伏キリシタン)が五島に移住してきて3,000人以上が島の各地に広まった。そして1865年、大浦天主堂の「信徒発見」をきっかけにカトリック教の復興が始まり、「五島崩れ」などの弾圧に対して外国からの厳しい非難もあって、ついに明治6年(1873)禁教が解かれると、多くの教会が各地に建てられた。

  • 「五島列島」は南から「福江島」「久賀島」「奈留島」「若松島」「中通島」の5島を中心に150もの島々からなり、前者3つは「下五島」(しもごとう)と呼ばれ 20の教会(世界遺産2;江上、旧五輪)、後者2つは「上五島」(かみごとう)と呼ばれ 30の教会(世界遺産1:頭ヶ島)があり、全国最多の教会がある長崎県133の内、50の教会が集中する。<br />行程(1日目)大阪伊丹空港 8:10 発~9:25 福岡空港 11:40発~五島福江空港 12:30 着~バス~ 13:10 福江城址・ランチ~14:30玉の浦「井持浦教会」~15:10「大瀬崎断崖展望所」~16:30ホテル「カラリト五島列島」<泊><br />(2日目)9:00ホテル出発~バス~9:30「鬼岳」~バス~10:50「高浜ビーチ」~バス~11:30「道の駅・遣唐使ふるさと館」ランチ~バス~13:00福江港~<チャーター船>~13:45久賀島五輪港~徒歩~「旧五輪教会堂」~船~14:30奈留島江上港~徒歩~「江上天主堂」~船~前島~船~15:50「若松島キリシタン洞窟」~船~16:20桐港~バス~16:30ホテル「マルゲリータ上五島奈良尾」<泊><br />(3日目)8:00ホテル出発~バス~8:30中通島「中ノ浦教会」~バス~9:10「矢堅目の駅」~バス~9:40「青砂ヶ浦教会」~バス~10:15「海童神社」~バス~10:30「坂本龍馬ゆかりの地」~バス~11:00「頭ヶ島天主堂」~バス~12:00「有川港」ランチ~バス~奈良尾港13:35発~フェリー~長崎港16:05着~バス~17:20長崎空港18:55~飛行機~伊丹空港 20:15着

    「五島列島」は南から「福江島」「久賀島」「奈留島」「若松島」「中通島」の5島を中心に150もの島々からなり、前者3つは「下五島」(しもごとう)と呼ばれ 20の教会(世界遺産2;江上、旧五輪)、後者2つは「上五島」(かみごとう)と呼ばれ 30の教会(世界遺産1:頭ヶ島)があり、全国最多の教会がある長崎県133の内、50の教会が集中する。
    行程(1日目)大阪伊丹空港 8:10 発~9:25 福岡空港 11:40発~五島福江空港 12:30 着~バス~ 13:10 福江城址・ランチ~14:30玉の浦「井持浦教会」~15:10「大瀬崎断崖展望所」~16:30ホテル「カラリト五島列島」<泊>
    (2日目)9:00ホテル出発~バス~9:30「鬼岳」~バス~10:50「高浜ビーチ」~バス~11:30「道の駅・遣唐使ふるさと館」ランチ~バス~13:00福江港~<チャーター船>~13:45久賀島五輪港~徒歩~「旧五輪教会堂」~船~14:30奈留島江上港~徒歩~「江上天主堂」~船~前島~船~15:50「若松島キリシタン洞窟」~船~16:20桐港~バス~16:30ホテル「マルゲリータ上五島奈良尾」<泊>
    (3日目)8:00ホテル出発~バス~8:30中通島「中ノ浦教会」~バス~9:10「矢堅目の駅」~バス~9:40「青砂ヶ浦教会」~バス~10:15「海童神社」~バス~10:30「坂本龍馬ゆかりの地」~バス~11:00「頭ヶ島天主堂」~バス~12:00「有川港」ランチ~バス~奈良尾港13:35発~フェリー~長崎港16:05着~バス~17:20長崎空港18:55~飛行機~伊丹空港 20:15着

  • (1日目)大阪伊丹空港 8:10 発~福岡空港 9:25 着(所要時間約1時間20分)

    (1日目)大阪伊丹空港 8:10 発~福岡空港 9:25 着(所要時間約1時間20分)

  • 10:50 福岡空港で、乗り継ぎ時間があったので、懐かしの「福岡ごぼ天うどん」を食す、美味しかった!

    10:50 福岡空港で、乗り継ぎ時間があったので、懐かしの「福岡ごぼ天うどん」を食す、美味しかった!

  • 福岡空港 11:40 発、昨日の大雨の影響で、「着陸不能の場合は引き返す」条件付きで出発、しかもプロペラ機で、ちと不安!

    福岡空港 11:40 発、昨日の大雨の影響で、「着陸不能の場合は引き返す」条件付きで出発、しかもプロペラ機で、ちと不安!

  • (所要時間約50分)の着陸10分前、午前中雨だった天候は回復し、五島列島らしき島が見えてきた

    (所要時間約50分)の着陸10分前、午前中雨だった天候は回復し、五島列島らしき島が見えてきた

  • 「五島福江空港」 12:30 着、心配された天候も問題なく無事着陸して安心したが、久しぶりのプロペラ機の着陸は怖かった!

    「五島福江空港」 12:30 着、心配された天候も問題なく無事着陸して安心したが、久しぶりのプロペラ機の着陸は怖かった!

  • 「五島福江空港」<br />過去には大阪直行便もあったが、今は福岡と長崎の1日3便ずつだけ

    「五島福江空港」
    過去には大阪直行便もあったが、今は福岡と長崎の1日3便ずつだけ

  • 別名「五島つばき空港」<br />五島列島はヤブツバキの自生が全国一で「椿」で有名、、吉永小百合の資生堂CMはよく見かける

    別名「五島つばき空港」
    五島列島はヤブツバキの自生が全国一で「椿」で有名、、吉永小百合の資生堂CMはよく見かける

  • 世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(2018年登録)<br />キリスト教が禁じられていた江戸時代に、信仰を密かに守り続けた「潜伏キリシタン」の歴史を物語る遺産群として、12の資産で構成する。島原・原城跡、平戸・平戸集落(田平天主堂)、平戸・春日集落、天草・崎津集落(崎津教会)、長崎外海・出津集落(出津教会)、長崎外海・大野集落(大野教会)、佐世保・黒島集落(黒島天主堂)、佐世保・野崎島集落(旧野首教会)、上五島・頭ヶ島集落(頭ヶ島天主堂)、下五島・久賀島集落(旧五輪教会堂)、下五島・江上集落(江上天主堂)、長崎・大浦天主堂

    世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(2018年登録)
    キリスト教が禁じられていた江戸時代に、信仰を密かに守り続けた「潜伏キリシタン」の歴史を物語る遺産群として、12の資産で構成する。島原・原城跡、平戸・平戸集落(田平天主堂)、平戸・春日集落、天草・崎津集落(崎津教会)、長崎外海・出津集落(出津教会)、長崎外海・大野集落(大野教会)、佐世保・黒島集落(黒島天主堂)、佐世保・野崎島集落(旧野首教会)、上五島・頭ヶ島集落(頭ヶ島天主堂)、下五島・久賀島集落(旧五輪教会堂)、下五島・江上集落(江上天主堂)、長崎・大浦天主堂

  • 「チャンココ」(県指定無形民俗文化財)<br />五島の念仏おどりで、毎年お盆の時期に花笠をかぶり、鉦(チャン)と太鼓(ココ)と歌で踊る<br />

    「チャンココ」(県指定無形民俗文化財)
    五島の念仏おどりで、毎年お盆の時期に花笠をかぶり、鉦(チャン)と太鼓(ココ)と歌で踊る

  • 13:10 バスで五島市街「福江城址」<br />(HPより)幕末の1863年に、異国船を監視し、海上防衛に備えるとの目的で築城した五島藩主の居城で、海に囲まれる出城となっていた海城、天守はないが、本丸、二ノ丸、北ノ丸が、内堀、外堀に囲まれており、二の丸跡には金閣寺を模しているとされる「五島氏庭園」があり、江戸期の日本庭園の地方伝播の具体例として貴重なため、国の名勝に指定されているが、見る時間がなかったので残念!

    13:10 バスで五島市街「福江城址」
    (HPより)幕末の1863年に、異国船を監視し、海上防衛に備えるとの目的で築城した五島藩主の居城で、海に囲まれる出城となっていた海城、天守はないが、本丸、二ノ丸、北ノ丸が、内堀、外堀に囲まれており、二の丸跡には金閣寺を模しているとされる「五島氏庭園」があり、江戸期の日本庭園の地方伝播の具体例として貴重なため、国の名勝に指定されているが、見る時間がなかったので残念!

  • 13:20 ランチ<br />五島牛、ブリなど刺身、キビナゴのあおさ揚げ、煮物、五島うどんなど、地元食材を使った郷土料理が美味しかった!

    13:20 ランチ
    五島牛、ブリなど刺身、キビナゴのあおさ揚げ、煮物、五島うどんなど、地元食材を使った郷土料理が美味しかった!

  • 14:30 玉の浦「井持浦教会」(いもちうらきょうかい)<br />日本初のルルドを作ったことで有名な教会で、明治28年(1895)、当時全五島の宣教を委ねられたフランス人宣教師の指導により建設された

    14:30 玉の浦「井持浦教会」(いもちうらきょうかい)
    日本初のルルドを作ったことで有名な教会で、明治28年(1895)、当時全五島の宣教を委ねられたフランス人宣教師の指導により建設された

  • 「井持浦教会」は、江戸時代末期に大村藩から五島に移り住んだ潜伏キリシタンにより信仰の歴史が始まり、明治6年(1873)の禁教令解除後に、信者が多く住む集落ごとに教会を建設していった中で明治28年に建設された

    「井持浦教会」は、江戸時代末期に大村藩から五島に移り住んだ潜伏キリシタンにより信仰の歴史が始まり、明治6年(1873)の禁教令解除後に、信者が多く住む集落ごとに教会を建設していった中で明治28年に建設された

  • 「井持浦教会」の建っているこの地区一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区で、島の中心地から遠く離れていたことと、当時、五島藩の財源として重要な産業であった塩造りをしていたためだと言われる

    「井持浦教会」の建っているこの地区一帯は、五島に迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区で、島の中心地から遠く離れていたことと、当時、五島藩の財源として重要な産業であった塩造りをしていたためだと言われる

  • 五島の教会が木造建築ばかりであった中で、明治28年(1895)初めてレンガ造りの教会として建てられたが、明治30年(1897)に台風の影響で倒壊し、翌年に外壁は赤レンガの様相を残したままコンクリートで建て直された美しい教会で、現在の聖堂は昭和62年(1987)改装のもの

    五島の教会が木造建築ばかりであった中で、明治28年(1895)初めてレンガ造りの教会として建てられたが、明治30年(1897)に台風の影響で倒壊し、翌年に外壁は赤レンガの様相を残したままコンクリートで建て直された美しい教会で、現在の聖堂は昭和62年(1987)改装のもの

  • 「日本で最初のルルド」<br />「ルルド」は、洞窟に聖母マリアが出現したとされる南フランスの町で、当時の神父がこの「ルルドの洞窟」がバチカンに再現されたと聞き、明治32年(1899)日本で最初の「ルルド」を作った

    「日本で最初のルルド」
    「ルルド」は、洞窟に聖母マリアが出現したとされる南フランスの町で、当時の神父がこの「ルルドの洞窟」がバチカンに再現されたと聞き、明治32年(1899)日本で最初の「ルルド」を作った

  • 「行って泉の水を飲み、あなた自身を清めなさい」<br />この「ルルド」は、信者によって五島各地から集められた岩石や珍しい石を持ち寄って造り、内部にはフランスから持ち込んだ聖母マリアの像が安置され、 本場ルルドの奇跡の泉水を注ぎ入れているので、この霊水を飲むと病が治ると言われ、全国から多くの巡礼者が訪れ、日本全国の信者の聖地となっている<br /><br />

    「行って泉の水を飲み、あなた自身を清めなさい」
    この「ルルド」は、信者によって五島各地から集められた岩石や珍しい石を持ち寄って造り、内部にはフランスから持ち込んだ聖母マリアの像が安置され、 本場ルルドの奇跡の泉水を注ぎ入れているので、この霊水を飲むと病が治ると言われ、全国から多くの巡礼者が訪れ、日本全国の信者の聖地となっている

  • 「ルルドの聖水」<br />南フランスの「ルルド」で、1858年、貧しい14歳の少女ベルナデッタの前に聖母マリアが出現し、地面を掘るように言われ、少女が土を掘ると奇跡的な霊水が湧き出してきて、この水を飲んだ人は病気が治ったりしたので、多くの人が訪れるようになった、その後、世界各地でルルドを模した「ルルド」の洞窟と泉が作られ、多くの信者や病人が訪れるカトリックの重要な巡礼地となっている

    「ルルドの聖水」
    南フランスの「ルルド」で、1858年、貧しい14歳の少女ベルナデッタの前に聖母マリアが出現し、地面を掘るように言われ、少女が土を掘ると奇跡的な霊水が湧き出してきて、この水を飲んだ人は病気が治ったりしたので、多くの人が訪れるようになった、その後、世界各地でルルドを模した「ルルド」の洞窟と泉が作られ、多くの信者や病人が訪れるカトリックの重要な巡礼地となっている

  • 五島で初めての「古代ローマ風建築・ロマネスク様式」の教会<br />内部の撮影は叶わないが、コウモリ天井と言われる「リブ・ヴォールト天井」と、「ゴシック様式の祭壇」が素晴らしい、「ロマネスク様式」とは、華美な装飾を排したシンプルな造りで、外観は石造りの厚い壁、半円アーチの玄関と小さな窓が特徴で、内部は肋骨状の骨組みのアーチを交差させることで、天井の軽量化と補強をした「こうもり天井」で、広く壮大な空間になっており、「ゴシック様式の祭壇」は、繊細な彫刻や祭壇画、ステンドグラスなどが、シンプルながらも重厚感のある一見派手な空間を作り、神聖な雰囲気に包まれる

    五島で初めての「古代ローマ風建築・ロマネスク様式」の教会
    内部の撮影は叶わないが、コウモリ天井と言われる「リブ・ヴォールト天井」と、「ゴシック様式の祭壇」が素晴らしい、「ロマネスク様式」とは、華美な装飾を排したシンプルな造りで、外観は石造りの厚い壁、半円アーチの玄関と小さな窓が特徴で、内部は肋骨状の骨組みのアーチを交差させることで、天井の軽量化と補強をした「こうもり天井」で、広く壮大な空間になっており、「ゴシック様式の祭壇」は、繊細な彫刻や祭壇画、ステンドグラスなどが、シンプルながらも重厚感のある一見派手な空間を作り、神聖な雰囲気に包まれる

