2014/05/15 - 2014/05/15
1381位(同エリア1414件中)
リュックさん
第5日目 5月15日(木):
松山(市内観光、松山城)~松山空港~成田
5月15日 今回の四国路の旅は早くも最終日となった。
09:30 Lv.うめ乃や
10:00-11:30 荷物預け 道後温泉界隈 90分ガイド
12:00 Lv.道後温泉 市電で大街道
12:10 Av.大街道 三越デパート内ロッカーに荷物預け
12:30 昼食(鍋焼きうどん アサヒ)
12:40 Lv.アサヒ タクシーで松山城ロープウエー乗り場
13:00 Av..ロープウエー乗り場
13:20 Av.長者ヶ原
13:30-15:00 松山城散策 90分ガイド
15:30-16:30 満翆荘見学 館内音声ガイド
16:20 Lv.大街道 荷物を受け取り
16.50-17.10 JR松山駅でじゃこ天うどん
17:35 Lv.松山駅 空港行きリムジンバス
17:50 Av.松山空港
19:40 Lv..松山空港
21:15 Av.成田空港
-
うめ乃や
今回の旅で一番楽しみにしていた宿。
この宿は客室が8和部屋のみでこじんまりとしている。
大型ホテルがひしめく道後温泉では
特異な存在かもしれない。
この宿を選んだのは前回の旅で宿泊した霧島神宮にある
料亭旅館竹千代霧島別邸が快適であった事から、
うめ乃やでも同じ快適な宿泊が出来るのではないかと
旅の最後の宿として決めた。
結果は料理内容は竹千代には及ばなかったが
宿の静けさ、雰囲気、ホスピタリティー、
宿の施設などすべて合格であった。 -
我々は2階の都鳥を指定していた。
3畳、8畳の純和室で広い濡れ縁から庭を見下ろし、
正面は道後公園のこんもりとした緑豊かな森に囲まれている。
まずはともあれ露天岩風呂で汗を流す。
母屋から庭にある小道を通ってゆく。
あいにく雨で傘を差しながらゆく。
露天風呂と言っても、岩風呂は屋根で覆われ雨でも大丈夫。
誰もいない静かな浴槽につかり、旅の疲れを癒した。
部屋に戻り、一休みしてから食事処で夕食。 -
こじんまりとしたロビー。とてもアットホーム
和室にテーブル、いすを置きここで食事。
5組ほどのテーブルがありが
我々ともう一組のテーブルに食器がおいてあった。
どうやら今夜の宿泊客は2組なのかな。
さて我々はビールで喉を潤す。
どの料理も手間をかけ、おいしい。
静かな松山の夜だった。
料理を一品ずつ運んでくる初老の仲居さん。話好き。
いろいろ話をしてくれる。
「松山には現役のころ仕事でよく来たけれど
ほとんど松山では観光をしていない。
当時、松山に来ると必ず「かな泉」といううどん屋に行ったので、
今回も訪れたいと調べたら店を閉めていることが分かった」
「松山でおいしいうどん屋を紹介して」
「私がよく行く鍋焼きうどんがおいしい」
「どこにあるの」
「大街道のアーケード街を行くと「ことり」と
「アサヒ」の2件のうどん屋があって昔からの老舗。
かつて伊丹十三も訪れていて地元では有名。
値段も500円で安くておいしい」
今時500円の鍋焼きうどんはどんなものか興味が涌き、
我々は翌日そこで昼食をとると伝えると、
仲居さんは翌日朝食時わざわざ新聞の切り抜き記事を
持ってきてくれた。
旅の疲れが出てきて夜はよく寝た。朝、
窓から外を見ると無情の雨。
かなり激しく降っている。
空には厚い雲が垂れ込めている。
今日も道後温泉界隈、松山城など歩く場所が多い。
雨に濡れしっとりとした庭 -
昨夜はこの庭を番傘をさして庭の奥の露天風呂に行った。
朝食を済ませ、宿を出る。
昨日、宿に着いた時には暗かったので周囲の景色が
分からなかった。
以前は料亭だった雰囲気が一杯。
朝外に出てみると宿の周辺はとても静か。
観光客が誰も歩いていない。
宿を出て門前で写真を撮っていると
