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長島神社、紀北燈籠祭で紀北町長島を訪れた際に立ち寄ってみた。

紀北町長島「長島神社」

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2025/07/26 - 2025/07/26

85位(同エリア99件中)

旅行記グループ きほく燈籠祭り

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20

おやじさん

長島神社、紀北燈籠祭で紀北町長島を訪れた際に立ち寄ってみた。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
1.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • 紀北町長島の中心付近にある紀伊長島港、その西側の江ノ浦の入江の高台に長島神社が鎮座します。<br />周辺は漁師町の雰囲気が漂う町並みが広がり、ノスタルジックな雰囲気が漂う街並みです。<br />この地方は丘陵地が迫り、海岸線に切れ落ちる地形が多く、僅かな距離で海と山を同時に味わえる地域で、古くは熊野古道など歴史的な道も存在します。

    紀北町長島の中心付近にある紀伊長島港、その西側の江ノ浦の入江の高台に長島神社が鎮座します。
    周辺は漁師町の雰囲気が漂う町並みが広がり、ノスタルジックな雰囲気が漂う街並みです。
    この地方は丘陵地が迫り、海岸線に切れ落ちる地形が多く、僅かな距離で海と山を同時に味わえる地域で、古くは熊野古道など歴史的な道も存在します。

  • 鎮座地は波穏やかな江ノ浦の北側の海へ突き出た山麓の裾野に鎮座します。<br />この山の頂には至徳元年(1384)に築かれた長島城がありました。<br />地名を冠する長島神社は、細い道の多い海沿いの集落の外れに社頭を構えています。<br />右に「長島神社」の社標が建てられ、広い境内が広がり、社殿は山の斜面を切り開き建てられており、鳥居も山の入口に建てられています。<br />これだけ広い境内は祭礼で必要な広さなんだろう。<br /><br />社殿を包み込む社叢は三重県の天然記念物に指定されており、中でも鳥居左に聳え立つ御神木の楠の巨木は、樹齢800年とも1000年とも言われ、実に風格のある姿を見せています。

    鎮座地は波穏やかな江ノ浦の北側の海へ突き出た山麓の裾野に鎮座します。
    この山の頂には至徳元年(1384)に築かれた長島城がありました。
    地名を冠する長島神社は、細い道の多い海沿いの集落の外れに社頭を構えています。
    右に「長島神社」の社標が建てられ、広い境内が広がり、社殿は山の斜面を切り開き建てられており、鳥居も山の入口に建てられています。
    これだけ広い境内は祭礼で必要な広さなんだろう。

    社殿を包み込む社叢は三重県の天然記念物に指定されており、中でも鳥居左に聳え立つ御神木の楠の巨木は、樹齢800年とも1000年とも言われ、実に風格のある姿を見せています。

  • 写真は氏子の住む町を見据えるように佇む社殿と御神木、鳥居の眺め。

    写真は氏子の住む町を見据えるように佇む社殿と御神木、鳥居の眺め。

  • 石段の先に安置されている一対の狛犬(吽形)と由緒。

    石段の先に安置されている一対の狛犬(吽形)と由緒。

  • 『長島神社由緒<br /> 【祭神】武速須佐之男命、倉稲魂命、事代主命、加藤清正、大山祇命、大綿津見命、菅原道真、不詳4座<br /> 【由緒】<br />  当社の創始については明らかでない。<br />   神社名、鎮座地は古来より、現在に至るまで変わらず存続して来たものと伝えられている。<br />  当社の事を記載する最古の資料としては江戸初期の棟札がある。<br />   それによると、天正19年(1591)に加藤甚五郎居住の長島城が焼討にあった。<br />  その時に当社の社殿及び旧記系図等全てが焼失した為、当社の主祭神であった武速須佐之男命を同じ<br />  く奉斎する京都の祇園社(八坂神社)から勧請し、旧神主十一代御館喜太夫宗本が元和元年(1615)から<br />  奉仕された事が記されている。<br />   寛永18年(1641)3月、右筋目系図書上に及び、その後現在宮司は、第21代目に相当する。<br />  明治時代に至って周辺神社を合祀している。平成23年11月』