  • 15:10「大瀬崎(おおせざき)断崖」展望所<br />五島列島最西端に位置し、九州で最後の夕日を見れるという、五島でも有数の絶景スポットで、高さ150m、長さ20kmの断崖の先に、東シナ海のパノラマが広がる *有名な福井県の「東尋坊」は、高さ25m、長さ1kmなので、こちらの方が迫力がある<br />

    15:10「大瀬崎(おおせざき)断崖」展望所
    五島列島最西端に位置し、九州で最後の夕日を見れるという、五島でも有数の絶景スポットで、高さ150m、長さ20kmの断崖の先に、東シナ海のパノラマが広がる *有名な福井県の「東尋坊」は、高さ25m、長さ1kmなので、こちらの方が迫力がある

  • 「大陸との繋がりを感じる」大瀬崎の大断崖<br />(説明板)「灯台の建つ大瀬崎の岩肌をよく見ると、横方向に縞模様が見えます。これが「五島層群」(ごとうそうぐん)と呼ばれる地層の模様で、この砂は中国の黄河などの砂と同じ組成です」。つまり、「五島層群」は、1700~1500万年前に大陸から流れてきた砂泥が堆積してできた地層で、日本列島がユーラシア大陸から離れるときに大地が割れて、大陸の砂や泥が湖や川に溜まり岩石となったものだという

    「大陸との繋がりを感じる」大瀬崎の大断崖
    (説明板)「灯台の建つ大瀬崎の岩肌をよく見ると、横方向に縞模様が見えます。これが「五島層群」(ごとうそうぐん)と呼ばれる地層の模様で、この砂は中国の黄河などの砂と同じ組成です」。つまり、「五島層群」は、1700~1500万年前に大陸から流れてきた砂泥が堆積してできた地層で、日本列島がユーラシア大陸から離れるときに大地が割れて、大陸の砂や泥が湖や川に溜まり岩石となったものだという

  • 「五島列島(下五島エリア)ジオパーク」<br />大瀬崎の大断崖は、淡褐色の砂岩と黒色の泥岩が交互に重なった地層が、大瀬崎に打ち寄せる怒涛の波によって削りとられて大断崖となったもので、学術的にも貴重な海触地形の資料でもあり、2022年日本ジオパークに認定されている

    「五島列島(下五島エリア)ジオパーク」
    大瀬崎の大断崖は、淡褐色の砂岩と黒色の泥岩が交互に重なった地層が、大瀬崎に打ち寄せる怒涛の波によって削りとられて大断崖となったもので、学術的にも貴重な海触地形の資料でもあり、2022年日本ジオパークに認定されている

  • 「大瀬埼灯台」(おおせざきとうだい)<br />断崖の突端には、白亜の灯台があり、絶景効果を増幅させており、映画「悪人」や朝ドラ「舞いあがれ」などのロケ地としても使われている。灯台までは1.2kmの遊歩道で、行きは下り坂で20分、帰りは上り坂で40分かかる、「大瀬埼灯台」は、明治12年(1879)に点灯を始め、昭和46年(1971)に再建、高さ16m、光達距離22kmで、東シナ海を航行する船舶の安全を支え続けている *日本の灯台は、イギリス人技師の力を借りて、明治2年(1869)の横須賀「観音埼」を皮切りに、全国各地に約120基の灯台が建設され、現在も約半数の64基が働いている

    「大瀬埼灯台」(おおせざきとうだい)
    断崖の突端には、白亜の灯台があり、絶景効果を増幅させており、映画「悪人」や朝ドラ「舞いあがれ」などのロケ地としても使われている。灯台までは1.2kmの遊歩道で、行きは下り坂で20分、帰りは上り坂で40分かかる、「大瀬埼灯台」は、明治12年(1879)に点灯を始め、昭和46年(1971)に再建、高さ16m、光達距離22kmで、東シナ海を航行する船舶の安全を支え続けている *日本の灯台は、イギリス人技師の力を借りて、明治2年(1869)の横須賀「観音埼」を皮切りに、全国各地に約120基の灯台が建設され、現在も約半数の64基が働いている

  • 「東シナ海の水平線」<br />展望所からは、「東シナ海の水平線」と、長く伸びる「断崖」と、その先端に岬と灯台を見ることができ、青い海と、白亜の灯台と、褐色と黒色の断崖と、緑の木々のコントラストが素晴らしい、さらに夕方には九州で最後に沈む夕日がすべての景色をオレンジ色に染めるというから、想像しただけで感動もの! *「東シナ海」は、日本、中国、韓国に面し境界が未確定でもあるのでややこしいが、この「大瀬崎」と「済州島」を結んだ線の南側が東シナ海で、北側が「日本海」とされている

    「東シナ海の水平線」
    展望所からは、「東シナ海の水平線」と、長く伸びる「断崖」と、その先端に岬と灯台を見ることができ、青い海と、白亜の灯台と、褐色と黒色の断崖と、緑の木々のコントラストが素晴らしい、さらに夕方には九州で最後に沈む夕日がすべての景色をオレンジ色に染めるというから、想像しただけで感動もの! *「東シナ海」は、日本、中国、韓国に面し境界が未確定でもあるのでややこしいが、この「大瀬崎」と「済州島」を結んだ線の南側が東シナ海で、北側が「日本海」とされている

  • 「西海国立公園」(さいかいこくりつこうえん)<br />五島列島一帯は、佐世保の九十九島から平戸島を含み、大小400におよぶ島々の風景が海の国立公園に指定されており、ツバキなど多様な植物が四方を囲み、秋には渡り鳥のハチクマ(大型の鷹)やチゴハヤブサ(小型の隼)などの中継地となり、数千羽の大群を観察できる

    「西海国立公園」(さいかいこくりつこうえん)
    五島列島一帯は、佐世保の九十九島から平戸島を含み、大小400におよぶ島々の風景が海の国立公園に指定されており、ツバキなど多様な植物が四方を囲み、秋には渡り鳥のハチクマ(大型の鷹)やチゴハヤブサ(小型の隼)などの中継地となり、数千羽の大群を観察できる

  • 「五島列島の形成」<br />反対側(西方向)の景色も断崖が続いているが、「大瀬崎断崖」を見ると、1700~1500万年前に大陸から流れてきた砂泥が堆積してできた「五島層群」が、日本海が出来ていく中で、断層や火山活動、侵食などが影響し合って、複雑な地形を生み出しリアス式海岸のような海岸線や、断崖など多様な地形が形成されて、今の五島列島の形が出来上がった、ということが良く分る

    「五島列島の形成」
    反対側(西方向)の景色も断崖が続いているが、「大瀬崎断崖」を見ると、1700~1500万年前に大陸から流れてきた砂泥が堆積してできた「五島層群」が、日本海が出来ていく中で、断層や火山活動、侵食などが影響し合って、複雑な地形を生み出しリアス式海岸のような海岸線や、断崖など多様な地形が形成されて、今の五島列島の形が出来上がった、ということが良く分る

  • 15:50「立谷教会堂跡」(たちやきょうかいあと)の看板<br />明治11年(1878)に、大村藩から五島へ流刑された士族により、五島最初のカトリック教会として建設された、日本で2番目に古い木造教会であったが、1985年に井持浦天主堂に統合されて廃堂になり、建物はその後も残っていたが、1987年に台風12号で倒壊し、1998年に井持浦天主堂に預けていたマリア像が戻されて安置され、入口にモニュメントを設置し、現在は屋根を持たない野外教会となっている

    15:50「立谷教会堂跡」(たちやきょうかいあと)の看板
    明治11年(1878)に、大村藩から五島へ流刑された士族により、五島最初のカトリック教会として建設された、日本で2番目に古い木造教会であったが、1985年に井持浦天主堂に統合されて廃堂になり、建物はその後も残っていたが、1987年に台風12号で倒壊し、1998年に井持浦天主堂に預けていたマリア像が戻されて安置され、入口にモニュメントを設置し、現在は屋根を持たない野外教会となっている

  • 16:30 ホテル「カラリト五島列島」到着<br />2022.8開業の真新しいホテルで、心も景色も晴れやかに「カラリト」するという意味らしい

    16:30 ホテル「カラリト五島列島」到着
    2022.8開業の真新しいホテルで、心も景色も晴れやかに「カラリト」するという意味らしい

  • ラウンジとレストラン<br />企業の保養所を増築してリノベーションした、3階建て全48室のコンパクトなホテル

    ラウンジとレストラン
    企業の保養所を増築してリノベーションした、3階建て全48室のコンパクトなホテル

  • 部屋には、テレビも電話も時計もない、テレビのない生活を久しぶりに体験

    部屋には、テレビも電話も時計もない、テレビのない生活を久しぶりに体験

  • 全室オーシャンビュー

    全室オーシャンビュー

  • まず「半露天風呂」へ

    まず「半露天風呂」へ

  • 夕食は、五島列島の新鮮な食材を使ったコース料理<br />ご挨拶状によると、メキシコ料理にルーツを持つシェフによる、五島産の食材を生かし、風土や文化を表現した「ローカル・ガストロノジー」で、食材の魅力をモダン・メキシカンで惹きだす、その日の食材を使ったシェフのおまかせ料理です、とあるが良く分らん!

    夕食は、五島列島の新鮮な食材を使ったコース料理
    ご挨拶状によると、メキシコ料理にルーツを持つシェフによる、五島産の食材を生かし、風土や文化を表現した「ローカル・ガストロノジー」で、食材の魅力をモダン・メキシカンで惹きだす、その日の食材を使ったシェフのおまかせ料理です、とあるが良く分らん!

  • 初めて聞く「ローカル・ガストロノミー」とは<br />シェフの直接の説明によると、「ガストロノミー」という「美食」を芸術的・哲学的に捉え、地域に展開するもので、地域の風土、歴史、文化を料理で表現し、単に地元の食材を使うだけでなく、その土地ならではの食文化を深く理解し、総合的に地域を活性化させることを目指し、生産者との共存、伝統の継承と活性化を狙う、料理もここまで理屈付け(こだわり)が過ぎると、気合を入れて食べないといけない

    初めて聞く「ローカル・ガストロノミー」とは
    シェフの直接の説明によると、「ガストロノミー」という「美食」を芸術的・哲学的に捉え、地域に展開するもので、地域の風土、歴史、文化を料理で表現し、単に地元の食材を使うだけでなく、その土地ならではの食文化を深く理解し、総合的に地域を活性化させることを目指し、生産者との共存、伝統の継承と活性化を狙う、料理もここまで理屈付け(こだわり)が過ぎると、気合を入れて食べないといけない

  • 「鮮魚のアグアチレ」<br />アグアは水、チレは唐辛子で「唐辛子の水」、トマトの旨味たっぷりな出汁とライムの果汁で、五島の新鮮なお魚を漬けている<br />

    「鮮魚のアグアチレ」
    アグアは水、チレは唐辛子で「唐辛子の水」、トマトの旨味たっぷりな出汁とライムの果汁で、五島の新鮮なお魚を漬けている

  • 「ケサディージャ」(スペイン語で小さなチーズのもの)<br />トルティーヤでチーズを挟み、肉や野菜を加えて平たく焼いたメキシコ料理、「トルティーヤ」は、トウモロコシや小麦粉から作るメキシコでは主食となる薄焼きパンで、「タコス」は具材を「のせる」か「巻く」だけに対して、チーズをメインにし具材を挟んだ後に焼く

    「ケサディージャ」(スペイン語で小さなチーズのもの)
    トルティーヤでチーズを挟み、肉や野菜を加えて平たく焼いたメキシコ料理、「トルティーヤ」は、トウモロコシや小麦粉から作るメキシコでは主食となる薄焼きパンで、「タコス」は具材を「のせる」か「巻く」だけに対して、チーズをメインにし具材を挟んだ後に焼く

  • 「魚のベラクルス風」<br />メキシコのベラクルスという港町の郷土料理で、トマトベースのサルサ(ソース)で食べる

    「魚のベラクルス風」
    メキシコのベラクルスという港町の郷土料理で、トマトベースのサルサ(ソース)で食べる

  • 間接照明でムード漂う中、部屋の一角では誕生日ローソクを楽しむワンペアがいた

    間接照明でムード漂う中、部屋の一角では誕生日ローソクを楽しむワンペアがいた

  • 「五島牛の炭火焼」<br />あまり外に出回らない「幻の五島牛」を贅沢に炭火焼に、先ほどのサルサ(ソース)で食べる

    「五島牛の炭火焼」
    あまり外に出回らない「幻の五島牛」を贅沢に炭火焼に、先ほどのサルサ(ソース)で食べる

  • 「五島うどん」<br />つるっとしたのどごしとコシの強さが特徴の「五島うどん」を、温泉卵と五島の魚のうまみを凝縮した魚醤つゆを絡めて食べる、御当地たまごが美味しかった!<br />

    「五島うどん」
    つるっとしたのどごしとコシの強さが特徴の「五島うどん」を、温泉卵と五島の魚のうまみを凝縮した魚醤つゆを絡めて食べる、御当地たまごが美味しかった!

  • 「デザート」<br />ケーキとアイスクリーム、五島の「つばき茶」が美味しかった! この旅行を通して味わった「つばき茶」は、ヤブツバキの葉と緑茶を混ぜて発酵させた健康茶で、「ポリフェノール」が糖や脂肪に働きかけ、血糖値、中性脂肪、コレステロール、体脂肪低下、抗酸化作用など、生活習慣病予防に役立つ

    「デザート」
    ケーキとアイスクリーム、五島の「つばき茶」が美味しかった! この旅行を通して味わった「つばき茶」は、ヤブツバキの葉と緑茶を混ぜて発酵させた健康茶で、「ポリフェノール」が糖や脂肪に働きかけ、血糖値、中性脂肪、コレステロール、体脂肪低下、抗酸化作用など、生活習慣病予防に役立つ

  • (2日目)7:00 夕日は見られなかったが、朝日御来光

    (2日目)7:00 夕日は見られなかったが、朝日御来光

  • 「朝食」はお洒落な和風ごはんとみそ汁(生産者名付き)<br />鮮魚の塩こうじ焼き(椿鮮魚)、五島牛の冷しゃぶとろろ、長ひじきとあごのすり身蒸し(マルキン水産)、さっぱり梅きゅうり(いきいき五島)、焼きあごだしと麦味噌の味噌汁(野村さん豆腐店)、長崎産ひのひかりと雑穀のごはん、湯玉(大石養鶏場)、季節のフルーツ<br />

    「朝食」はお洒落な和風ごはんとみそ汁(生産者名付き)
    鮮魚の塩こうじ焼き(椿鮮魚)、五島牛の冷しゃぶとろろ、長ひじきとあごのすり身蒸し(マルキン水産)、さっぱり梅きゅうり(いきいき五島)、焼きあごだしと麦味噌の味噌汁(野村さん豆腐店)、長崎産ひのひかりと雑穀のごはん、湯玉(大石養鶏場)、季節のフルーツ

  • 外は明るくなり、天気は完全回復して安堵!

