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 妻の実家の墓に古い小さな墓石があり、秋山〇〇とある。徳之島に派遣された薩摩藩の武士だった。薩摩藩の記録によると薩摩藩士には秋山姓は一つだけだと。 となると、妻の墓石にある秋山は、薩摩藩に一つだけの秋山に繋がるしかない。その秋山家の古文書によると、先祖は甲斐の土屋姓であったと。しかし2歳の時に土屋家が仕えていた武田家が滅びたので、駿河~京に潜伏していたと。 京で薩摩藩の重臣と出会い、誘われて薩摩に入る際に秋山姓に変えたとのこと。 <br /> 甲斐では名門土屋家は断絶していたので、同じく名門の金丸家の兄弟のうち一人がが土屋姓を勝頼から賜った。もう一人金丸惣藏は駿河の土屋家に養子に入り土屋姓となった。これ以外に土屋姓は甲斐にはないので、どちらかの血縁ということになる。土屋惣藏の遺児には二名の男子の記録が残っており、一人は家康に見いだされ久留里城の大名になる、一人は武田家ゆかりの信州の寺に隠れ、そこで出家している。記録以外に男子がいた可能性はあるのか? 否定はできない。先祖は土屋惣藏なのか、その兄弟なのか、その親金丸氏は、ほぼ間違いなく先祖なのだと考えられる。<br /> という訳で、甲斐のゆかりの地を回ってきましたよ!<br /><br /><br />

片手千人斬りの土屋惣藏がご先祖様かもって!? 本当かどうか分からないけどお墓参りしよう!

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2025/08/14 - 2025/08/14

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城megrist KAZ

城megrist KAZさん

 妻の実家の墓に古い小さな墓石があり、秋山〇〇とある。徳之島に派遣された薩摩藩の武士だった。薩摩藩の記録によると薩摩藩士には秋山姓は一つだけだと。 となると、妻の墓石にある秋山は、薩摩藩に一つだけの秋山に繋がるしかない。その秋山家の古文書によると、先祖は甲斐の土屋姓であったと。しかし2歳の時に土屋家が仕えていた武田家が滅びたので、駿河~京に潜伏していたと。 京で薩摩藩の重臣と出会い、誘われて薩摩に入る際に秋山姓に変えたとのこと。 
 甲斐では名門土屋家は断絶していたので、同じく名門の金丸家の兄弟のうち一人がが土屋姓を勝頼から賜った。もう一人金丸惣藏は駿河の土屋家に養子に入り土屋姓となった。これ以外に土屋姓は甲斐にはないので、どちらかの血縁ということになる。土屋惣藏の遺児には二名の男子の記録が残っており、一人は家康に見いだされ久留里城の大名になる、一人は武田家ゆかりの信州の寺に隠れ、そこで出家している。記録以外に男子がいた可能性はあるのか? 否定はできない。先祖は土屋惣藏なのか、その兄弟なのか、その親金丸氏は、ほぼ間違いなく先祖なのだと考えられる。
 という訳で、甲斐のゆかりの地を回ってきましたよ!


交通手段
自家用車
  • 国道20号の景徳院入り口交差点を右折、景徳院を過ぎてしばらく行くと、龍門峡入り口駐車場(無料・トイレあり)が左にあります。ここに車を停めて天目山方面へ、失意の武田勝頼主従が歩いた道をたどります。

    国道20号の景徳院入り口交差点を右折、景徳院を過ぎてしばらく行くと、龍門峡入り口駐車場(無料・トイレあり)が左にあります。ここに車を停めて天目山方面へ、失意の武田勝頼主従が歩いた道をたどります。

  • 左は、深い谷です。数十メートルはあるのでしょう、川面が木々に遮られてなかなか見えませんが、清流の音は大きく聞こえます。<br /><br />今では車が通れるように広げられていますが、当時はやっと通れるほどの狭い崖路だったそうです。<br /><br />あ、あの角あたりが千人斬りの場所だろうな、角になっているから身を隠しつつ一人ずつ斬っていくことが可能だ。<br />