    『長島神社由緒
     【祭神】武速須佐之男命、倉稲魂命、事代主命、加藤清正、大山祇命、大綿津見命、菅原道真、不詳4座
     【由緒】
      当社の創始については明らかでない。
       神社名、鎮座地は古来より、現在に至るまで変わらず存続して来たものと伝えられている。
      当社の事を記載する最古の資料としては江戸初期の棟札がある。
       それによると、天正19年(1591)に加藤甚五郎居住の長島城が焼討にあった。
      その時に当社の社殿及び旧記系図等全てが焼失した為、当社の主祭神であった武速須佐之男命を同じ
      く奉斎する京都の祇園社(八坂神社)から勧請し、旧神主十一代御館喜太夫宗本が元和元年(1615)から
      奉仕された事が記されている。
       寛永18年(1641)3月、右筋目系図書上に及び、その後現在宮司は、第21代目に相当する。
      明治時代に至って周辺神社を合祀している。平成23年11月』

  • 三重県の天然記念物に指定されている大楠。<br /> 温暖な気候では成長が早いと言われる楠ですが、多くの瘤を持つ太い幹は傍で見ると圧倒される迫力があり、何かが宿っていても不思議ではない貫禄が漂っています。<br />古来からこの楠や後方の山は、港に住み、海の恵みで生業とする者にとって進路を定め、漁場を知るための山だてのシンボル的存在だったかもしれません。

    三重県の天然記念物に指定されている大楠。
     温暖な気候では成長が早いと言われる楠ですが、多くの瘤を持つ太い幹は傍で見ると圧倒される迫力があり、何かが宿っていても不思議ではない貫禄が漂っています。
    古来からこの楠や後方の山は、港に住み、海の恵みで生業とする者にとって進路を定め、漁場を知るための山だてのシンボル的存在だったかもしれません。

  • 鳥居脇から御神木を見上げる。<br /> 街中の楠は、ともすれば頭や枝は落とされ、見るからに窮屈な印象を受けますが、こちらの楠は伸び伸びと聳え立っています。

    鳥居脇から御神木を見上げる。
     街中の楠は、ともすれば頭や枝は落とされ、見るからに窮屈な印象を受けますが、こちらの楠は伸び伸びと聳え立っています。

  • 狛犬(阿形)と鳥居。

    狛犬(阿形)と鳥居。

  • 境内への入口、石の神明鳥居をくぐり、参道を進みます。

    境内への入口、石の神明鳥居をくぐり、参道を進みます。

  • 参道の正面が手水舎で、社殿は右側の石段を上っていきます。

    参道の正面が手水舎で、社殿は右側の石段を上っていきます。

  • 社殿へ続く石段の眺め。

    社殿へ続く石段の眺め。

  • 上りきると右側に社殿が建てられています。<br />入母屋銅葺屋根の平入拝殿と神明造の本殿が主な建物です。<br /><br />三重県神社庁の「三重県神社一覧」には以下のように解説されていました。<br />『長島神社は紀北町紀伊長島区長島にあり漁業を中心に栄えた氏神である。<br />現在氏子数約1,000戸、天正19年(1591)伊勢の北畠氏と新宮の堀内氏との戦いで北畠の臣、加藤甚五郎居住の長島城焼き討ちの時、氏神を始め神主宅まで類焼に及び旧記系図等焼失するを以って天正19年(1591)京都市の八坂神社から勧請に及び現在に至っている。<br /> 天保4年(1833)に当町沖合い4キロにある大島から石を運び築いた石垣の上にある社殿は中世の城を偲ばせる。<br />1月15日に行われる江戸時代中期から行われている「船だんじり」や1月11日の四祷祭り「弓引き神事」は漁師町ならではの勇壮な神事である。<br /> 長島神社社叢は昭和38年9月12日、三重県教育委員会の指定文化財となっており、推定樹齢800年の大楠をはじめ、イヌマキ、ヒノキ、スダジイ、スギ、タラヨウなどの樹木はかなり大きなものが多い。』<br />と纏められていました。<br /><br />城の趣すら漂う石垣は、船でわざわざ運ばれてきたものという。<br />これだけ山が迫っていながら、こうした岩には恵まれない土地柄なんだろうか。<br />この頂に合った城址には行ってはいないが、そこの石垣もこうして運ばれてきたものだろうか。<br />仮にそうだとしたら、岩を切り出した大島の姿も大きく変貌しているのだろう。