    外は明るくなり、天気は完全回復して安堵!

  • 食事後海岸を散歩

    食事後海岸を散歩

  • レストラン前のデッキと海と島の景色が素晴らしい!

    レストラン前のデッキと海と島の景色が素晴らしい!

  • 海の水の透明感も素晴らしい!

    海の水の透明感も素晴らしい!

  • 海側からのホテル全景

    海側からのホテル全景

  • 9:99 ホテルを出発し、バスで「鬼岳」へ

    9:99 ホテルを出発し、バスで「鬼岳」へ

  • 9:30「鬼岳」(おにだけorおんだけ)<br />標高315mの全面が芝生で覆われた美しい山で、福江島のシンボルとなっている、伊豆高原の「大室山」(おおむろやま)580mに似ている

    9:30「鬼岳」(おにだけorおんだけ)
    標高315mの全面が芝生で覆われた美しい山で、福江島のシンボルとなっている、伊豆高原の「大室山」(おおむろやま)580mに似ている

  • 中腹の「展望台」<br />駐車場から緩やかな斜面を10分弱登ると展望台があり、ちょうど「ヨーガ」をしているグループがあり、絶好の天気で気持ち良さそう!

    中腹の「展望台」
    駐車場から緩やかな斜面を10分弱登ると展望台があり、ちょうど「ヨーガ」をしているグループがあり、絶好の天気で気持ち良さそう!

  • 「鬼岳山頂」<br />正面が山頂で、15分くらい歩くと、あの向こう側に大きく開口した火口がある、「鬼岳」は、多数の火山からなる福江火山群の一つで、約1万8千年前に噴火したが、それ以降の火山活動はないが、2003年に活火山として新たに追加された

    「鬼岳山頂」
    正面が山頂で、15分くらい歩くと、あの向こう側に大きく開口した火口がある、「鬼岳」は、多数の火山からなる福江火山群の一つで、約1万8千年前に噴火したが、それ以降の火山活動はないが、2003年に活火山として新たに追加された

  • 「鬼岳の山焼き」<br />眼下には、福江の市街地や海の美しい景色が広がるが、こんなに美しい山肌を保っているのは、3年に1度、2月~3月の早春に、野焼きを行っているからで、これは、鬼岳の維持管理の一環として、本来生い茂る雑木や雑草を焼くことで、生態系保護だけでなく、広大な草原が形成され観光資源としても価値を高める効果があり、伝統行事として、約150人の消防団員が参加している、山焼き後は山肌はいったん黒くなるが、春には鮮やかな緑の草原が再生する

    「鬼岳の山焼き」
    眼下には、福江の市街地や海の美しい景色が広がるが、こんなに美しい山肌を保っているのは、3年に1度、2月~3月の早春に、野焼きを行っているからで、これは、鬼岳の維持管理の一環として、本来生い茂る雑木や雑草を焼くことで、生態系保護だけでなく、広大な草原が形成され観光資源としても価値を高める効果があり、伝統行事として、約150人の消防団員が参加している、山焼き後は山肌はいったん黒くなるが、春には鮮やかな緑の草原が再生する

  • 「島の案内人」NPO法人アクロス五島<br />3日間にわたって、五島列島の地元を愛する方々のガイドさんが説明してくれたので、非常に分かりやすく、楽しく旅することが出来た *「鬼岳」という名前は、山麓に鬼が住んでいたという「鬼穴洞窟」があるという伝説に由来

    「島の案内人」NPO法人アクロス五島
    3日間にわたって、五島列島の地元を愛する方々のガイドさんが説明してくれたので、非常に分かりやすく、楽しく旅することが出来た *「鬼岳」という名前は、山麓に鬼が住んでいたという「鬼穴洞窟」があるという伝説に由来

  • 「鬼岳と周辺の火山」<br />(説明板)鬼岳の周辺には、鬼岳火山群を構成する 11の玄武岩質の単成火山があり、最も古い火山は約50万年前に噴出しており、福江の市街地を作っており、鬼岳は約1万8千年前に噴出した最も新しい火山です。鬼岳火山群は、複数の溶岩流とスコリア(岩滓・がんさい)の噴出により形成され、目の前に見える赤島や黄島も同様です。<br />

    「鬼岳と周辺の火山」
    (説明板)鬼岳の周辺には、鬼岳火山群を構成する 11の玄武岩質の単成火山があり、最も古い火山は約50万年前に噴出しており、福江の市街地を作っており、鬼岳は約1万8千年前に噴出した最も新しい火山です。鬼岳火山群は、複数の溶岩流とスコリア(岩滓・がんさい)の噴出により形成され、目の前に見える赤島や黄島も同様です。

  • 反対側も、青く輝く美しい海と島々の景観が素晴らしい!

    反対側も、青く輝く美しい海と島々の景観が素晴らしい!

  • 「鬼岳天文台」<br />ここから見る星空は素晴らしい!ということは容易に想像できるが、肉眼でもはっきり天の川が見えるそうで、夜には「星空ナイトツアー」というのもあり、さらに天文台まであって、九州でも有数のニュートン式反射展望台で迫力満天の星空を楽しめるので、これは絶対、孫を連れて再訪したい!

    「鬼岳天文台」
    ここから見る星空は素晴らしい!ということは容易に想像できるが、肉眼でもはっきり天の川が見えるそうで、夜には「星空ナイトツアー」というのもあり、さらに天文台まであって、九州でも有数のニュートン式反射展望台で迫力満天の星空を楽しめるので、これは絶対、孫を連れて再訪したい!

  • 「ココロの球」1996年 今井祝雄(いまいのりお)作<br />「あなた自身が、かけがえのない唯一のものであるように、あなたのふるさとが、心の中ではいつも世界の中心であるように、私たちは描く、この地を中心とする世界の地図を、この地球上のどこかをふるさとにする、すべての人々のために、そうです、ここが地球のど真ん中です、ここから発する平和への近いが、やがて地球の隅々まで、おおいつくすことを願って、平和都市 福江 宣言記念 福江市」とある。これは福江が市政40周年の1994年に建立したモニュメントで、制作は造形作家の今井祝雄氏(大阪出身で奥様が福江島出身)、球体に空いた穴は、遠方の島が見えて、球体の間で音が反響する

    「ココロの球」1996年 今井祝雄(いまいのりお)作
    「あなた自身が、かけがえのない唯一のものであるように、あなたのふるさとが、心の中ではいつも世界の中心であるように、私たちは描く、この地を中心とする世界の地図を、この地球上のどこかをふるさとにする、すべての人々のために、そうです、ここが地球のど真ん中です、ここから発する平和への近いが、やがて地球の隅々まで、おおいつくすことを願って、平和都市 福江 宣言記念 福江市」とある。これは福江が市政40周年の1994年に建立したモニュメントで、制作は造形作家の今井祝雄氏(大阪出身で奥様が福江島出身)、球体に空いた穴は、遠方の島が見えて、球体の間で音が反響する

  • 10:30「水ノ浦教会」(みずのうらきょうかい)<br />江戸末期に大村藩から移住した潜伏キリシタン5人の男性と妻子らの移住にはじまり、明治6年(1873)の禁教令解除7年後の1880年に教会を建立、老朽化にともない1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築された、木造教会堂としては最大の規模を誇り、ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、青空にそびえる尖塔が美しい

    10:30「水ノ浦教会」(みずのうらきょうかい)
    江戸末期に大村藩から移住した潜伏キリシタン5人の男性と妻子らの移住にはじまり、明治6年(1873)の禁教令解除7年後の1880年に教会を建立、老朽化にともない1938年、鉄川与助設計施工の木造の優美な現教会に改築された、木造教会堂としては最大の規模を誇り、ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、青空にそびえる尖塔が美しい

  • 10:50「高浜ビーチ」<br />日本の渚100選に選ばれ、白い砂浜と青く輝く海が美しい!

    10:50「高浜ビーチ」
    日本の渚100選に選ばれ、白い砂浜と青く輝く海が美しい!

  • 「高浜海水浴場」<br />透明度の高い海の色は、波打ち際より水色、青色、沖合では深い藍色になるエメラルドグリーンと、遠浅の白銀色の砂浜とのコントラストが素晴らしい!

    「高浜海水浴場」
    透明度の高い海の色は、波打ち際より水色、青色、沖合では深い藍色になるエメラルドグリーンと、遠浅の白銀色の砂浜とのコントラストが素晴らしい!

  • 「魚藍観音」(ぎょらんかんのん)<br />前方に見える半島先端にあり、東シナ海の大漁と航海安全を祈願して建立された大観音像で、ここからの眺望も抜群!<br />

    「魚藍観音」(ぎょらんかんのん)
    前方に見える半島先端にあり、東シナ海の大漁と航海安全を祈願して建立された大観音像で、ここからの眺望も抜群!

  • 11:30「道の駅・遣唐使ふるさと館」<br />「五島列島」は「潜伏キリシタンの教会」だけでなく、もう一つ「遣唐使」が最後に寄港してここから出発したという顔があり、この辺りにその史跡があるが、この「道の駅」にいろいろ資料があるので今回はその情報のみ収集、(その1)この辺りの「三井楽(みいらく)半島」の先端には「空海記念碑」があり、遣唐使船の最終寄港地だった所に空海や遣唐使たちの偉業を偲んでいる(その2)魚津ヶ崎公園の岬に「遣唐使船寄泊地」の碑が建てられている(その3)この近くの岐宿町白石にある「小さなともづな石」は、遣唐使たちが船の修理や食料補給、風待ちをするために港に入った際、船からの綱をつないでいた(その4)近くにある「ふぜん河」という井戸は、遣唐使船に飲料用水を供給した(その5)近くにある「岩嶽神社」は、遣唐使守護の任にあたり順風を待っている間に病死した人を祀った、また昨日通った井持浦教会近くにあった「大宝寺」(だいほうじ)は、806年遣唐使に随行していた空海が唐から帰国の際に漂着し、国内初となる真言密教の講釈を行ったとされ、総本山の高野山に対し「西の高野山」と呼ぶようになった

    11:30「道の駅・遣唐使ふるさと館」
    「五島列島」は「潜伏キリシタンの教会」だけでなく、もう一つ「遣唐使」が最後に寄港してここから出発したという顔があり、この辺りにその史跡があるが、この「道の駅」にいろいろ資料があるので今回はその情報のみ収集、(その1)この辺りの「三井楽(みいらく)半島」の先端には「空海記念碑」があり、遣唐使船の最終寄港地だった所に空海や遣唐使たちの偉業を偲んでいる(その2)魚津ヶ崎公園の岬に「遣唐使船寄泊地」の碑が建てられている(その3)この近くの岐宿町白石にある「小さなともづな石」は、遣唐使たちが船の修理や食料補給、風待ちをするために港に入った際、船からの綱をつないでいた(その4)近くにある「ふぜん河」という井戸は、遣唐使船に飲料用水を供給した(その5)近くにある「岩嶽神社」は、遣唐使守護の任にあたり順風を待っている間に病死した人を祀った、また昨日通った井持浦教会近くにあった「大宝寺」(だいほうじ)は、806年遣唐使に随行していた空海が唐から帰国の際に漂着し、国内初となる真言密教の講釈を行ったとされ、総本山の高野山に対し「西の高野山」と呼ぶようになった

  • 「道の駅・遣唐使ふるさと館」<br />九州では奄美大島に次いで2番目の離島の「道の駅」で、建物は遣唐使ゆかりの船底天井になっていて、五島の花「椿」と民芸品の「ばらもん凧」があり、五島の特産品を販売している *「ばらもん」は、五島の言葉で「元気な」「活発な」を意味し、男の子の健やかな成長を願って凧を揚げると、独特の唸り声を発しながら空を舞う

    「道の駅・遣唐使ふるさと館」
    九州では奄美大島に次いで2番目の離島の「道の駅」で、建物は遣唐使ゆかりの船底天井になっていて、五島の花「椿」と民芸品の「ばらもん凧」があり、五島の特産品を販売している *「ばらもん」は、五島の言葉で「元気な」「活発な」を意味し、男の子の健やかな成長を願って凧を揚げると、独特の唸り声を発しながら空を舞う

  • 11:30「ランチ」<br />地元食材の「五島豚しゃぶしゃぶ」と「鬼鯖寿司」とブリ、イカの刺身、茶わん蒸しにデザートは「かんころ餅」 *「鬼鯖寿司」は、東シナ海で水揚げされた真鯖を旨酢に浅く漬け込み、地元鬼岳に因み名づけられた五島の名産品、「かんころ餅」は、地元のサツマイモを茹でて乾燥させた「かんころ」ともち米を混ぜ合わせた五島の名物

    11:30「ランチ」
    地元食材の「五島豚しゃぶしゃぶ」と「鬼鯖寿司」とブリ、イカの刺身、茶わん蒸しにデザートは「かんころ餅」 *「鬼鯖寿司」は、東シナ海で水揚げされた真鯖を旨酢に浅く漬け込み、地元鬼岳に因み名づけられた五島の名産品、「かんころ餅」は、地元のサツマイモを茹でて乾燥させた「かんころ」ともち米を混ぜ合わせた五島の名物

  • 「五島列島酒造」<br />近くに地元の酒蔵があったので、地元椿の花の天然酵母を使った麦焼酎「五島椿」(アルコール度23度)を購入、店内には、「五島には、ひたむきにつないできた文化と風土があり、そこから生まれた素晴らしい農産物があります。私たちのお酒は、そんな島の文化と風土を受け継ぎ、芋や麦や米など、土と人が育んだ作物のおいしさを伝えるためのお酒です。飲むたびに、五島は素晴らしい島だな、人々が守りつないできたんだな、そして、いつか訪れてみたいな、そう思っていただけるお酒をつくり続けます」とある、昨日のホテルの料理も、そうだっ同行してくれるガイドさんも、五島の人々の郷土愛がひしひしと伝わる