宿の仲居さんが飛び出してきて
我々の写真を撮ってくれた。
とても親切で感じがよい宿だった。
雨は霧雨になった。 -
道後公園の外周にある坂道を下り、
道後温泉駅のあるからくり時計に着いた。
この横にボランティアガイドさんと待ち合わせる事務所があり、
荷物を預けガイドさんにご挨拶。
ガイドルートは道後界隈を90分で散策する定番メニュー。
挨拶もそこそこに出発。 -
道後温泉本館の姉妹湯。
建物の白壁には、
窓から湯と椿が流れ落ちる「からくり絵」が描かれている。
松山市の市花は椿。
「椿の湯」の由来は聖徳太子が道後温泉を訪れ
湯の岡に登り風景(椿)と湯を絶賛し
記念に碑文を遺したとされている。 -
道後温泉本館
明治27年伊佐庭如矢(当時の道後町長)により
道後温泉本館の改築が行われ現在のような三層楼となった。
国指定の重要文化財。振鷺閣の刻太鼓は
残したい日本の音風景100選に指定されている。
現役時代、顧客の案内でこの道後温泉を訪れ、
風呂に入った。大広間に大勢いる客の前で
浴衣に着替えるのには相当抵抗があった。
風呂はそれほど大きくはなく、
薄暗い花崗岩でできた浴槽に大勢が一度に入るため
イモ洗い状態。
薄暗いのでお湯の汚れ状態が分からない。
一度体験すればそれでよい。 -
居間、玉座の間
ガイドさんが又新殿を見学されたらとの薦めで
見学料を払って道後温泉館内に入った。
訪れた思い出の大広間を通り、狭い階段を降りる。
ここで案内の女性が形通りの簡単な説明があった。
明治32年皇室専用湯殿「又新殿」が新築された。
大正天皇・昭和天皇・昭和27年に常陸宮が
ご入浴さしたのが最後。
浴槽は一階にあり御影石で入浴時は浴槽内に
ヒノキの板をめぐらしたとのこと。
当時の居間、天皇専用の玉座はきらびやかであったであろう。
今は色あせ、ふすまは相当痛んでいる。
メインテナンスは全くしていないのであろう。
単なる見学用としても手入れが悪い。
案内女性の説明はこれでおしまい。
後はご自由に館内を見学しておかえり!です。 -
館内をうろうろ見学してるいと
夏目漱石ゆかりの部屋があった。
漱石といえば道後温泉と坊っちゃん!
3000年の歴史を持つ道後温泉は古くから偉人、墨客に
愛されてきた名湯とされている。
漱石は松山の町を
「猫の額ほどの町内”・・・、”田舎者はしみったれだ」
小説に
「おれはここへ来てから毎日住田の温泉(道後温泉)へ
行くことに決めている。
他の所は何を見ても東京の足元にも及ばないが
温泉だけは立派なものだ」
「折角来たものだから毎日這入ってやろうという気で
晩飯前の運動旁(かたがた)出掛ける。
ところが行くときは必ず西洋式手拭の大きな奴を
ぶら下げて行く。
この手拭いが湯に染まった上へ、
赤い縞が流れ出したので一寸見ると紅色に見える」
この赤手拭いは温泉への行き帰りに
いつも腰にぶらさげていたことから
教場では”赤手拭い”のニックネームがついていた。
そして三階霊の湯個室席で貸し出されたタオルは小説に
ちなんで赤の縞模様。
明治27年に建てられた本館は
坊っちゃんが通った当時は新築で
「上等」と書いた坊っちゃん愛用の部屋は
霊の湯三階個室席になっっている。
「三階の新築で上等は浴衣をかして、
流しをつけて八銭で済む」
「道後温泉は餘程立派な建物にて
八銭出すと三階に上り、茶を飲み菓子を食ひ、
湯に入れば頭迄石鹸で洗って呉れるといふ様な始末、
随分結構に御座候
明治二十八年五月十日 夏目漱石」 -
皇室専用の建屋、入口
道後温泉館内を見学して外に出ると
本格的な雨になった。
我々が館内を見学している間に
ガイドさんは大きな傘を持ってきてくれた。
又新殿を見ながら休憩。 -
円満寺
道後温泉中心街を背に山間の坂道を上る。
民家の間の細い路地の向うに本堂があり、