    上りきると右側に社殿が建てられています。
    入母屋銅葺屋根の平入拝殿と神明造の本殿が主な建物です。

    三重県神社庁の「三重県神社一覧」には以下のように解説されていました。
    『長島神社は紀北町紀伊長島区長島にあり漁業を中心に栄えた氏神である。
    現在氏子数約1,000戸、天正19年(1591)伊勢の北畠氏と新宮の堀内氏との戦いで北畠の臣、加藤甚五郎居住の長島城焼き討ちの時、氏神を始め神主宅まで類焼に及び旧記系図等焼失するを以って天正19年(1591)京都市の八坂神社から勧請に及び現在に至っている。
     天保4年(1833)に当町沖合い4キロにある大島から石を運び築いた石垣の上にある社殿は中世の城を偲ばせる。
    1月15日に行われる江戸時代中期から行われている「船だんじり」や1月11日の四祷祭り「弓引き神事」は漁師町ならではの勇壮な神事である。
     長島神社社叢は昭和38年9月12日、三重県教育委員会の指定文化財となっており、推定樹齢800年の大楠をはじめ、イヌマキ、ヒノキ、スダジイ、スギ、タラヨウなどの樹木はかなり大きなものが多い。』
    と纏められていました。

    城の趣すら漂う石垣は、船でわざわざ運ばれてきたものという。
    これだけ山が迫っていながら、こうした岩には恵まれない土地柄なんだろうか。
    この頂に合った城址には行ってはいないが、そこの石垣もこうして運ばれてきたものだろうか。
    仮にそうだとしたら、岩を切り出した大島の姿も大きく変貌しているのだろう。

  • ガラス張りの拝殿正面全景、左手は社務所だろうか。<br />寄進物の年代は全く見ておらず、ひょっとすると古い元号を刻んだ物もあるのかもしれない。

    ガラス張りの拝殿正面全景、左手は社務所だろうか。
    寄進物の年代は全く見ておらず、ひょっとすると古い元号を刻んだ物もあるのかもしれない。

  • 拝殿額は「長島神社」。

    拝殿額は「長島神社」。

  • 明るい拝殿内から本殿方向の眺め。

    明るい拝殿内から本殿方向の眺め。

  • 本殿の全景は捉えきれなかったが外削ぎ千木の付く神明造に見えます。<br />境内に社の姿は見られず、武速須佐之男命、倉稲魂命、事代主命、加藤清正、大山祇命、大綿津見命、菅原道真、他4座が全てこの本殿に祀られているのだろう。<br />祭神に加藤清正(1562-1611)が祀られている理由は定かではないが、長島城の焼き討ち、八坂神社から勧請された時期が清正が生きていた時期と重なるので、城や神社の再建になんらかの影響を与えたのかもしれない。

    本殿の全景は捉えきれなかったが外削ぎ千木の付く神明造に見えます。
    境内に社の姿は見られず、武速須佐之男命、倉稲魂命、事代主命、加藤清正、大山祇命、大綿津見命、菅原道真、他4座が全てこの本殿に祀られているのだろう。
    祭神に加藤清正(1562-1611)が祀られている理由は定かではないが、長島城の焼き討ち、八坂神社から勧請された時期が清正が生きていた時期と重なるので、城や神社の再建になんらかの影響を与えたのかもしれない。

  • 社叢の樹々が強烈な陽射しを遮り快適な空間を作ってくれています。

    社叢の樹々が強烈な陽射しを遮り快適な空間を作ってくれています。

  • 境内から社頭の眺め。<br />広い境内は、江戸時代中期から続く「船だんじり」や「弓の禱」が奉納され、今は閑散とした境内も当日は人で埋まる。<br />神々はこの高台から、祭礼の賑わいを静かに見守っているのかもしれない。

    境内から社頭の眺め。
    広い境内は、江戸時代中期から続く「船だんじり」や「弓の禱」が奉納され、今は閑散とした境内も当日は人で埋まる。
    神々はこの高台から、祭礼の賑わいを静かに見守っているのかもしれない。

  • まもなく日も落ちます、花火見物のため私達が陣取った観覧場所のα橋と呼ばれるループ橋に戻ります。

    まもなく日も落ちます、花火見物のため私達が陣取った観覧場所のα橋と呼ばれるループ橋に戻ります。

  • やがて日も落ちて、紀北町の夏の風物詩大燈籠と花火の競演がはじまります。

    やがて日も落ちて、紀北町の夏の風物詩大燈籠と花火の競演がはじまります。

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