    「五島列島酒造」
    近くに地元の酒蔵があったので、地元椿の花の天然酵母を使った麦焼酎「五島椿」(アルコール度23度)を購入、店内には、「五島には、ひたむきにつないできた文化と風土があり、そこから生まれた素晴らしい農産物があります。私たちのお酒は、そんな島の文化と風土を受け継ぎ、芋や麦や米など、土と人が育んだ作物のおいしさを伝えるためのお酒です。飲むたびに、五島は素晴らしい島だな、人々が守りつないできたんだな、そして、いつか訪れてみたいな、そう思っていただけるお酒をつくり続けます」とある、昨日のホテルの料理も、そうだっ同行してくれるガイドさんも、五島の人々の郷土愛がひしひしと伝わる

  • 「航空自衛隊第15警戒隊」<br />中国や韓国に近い本土最西端の基地として、航空自衛隊が置かれており、福江島の道路が立派な理由は観光だけではないことが理解できる、白いドームは多分地上レーダーで、その隣の通信パラボラとで、大陸側の広範囲の電波情報を収集し周辺を監視しており、よく耳にするスクランブルはここから発進しているかも、元は米軍も常駐したらしいが、現在は板付基地に引き揚げ自衛隊だけになっており、900mの滑走路と、広大な総合訓練場もあって、仮想敵機を感知して戦闘機と連携しパトリオットで撃墜するというような実践訓練も行っている模様、五島にはもう一つ違う顔があった

    「航空自衛隊第15警戒隊」
    中国や韓国に近い本土最西端の基地として、航空自衛隊が置かれており、福江島の道路が立派な理由は観光だけではないことが理解できる、白いドームは多分地上レーダーで、その隣の通信パラボラとで、大陸側の広範囲の電波情報を収集し周辺を監視しており、よく耳にするスクランブルはここから発進しているかも、元は米軍も常駐したらしいが、現在は板付基地に引き揚げ自衛隊だけになっており、900mの滑走路と、広大な総合訓練場もあって、仮想敵機を感知して戦闘機と連携しパトリオットで撃墜するというような実践訓練も行っている模様、五島にはもう一つ違う顔があった

  • 13:00「福江港」到着<br />

    13:00「福江港」到着

  • 「福江港」<br />五島列島最大の港で、長崎港や博多港からのフェリーやジェットフォイルなどの定期船や、近隣離島間の旅客船・フェリーが多く発着する、五島市(福江島)の玄関口となっている

    「福江港」
    五島列島最大の港で、長崎港や博多港からのフェリーやジェットフォイルなどの定期船や、近隣離島間の旅客船・フェリーが多く発着する、五島市(福江島)の玄関口となっている

  • 「海上タクシー」<br />今回の楽しみは、船をチャーターして、教会巡りのクルージングをすることで、20名乗りくらいの「海上タクシー」に乗船<br />

    「海上タクシー」
    今回の楽しみは、船をチャーターして、教会巡りのクルージングをすることで、20名乗りくらいの「海上タクシー」に乗船

  • 13:10「久賀島五輪港」へ出航<br />五輪教会堂がある五輪地区は、いまだに直接車で行くことができない陸の孤島で、通常は、福江港から船で田ノ浦港まで20分、その後タクシーで40分、さらに徒歩で山道を15分歩くが、「海上タクシー」では約35分で行けるので、貴重な体験<br /><br />

    13:10「久賀島五輪港」へ出航
    五輪教会堂がある五輪地区は、いまだに直接車で行くことができない陸の孤島で、通常は、福江港から船で田ノ浦港まで20分、その後タクシーで40分、さらに徒歩で山道を15分歩くが、「海上タクシー」では約35分で行けるので、貴重な体験

  • 絶好のクルージング日和の中、途中、屋根尾島、多々良島などを見ながら「久賀島」へ向かう

    絶好のクルージング日和の中、途中、屋根尾島、多々良島などを見ながら「久賀島」へ向かう

  • 13:45「久賀島五輪港」到着<br />チャーター船でないと上陸できない桟橋で、船の舳先から降りる、この日は海が穏やかだったので安全に降りれたが、海が荒れたら怖い<br />

    13:45「久賀島五輪港」到着
    チャーター船でないと上陸できない桟橋で、船の舳先から降りる、この日は海が穏やかだったので安全に降りれたが、海が荒れたら怖い

  • 「久賀島」(ひさかじま)<br />五島列島の中では福江島・中通島に次いで3番目に大きい島だが、人口は304人(2019年)、18世紀末に大村藩から入植者が入りキリシタン集落が形成された

    「久賀島」(ひさかじま)
    五島列島の中では福江島・中通島に次いで3番目に大きい島だが、人口は304人(2019年)、18世紀末に大村藩から入植者が入りキリシタン集落が形成された

  • 「五輪教会堂」(ごりんきょうかいどう)<br />桟橋から歩いて約5分、新旧「五輪教会堂」へ向かう

    「五輪教会堂」(ごりんきょうかいどう)
    桟橋から歩いて約5分、新旧「五輪教会堂」へ向かう

  • 「旧五輪教会堂」<br />手前に旧「五輪教会堂」、その先に現在の「五輪教会堂」がある

    「旧五輪教会堂」
    手前に旧「五輪教会堂」、その先に現在の「五輪教会堂」がある

  • 世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産・久賀島集落」<br />「久賀島集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちの一つである。18世紀後半以降、外海(そとめ)地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が積極的に久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。解禁後はカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。 *「4つの集落」は、久賀島、野崎島、黒島、頭ヶ島<br />

    世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産・久賀島集落」
    「久賀島集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちの一つである。18世紀後半以降、外海(そとめ)地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が積極的に久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。解禁後はカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。 *「4つの集落」は、久賀島、野崎島、黒島、頭ヶ島

  • 国指定重要文化財「旧五輪教会堂」<br />(説明板)「旧五輪教会堂は、明治14年(1881)久賀島浜脇の地に浜脇教会堂として建てられたものであり、昭和6年に現地に移築された。現存する木造教会堂としては最古の部類に入ると思われる。建物は木造瓦葺平屋建て。窓が教会堂特有のポインテッドアーチ型であるのを除けば、外観はまったくの和風建築の造りである。内部は3廊式の会堂、いわゆるコーモリ天井、ゴシック風の祭壇など定法どおりの教会建築様式に仕上げている。大工棟梁は、久賀田ノ浦の平山亀太郎と伝わる。海辺に建つ木造建築であるため老朽化が激しく、昭和59年新しい教会堂建設のため解体の危機にさらされたことがあるが、関係機関の努力で修復・保存されることとなった。長い禁教政策の下、弾圧と迫害に耐え、ようやく禁教が解かれた明治初期、五島各地には信仰の証として、教会堂が建設され始めた。旧五輪教会堂は、その当時の教会建築史を物語る、歴史的建築様式を持つ貴重な文化財である」

    国指定重要文化財「旧五輪教会堂」
    (説明板)「旧五輪教会堂は、明治14年(1881)久賀島浜脇の地に浜脇教会堂として建てられたものであり、昭和6年に現地に移築された。現存する木造教会堂としては最古の部類に入ると思われる。建物は木造瓦葺平屋建て。窓が教会堂特有のポインテッドアーチ型であるのを除けば、外観はまったくの和風建築の造りである。内部は3廊式の会堂、いわゆるコーモリ天井、ゴシック風の祭壇など定法どおりの教会建築様式に仕上げている。大工棟梁は、久賀田ノ浦の平山亀太郎と伝わる。海辺に建つ木造建築であるため老朽化が激しく、昭和59年新しい教会堂建設のため解体の危機にさらされたことがあるが、関係機関の努力で修復・保存されることとなった。長い禁教政策の下、弾圧と迫害に耐え、ようやく禁教が解かれた明治初期、五島各地には信仰の証として、教会堂が建設され始めた。旧五輪教会堂は、その当時の教会建築史を物語る、歴史的建築様式を持つ貴重な文化財である」

  • 「旧五輪教会堂」<br />外観は日本家屋、内観は初期教会堂建築築物で、長崎県にある教会堂としては大浦天主堂に次いで古い木造教会として創建当時の形態を留めている、明治初期の教会建築史を物語る貴重な遺構<br />

    「旧五輪教会堂」
    外観は日本家屋、内観は初期教会堂建築築物で、長崎県にある教会堂としては大浦天主堂に次いで古い木造教会として創建当時の形態を留めている、明治初期の教会建築史を物語る貴重な遺構

  • 「堂内撮影が許される唯一の教会」<br />「旧五輪教会堂」は、昭和60年(1985)に新教会を建てる際に解体される予定だったが、日本の建築様式を知る上で貴重なものであるとして、長崎県の有形文化財に指定され、五島市に寄贈され保存公開されており、教会堂としては現役ではないことから、五島市の粋な計らいで、唯一堂内撮影が許されている

    「堂内撮影が許される唯一の教会」
    「旧五輪教会堂」は、昭和60年(1985)に新教会を建てる際に解体される予定だったが、日本の建築様式を知る上で貴重なものであるとして、長崎県の有形文化財に指定され、五島市に寄贈され保存公開されており、教会堂としては現役ではないことから、五島市の粋な計らいで、唯一堂内撮影が許されている

  • 「こうもり天井」<br />天井はすべて板張りで、コウモリが羽を広げた形に似ていることから名付けられたアーチ状の「リブ・ヴォールト」様式

    「こうもり天井」
    天井はすべて板張りで、コウモリが羽を広げた形に似ていることから名付けられたアーチ状の「リブ・ヴォールト」様式

  • 「幼子イエスを抱く聖ヨゼフ像」<br />正面は「十字架キリスト像」ではない、理由は、「聖ヨゼフ」は五島の信徒たちを象徴する守護聖人とされており、誠実に働く大工であった聖ヨゼフの生き方が、ひたむきに働く五島の信徒たちの姿と重ね合わせているといわれ、これは五島でも珍しい *聖ヨゼフは、イエスの養父で聖母マリアの夫

    「幼子イエスを抱く聖ヨゼフ像」
    正面は「十字架キリスト像」ではない、理由は、「聖ヨゼフ」は五島の信徒たちを象徴する守護聖人とされており、誠実に働く大工であった聖ヨゼフの生き方が、ひたむきに働く五島の信徒たちの姿と重ね合わせているといわれ、これは五島でも珍しい *聖ヨゼフは、イエスの養父で聖母マリアの夫

  • 右手の祭壇は「マリアさま」

    右手の祭壇は「マリアさま」

  • 左手の祭壇は「大人になったイエス」<br />手前は「告解室」(こっかいしつ)で、罪を司祭に告白し赦しを得る部屋 *罪を悔い改める「懺悔」とは違うとの説明があった

    左手の祭壇は「大人になったイエス」
    手前は「告解室」(こっかいしつ)で、罪を司祭に告白し赦しを得る部屋 *罪を悔い改める「懺悔」とは違うとの説明があった

  • 教会の後方<br />これは、ステンドグラスではなく、ガラスに絵を描いた「色ガラス」で、お金がなかったからという

    教会の後方
    これは、ステンドグラスではなく、ガラスに絵を描いた「色ガラス」で、お金がなかったからという

  • 教会の右山側

    教会の右山側

  • 教会の左海側

    教会の左海側

  • 先程乗ってきた「海上タクシー」が見える

    先程乗ってきた「海上タクシー」が見える

  • 新「五輪教会」<br />すぐ隣に新しく建てられた「五輪教会」がある

    新「五輪教会」
    すぐ隣に新しく建てられた「五輪教会」がある

  • 「カトリック教会」の表札

    「カトリック教会」の表札

  • 「五輪教会」<br />「旧五輪教会堂」の老朽化のため、昭和60年(1985)に隣接して建てられた、五島市内で最も新しい教会堂で、キリストを抱く聖ヨゼフ像や、左右の十字架の道行きの額など、「旧五輪教会堂」と同じだが、すべて小ぶりで簡素

    「五輪教会」
    「旧五輪教会堂」の老朽化のため、昭和60年(1985)に隣接して建てられた、五島市内で最も新しい教会堂で、キリストを抱く聖ヨゼフ像や、左右の十字架の道行きの額など、「旧五輪教会堂」と同じだが、すべて小ぶりで簡素

  • 14:10「久賀島五輪港」を出航

    14:10「久賀島五輪港」を出航

  • 久賀島(ひさかじま)から、隣の奈留島(なるしま)へ移動

    久賀島(ひさかじま)から、隣の奈留島(なるしま)へ移動

  • 14:30 「奈留島江上港」に到着<br />「江上港」は、列島の中でも特に複雑な海岸線と急斜面の山を持と、禁教時代に長崎から移住してきたキリシタンの人々は江上集落を作り潜伏した<br />

    14:30 「奈留島江上港」に到着
    「江上港」は、列島の中でも特に複雑な海岸線と急斜面の山を持と、禁教時代に長崎から移住してきたキリシタンの人々は江上集落を作り潜伏した

  • 上陸して10分ほど歩くと、教会が見えてきた<br />教会堂を取り囲む「タブの樹林」が、潮風や台風からしっかり守ってくれている

    上陸して10分ほど歩くと、教会が見えてきた
    教会堂を取り囲む「タブの樹林」が、潮風や台風からしっかり守ってくれている

  • 世界遺産「奈留島の江上集落」(江上天主堂とその周辺)<br />(説明板)世界遺産の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、長崎県と熊本県の12の資産で構成されており、教会が主体でなく、潜伏キリシタンたちがどのように信仰を継続していったかに焦点を絞っているため、教会として単独は長崎の「大浦天主堂」のみで、他は教会を中心とした周辺の集落として登録されている、また、一般に江戸時代に秘かにキリスト教を信仰していた人々を「隠れキリシタン」と呼ぶが、禁教令解禁後にカトリックへ復帰した人は「潜伏キリシタン」と呼び、解禁後もカトリックには戻らず、仏教や神道を装いながら独自の信仰形態を継続している人は「隠れキリシタン」として区別している

    世界遺産「奈留島の江上集落」(江上天主堂とその周辺)
    (説明板)世界遺産の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、長崎県と熊本県の12の資産で構成されており、教会が主体でなく、潜伏キリシタンたちがどのように信仰を継続していったかに焦点を絞っているため、教会として単独は長崎の「大浦天主堂」のみで、他は教会を中心とした周辺の集落として登録されている、また、一般に江戸時代に秘かにキリスト教を信仰していた人々を「隠れキリシタン」と呼ぶが、禁教令解禁後にカトリックへ復帰した人は「潜伏キリシタン」と呼び、解禁後もカトリックには戻らず、仏教や神道を装いながら独自の信仰形態を継続している人は「隠れキリシタン」として区別している

