2006/12/31 - 2006/12/31
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真昼あんどん行さん
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最近、経済状況も体調も良くないので、引きこもり生活をしています。
次はいつ旅に出られるか分からない状況です。
そんな折、5月末で、ペナン競馬場が閉鎖されたことを、フォローしているfacebook、道川満彦記念ミュージアムのサイトで知りました。
ということで、葬式鉄ならぬ、葬式競馬をまた、こちらでします。
駆け込みで行ったり、罵倒大会をした訳でもないので、それほどヒンシュクは買わない、と無駄口を叩きながら、思い出を語ります。
目新しい情報がある訳ではありません。個人的な思い入れだけを書いています。再掲の写真も何枚かあります。
読まれる方は、それを了解して下さると助かります。
訪問年月日は、便宜上、現地で観た、現地最大のイベント、ペナンゴールドカップが開催された日にしました。
表紙は、そのレースの勝ち馬、エクスパンジです。
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2006年秋から2007年春までの約半年間、ペナン島で沈没生活を送ていました。
そのとき、ペナンターフクラブには通い詰めました。
本場開催だけではなくて、場外開催にも足を運んでいます。
三桁に達する回数負け、数度勝利を味わった、その懐かしい、思い出の場所が消えた、という情報を見て、大袈裟にいえば、心の中に穴が開いた、そんな気持ちにもなりました。
初めて、ペナン競馬場に行ったのは2003年秋でしたが、その時は、写真は撮っていません。
本当に、たまたま、ペナンスプリントトロフィーが開催されて、コンフルエンスという牝馬が勝ちました。
調べてみると、レース中の事故で現役中に死んでしまったみたいです。
この時は、ホースシュービストロに行きました。
パスポートを持っていれば、金さえ出せば入れましたが、観光客が動ける範囲が限られていたので、正直、窮屈な感じがした記憶もあります。
食事メニューも一般席の方が豊富でした。
写真は2006年12月に撮ったものです。 -
パドックはコースの手前にありました。日本の競馬場では見ない配置です。
向こう正面の奥、左側にある、まるいビルがコムターです。 -
右手に高級マンションが見えます。ここに住んで馬券三昧、という夢も完全に潰えました。また、つまらないコメントをして申し訳ありませんでした。
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素人の分際で歴史を語れば、ペナンターフクラブは、昔はジャラン・マカリスターにあったようです。その後、バトゥー・ガンドンに移った、歴史がある、と何かで読んだ記憶があります。
もう時効だ、とタカをくくりながら、開催していない日に競馬場にも行って撮った写真も上げます。
といって、勝手に忍び込んだ訳でもありません。
関係者ではありませんが、なぜか警備に通してもらいました。それだけの話です。
この猿はペットでしょうか。 -
古めかしいが威容あるスタンドは1930年、40年代英国領だった時代に建てられたそうです。
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当日の練習馬場の状態がかいてある、と思います。
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時計塔です。
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全体を撮った写真です。
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銘板には1902年、日本でいえば明治時代に建てられたと表記がありましたが、元の競馬場から移設したのでしょうか?
