2025/08/09 - 2025/08/09
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みょうさんさん
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夏の只見川と只見線のスポットを上流から下流に向けて訪ねました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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只見町河井継之助記念館を訪ねたら、もうすぐ只見線の列車が通るので時間があれば手を振ってください、と言われたので、写真撮影を兼ねて手を振ることにしました。
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通ったのは臨時列車の全席指定の風っ子只見線号てした。
トロッコ列車のように窓が開放されています。写真撮影の
後、手を振ったら手を振って返してくれました。 -
塩沢川に架かる橋梁
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さて河井継之助記念館に入館します。河井継之助の像です。河井継之助は越後長岡藩の若き家老でした。
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長岡藩は西軍(新政府軍)と東軍(幕府軍)のどちらにも加わらず中立の立場をとっていましたが、小千谷での談判で、河井継之助は進行中止と会津和議を申し立てたが決裂、会津藩らと共に西軍と戦うことになりました。戊辰戦争の一つ北越戦争です。
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河井継之助は、当時日本に1門しかなかったガトリング砲を2門購入し応戦しました。
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西軍との戦いで負傷した河井継之助一行は、険しい八十里越を通ってここ只見に逃れて来ました。峠で自嘲の句「八十里こしぬけ武士の越す峠」を詠んだとのこと。
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只見の人びとは負傷した河井継之助一行を迎え献身的な介抱をしましたが、継之助はここで絶命します。
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ここ只見塩沢の医師矢沢宗益宅での処置もむなしく荼毘に付されます。只見での滞在が最後の十二日間となりました。享年四十二歳。
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司馬遼太郎は小説「峠」で河井継之助の生涯を描きました。
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記念館の外に「河井継之助君終焉の地」の石碑が建てられていました。君付けされているのが印象的です。
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記念館から只見川を見渡せます。
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八十里越は只見町と新潟県三条市を結ぶ長い峠ですか、1868年に25,000人にも及ぶ長岡藩士やその家族がここを越えて只見に避難しました。村内総出で部屋や食べ物の世話をしたそうです。
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河井総督療養の間が保存されています。
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当時の矢沢家です。療養の間はこの家屋の左端にあったとされています。昭和に入りダム建設で湖底に沈むことから矢沢家はこの記念館の地に移りましたが、矢沢家は療養の間をそこに移築しました。義の為に戦った河井継之助のことが矢沢家に語り継がれていたものと思われます。
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記念館からさらに下流方向に進み、金山町滝沢に炭酸水の湧き出る水場かありました。
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ペットボトルに入れ飲んでみると確かに炭酸水でした。
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会津川口駅に立ち寄りました。
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会津川口駅から少し進み、かねやまふれあい広場に着きました。
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ここから見える大志(おおし)集落は、オーストリアのハルシュタットに似ていると言われています。
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行ったことはありませんが、確かに似ていなくもないですね。
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少し待つと只見線の列車が来ました。
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イチオシ
イチオシのショットです。
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通り過ぎました。
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