    左は、深い谷です。数十メートルはあるのでしょう、川面が木々に遮られてなかなか見えませんが、清流の音は大きく聞こえます。

    今では車が通れるように広げられていますが、当時はやっと通れるほどの狭い崖路だったそうです。

    あ、あの角あたりが千人斬りの場所だろうな、角になっているから身を隠しつつ一人ずつ斬っていくことが可能だ。

  • やっぱりそうだね。角の所に石碑がある。<br /><br />先回りした敵の部隊が向こうからやってくる。<br /><br />この先の天目山手前に武田家の菩提寺があるのだが、そこにも行かせてもらえない。 勝頼主従は諦めて田野(景徳院のある当たり)に戻ります。そこで最後の一戦をし、自刃するしかない。<br /><br />土屋惣藏は、前方から迫る敵を片手で藤蔓をつかんで崖からの転落を防ぎつつ、片手で敵を斬り倒し、崖下に蹴落とした。その凄まじさに「片手千人斬り」の異名を得ることになる。<br /><br /><br /><br /> <br /><br />

    やっぱりそうだね。角の所に石碑がある。

    先回りした敵の部隊が向こうからやってくる。

    この先の天目山手前に武田家の菩提寺があるのだが、そこにも行かせてもらえない。 勝頼主従は諦めて田野(景徳院のある当たり)に戻ります。そこで最後の一戦をし、自刃するしかない。

    土屋惣藏は、前方から迫る敵を片手で藤蔓をつかんで崖からの転落を防ぎつつ、片手で敵を斬り倒し、崖下に蹴落とした。その凄まじさに「片手千人斬り」の異名を得ることになる。



     

  • 写真は土屋惣藏片手斬り遺跡の碑です。<br /><br />ここで獅子奮迅の戦いを続けることで、勝頼主従は田野に戻ることができました。<br /><br />勝頼が落ち着いて自刃できる時間を稼いだと判断して、惣藏は最期は勝頼の傍でと田野に戻ります。<br /><br />ここで追い打ちをかけなかった敵の将は「武士の情け」だったのでしょうか?<br /><br /><br />

    写真は土屋惣藏片手斬り遺跡の碑です。

    ここで獅子奮迅の戦いを続けることで、勝頼主従は田野に戻ることができました。

    勝頼が落ち着いて自刃できる時間を稼いだと判断して、惣藏は最期は勝頼の傍でと田野に戻ります。

    ここで追い打ちをかけなかった敵の将は「武士の情け」だったのでしょうか?


  • お線香を上げ、祈りました。

    お線香を上げ、祈りました。

  • 石碑です。

    石碑です。

  • 説明版です。

    説明版です。

  • 次に向かったのは、景徳院です。 武田家滅亡後、徳川家康の命で創建されました。 この小山の上に勝頼主従の墓地があります。<br /><br />市営の無料駐車場が道の対面にあります。<br /><br />ナビで景徳院を入れると、やっと車が通れる細道を遠回りしていくことになりますので、石段を上れるのならばここから行く方が早くて良いと思います。

    次に向かったのは、景徳院です。 武田家滅亡後、徳川家康の命で創建されました。 この小山の上に勝頼主従の墓地があります。

    市営の無料駐車場が道の対面にあります。

    ナビで景徳院を入れると、やっと車が通れる細道を遠回りしていくことになりますので、石段を上れるのならばここから行く方が早くて良いと思います。

    景徳院 名所・史跡

    甲斐武田終焉の地に、家康の命で創建された寺です。 by 城megrist KAZさん
  • 山門右に碑があります。

    山門右に碑があります。

  • 風情のある、しかし、きちんと整備されている山道を登ります。

    風情のある、しかし、きちんと整備されている山道を登ります。

  • 途中に没頭地蔵尊があります。 首の無い亡骸を見た地元の人々が、首のない地蔵を三体祀ったそうです。勝頼37歳 夫人19歳 信勝16歳とありますね。<br />

    途中に没頭地蔵尊があります。 首の無い亡骸を見た地元の人々が、首のない地蔵を三体祀ったそうです。勝頼37歳 夫人19歳 信勝16歳とありますね。

  • さらに上がります。 木々の緑が大変きれいです。

    さらに上がります。 木々の緑が大変きれいです。

  • 甲将殿(御霊屋)の裏手にある勝頼公の墓、武田家滅亡から200年ほど経った江戸時代に造られたものです。<br /><br />中央が勝頼公 右が北条夫人、左が嫡子信勝公 その左右には最後まで従った家臣たちの墓石です。<br /><br />御遺体は、甲将殿の建つ位置に一つの穴に主従の区別がつかないので纏めて埋葬されているとのことです。<br /><br />ちなみに、勝頼公の首は京都で晒されたが、これを奪って高野山に埋葬したとのことで高野山にも勝頼の墓がある様です。<br /><br /><br />