それとも、厩舎は元々こちらにあったのでしょうか? きちんと勉強していないので判りません。 -
ゴール板前です。
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コースに掛かっている橋は、ゴルファー用のものでしょう。
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競馬場の外では馬を歩かせていました。
フランキー・メイナード厩舎の馬だった記憶があります。 -
サングラスを掛けた、ガタイがデカい人がメイナード師だと思います。
セランゴールターフクラブ(クアラルンプール競馬場)に厩舎を移した、とネットで知りました。 -
いかにもイギリス、というのか、競馬場の敷地内にはゴルフ場がありました。
18ホールあるコースだったようです。
場外開催のときは、プレイしている客も観た気もします。 -
地元在住の日本人には、競馬場というよりゴルフ場のとして広く知られていたかもしれません。
帰国する直前に、入ったジョージタウンの天ぷら屋さんで、そこの日本人の御主人から聞きました。
妙な意地を張る性格なので、約半年の沈没期間で、日本食を食ったのはその時だけでした。
1回ぐらいは、行ってみるか、そんな心境でした。 -
発売窓口の写真を載せます。第1レース出走馬が得てくる前なので、幸い人は写っていません。
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当時は現地の英字日刊紙「STAR」にも競馬欄があったので、それもあって毎日買っていました。
といって、英語ができる訳でもありませんが、競馬欄は、数字、固有名詞、それほど多くない専門用語で済む世界ともいえるので、それなりに理解できる気もしましたが、怪しいものです。
その後、ペナン競馬は衰退したのでしょうか。
90年代、00年代の日本の地方競馬に似たような状況にも想像します。
自分なりに衰退の理由が想像できなくもありません。一番大きいのは、カジノに客を取られことでしょうが、本当のところは判りません。奥歯にモノが挟まった書き方になりました。申し訳ありません。
日本でもカジノができたら、地方競馬の中には、またつぶれるところも出てくるようにも思いますが、それについて、私ごときが、ああだこうだ言える問題でもありません。
これも改めて指摘することでもありませんが、日本と香港の競馬が隆盛を誇っているのは、民間のオンラインギャンブルを規制しているからだとも想像はします。
日本の公営ギャンブルは、現在、合法で営業している唯一のオンラインカジノではないのか、と当たり前で偉そうなことを書きます。
写真は、当時の、競馬場内の新聞、予想誌販売の様子です。 -
私は、ゴルフはからきしです。
「競馬のコースに打ち込むことはないんですか?」
そんな間抜けな質問をしたら、
「あのコースは広いんですよ」
と返事をもらった記憶があります。 -
マレーシア競馬の(合法的な)売り上げは、当時も大したことはありませんでしたが、スタンドには沢山客はいました。
締め切り間際やら、馬が勝負所に差し掛かった時の歓声には迫力がありました。
イスラム教ではギャンブルは御法度なので、客はほとんどが華人、そこにインド系が少し混じる、という印象がありました。
西洋人は時折パラパラという感じでした。日本人はほとんど見ませんでした。 -
馬券は、窓口にとっては前売りで買うこともできなくはありませんでしが、それができる窓口は少なくて、ほとんどが当レースのみ売っていました。
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ペナンゴールドカップは、マレーシア競馬、年末の大一番です。
日本でいう有馬記念にも似たイメージのレースだった気もします。
2006年当時は2200mの長距離戦でした。後に2000mに距離短縮された、とネットで読んだ記憶があります。
総賞金が135万リンギット、当時の日本円で4000万円ぐらいにはなったので、結構な金額でした。
シンガポールからも遠征馬が何頭か来ていいました。
当時のシンガポール競馬をJRAになぞらえると、マレーシア競馬は地方競馬というイメージもありました。
有馬記念ではなくて、JRA開催終了後に行われる大井競馬の年末の大一番、東京大賞典というのが、自分にとって、もっとも当てはまりやすい喩えになるでしょうか。
馬のレベルも、シンガポールとマレーシアでは格差があるようにも見えました。
このレースでは、マレーシア・シンガポール共通のレーティングにより負担重量が決められていました。