  • 「江上天主堂」(えがみてんしゅどう)<br />(説明板)江上地区には、明治14年(1881)に外海(そとめ)から4家族が移住し、洗礼を受けたといわれている。明治39年(1906)に現在地に教会を建設していたが、大正7年(1918)、50坪の教会が完成した。この江上天主堂は、教会建築の父・鉄川与助氏が手掛けたもので、木造ロマネスク様式の天主堂として最も完成度が高いといわれている。左右対称のシンプルな外観と純白に彩られた板張りの外壁がこの教会の特長である。また、内部はアーチ形の美しい天井、木目塗りの珍しい装飾が美しく、価値の高い建築様式であり、平成14年に県の文化財に指定され、平成20年には国の重要文化財に指定されている

    「江上天主堂」(えがみてんしゅどう)
    (説明板)江上地区には、明治14年(1881)に外海(そとめ)から4家族が移住し、洗礼を受けたといわれている。明治39年(1906)に現在地に教会を建設していたが、大正7年(1918)、50坪の教会が完成した。この江上天主堂は、教会建築の父・鉄川与助氏が手掛けたもので、木造ロマネスク様式の天主堂として最も完成度が高いといわれている。左右対称のシンプルな外観と純白に彩られた板張りの外壁がこの教会の特長である。また、内部はアーチ形の美しい天井、木目塗りの珍しい装飾が美しく、価値の高い建築様式であり、平成14年に県の文化財に指定され、平成20年には国の重要文化財に指定されている

  • 「江上天主堂」は信徒の苦労の結晶<br />解禁後、江上集落はカトリックへ復帰し、大正7年(1918)、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴ漁で蓄えた資金で建てられた。純白の外壁と水色の窓枠がアクセントのかわいらしい教会で、内部は見れないが、コウモリ天井と、手描きの木目の柱や花の絵の窓ガラスは、信徒の苦労の結晶で、潜伏の終焉を示すシンボルとされ、日本の木造教会の中でも特に完成度が高く、教会建築の父・鉄川与助の代表作である

    「江上天主堂」は信徒の苦労の結晶
    解禁後、江上集落はカトリックへ復帰し、大正7年(1918)、40~50戸あまりの信徒が共同し、キビナゴ漁で蓄えた資金で建てられた。純白の外壁と水色の窓枠がアクセントのかわいらしい教会で、内部は見れないが、コウモリ天井と、手描きの木目の柱や花の絵の窓ガラスは、信徒の苦労の結晶で、潜伏の終焉を示すシンボルとされ、日本の木造教会の中でも特に完成度が高く、教会建築の父・鉄川与助の代表作である

  • 「江上天主堂」は高床式<br />教会堂は海に面し、前には小川があり、周辺は湿度が高いので、高床式にして通気をよくしており、床下の礎石には近くの海から運んだ証しの貝殻が付いている

    「江上天主堂」は高床式
    教会堂は海に面し、前には小川があり、周辺は湿度が高いので、高床式にして通気をよくしており、床下の礎石には近くの海から運んだ証しの貝殻が付いている

  • 「天主堂」(てんしゅどう)<br />教会は、「教会堂」や「聖堂」「天主堂」とか呼ばれるが、「天主堂」は、カトリック教会の、特に重要な教会堂を指し、長崎の「大浦天主堂」の他、五島には「江上、頭ヶ島、堂崎、青砂ヶ浦」の4つで、ガイドさんによると、これは国に登録して許可されたものだけという

    「天主堂」(てんしゅどう)
    教会は、「教会堂」や「聖堂」「天主堂」とか呼ばれるが、「天主堂」は、カトリック教会の、特に重要な教会堂を指し、長崎の「大浦天主堂」の他、五島には「江上、頭ヶ島、堂崎、青砂ヶ浦」の4つで、ガイドさんによると、これは国に登録して許可されたものだけという

  • 「ルルド」らしき形跡

    「ルルド」らしき形跡

  • 「江上天主堂」の十字架<br />江上天主堂には屋根の上に十字架はない、代わりに正面の瓦に刻まれた十字架と、建物背面軒下に、十字になった空気穴があって、これが光があたると十字の形を映す

    「江上天主堂」の十字架
    江上天主堂には屋根の上に十字架はない、代わりに正面の瓦に刻まれた十字架と、建物背面軒下に、十字になった空気穴があって、これが光があたると十字の形を映す

  • 15:10「奈留島江上港」から「若松島キリシタン洞窟」へ

    15:10「奈留島江上港」から「若松島キリシタン洞窟」へ

  • 船は「奈留島」から「前島」へと進む

    船は「奈留島」から「前島」へと進む

  • 15:30「前島」は人口20人位の小さな島で、海岸に天橋立のような砂州が見えてきた

    15:30「前島」は人口20人位の小さな島で、海岸に天橋立のような砂州が見えてきた

  • 「前島のトンボロ」<br />「トンボロ」とは、イタリア語で「陸繋砂州」(りくけいさす)のことで、波によって運ばれた砂や小石が陸地と島の間に堆積し陸地と島をつなぎ、普段は海の中で見えないが、干潮時になると「前島」と隣の小島「末津島」(すえつしま)をつなぐ、幅10m、長さ400mの海道が出来て、トンボロを歩いて渡ることができる

    「前島のトンボロ」
    「トンボロ」とは、イタリア語で「陸繋砂州」(りくけいさす)のことで、波によって運ばれた砂や小石が陸地と島の間に堆積し陸地と島をつなぎ、普段は海の中で見えないが、干潮時になると「前島」と隣の小島「末津島」(すえつしま)をつなぐ、幅10m、長さ400mの海道が出来て、トンボロを歩いて渡ることができる

  • 「奈留島」の先端を廻って、「若松島」へ進む

    「奈留島」の先端を廻って、「若松島」へ進む

  • 若松島「土井ノ浦教会」が見える<br />(HPより)大正7年(1918)に、旧大曽教会を買い受けて移築し、その後改築したが、内部は木造建築の初期の教会様式になっている

    若松島「土井ノ浦教会」が見える
    (HPより)大正7年(1918)に、旧大曽教会を買い受けて移築し、その後改築したが、内部は木造建築の初期の教会様式になっている

  • 15:50「若松島のキリシタン洞窟」に到着

    15:50「若松島のキリシタン洞窟」に到着

  • 「若松島のキリシタン洞窟」に上陸<br />通常は、船から見るだけでも幸運だが、船長さんの粋な計らいで、今日は船から上陸してもいいと言う、ガイドさんも、こんなことは滅多にないと言うので、誠にラッキー!

    「若松島のキリシタン洞窟」に上陸
    通常は、船から見るだけでも幸運だが、船長さんの粋な計らいで、今日は船から上陸してもいいと言う、ガイドさんも、こんなことは滅多にないと言うので、誠にラッキー!

  • 「若松島キリシタン洞窟」<br />禁教令が解かれる直前の明治元年(1868)「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧が起こり、3家族12人が迫害を逃れてこの洞窟に身を隠したが、沖を通る漁船に見つかって捕らえられ、厳しい拷問を受けることになった。その後昭和42年(1967)に洞窟の入り口に高さ4m十字架とキリスト像が建てられ、現在も毎年「土井ノ浦教会」の信者を中心に約100名が集まりミサを捧げているという、潜伏キリシタンの信仰と弾圧の歴史を今に伝える重要な場所である

    「若松島キリシタン洞窟」
    禁教令が解かれる直前の明治元年(1868)「五島崩れ」と呼ばれるキリシタン弾圧が起こり、3家族12人が迫害を逃れてこの洞窟に身を隠したが、沖を通る漁船に見つかって捕らえられ、厳しい拷問を受けることになった。その後昭和42年(1967)に洞窟の入り口に高さ4m十字架とキリスト像が建てられ、現在も毎年「土井ノ浦教会」の信者を中心に約100名が集まりミサを捧げているという、潜伏キリシタンの信仰と弾圧の歴史を今に伝える重要な場所である

  • 「五島崩れ」とは、<br />幕末の1865年、長崎・大浦天主堂での「信徒発見」をきっかけに、五島でもキリシタンたちが次々と信仰を表明すると、明治政府は組織一掃のために弾圧を始め、久賀島の牢屋の窄(せき)ではわずか6坪の牢屋に約200人のキリシタンが押し込められ拷問を続け、43人が命を落とした。「崩れ」とは、大規模に摘発されることで、この悲劇がヨーロッパに伝えられ、日本は各国から非難を受けるようになり、やがて明治政府はキリスト教を認めることとなった

    「五島崩れ」とは、
    幕末の1865年、長崎・大浦天主堂での「信徒発見」をきっかけに、五島でもキリシタンたちが次々と信仰を表明すると、明治政府は組織一掃のために弾圧を始め、久賀島の牢屋の窄(せき)ではわずか6坪の牢屋に約200人のキリシタンが押し込められ拷問を続け、43人が命を落とした。「崩れ」とは、大規模に摘発されることで、この悲劇がヨーロッパに伝えられ、日本は各国から非難を受けるようになり、やがて明治政府はキリスト教を認めることとなった

  • 「洞窟の入り口」<br />左手が洞窟の入り口で、奥行き50m、高さ5m、幅5mの洞窟に3家族12人が隠れていて、海岸からは入口が見えず、絶好の隠れ場所だったが、火を焚いた煙で見つかったという<br />

    「洞窟の入り口」
    左手が洞窟の入り口で、奥行き50m、高さ5m、幅5mの洞窟に3家族12人が隠れていて、海岸からは入口が見えず、絶好の隠れ場所だったが、火を焚いた煙で見つかったという

  • 16:00「キリシタン洞窟」を出発<br />今日のガイドさんは、地元の「潜伏キリシタン」の末裔の方で、涙ながらの迫力ある説明で感動した!

    16:00「キリシタン洞窟」を出発
    今日のガイドさんは、地元の「潜伏キリシタン」の末裔の方で、涙ながらの迫力ある説明で感動した!

  • 身の引き締まる思いで、洞窟を離れる

    身の引き締まる思いで、洞窟を離れる

  • 「ハリノメンド」<br />「メンド」は、五島弁で穴のことで「針の穴」という意味で、荒波の浸食によって出来たこの穴は、マリア様が幼子イエスを抱いている「聖母子像」に見えるという、が場所によって変わるので微妙!

    「ハリノメンド」
    「メンド」は、五島弁で穴のことで「針の穴」という意味で、荒波の浸食によって出来たこの穴は、マリア様が幼子イエスを抱いている「聖母子像」に見えるという、が場所によって変わるので微妙!

  • 裏側からの「ハリノメンド」

    裏側からの「ハリノメンド」

  • 16:10 「サンセットクルージング」<br />この辺りは「溺れ谷」(おぼれだに)と呼ばれる、陸上にあった谷がそのまま水面下に沈んで出来た地形で、いろんな形に見える岸壁半島が、西陽日を受けて作り出す光景は素晴らしく、もう少し遅ければ「サンセットクルージング」が楽しめる

    16:10 「サンセットクルージング」
    この辺りは「溺れ谷」(おぼれだに)と呼ばれる、陸上にあった谷がそのまま水面下に沈んで出来た地形で、いろんな形に見える岸壁半島が、西陽日を受けて作り出す光景は素晴らしく、もう少し遅ければ「サンセットクルージング」が楽しめる

  • 「若松瀬戸」(わかまつせと)<br />若松島から、瀬戸(海峡)を抜けて、中通島(なかどおりじま)の「桐港」へ進む

    「若松瀬戸」(わかまつせと)
    若松島から、瀬戸(海峡)を抜けて、中通島(なかどおりじま)の「桐港」へ進む

  • 16:20「桐港」(きりこう)到着<br />ここからバスでホテルへ向かう

    16:20「桐港」(きりこう)到着
    ここからバスでホテルへ向かう

  • 16:30 ホテル「マルゲリータ奈良尾」に到着<br />わずか29室しかないリゾートホテルで、元町営温泉センターを改修して2019年開業の比較的新しいホテル<br />

    16:30 ホテル「マルゲリータ奈良尾」に到着
    わずか29室しかないリゾートホテルで、元町営温泉センターを改修して2019年開業の比較的新しいホテル

  • 2017年に閉館した奈良尾温泉センターを改修したもので、客室の29室は新上五島町にある教会数に因み、レストラン、カフェ、温泉棟を併設している

    2017年に閉館した奈良尾温泉センターを改修したもので、客室の29室は新上五島町にある教会数に因み、レストラン、カフェ、温泉棟を併設している

  • 部屋は、全室オーシャンビューで、奈良尾港や海の向こうには教会も見える

    部屋は、全室オーシャンビューで、奈良尾港や海の向こうには教会も見える

  • 離島では数少ない天然温泉大浴場完備

    離島では数少ない天然温泉大浴場完備

  • 18:00 レストラン「海ト空○ト星」(うみとそらまるとほし)で夕食

    18:00 レストラン「海ト空○ト星」(うみとそらまるとほし)で夕食

  • 五島列島の地産地消のメニュー<br />「先付」鯨ベーコン、シュウマイ、蒸し鶏葱ダレ、きびなご一夜干し、島にぎり 

    五島列島の地産地消のメニュー
    「先付」鯨ベーコン、シュウマイ、蒸し鶏葱ダレ、きびなご一夜干し、島にぎり 

  • 「椀物」鯵つみれ汁

    「椀物」鯵つみれ汁

  • 「造り」ヒラマサ、マグロ、めじな、いさき、さざえ<br />黒潮と対馬海流が流れ込むので、飛魚(あご)、マグロ、ブリ、アオリイカ、きびなご、カンパチ、サバ、鯛、ヒラマサ、うちわエビ、鯨など海産物は豊富

    「造り」ヒラマサ、マグロ、めじな、いさき、さざえ
    黒潮と対馬海流が流れ込むので、飛魚(あご)、マグロ、ブリ、アオリイカ、きびなご、カンパチ、サバ、鯛、ヒラマサ、うちわエビ、鯨など海産物は豊富

  • 「蒸物」鰆の葱蒸し

    「蒸物」鰆の葱蒸し

  • 「焼物」五島牛ローストビーフ

    「焼物」五島牛ローストビーフ

  • 「ご飯」白米、汁、香の物

    「ご飯」白米、汁、香の物

  • 「甘物」かんころ餅<br />ランチで食べた「道の駅・遣唐使ふるさと館」での「かんころ餅」とは、まるで違う<br />

    「甘物」かんころ餅
    ランチで食べた「道の駅・遣唐使ふるさと館」での「かんころ餅」とは、まるで違う

  • (3日目)6:30 朝散歩<br />隣には、本格的な「日本庭園」があった

    (3日目)6:30 朝散歩
    隣には、本格的な「日本庭園」があった

  • 「ふるさと観音公園」<br />心字池を中心とし、五島湾を借景とした立派な日本庭園で、町営公園となっている

    「ふるさと観音公園」
    心字池を中心とし、五島湾を借景とした立派な日本庭園で、町営公園となっている

  • この公園のシンボルは、「黄金の観音像」<br />「長崎平和祈念像」の制作者「北村西望」によって造られた

    この公園のシンボルは、「黄金の観音像」
    「長崎平和祈念像」の制作者「北村西望」によって造られた

  • 松や灯篭。石橋、砂洲など本格的庭園で、手入れも行き届いていて、朝から気持ちが安らぐ

    松や灯篭。石橋、砂洲など本格的庭園で、手入れも行き届いていて、朝から気持ちが安らぐ

  • 「朝食」も地産地消で、朝から豪勢!