    甲将殿(御霊屋)の裏手にある勝頼公の墓、武田家滅亡から200年ほど経った江戸時代に造られたものです。

    中央が勝頼公 右が北条夫人、左が嫡子信勝公 その左右には最後まで従った家臣たちの墓石です。

    御遺体は、甲将殿の建つ位置に一つの穴に主従の区別がつかないので纏めて埋葬されているとのことです。

    ちなみに、勝頼公の首は京都で晒されたが、これを奪って高野山に埋葬したとのことで高野山にも勝頼の墓がある様です。


  • 甲将殿 勝頼主従の遺体を埋葬した場所に建てられたとのことです。

    甲将殿 勝頼主従の遺体を埋葬した場所に建てられたとのことです。

  • 甲将殿を後に下ります。緑が大変綺麗でした。

    甲将殿を後に下ります。緑が大変綺麗でした。

  • 駐車場から車で川下方向すぐの左側に鳥居畑古戦場の碑があります。<br />このあたりで自刃したのでしょう。 線香を上げました。<br /><br />侍女たちが身を投げた姫ヶ淵は、先ほどの駐車場の脇ですが、見なかった・・・。

    駐車場から車で川下方向すぐの左側に鳥居畑古戦場の碑があります。
    このあたりで自刃したのでしょう。 線香を上げました。

    侍女たちが身を投げた姫ヶ淵は、先ほどの駐車場の脇ですが、見なかった・・・。

  • 鳥居畑古戦場の碑 説明版

    鳥居畑古戦場の碑 説明版

  • 道路わきにあります。車は寄せて停まればあまり迷惑にはならないと思います。 しかし先ほどの駐車場から歩いて数分なので歩く方がよりベターです。

    道路わきにあります。車は寄せて停まればあまり迷惑にはならないと思います。 しかし先ほどの駐車場から歩いて数分なので歩く方がよりベターです。

  • 車で1分かからず今度は右側に四郎作古戦場の碑があります。ここには駐車スペースがあります。<br />武田家滅亡前日、最期の組織だった戦いが行われた古戦場です。<br /><br />勝頼より蟄居を命じられていた小宮山内膳友晴が、武田家最期の戦いに参加できないのは末代までの恥、武士道に悖ると、蟄居の許しを得に勝頼の下に駆け付け、鬼人の活躍で多数の敵を斬り倒して少数で大群を押し戻し、武田家最期の勝利を得た。<br /><br />この際、勝頼を見限って逃亡を企てた者を、土屋惣藏が追って切り捨てたとの話があり、その刀を洗ったという場所が残っていますが、後に作られたお話の様で、その者も勝頼公とともに景徳院に一緒に葬られているので違うのでしょう。

    車で1分かからず今度は右側に四郎作古戦場の碑があります。ここには駐車スペースがあります。
    武田家滅亡前日、最期の組織だった戦いが行われた古戦場です。

    勝頼より蟄居を命じられていた小宮山内膳友晴が、武田家最期の戦いに参加できないのは末代までの恥、武士道に悖ると、蟄居の許しを得に勝頼の下に駆け付け、鬼人の活躍で多数の敵を斬り倒して少数で大群を押し戻し、武田家最期の勝利を得た。

    この際、勝頼を見限って逃亡を企てた者を、土屋惣藏が追って切り捨てたとの話があり、その刀を洗ったという場所が残っていますが、後に作られたお話の様で、その者も勝頼公とともに景徳院に一緒に葬られているので違うのでしょう。

  • 次にやってきたのは、景徳院のある勝沼市からはかなり離れた南アルプス市にある土屋惣藏の墓です。長盛院(金丸家菩提寺、金丸館跡に立地)の管理下だそうです。<br />駐車場はありません。金丸氏館跡(長盛院)から歩いて数分です。<br />遺体は景徳院に主従纏めて埋葬されていますが、(金丸家の五男の)惣藏の魂はここに戻っているのかもしれません。