手前にペンキだろうか真っ白に塗られた祠がある。
その中に原色で彩られた仏が鎮座している。
この「湯之大地蔵尊」は、
道後温泉に来浴した行基菩薩が温泉の霊効に感じ入り、
楠木の大木に彫ったもの。
3.67mの座像とある。
また、湯の町 道後を守る「火よけ地蔵」として
町民から親しまれているとのこと。
それにしてもけばけばしい。 -
雨で写真が撮れず借用
雨に濡れた路は抜かるんで歩きにくい。
立派な山門のある寺に来た。
ここは一遍上人生誕の地で伊予の国主・河野通広の三男。
本堂には、113.9cmの「一遍上人木像」が安置されていた。
一遍上人は、民衆救済の全国遊行に向い、
踊念仏にて庶民に信仰を広めた。
寺伝によると天智天皇4年(665年)越智守興が
誓願院として創建したという。
平安時代中期、天台宗寺院となる。
往時は松ヶ枝町一帯に12の支院があったという。
2013年8月10日、火災により本堂と庫裏が全焼し、
所蔵されていた国指定重要文化財である木造一遍上人立像が焼失。
参拝者からの連絡があった時点で
既に煙が充満していて手の施しようがなかったという。
確かに訪れると立派な山門以外境内に本堂が無い。 -
伊佐爾波神社
さらに坂道を上ると、朱塗りの大きな社が眼前に迫る。
大きな神社だ。
この伊佐爾波神社は京都の石清水神社・大分の宇佐神社と並ぶ
日本三大八幡造りの一つ。
現在の社殿は第三代松山藩主松平定長が
江戸城での流鏑馬に成功した御礼に
建て替えた国重要文化財とある。
雨脚はさらに強くなった。
ガイドさんも我々も散策意欲がなえてしまった。
このガイドさん、散策地のガイドは簡単に、世間話ばかり。
異端のガイドさんだ。
ガイドさんサッサと町に向かって坂道を下りてゆく。
道後温泉中心街にある 子規記念博物館に行く。
コンクリート作りの立派な建物。
館内には子規ゆかりの展示物が多くある。 -
松山市立子規記念博物館
松山市の説明では正岡子規の世界をとおして、
より多くの人びとが松山の歴史や文学に親しみ、
理解をふかめていただくために開設された文学系の博物館。
市民の知的レクリエーションや学校の課外学習の場、
研究者のための情報機関、
また観光客のビジターセンターとして親しまれているとのこと。
博物館では現在およそ6万点の実物資料や書籍を収蔵しており、
正岡子規の一生を紹介する常設展示のほか、
年2~3回の特別展・特別企画展、また各種のイベントを
開催しているとのこと。
ガイドさんの説明はほとんどなく、
展示物の説明を読んでくださいの調子。
館内の展示物は時間をかけてゆっくり見学すればよいのだろう。
雨宿り的に短時間での見学はもったいない。
子規記念博物館を後にして出発地からくり時計まで戻った。
ガイドさんにお礼を言って、
道後温泉駅から市電で大街道駅まで行く。 -
お昼は昨夜の宿の仲居さんご推薦の鍋焼きうどんを食べに行く。
大街道駅前の三越デパート内にあるコインロッカーに荷物を預け、
書いてもらった地図を頼りにアーケード街をしばし歩く。
地図ではすぐ近くにあるように示されていたが、
なかなか見つからない。
15分ほど歩いたであろうかやっとアーケード街から
少し入った飲み屋街にあった。
アサヒで鍋焼きうどんを食べる。 -
話題の鍋焼きうどん屋は、
ことりとアサヒの二軒が隣接してある。
昼時の為であろうか「ことり」の店の前には
数人の客が並んでいた。
アサヒは並んでいなかったのでアサヒに入った。
暖簾をくぐって店内に入る。ほぼ満席。
戦後の物がない時代におかれたテーブル椅子、
店内の作りは小津安二郎の映画のシーンそのもの。
客はもくもくと食べている。
鍋焼きうどんを注文。
出された鍋焼きはアルミの鍋にアルミのスプーン。
年代のもだ。
歯型はついていないが相当使い込んでいる。
鍋の中身は写真の通り。
値段は500円!