    「朝食」も地産地消で、朝から豪勢!

  • 8:00 アオサギに見送られながらホテル出発<br />

    8:00 アオサギに見送られながらホテル出発

  • バスで、中通島を北上すると、途中で教会が見える

    バスで、中通島を北上すると、途中で教会が見える

  • 8:30 「若松大浦教会」(わかまつおおうらきょうかい)<br />(HPより)大正15年(1926)に礼拝堂が建てられ、昭和20年代に民家を買い取って聖堂とし、平成2年(1990)に増築された、祭壇には信徒が製作されたふくよかな聖母像があり、地元の深い信徒心を感じさせてくれる

    8:30 「若松大浦教会」(わかまつおおうらきょうかい)
    (HPより)大正15年(1926)に礼拝堂が建てられ、昭和20年代に民家を買い取って聖堂とし、平成2年(1990)に増築された、祭壇には信徒が製作されたふくよかな聖母像があり、地元の深い信徒心を感じさせてくれる

  • 「宿ノ浦郷大浦漁港」(しゅくのうらごう おおうらぎょこう)<br />

    「宿ノ浦郷大浦漁港」(しゅくのうらごう おおうらぎょこう)

  • 峠を少し超えると、入江の袂に教会が見えてくる

    峠を少し超えると、入江の袂に教会が見えてくる

  • 8:30「中ノ浦教会」<br />穏やかな水面に姿を映す「水鏡の教会」として美しい教会で、明治初めの迫害「五島崩れ」が激しかった所に「五島で一番美しい聖堂を作りたい」という信者の願いを結実し大正14年(1925)に建立された

    8:30「中ノ浦教会」
    穏やかな水面に姿を映す「水鏡の教会」として美しい教会で、明治初めの迫害「五島崩れ」が激しかった所に「五島で一番美しい聖堂を作りたい」という信者の願いを結実し大正14年(1925)に建立された

  • (HPより)シンプルな木造建築ながら、列柱の上部に描かれた椿の花が印象的で、内部の主廊は折上げ天井で、祭壇部はリブヴォールト(こうもり)天井となっている<br />

    (HPより)シンプルな木造建築ながら、列柱の上部に描かれた椿の花が印象的で、内部の主廊は折上げ天井で、祭壇部はリブヴォールト(こうもり)天井となっている

  • ドラマ、映画のロケ地<br />2022年NHKの朝ドラ「舞いあがれ!」や、2019年映画「最高の人生の見つけ方」のロケ地にもなった

    ドラマ、映画のロケ地
    2022年NHKの朝ドラ「舞いあがれ!」や、2019年映画「最高の人生の見つけ方」のロケ地にもなった

  • コバルトブルーの海が素晴らしい!

    コバルトブルーの海が素晴らしい!

  • 8:50「大曽教会」(おおそきょうかい)<br />青方港から対岸に見える茶色の教会は「大曽教会」で、明治12年(1879)五島に流れ信仰を守りつづけた信徒が建てた木造教会が、移転改築され大正5年(1916)現在の赤煉瓦造りの教会が出来た

    8:50「大曽教会」(おおそきょうかい)
    青方港から対岸に見える茶色の教会は「大曽教会」で、明治12年(1879)五島に流れ信仰を守りつづけた信徒が建てた木造教会が、移転改築され大正5年(1916)現在の赤煉瓦造りの教会が出来た

  • 8:55「青方教会」(あおかたきょうかい)<br />昭和50年(1975)に建てられ、平成12年(2000)に現在の場所に建て替えられ、上五島地区のカトリックセンターとなっている<br />

    8:55「青方教会」(あおかたきょうかい)
    昭和50年(1975)に建てられ、平成12年(2000)に現在の場所に建て替えられ、上五島地区のカトリックセンターとなっている

  • 9:05「冷水教会」(ひやみずきょうかい)<br />(HPより)信者たちは対岸にある「青砂ヶ浦天主堂」へ船で通っていたが、明治40年(1907)に現在の教会堂を建立し、青砂ヶ浦教会の巡回教会となった、重厚な赤レンガ造りの青砂ヶ浦教会に対し、ここはトンガリ帽子のような尖塔が載った木造建築で、「鉄川与助」が棟梁として初めて設計、施工した教会として知られている<br /><br />

    9:05「冷水教会」(ひやみずきょうかい)
    (HPより)信者たちは対岸にある「青砂ヶ浦天主堂」へ船で通っていたが、明治40年(1907)に現在の教会堂を建立し、青砂ヶ浦教会の巡回教会となった、重厚な赤レンガ造りの青砂ヶ浦教会に対し、ここはトンガリ帽子のような尖塔が載った木造建築で、「鉄川与助」が棟梁として初めて設計、施工した教会として知られている

  • 9:10「矢堅目の駅」(やがためのえき)<br />昔は外敵の侵入を見張るために、矢を持った兵士が砦を「堅めた」ことに由来する「矢堅目」を望む場所にあり、薪で焚き上げる自然海塩を作っている

    9:10「矢堅目の駅」(やがためのえき)
    昔は外敵の侵入を見張るために、矢を持った兵士が砦を「堅めた」ことに由来する「矢堅目」を望む場所にあり、薪で焚き上げる自然海塩を作っている

  • 「矢堅目の塩工房」<br />塩づくりは、古代から伝わる伝統製法で、「採かん」(濃縮):五島近海の海水(表層水)を汲み上げ~薪を使って平釜で海水を煮詰め、水分を蒸発させて濃い塩水(かん水)を作り~「煎ごう」(結晶化):別釜に移してさらに煮詰めて塩の結晶を析出させる、の2段階で添加物を使わず、薪と平釜でじっくり時間をかけて製造し、海水から塩になるまで約2週間かかり、1トンの海水から10kgの塩が出来るというから、地道!

    「矢堅目の塩工房」
    塩づくりは、古代から伝わる伝統製法で、「採かん」(濃縮):五島近海の海水(表層水)を汲み上げ~薪を使って平釜で海水を煮詰め、水分を蒸発させて濃い塩水(かん水)を作り~「煎ごう」(結晶化):別釜に移してさらに煮詰めて塩の結晶を析出させる、の2段階で添加物を使わず、薪と平釜でじっくり時間をかけて製造し、海水から塩になるまで約2週間かかり、1トンの海水から10kgの塩が出来るというから、地道!

  • 「一人1個ずつ塩を小瓶に詰めて持ち帰る」<br />薪を使用することで遠赤外線効果でミネラル分が豊富で、まろやかな塩になり、火加減を管理して結晶の粗さや粒子を変えることで塩の味や用途が異なるという<br />

    「一人1個ずつ塩を小瓶に詰めて持ち帰る」
    薪を使用することで遠赤外線効果でミネラル分が豊富で、まろやかな塩になり、火加減を管理して結晶の粗さや粒子を変えることで塩の味や用途が異なるという

  • 矢堅目の塩を使った「塩ソフトクリーム」は絶品!

    矢堅目の塩を使った「塩ソフトクリーム」は絶品!

  • 世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」コーナー<br />「矢堅目の駅」の経営者は、敬虔なカトリック信者だそうで、近くに「冷水教会」があることから、このコーナーがあると思われる

    世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」コーナー
    「矢堅目の駅」の経営者は、敬虔なカトリック信者だそうで、近くに「冷水教会」があることから、このコーナーがあると思われる

  • 「冷水教会創建当時のステンドグラス」<br />これは、教会堂建築の第一人者「鉄川与助」が初めて手がけた「冷水教会」で飾られていたステンドグラスで、カトリック信者である社長の熱い思いが伝わって、特別に譲ってもらっただという

    「冷水教会創建当時のステンドグラス」
    これは、教会堂建築の第一人者「鉄川与助」が初めて手がけた「冷水教会」で飾られていたステンドグラスで、カトリック信者である社長の熱い思いが伝わって、特別に譲ってもらっただという

  • 「鉄川与助」(てつかわよすけ 1879-1976)<br />明治12年、近くの青方郷に生まれ、五島藩の御用大工となり、新たに外国人神父によって導入された教会建築に目を向け、日本における教会建築の開拓者となった、明治40年(1907)に初めての「冷水教会」を皮切りに、堂崎、青砂ヶ浦、大曽、江上、頭ヶ島、水の浦や、五島以外でも長崎浦上天主堂や天草崎津教会など30以上の教会を設計した

    「鉄川与助」(てつかわよすけ 1879-1976)
    明治12年、近くの青方郷に生まれ、五島藩の御用大工となり、新たに外国人神父によって導入された教会建築に目を向け、日本における教会建築の開拓者となった、明治40年(1907)に初めての「冷水教会」を皮切りに、堂崎、青砂ヶ浦、大曽、江上、頭ヶ島、水の浦や、五島以外でも長崎浦上天主堂や天草崎津教会など30以上の教会を設計した

  • 「トトロ岩」<br />「矢堅目の駅」の前には東シナ海に通じる「奈摩湾」(なまわん)が拡がり、その突端にある「矢堅目」の奇岩は、トトロが左を向いているように見えることから「トトロ岩」と呼ばれて話題になった

    「トトロ岩」
    「矢堅目の駅」の前には東シナ海に通じる「奈摩湾」(なまわん)が拡がり、その突端にある「矢堅目」の奇岩は、トトロが左を向いているように見えることから「トトロ岩」と呼ばれて話題になった

  • 9:40「矢堅目の駅」から「奈摩湾」沿いに引き返して、「青砂ヶ浦天主堂」へ

    9:40「矢堅目の駅」から「奈摩湾」沿いに引き返して、「青砂ヶ浦天主堂」へ

  • 「鉄川与助」により、明治40年の「冷水教会」から3つ目として、明治43年(1910)建てられた、レンガ造り建築の傑作

    「鉄川与助」により、明治40年の「冷水教会」から3つ目として、明治43年(1910)建てられた、レンガ造り建築の傑作

  • 「青砂ヶ浦天主堂」(あおさがうらてんしゅどう)<br />赤レンガと、丸い薔薇窓や縦長アーチ窓、入り口の石造りアーチの外観が素晴らしい!  江戸時代に外海地方から移住し、明治11年(1878)に潜伏キリシタンからカトリックに復帰した信徒により小さな集会所が建設され、明治43年(1910)神父が外国から原書を取り寄せて設計・施工を指導し現在の聖堂が建立され、昭和59年(1984)大規模な改修が行われた

    「青砂ヶ浦天主堂」(あおさがうらてんしゅどう)
    赤レンガと、丸い薔薇窓や縦長アーチ窓、入り口の石造りアーチの外観が素晴らしい!  江戸時代に外海地方から移住し、明治11年(1878)に潜伏キリシタンからカトリックに復帰した信徒により小さな集会所が建設され、明治43年(1910)神父が外国から原書を取り寄せて設計・施工を指導し現在の聖堂が建立され、昭和59年(1984)大規模な改修が行われた

  • 「国の重要文化財」(説明板)<br />奈摩湾の中腹を見下ろすように正面を西に向けて立っている「青砂ヶ浦天主堂」は、煉瓦造りの重層屋根構造で、正面は煉瓦による帯状装飾によって3分割し、薔薇窓や縦長アーチ窓によって飾られ、入口には台座と植物模様の柱頭飾を有する円柱で支えられた石造りアーチを持つ、内部は3廊式で主廊部、側廊部ともに漆喰仕上げ4分割リブヴォールト(こうもり)天井、アーチは全てポインテットアーチ(尖頭アーチ)で造られている。外観、内観とも全体に均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れており、日本人設計者の手で建設された煉瓦造教会堂の初期のもので、かつ本格的教会堂建築の基本である重層屋根構造に基づく外観や内部空間が形成されるようになった初めての例で、この後県内の離島を中心に多数建築された煉瓦造教会堂の構造、意匠の起点となった *「鉄川興助」作の国の重要文化財は、青砂ヶ浦、頭ヶ島、江上、平戸田平、福岡今村の5天主堂

    「国の重要文化財」(説明板)
    奈摩湾の中腹を見下ろすように正面を西に向けて立っている「青砂ヶ浦天主堂」は、煉瓦造りの重層屋根構造で、正面は煉瓦による帯状装飾によって3分割し、薔薇窓や縦長アーチ窓によって飾られ、入口には台座と植物模様の柱頭飾を有する円柱で支えられた石造りアーチを持つ、内部は3廊式で主廊部、側廊部ともに漆喰仕上げ4分割リブヴォールト(こうもり)天井、アーチは全てポインテットアーチ(尖頭アーチ)で造られている。外観、内観とも全体に均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れており、日本人設計者の手で建設された煉瓦造教会堂の初期のもので、かつ本格的教会堂建築の基本である重層屋根構造に基づく外観や内部空間が形成されるようになった初めての例で、この後県内の離島を中心に多数建築された煉瓦造教会堂の構造、意匠の起点となった *「鉄川興助」作の国の重要文化財は、青砂ヶ浦、頭ヶ島、江上、平戸田平、福岡今村の5天主堂

  • 「信徒の負担」<br />聖堂が出来た1910年頃の信徒数は約50戸で、建物の石材は頭ヶ島、煉瓦は佐世保から搬入したので、信徒たちは総出で近くの海辺から荷揚げし、また当時100円で家が1軒建っという時代に、建設費用の1戸あたり負担金は20円だったという、平和なこの時代に、美しいとか優美とか言って眺めているのが申し訳ない<br />

    「信徒の負担」
    聖堂が出来た1910年頃の信徒数は約50戸で、建物の石材は頭ヶ島、煉瓦は佐世保から搬入したので、信徒たちは総出で近くの海辺から荷揚げし、また当時100円で家が1軒建っという時代に、建設費用の1戸あたり負担金は20円だったという、平和なこの時代に、美しいとか優美とか言って眺めているのが申し訳ない

  • 煉瓦外壁に「天主堂」「薔薇窓」「縦長アーチ窓」の配置は素晴らしい!

    煉瓦外壁に「天主堂」「薔薇窓」「縦長アーチ窓」の配置は素晴らしい!