    次にやってきたのは、景徳院のある勝沼市からはかなり離れた南アルプス市にある土屋惣藏の墓です。長盛院(金丸家菩提寺、金丸館跡に立地)の管理下だそうです。
    駐車場はありません。金丸氏館跡(長盛院)から歩いて数分です。
    遺体は景徳院に主従纏めて埋葬されていますが、(金丸家の五男の)惣藏の魂はここに戻っているのかもしれません。

  • 中央が土屋惣藏の墓 右は金丸氏の墓です。左は?<br />お花を手向けて、線香を上げてお祈りしてきました。<br /> 近くに水道はありませんので、お花を手向ける方はペットボトルに水を用意されると良いですよ。

    中央が土屋惣藏の墓 右は金丸氏の墓です。左は?
    お花を手向けて、線香を上げてお祈りしてきました。
     近くに水道はありませんので、お花を手向ける方はペットボトルに水を用意されると良いですよ。

  • 土屋惣藏の墓石

    土屋惣藏の墓石

  • 金丸伊賀守の墓石

    金丸伊賀守の墓石

  • 金丸氏館跡に建つ長盛院 金丸氏の菩提寺です。<br /><br />突然でしたのに、本堂内でお線香を上げさせていただくことができました。<br /><br />ご住職の奥様、副住職様、ありがとうございました。感謝いたします。

    金丸氏館跡に建つ長盛院 金丸氏の菩提寺です。

    突然でしたのに、本堂内でお線香を上げさせていただくことができました。

    ご住職の奥様、副住職様、ありがとうございました。感謝いたします。

  • 近くの小作で「ほうとう」をいただいてから帰ってきました。<br /><br />368km 22.2km/L

    近くの小作で「ほうとう」をいただいてから帰ってきました。

    368km 22.2km/L

    小作 竜王玉川店 グルメ・レストラン

  • 帰り際、国道20号(上り)沿いのブドウ直売のお店に寄って、ブドウと桃を購入しました。 これが大当たりでした。 桃は当たり外れが大きいと思っていましたが、最高に美味しかったですよ! 3個入りパック一つしか購入しなかったのが残念なくらいです。 ブドウは試食して超甘かったけど酸味もある巨砲にしましたが、購入したものも全く同じに美味しかったです。<br /> 来年も買いに行こうっと!

    帰り際、国道20号(上り)沿いのブドウ直売のお店に寄って、ブドウと桃を購入しました。 これが大当たりでした。 桃は当たり外れが大きいと思っていましたが、最高に美味しかったですよ! 3個入りパック一つしか購入しなかったのが残念なくらいです。 ブドウは試食して超甘かったけど酸味もある巨砲にしましたが、購入したものも全く同じに美味しかったです。
     来年も買いに行こうっと!

  • 駐車場の脇はブドウ畑でした。

    駐車場の脇はブドウ畑でした。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • tomyさん 2025/10/17 04:16:24
    土屋氏
    初めまして。
    突然のコメント失礼します。

    勝沼/土屋で検索したところ、こちらのブログ記事がヒットしました。


    私も土屋一族です。
    自身のルーツを調べていたところ「甲州勝沼より入る」との記載があり、先祖代々信州〇〇藩に仕えてきたものと思っていたため驚きました。
    これも10年以上前に知ったことで、そのまま放置していました。家紋は三ツ石です。

    城megrist KAZ

    城megrist KAZさん からの返信 2025/10/17 19:44:17
    RE: 土屋氏
    > 初めまして。
    > 突然のコメント失礼します。
    >
    > 勝沼/土屋で検索したところ、こちらのブログ記事がヒットしました。
    >
    >
    > 私も土屋一族です。
    > 自身のルーツを調べていたところ「甲州勝沼より入る」との記載があり、先祖代々信州〇〇藩に仕えてきたものと思っていたため驚きました。
    > これも10年以上前に知ったことで、そのまま放置していました。家紋は三ツ石です。

    わー! 本物の土屋氏ですね! 甲州の名門土屋氏は、いったん途絶えたので、同じく名門の金丸氏の兄弟の一人が、武田勝頼から土屋の姓を与えられ名門土屋氏を再興したようです。もう一人は土屋惣藏は、駿河の名門土屋氏に養子に入り土屋姓となりました。ドラマチックですよねー!

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