確かに安いが腰のないやわらかいうどんに薄く切った具。
相当切り詰めた内容。
味は四国特有の甘い汁。
新聞で大々的に紹介するほどの内容ではないような気がする。
店の壁に
「まだ甘いものが貴重品だった昭和22年に
祖祖父の考案でアサヒの鍋焼きは誕生しました。
時代は流れても平成の今日まで懐かし味を
皆様に」と張り紙が。
これから松山城見学でガイドさんと
13時30分に待ち合わせしている。
今から歩いてロープウエー乗り場まで行き、
ここから長者ヶ平まで行くには時間がない。
うどん屋の近くでタクシーを拾ってロープウエー乗り場へ。 -
松山城をガイドさんと一緒に探索する。
ロープウエーで長者ヶ平まで行く。
ここがガイドさんとの待ち合わせ場所。
ガイドさんはすでに我々を待っていてくれた。
挨拶もそこそこにすぐに出発。
雨が強く降ったり、止んだりの変な天気、蒸し暑い。
長者ヶ平は雨に濡れてぬかるみ歩きにくい。
今回は90分のコースで
大手門跡から隠門、本丸跡、一の門、二の門、三の門をくぐり
大天守閣に登り戻るコース。 -
大手門跡からいよいよ城内に。
雨脚が強くなってきた。
大手門跡より雨にかすむ松山城天守を眺める。 -
戸無門
松山城の本丸広場へ行く南側からの順路にある。
この門は築城当時から門扉がなく、
敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な門。 -
隠門
城の防備上で、最も重要堅固な筒井門と隠門。
戸無門を通過して、目に付くのは筒井門で、
その奥にある隠門は分かり難くしてある。
侵入者の注意を筒井門に向けさせ、
そこを破ろうとする敵を隠門から出て、
背後から襲う戦略。
大きな門に木戸ような入口。
このようなスタイルは珍しいとのこと。
大門を開けず木戸から敵を攻める戦略? -
本丸跡の井戸
南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った際、
谷底にあった泉を井戸として残したという。
井戸の直径2m深さ44.2mで当時の技術では、
通常、掘ることができない深さらしい。 -
大天守閣に入る。
天守の各階への階段は急勾配。
狭い踏み板、上りも下りもスリッパでは危険。
今は手摺がついているが当時はなかった。
重装備で階段の上り下りは大変。
これも防御の意味合いか。 -
天守は戦のとき防衛の要として一大事のときにだけ籠城。
平時は城主やその側近らが足を踏み入れることもなく、
生活の場ではないのでトイレも炊事場もない。
床は板張りで天井板もないのが通例。
松山城は一重、二重、三重の各階とも天井板があり、
畳が敷ける構造。
そして床の間もあり、襖を入れるための敷居まである。
いざという時に城主ともに籠城の為か。
当時の城主、松平勝善は
ここを何の用途にしようとしたのか。
生憎、松山城見学時は雨で細かく写真が撮れなかった。
でもガイドさんの丁寧な説明で松山城の輪郭が分かった。
松山城は広い。
まだまだ見学するところがたくさんある。 -
松山城を後にロープウエー乗り場まで戻ってきた。
ここから徒歩で満翠荘に向かう。雨が止んだ。
しかし、松山城散策時から足腰が痛みだした。
ロープウエー乗り場前にタクシーが止まっていた。
「満翠荘までお願いできますか」
「いいですよ。でもここは一方通行なので
満翠荘に行くには遠回りをして行きます。良いですか?
このまま坂を下りて歩いたほうが近いですよ」
親切なタクシーの運転手さんだ。
雲助タクシーでなくてよかった。
痛む足腰をさすりながら歩く。
満翠荘に入る通路でダウン。
しばし腰を下ろして休憩。
座って休むと足腰の痛みが和らぐ。
しばらく休んで満翠荘邸内に入る。
本館がはるか上のほうに見える。
ウエーこの坂を上るのか!途中何度か休憩しながら上る。 -
満翠荘
大正浪漫漂うフランス風洋館。
大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫、
久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別邸として建てた。
陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの
純フランス風の建物。
当時最高の社交の場として
各界名士が集まり皇族も立ち寄っている。
萬翠荘は戦禍を免れ、
建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物。 -
ステンドグラス
踊り場壁面のステンドグラスは、
それぞれのガラスの色彩は単一ではなく
グラデーションになっている。
描かれている波と帆船は、
久松定謨が明治20年(1887年)10月に
フランス・サンシール陸軍士官学校に入校するため、
あるいは明治35年(1902年)8月に
フランス公使館附武官就任の際に渡った海原を
思い起こさせるものと解説されている。 -
レセプションルーム
皇族、各界の人たちを招いて開くパーティーは
満翠荘一階にある館内でもっとも華やかな広間。
訪れた日はバラの展示会に使われていた。 -
満翠荘を出て大街道から市電でJR松山駅に行った。
現役時代、四国の顧客を訪問したときに立ち寄った駅構内にある
じゃこてんうどん屋。
立ち食いうどん屋で列車の出発時間前にちょっと立ち寄る。
安くてうまい。
松山市駅構内、周辺はすっかり変わり、発展し、
大勢の人たちで混雑していた。
JR松山駅舎は当時のままで、駅前も昔のまま。
静かで人通りも少ないく閑散としていた。
駅前からリムジンバスで松山空港に行く。
空港でじゃこ天を土産に買い求め、
19時40分発成田空港に飛び、
21時15分に成田着。
預けておいた車で帰宅した。
今回は城めぐりの旅のようであった。
どの城も個性があり興味深い。
あいにく最終日は雨にたたられ道後温泉界隈、
松山城を十分に散策できなかったが、充実した旅であった。
かみさんも満足してくれた。
ただ、小生の足腰の痛みは困ったものだ。
30分以上歩くと足が崩れるように痛む。
帰宅後、整形外科医を訪ね検査してもらったが
原因が分からない。
処方してもらった神経が過敏に反応するのを抑える薬
を服用している。かなり症状は軽減してきた。
完
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