  • 「青砂ヶ浦天主堂のステンドグラス」<br />ガイドさんが説明してくれた写真は、夕刻時の内部の写真で、教会堂が真西を向いているため、夕陽が正面の丸窓を照らしその光が祭壇方面へ直線に伸びてくるので、祭壇の中央付近に青や緑、赤、黄色、緑など丸窓の色が映り込んで神秘的な空間が実現する、しかし写真のような光景を見れるのは奇跡的だともいわれる

    「青砂ヶ浦天主堂のステンドグラス」
    ガイドさんが説明してくれた写真は、夕刻時の内部の写真で、教会堂が真西を向いているため、夕陽が正面の丸窓を照らしその光が祭壇方面へ直線に伸びてくるので、祭壇の中央付近に青や緑、赤、黄色、緑など丸窓の色が映り込んで神秘的な空間が実現する、しかし写真のような光景を見れるのは奇跡的だともいわれる

  • 「鐘楼」(しょうろう)<br />この立派な鐘楼は1920年に建設され、鉄製で鐘はイタリア製、戦時中は国に没収され警報の合図に利用されたが終戦後取り戻したというエピソード付き

    「鐘楼」(しょうろう)
    この立派な鐘楼は1920年に建設され、鉄製で鐘はイタリア製、戦時中は国に没収され警報の合図に利用されたが終戦後取り戻したというエピソード付き

  • 守護者「聖ミカエル」<br />悪魔と戦ったとされ、悪の誘惑に打ち勝つための助けを祈願する、フランシスコ・ザビエルが1549年日本の宣教の許可が得られたことを記念して、たまたまミカエルの祝日と重なった「聖ミカエル」を日本の守護者と定めた、その後、ザビエル自身が日本の守護聖人とされるようになったため、ミカエルは日本の守護聖人から外れたという

    守護者「聖ミカエル」
    悪魔と戦ったとされ、悪の誘惑に打ち勝つための助けを祈願する、フランシスコ・ザビエルが1549年日本の宣教の許可が得られたことを記念して、たまたまミカエルの祝日と重なった「聖ミカエル」を日本の守護者と定めた、その後、ザビエル自身が日本の守護聖人とされるようになったため、ミカエルは日本の守護聖人から外れたという

  • 10:00 再び南下して進むと「丸尾教会」(まるおきょうかい)<br />(HPより)明治32年(1899)ごろには、20戸ほどの信徒のための集会所があったが、昭和3年(1928)に教会堂が建設され、昭和47年(1972)に現在の聖堂が建立された

    10:00 再び南下して進むと「丸尾教会」(まるおきょうかい)
    (HPより)明治32年(1899)ごろには、20戸ほどの信徒のための集会所があったが、昭和3年(1928)に教会堂が建設され、昭和47年(1972)に現在の聖堂が建立された

  • 「鉄川與助旧居跡」<br />写真は撮り損ねたが、この近くに「鉄川與助の居宅跡」がある、「鉄川與助」は中通島の青方村に生まれ、幼少の頃この辺りの「魚目村」(うおのめむら)に移り、20歳の時に魚目村に「曽根天主堂」が建設された現場に出会ってから、教会建築が始まり、25歳の「鯛ノ浦天主堂」の建築で教会関係者に認められるようになり、28歳で10人ほどの職人で鉄川組をつくり本格的に始め、木造の「冷水天主堂」を造り、翌年には初めてのレンガ造りの「野首教会」「堂崎天主堂」を完成させ、その2年後に「青砂ヶ浦天主堂」を建築した、晩年は80歳で引退し、1976年97歳で亡くなった、彼自身は仏教徒でこの近くにある煉瓦造り山門の「元海寺」(がんかいじ)が菩提寺

    「鉄川與助旧居跡」
    写真は撮り損ねたが、この近くに「鉄川與助の居宅跡」がある、「鉄川與助」は中通島の青方村に生まれ、幼少の頃この辺りの「魚目村」(うおのめむら)に移り、20歳の時に魚目村に「曽根天主堂」が建設された現場に出会ってから、教会建築が始まり、25歳の「鯛ノ浦天主堂」の建築で教会関係者に認められるようになり、28歳で10人ほどの職人で鉄川組をつくり本格的に始め、木造の「冷水天主堂」を造り、翌年には初めてのレンガ造りの「野首教会」「堂崎天主堂」を完成させ、その2年後に「青砂ヶ浦天主堂」を建築した、晩年は80歳で引退し、1976年97歳で亡くなった、彼自身は仏教徒でこの近くにある煉瓦造り山門の「元海寺」(がんかいじ)が菩提寺

  • 10:15「有川湾」沿いに進むと「海童神社」(かいどうじんじゃ)<br />「鳥居」は、鯨の骨で出来ており、捕鯨で栄えた「有川」を象徴する神社で、昭和48年(1973)に東シナ海で捕獲された体長18mのナガスクジラの顎骨が使われている、「有川湾」では、江戸時代初期に捕鯨が盛んに行われ、「鯨一頭獲れれば七浦潤う」というほど莫大な富をもたらしたという

    10:15「有川湾」沿いに進むと「海童神社」(かいどうじんじゃ)
    「鳥居」は、鯨の骨で出来ており、捕鯨で栄えた「有川」を象徴する神社で、昭和48年(1973)に東シナ海で捕獲された体長18mのナガスクジラの顎骨が使われている、「有川湾」では、江戸時代初期に捕鯨が盛んに行われ、「鯨一頭獲れれば七浦潤う」というほど莫大な富をもたらしたという

  • 「五島灘」(ごとうなだ)の絶景!<br />有川湾を出て、長崎半島・平島・五島列島で囲まれた海域は「五島灘」と呼ばれ、黒潮と対馬海流が流入し、天然岩礁が多く好漁場として知られ、江戸・明治時代までは捕鯨の猟場だった、右手の海の先は長崎西海市、佐賀佐世保市<br />

    「五島灘」(ごとうなだ)の絶景!
    有川湾を出て、長崎半島・平島・五島列島で囲まれた海域は「五島灘」と呼ばれ、黒潮と対馬海流が流入し、天然岩礁が多く好漁場として知られ、江戸・明治時代までは捕鯨の猟場だった、右手の海の先は長崎西海市、佐賀佐世保市

  • 10:30「坂本龍馬ゆかりの広場」<br />この「五島灘」で、龍馬が購入した亀山社中の練習船「ワイル・ウェフ号」が遭難した、その場所を見つめて、合掌している龍馬の像が建てられている

    10:30「坂本龍馬ゆかりの広場」
    この「五島灘」で、龍馬が購入した亀山社中の練習船「ワイル・ウェフ号」が遭難した、その場所を見つめて、合掌している龍馬の像が建てられている

  • 「ワイル・ウェフ号」遭難地<br />ここから近い江ノ浜郷の共同墓地に、坂本龍馬が知らせを受け現地に赴き、同志の霊を弔うため自ら碑文を書き、資金を添えて建碑を依頼したと言われる「碑文と遭難者名」が刻まれた墓碑があり、これが俗謡「潮谷そど」から、昭和43年(1968)に発見され、新上五島町は平成22年(2010)にこの広場を建立した

    「ワイル・ウェフ号」遭難地
    ここから近い江ノ浜郷の共同墓地に、坂本龍馬が知らせを受け現地に赴き、同志の霊を弔うため自ら碑文を書き、資金を添えて建碑を依頼したと言われる「碑文と遭難者名」が刻まれた墓碑があり、これが俗謡「潮谷そど」から、昭和43年(1968)に発見され、新上五島町は平成22年(2010)にこの広場を建立した

  • 俗謡「潮谷そど(騒動)」<br />そどよ、そど、そど、潮谷そどや、五月二日の明け六つに 異国の船とは知らねども どことも知れぬ、島見せぬ 島もだんだん見えるして かねの錨をつけこんで つけども錨がきかずして 石に当たりて水船に 流れて行くのがどこなれば 上口さしてぞ流れ行く 江ノ浜前にぞ 流れつく どなたも錦の対の衣装 こりゃ何事じゃと 村中が 浜に騒ぎて大騒ぎ 国はいづことたずぬれば 国は薩摩の鹿児島で 積荷は何ぞとたずぬれば 大砲(おおづつ) 小砲(こづつ)つみまぜて かなきんなどを さしにして さぞやお世話じゃ 浦田さん *「浦田さん」は奇跡的に生還した海援隊の浦田運次郎さん

    俗謡「潮谷そど(騒動)」
    そどよ、そど、そど、潮谷そどや、五月二日の明け六つに 異国の船とは知らねども どことも知れぬ、島見せぬ 島もだんだん見えるして かねの錨をつけこんで つけども錨がきかずして 石に当たりて水船に 流れて行くのがどこなれば 上口さしてぞ流れ行く 江ノ浜前にぞ 流れつく どなたも錦の対の衣装 こりゃ何事じゃと 村中が 浜に騒ぎて大騒ぎ 国はいづことたずぬれば 国は薩摩の鹿児島で 積荷は何ぞとたずぬれば 大砲(おおづつ) 小砲(こづつ)つみまぜて かなきんなどを さしにして さぞやお世話じゃ 浦田さん *「浦田さん」は奇跡的に生還した海援隊の浦田運次郎さん

  • 「龍馬ゆかりの地」(説明板)<br />江戸時代末期の1866年、江の浜塩谷崎でワイル・ウェフ号が遭難し、高原十兵衛らが溺死した。これを知った坂本龍馬はこの地に赴き、碑文を認め、建碑費用を村役に託した。これは亡くなった同志への鎮魂を込めて建てられた墓碑である。龍馬は1864年(禁門の変の年)に閉鎖された神戸海軍塾の同志たちと、西郷隆盛らの庇護もあって、長崎(亀山)に「亀山社中」を創設、海運業を興して富国を計るため、薩藩の援助で2本マストの帆船を購入した。命名と海上訓練を兼ね、長崎を出航したが、甑島あたりで暴風雨に遭い漂流し、潮合崎で暗礁に乗り上げ転覆した。乗組員4人を除いて他は全員死亡、この事は、ただちに福江藩庁、薩摩長崎屋敷に急報された。両藩の役人は現地入りし、遺体収容などに当たった。この時、龍馬は薩長連合の大役を果たして寺田屋に帰り、刺客から受けた傷を鹿児島で治療していたが、即座に現地へ行き各霊を弔った。碑文の中に「撓天溺死各霊」と認めており心中を吐露しているといわれる。墓碑は広場から歩いて数分の江の浜集落の中にある。

    「龍馬ゆかりの地」(説明板)
    江戸時代末期の1866年、江の浜塩谷崎でワイル・ウェフ号が遭難し、高原十兵衛らが溺死した。これを知った坂本龍馬はこの地に赴き、碑文を認め、建碑費用を村役に託した。これは亡くなった同志への鎮魂を込めて建てられた墓碑である。龍馬は1864年(禁門の変の年)に閉鎖された神戸海軍塾の同志たちと、西郷隆盛らの庇護もあって、長崎(亀山)に「亀山社中」を創設、海運業を興して富国を計るため、薩藩の援助で2本マストの帆船を購入した。命名と海上訓練を兼ね、長崎を出航したが、甑島あたりで暴風雨に遭い漂流し、潮合崎で暗礁に乗り上げ転覆した。乗組員4人を除いて他は全員死亡、この事は、ただちに福江藩庁、薩摩長崎屋敷に急報された。両藩の役人は現地入りし、遺体収容などに当たった。この時、龍馬は薩長連合の大役を果たして寺田屋に帰り、刺客から受けた傷を鹿児島で治療していたが、即座に現地へ行き各霊を弔った。碑文の中に「撓天溺死各霊」と認めており心中を吐露しているといわれる。墓碑は広場から歩いて数分の江の浜集落の中にある。

  • 遭難した「ワイル・ウェフ号」<br />亀山社中の練習船として、坂本龍馬が、その使用をまかされていた「スクーナー型帆船」で、2本以上のマストに縦帆を張り、横帆がないので、少ない人数で効率よく操作できる

    遭難した「ワイル・ウェフ号」
    亀山社中の練習船として、坂本龍馬が、その使用をまかされていた「スクーナー型帆船」で、2本以上のマストに縦帆を張り、横帆がないので、少ない人数で効率よく操作できる

  • 「頭ヶ島大橋」を渡って「頭ヶ島」へ

    「頭ヶ島大橋」を渡って「頭ヶ島」へ

  • 11:00 世界遺産「頭ヶ島天主堂」(かしらがしまてんしゅどう)<br />「頭ヶ島」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するために、どのような場所を移住先として選んだのかを示す世界遺産4つの集落(奈留島・江上、久賀島・旧五輪、頭ヶ島、野崎島・旧野首)のうちの一つ

    11:00 世界遺産「頭ヶ島天主堂」(かしらがしまてんしゅどう)
    「頭ヶ島」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するために、どのような場所を移住先として選んだのかを示す世界遺産4つの集落(奈留島・江上、久賀島・旧五輪、頭ヶ島、野崎島・旧野首)のうちの一つ

  • 頭ヶ島の「潜伏キリシタン」<br />「頭ヶ島」(かしらがしま)は、周囲を早い潮の流れに囲まれ、切り立った海岸地形のため舟がつけづらい自然条件の悪い小さな無人島であり、またすぐ向かいの島は大村藩で長崎の大浦天主堂に最も連絡が取りやすい立地でもあったため、キリシタンが求め続けた土地として最適であり、19世紀に、外海(そとめ)から広がった潜伏キリシタンが、移住の適地として移り住み、表向きは仏教徒を装いながら、山の中腹斜面に耕作地を開拓し、密かに自分たちの信仰を続け、迫害が厳しくなった「五島崩れ」の時には全員逃げ出して島を離れたが、禁教令が解かれると又この地に戻り、教会堂を建てたことで「潜伏」は終った

    頭ヶ島の「潜伏キリシタン」
    「頭ヶ島」(かしらがしま)は、周囲を早い潮の流れに囲まれ、切り立った海岸地形のため舟がつけづらい自然条件の悪い小さな無人島であり、またすぐ向かいの島は大村藩で長崎の大浦天主堂に最も連絡が取りやすい立地でもあったため、キリシタンが求め続けた土地として最適であり、19世紀に、外海(そとめ)から広がった潜伏キリシタンが、移住の適地として移り住み、表向きは仏教徒を装いながら、山の中腹斜面に耕作地を開拓し、密かに自分たちの信仰を続け、迫害が厳しくなった「五島崩れ」の時には全員逃げ出して島を離れたが、禁教令が解かれると又この地に戻り、教会堂を建てたことで「潜伏」は終った