それも、マレーシア勢には不利に働いたように思います。
私が観た2006年も、シンガポールからの遠征馬、エクスパンジにカップをさらわれました。
当時のシンガポール競馬には右肩上がりの勢いがあったように感じたましたが、ペナンターフクラブより前にシンガポール・クランジ競馬場は歴史を閉じています。世の中は分からない、と改めて感じます。
レース前にはセレモニーもありました。私は単なる観光客ですから、横から撮りました。
紫の勝負服を着ているのが、勝利騎手になった、オーストラリア人のアーロン・スピテリです。 -
レース1周目の写真です。
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勝ち馬のエクスパンジです。
マレーシアでも当時はまだ、外人ジョッキーが活躍していました。 -
M.ウェップナー(南アフリカ)
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C.セギオン(フランス)
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P.ブルーム(ベルギー)
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マレーシアではいま、元船橋競馬所属の中野省吾が乗っているそうです。2006年にも日本人ジョッキーが乗っていました。
現在、あの、矢作厩舎で通訳もしている、競馬コーディネーターの安藤裕騎手です。 -
もう1枚写真を載せます。この時のイポー開催で、安藤騎手はマレーシア初勝利を挙げました。
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マレーシアを代表する馬は、フリースピリット、ジャラムスペシャル、あたりだったでしょうか。
2008年大晦日、ペナンゴールドカップ、パドックでのフリースピリットです。 -
同じレース時の、ジャラムスペシャルです。
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チャイナロックという、昔の日本の種牡馬と同名の馬もいました。
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青いリボンがついた、パナマ帽を被っている人は、鄭春明という、往年のペナンの名調教師だと思います。多分、マレーシア国籍の華人です。間違っていたらゴメンナサイ。
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繰り返しになりますが、当時はペナン競馬には、まだ活気がありました。
英字紙には、対岸のバターワースに競馬場を新設するという計画を、パース写真と一緒に新聞で見た覚えがあります。
その頃、モノレールをペナン島に走らせるという計画も聞いた気がしますが、あの話はどうなったんでしょうか?
情けない話ですが、窓口の人間たちやら、地元のバクチ打ちたちにも顔は覚えられていた、ような気もします。
見知らぬ人間に、バターワースのバスターミナル近辺を昼間ブラブラしていて、「明日は香港競馬だな」とか、
競馬開催の日、バスで予想誌を見ていると「最近、ファルークという騎手が調子いいな」とか、
英語で話し掛けられたこともありました。
おかしな日本人として、恥をさらしていた気がしないでもありません。
マレーシアの競馬場は真面目に予想すると、頭が痛くなりました。
強い馬が連勝する、ということが少ない競馬、という印象も持ちました。
元々馬券下手の私には、手に負いかねる世界でした。
前にも書いたことがありますが、シンガポール、それも高岡厩舎の馬を中心に賭けました。
開催時よりは安い値段でしたが、場外発売の日にも入場料は取られました。
ごく稀にではありますが、的中もしたこともあります。声を大にして言います。
改めて書くことでもしますが、マレーシアはシンガポールに比べて低物価で、馬券も、ほぼ3分の1の値段で買えました。
貧乏くさい張り方をする自分には都合が良かった事実もあります。
写真は、撮り遅れている下手くそな1枚ですが、ペナンワンダーという名前の馬が圧勝しました。 -
なぜか、馬も騎手もアマチュアというレースが何か月かに1度ありました。
何の意味があるんだ、と、日本人らしい固い頭で考えたりもしましたが、いい加減に買って一度当てました。
しかし、負担重量70キロオーバーとは、あの、往年のテンポイントも真っ青です。
動物虐待にならなかったのでしょうか?