  • 「頭ヶ島天主堂」(かしらがしまてんしゅどう)<br />明治20年(1887)カトリックに復帰した信徒たちにより初代の聖堂が建てられ、その跡地に明治43年(1910)の着工から、予算がないため10年を費やして、大正8年(1919)に現聖堂が完成し、昭和52年(1977)に修復され、平成13年(2001)に国の重要文化財に指定された

    「頭ヶ島天主堂」(かしらがしまてんしゅどう)
    明治20年(1887)カトリックに復帰した信徒たちにより初代の聖堂が建てられ、その跡地に明治43年(1910)の着工から、予算がないため10年を費やして、大正8年(1919)に現聖堂が完成し、昭和52年(1977)に修復され、平成13年(2001)に国の重要文化財に指定された

  • 「石造りの天主堂」<br />これまで木造と煉瓦造りだった教会を「石造り」にした理由は、単に地元に石材が多かっただけでなく、限られた予算の中で、建築費を抑えるためで、レンガ造りと耐久性も堅牢性も遜色ないのに、費用は10分の1程度で済んだと言われる

    「石造りの天主堂」
    これまで木造と煉瓦造りだった教会を「石造り」にした理由は、単に地元に石材が多かっただけでなく、限られた予算の中で、建築費を抑えるためで、レンガ造りと耐久性も堅牢性も遜色ないのに、費用は10分の1程度で済んだと言われる

  • 「教会堂の外観」<br />外観は、水平に積み上げられた粗い表面の石壁が特徴で、地元の質の高い硬い砂岩が使われ、風化による損傷が殆どなく見栄えも力強い、側面にはステンドグラスのアーチ窓が並び、塔屋には鉄川與助が好んで用いた八角形のドーム屋根が乗っている

    「教会堂の外観」
    外観は、水平に積み上げられた粗い表面の石壁が特徴で、地元の質の高い硬い砂岩が使われ、風化による損傷が殆どなく見栄えも力強い、側面にはステンドグラスのアーチ窓が並び、塔屋には鉄川與助が好んで用いた八角形のドーム屋根が乗っている

  • 「教会堂の内観」<br />撮影は叶わないが、内観は、教会建築には珍しい折上の船底天井で、柱もなく、側廊もない開放的な一室になっているので、狭い空間をより広く、高く見せる、そして天井の折上部分には五島列島の椿のレリーフと、青を基調とした空間が華やかで「花の御堂」とも呼ばれており、ガイドさんから説明があって分かったが、色ガラスのステンドグラスを通して、太陽の光が壁に描き出すグラデーションは絶景で、今この時間しか見れないというので、大満足!

    「教会堂の内観」
    撮影は叶わないが、内観は、教会建築には珍しい折上の船底天井で、柱もなく、側廊もない開放的な一室になっているので、狭い空間をより広く、高く見せる、そして天井の折上部分には五島列島の椿のレリーフと、青を基調とした空間が華やかで「花の御堂」とも呼ばれており、ガイドさんから説明があって分かったが、色ガラスのステンドグラスを通して、太陽の光が壁に描き出すグラデーションは絶景で、今この時間しか見れないというので、大満足!

  • 外側に廻ると「島の聖母像」<br />「ルルドの洞窟」を模したマリア像が、石のアーチに囲まれている

    外側に廻ると「島の聖母像」
    「ルルドの洞窟」を模したマリア像が、石のアーチに囲まれている

  • 手前から、信仰復活を記念した碑で、親子が神父様から洗礼を受けている「五島キリシタン信仰復活120周年記念碑」、拷問のときに使われた石のレプリカの「キリシタン拷問五六石之塔」、献身的な布教をした仏人司祭フランシスコブレ-ルが12名の信徒と共に殉職した顕彰碑の「フレル師信徒同伴殉教之塔」

    手前から、信仰復活を記念した碑で、親子が神父様から洗礼を受けている「五島キリシタン信仰復活120周年記念碑」、拷問のときに使われた石のレプリカの「キリシタン拷問五六石之塔」、献身的な布教をした仏人司祭フランシスコブレ-ルが12名の信徒と共に殉職した顕彰碑の「フレル師信徒同伴殉教之塔」

  • 「森松次郎居宅跡の碑」(仮の聖堂跡)<br />上五島地域の潜伏キリシタンの中心的指導者であった「森松次郎」(ドミンゴ松次郎)は1867年に頭ヶ島に移住し屋敷を構え「仮の聖堂」とし、「伝道士養成所」を開設し、五島各地から信徒が集まった、明治元年(1868)からは久賀島から始まった「五島崩れ」が頭ヶ島にも押し寄せ、全員捕まり拷問にかけられ改宗を迫られたが、明治6年(1873)の「解禁」でカトリックに復帰した信徒たちが戻るようになり、明治20年(1887)この近くに初代の木造教会堂を建て、そして大正8年(1919)現聖堂が完成した

    「森松次郎居宅跡の碑」(仮の聖堂跡)
    上五島地域の潜伏キリシタンの中心的指導者であった「森松次郎」(ドミンゴ松次郎)は1867年に頭ヶ島に移住し屋敷を構え「仮の聖堂」とし、「伝道士養成所」を開設し、五島各地から信徒が集まった、明治元年(1868)からは久賀島から始まった「五島崩れ」が頭ヶ島にも押し寄せ、全員捕まり拷問にかけられ改宗を迫られたが、明治6年(1873)の「解禁」でカトリックに復帰した信徒たちが戻るようになり、明治20年(1887)この近くに初代の木造教会堂を建て、そして大正8年(1919)現聖堂が完成した

  • 無人島だった「頭ヶ島」に、江戸末期に数組の家族が移り住んでから、キリシタン集落としての歴史が始まり、長崎に近かったことから伝道士養成の拠点にもなり、厳しい弾圧も乗り越えて、カトリックに復帰して、地元の石で立派な聖堂を造るという、まさに世界遺産に挙げた「潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持する」という事実が凝縮されていた、現在、12戸20人で教会堂の維持管理をしているという

    無人島だった「頭ヶ島」に、江戸末期に数組の家族が移り住んでから、キリシタン集落としての歴史が始まり、長崎に近かったことから伝道士養成の拠点にもなり、厳しい弾圧も乗り越えて、カトリックに復帰して、地元の石で立派な聖堂を造るという、まさに世界遺産に挙げた「潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持する」という事実が凝縮されていた、現在、12戸20人で教会堂の維持管理をしているという

  • 「島のふれあい館」<br />昔の信徒さんの住居を改修し、昭和30年代の生活の様子を再現している

    「島のふれあい館」
    昔の信徒さんの住居を改修し、昭和30年代の生活の様子を再現している

  • 昔のカトリックの祭壇や芋を保管する床下など、日々の生活で使われていた道具類などが展示されている

    昔のカトリックの祭壇や芋を保管する床下など、日々の生活で使われていた道具類などが展示されている

  • 「白浜集落のキリシタン墓地」<br />頭ヶ島天主堂からすぐのところに砂浜があり、美しい海を望む場所に墓地が今も残されている、この海岸で、天主堂を建設する際に、対岸のロクロ島から切り出した石を船で運び、ここから信徒たちが人力で聖堂の場所まで運んだと思われる

    「白浜集落のキリシタン墓地」
    頭ヶ島天主堂からすぐのところに砂浜があり、美しい海を望む場所に墓地が今も残されている、この海岸で、天主堂を建設する際に、対岸のロクロ島から切り出した石を船で運び、ここから信徒たちが人力で聖堂の場所まで運んだと思われる

  • 「白浜遺跡」<br />ロクロ島を望む美しい海岸沿いに頭ヶ島の白浜集落が広がるが、約6000年前の縄文時代の人骨や石器、土器類が発見され、縄文人が居住していたと思われるが、それ以降「頭ヶ島集落」が出来る迄は無人島だった

    「白浜遺跡」
    ロクロ島を望む美しい海岸沿いに頭ヶ島の白浜集落が広がるが、約6000年前の縄文時代の人骨や石器、土器類が発見され、縄文人が居住していたと思われるが、それ以降「頭ヶ島集落」が出来る迄は無人島だった

  • 11:30「頭ヶ島」から 12:00「有川港」へ<br />「有川港」は、上五島の玄関口で、古くは捕鯨の町として栄え、明治末期からは南氷洋捕鯨に進出し、昭和になってからは商業捕鯨禁止で賑わいは薄らいで行ったが、現在は「五島うどんの里」を標榜し、五島うどんの製麺所が集中し、お土産に「五島うどん」を買うならココがいいと言われた

    11:30「頭ヶ島」から 12:00「有川港」へ
    「有川港」は、上五島の玄関口で、古くは捕鯨の町として栄え、明治末期からは南氷洋捕鯨に進出し、昭和になってからは商業捕鯨禁止で賑わいは薄らいで行ったが、現在は「五島うどんの里」を標榜し、五島うどんの製麺所が集中し、お土産に「五島うどん」を買うならココがいいと言われた

  •  12:00「有川港」でランチ「五島うどん地獄炊きと海鮮丼」

    12:00「有川港」でランチ「五島うどん地獄炊きと海鮮丼」

  • 「五島うどん地獄炊き」<br />「五島うどん」は、遣唐使が伝えたとされる手延べうどんを、「五島の椿油」で生地を延ばし、コシがありのどごしが良いのが特徴で、「地獄炊き」とは、鉄鍋で茹でて五島のトビウオを使ったアゴだしでいただく、所謂「釜上げうどん」だが、珍しいのは鉄鍋の横にある「うどんすくい棒」で、初めて使ったらこれは便利! ちなみに「地獄炊き」は初めて食べた人が「しごくおいしい」と言ったのが「地獄おいしい」と聞き間違えたのが由来だという

    「五島うどん地獄炊き」
    「五島うどん」は、遣唐使が伝えたとされる手延べうどんを、「五島の椿油」で生地を延ばし、コシがありのどごしが良いのが特徴で、「地獄炊き」とは、鉄鍋で茹でて五島のトビウオを使ったアゴだしでいただく、所謂「釜上げうどん」だが、珍しいのは鉄鍋の横にある「うどんすくい棒」で、初めて使ったらこれは便利! ちなみに「地獄炊き」は初めて食べた人が「しごくおいしい」と言ったのが「地獄おいしい」と聞き間違えたのが由来だという

  • 「島の海鮮丼」<br />五島で水揚げされた旬の魚を使った海鮮丼で美味!

    「島の海鮮丼」
    五島で水揚げされた旬の魚を使った海鮮丼で美味!

  • 13:20「奈良尾港」(ならおこう)<br />「奈良尾港」は、上五島への玄関口で、島内外へのフェリーとジェットフォイル(水中翼船)が発着している、前にあるモニュメントはイワシの魚で、元々この町は、イワシ漁をする人が来て、大漁だったので住みつき、多くの人が集まって漁業で栄えたという

    13:20「奈良尾港」(ならおこう)
    「奈良尾港」は、上五島への玄関口で、島内外へのフェリーとジェットフォイル(水中翼船)が発着している、前にあるモニュメントはイワシの魚で、元々この町は、イワシ漁をする人が来て、大漁だったので住みつき、多くの人が集まって漁業で栄えたという

  • 「奈良尾港」定期フェリー<br />奈良尾港からは主に、長崎港と隣の島の福江港との定期フェリーが運航している<br /><br />

    「奈良尾港」定期フェリー
    奈良尾港からは主に、長崎港と隣の島の福江港との定期フェリーが運航している

  • 13:35「奈良尾港」をフェリーで出航して「長崎港」へ<br />長崎港までの約80kmを、2時間30分で結ぶ

    13:35「奈良尾港」をフェリーで出航して「長崎港」へ
    長崎港までの約80kmを、2時間30分で結ぶ

  • 「五島列島へのアクセス」<br />「五島列島」へ行くには、飛行機か、船のフェリーかジェットフォイル(水中翼船)があり、飛行機は、福岡空港か長崎空港から福江空港へ約30分~40分、フェリーは、長崎港から奈良尾港か福江港へ約3時間、博多港から奈良尾港か福江港へ約8時間、ジェットフォイルは、長崎港から福江港へ約1時間25分

    「五島列島へのアクセス」
    「五島列島」へ行くには、飛行機か、船のフェリーかジェットフォイル(水中翼船)があり、飛行機は、福岡空港か長崎空港から福江空港へ約30分~40分、フェリーは、長崎港から奈良尾港か福江港へ約3時間、博多港から奈良尾港か福江港へ約8時間、ジェットフォイルは、長崎港から福江港へ約1時間25分

  • 16:05「長崎港」到着

    16:05「長崎港」到着

  • バスで「長崎港」から「長崎空港」へ<br />たまたま当日は「長崎くんち」祭(毎年10月7日から3日間)の前日で、準備の真っ最中 *「長崎くんち」は、380年以上の歴史がある長崎の氏神である諏訪神社の秋季大祭で、「龍踊」(じゃおどり)や「鯨の潮吹き」「阿蘭陀万才」(おらんだまんざい)など、ポルトガルやオランダ、中国・ベトナムなど南蛮、オランダ文化の風合いや、傘鉾、山車など京都や堺の影響もある、「くんち」は旧暦9月9日の「くにち」が訛ったもの

    バスで「長崎港」から「長崎空港」へ
    たまたま当日は「長崎くんち」祭(毎年10月7日から3日間)の前日で、準備の真っ最中 *「長崎くんち」は、380年以上の歴史がある長崎の氏神である諏訪神社の秋季大祭で、「龍踊」(じゃおどり)や「鯨の潮吹き」「阿蘭陀万才」(おらんだまんざい)など、ポルトガルやオランダ、中国・ベトナムなど南蛮、オランダ文化の風合いや、傘鉾、山車など京都や堺の影響もある、「くんち」は旧暦9月9日の「くにち」が訛ったもの

  • 17:20「長崎空港」到着

    17:20「長崎空港」到着

  • 出発前に「長崎チャンポンと皿うどん」<br />今回のグルメの締めくくりだったが、店構えだけ立派で、全く昔食べた味ではなかった、玄関口となる空港だから、地元を代表する店を厳選して欲しい

    出発前に「長崎チャンポンと皿うどん」
    今回のグルメの締めくくりだったが、店構えだけ立派で、全く昔食べた味ではなかった、玄関口となる空港だから、地元を代表する店を厳選して欲しい

  • 18:55「長崎空港」を出発し、20:15「伊丹空港」着<br />眼下に、万博の「大屋根リング」が見えてきて。最後にまた感激!

    18:55「長崎空港」を出発し、20:15「伊丹空港」着
    眼下に、万博の「大屋根リング」が見えてきて。最後にまた感激!

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