その不条理なレースで、確か連複50倍くらいの馬券を当てたこともあります。
当然ですが、2度目の的中はありませんでした。
そのアマチュア競馬で乗っていた、遠征してきたアマチュア騎手、オランダ人のアイリーン・バプティストさんです。 -
ゴールドカップの日、暑い気候の中、サンタクロースの歌が流れるのが何か不思議な感触でした。
大晦日なのにクリスマスソングというのもありました。
日本とはこの辺の風習は違います。
場外の香港競馬だけに賭けに来る人間もいたそうです。
競馬場に行く途中に、タクシーの運転手が話していました。
そうする気持ちも分かる気はしないでもありませんが、あえて、コメントは控えます。
自分でも香港のレースは買いましたが、相性は最悪でした。儲けた記憶はまったくありません。
それでも、2006年の香港ヴァーズで、コリアーヒルの単勝をほんの僅かばかり獲りました。
その馬券は、クアラルンプールの競馬場で買っています。浮いた分はその日、後のレースで吐き出しました。
プライド(ルメール)、アドマイヤムーン(武豊)の死闘となった、メインの香港カップの馬券も当然外れ、でした。
2006年、香港カップデーのクアラルンプール競馬場の写真です。 -
クアラルンプールからまたペナンに話を戻します。
もうこれも時効になってしまった話ですが、スタンド内に、ゲーム機で遊べるカジノみたいな場所もありました。
ダブルで負けたこともあります。これも今となっては懐かしい思い出です。 -
繰り返し強調します。負け続けでしたが、まぐれ当たりもごく稀にはありました。
マレーシアの重賞でも、1回、3連単でわずかに100倍を超える、万馬券を獲りました。
ペナンゴールドカップ前日の土曜開催でした。
そのレースの写真を載せます。これも、撮り遅れている下手くそな1枚です。
翌日、ゴールドカップで、その儲けを吐き出した上に、さらに負けを重ねました。
ペナン、シンガポール、イポー(ぺラク)、クアラルンプール(セランゴール)で、順番にほぼ2週間連続で開催がありました。
記憶が若干曖昧ですが、シンガポールはほぼ毎週日曜開催はあったでしょうか。
土曜開催がマレーシアの時には、金曜日にシンガポールはナイター開催がありました。
水曜日にも香港ナイターは売っていました。ほかに、週末の香港、マカオ競馬も買えました。
馬券で負けつづけるには理想的な環境でした 泣。
といっても、マレーシアからシンガポール、その逆の遠征馬は多くもありませんでした。 -
その中で、ジャラムスペシャルが果敢にも、ラッフルズカップ、シンガポールゴールドカップに遠征しています。
現地観戦しました。馬券の結果はノーコメントです また泣。
2006年、シンガポールゴールドカップ遠征時のジャラムスペシャルも載せます。一番手前のゼッケン2番の馬です。 -
騎手の方は、チャペス、ウッドワースは、マレーシア、シンガポール、両方で乗っていました。
ウッドワースは地元騎手です。チャペスはパナマ人ですが、ユソフという現地の調教師の娘と結婚していた、とやはり、現地のタクシーの運転手から聞いた。
結婚、騎手といえば、マーカス・オウの奥さんは日本人だと当時「STAR」で読んだ記憶があります。
R.(ベニー)ウッドワース -
O.チャベス
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シンガポール金曜ナイターの平場のオープンレースでした。
いい気になって、その金でシンガポールに遠征して、ボロ負けしました。
負けた時は、獲った時の3倍速でした。当然、足が大きく出ました。
そんなこともあり、遠征をしたのは、2回にとどまりました。
2007年、春節の日にもペナンにいました。
その日のペナン競馬場ゲートの写真です。 -
春節競馬には入場者に、金貨型のチョコレート、ナンバーズくじを1枚、プレゼントしてくれました。
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春節の獅子舞です。
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ペナンの馬頭観音でしょうか。競馬場の門の前にありました。
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馬たちにとっては、理想の老後のひとつのパターンでしょうか。
こちらは、フェリンギビーチで撮った写真です。 -
帰国する最後の開催日に、最近、引退した内田利雄騎手がマカオで乗っていた重賞レースで単勝だけ獲りました。
といって、僅かな金額でしたが。
連複、3連単の馬券は外しました また泣。
そのマカオ競馬もしばらく前に消えています。
ペナン競馬場で、その日に撮った写真です。 -
同上です。
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緊張刺激をペナン競馬場ではもう受けることはできません。競馬が存続したところで、自分は行けもしなかったでしょうけど悲しいです。
また、思い出の場所がひとつ消えていくことには、寂しい以外の言葉は見当たりません。 -
この運転手さんのタクシーに乗って、ペナン競馬場に行っていました。一度、競馬場近くの道路でガス欠になったこともありました。
今から振り返ると、ペナン競馬場は、私が行った時に、最後の輝きを見せてくれた時期だった、そんな気もします。
ペナン競馬、さようなら。
そして、どうもありがとう。
最後まで読んで頂いた皆様にも、改めて感謝致します。
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