2024/08/19 - 2024/08/19
194位(同エリア1397件中)
白熊爺さん
大都会東京のど真ん中。
中央区の銭湯巡りになだれ込んでから今回でもう4湯目です。
中央区の都会のお湯で磨かれて続けて4湯目~w
もう後戻りできないくらい
都会的なおじいちゃんに美しく変身できた私は
(←ここねw)
今回も中央区の銭湯巡りの旅に出ます。
一番最初は銀座の金春湯。
そして今回は八丁堀の湊湯に行こうと思います。
中央区の銭湯巡りのはじまりはじまり~~。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2024年8月19日 晴
【8月19日の歩行数 7179歩】
今日は八丁堀駅からのスタートです。 -
八丁堀駅を出るとやたらと緑がまぶしいです。
-
その緑の中にあった
「MOON LIGHT STAGE -月舞台-」吉田昇
このオブジェは公園の入り口にあるようです。 -
ここは八丁堀駅の目の前にある中央区立桜川公園です。
-
桜川という運河を埋め立てて作った公園のようです。
桜川は別名「八丁堀」とも呼ばれています。
八丁堀は時代劇でよく耳にする地名ですよね。
町奉行配下の与力、同心の組屋敷がこの八丁堀の辺りに作られていたようです。
それで、時代劇で同心達が自分達を「八丁堀」と称したようです。 -
ここは昔は舟が通る運河でした。
物資を運ぶ舟が行き交っていました。
その後、物資の運搬で舟が使われなくなり
埋め立てられてしまいました。
今は緑あふれる公園になっています。
運河だったこともあり幅が広く
奥行きがものすごくある公園です。 -
公園内にはいろいろな遊具があります。
中にはこんなものもありますね~w -
健康こみち
足ツボを刺激するやつですねw -
こういうのって
結構痛いんですよねー。
健康スリッパですら痛くて無理な私なのにー、、 -
ここではご要望に応じてピンポイントで押せるみたいです
-
ちょっとこの上を歩いて試しましたが、、、
案の定、、、
とーっても痛かったですー。
1、2歩でダメでしたーw
こんなに痛いって、、
私の内臓はもうダメダメなのかもーw -
派手な壁画がありました
-
桜川公園を抜けると居留地中央通りに出ます。
その道の向こうに中央区立男女平等センター ブーケ21がありました。
ブーケ21、、、、
なかなか、、、
お爺ちゃん的には、、
こっぱずかしくてシラフでは口にしづらいネーミングーw
この目の前の通りは居留地中央通りと言います。
この辺りには明治政府が開設した「築地居留地」があったそうです。
そこは治外法権のある外国人居留地だったそうです。
築地居留地には各国の公使館が多く作られました。
そのため築地居留地の住民の多くは宣教師、教育者、医者などの知識人だったそうです。
そこが他の居留地が商人が中心だったのと比べると特徴的です。
この通りには煉瓦造りの洋館が立ち並んでいたそうです。
残念ながらそれらは関東大震災で崩壊したそうです。
現在は何も残っていないみたいですねー。
すぐ左に行くとガス灯はありました。
(←写真撮り忘れw) -
ブーケ21の中に来ました。
エレベーターに乗るための注意事項が書かれていました。
午前9時から午後5時までなのかー。
ま、いいや。
エレベーターに乗っちゃおう。 -
中央区立桜川屋上公園は2階なのかー。
ではエレベーターで上がりましょう。 -
2階に到着。
うるさいガキ、、
いや、、
元気なお子様がいらっしゃるようですよ~~w -
ここでは午前9時から午後7時になってますね。
午後5時過ぎたら階段使えよ!
って言ってるんでしょうねー
そりゃまー、ご親切なこってーw
(←へんくつジジイw) -
中央区立桜川屋上公園は思った以上に緑が多いです
-
ビルの屋上とは思えない植栽ですね。
整備や剪定もきちんとされていますねー。 -
こうしてみると、
自然がいっぱいで桜橋第二ポンプ所の屋上に作られた公園とは思えないですねー -
ぶらぶら歩いてると、
意外に大きな池がありました -
屋上なので池があるとは思っていませんでした。
しかもデカいし。
ま、確かにポンプ場なんで水には困らないでしょうがねw -
よくみると凝ってるところが多い感じがします
-
こういう木造の橋ってほったらかしで壊れてる公園が多いのですが
ここはどこを見ても整備されていて安心できますね -
この公園は人が少なくて静かで良い雰囲気です。
広さも思った以上に広いです。 -
あづまやで小休止しちゃいました。
人がいなくて静かで良い気持ちです。
こんな良い公園だったら
ここでお弁当とか食べると良いと思いましたねー。
ちなみにゴミ箱は無いので各自で持ち帰りましょうねー。 -
公園の一番奥に桜川ゲートボール場がありますね。
お爺ちゃん、お婆ちゃんの熱戦の場ですねー。
ちなみにこの公園内はトイレが無いので
ブーケ21のトイレを利用する事になります。
ここからだと少し距離があるかも、、、
お爺ちゃん達、、
急な、非常事態、の時に、
果たして間に合うのかな~
なんて、余計な心配しちゃいました~~w -
中央区立桜川屋上公園を堪能できましたので
こちらの方に行きましょう。 -
中央区立桜川屋上公園の端までくると
高い場所になっていました。
ここまで来るとビルの屋上ということが実感できます。
予想以上に見晴らしが良いです。 -
この長いスロープを下って行きます
-
東京都下水道局 桜橋第二ポンプ所の文字が見えます。
公園名は桜川なのに
このポンプ所は桜橋なのね。
なんか不思議、、 -
こういう長いスロープを見ると駆け降りたくなる~。
こういうなだらかな長いスロープはなんだか楽しいよねー。
でも歳も歳なので転ぶと命取り。
走りたい気持ちをグッと抑えて
ゆっくり歩いて降りて行きます。
私も大人になりましたーw -
下に降りてきました。
園内図がありました。
やっぱり結構広い公園でしたねー。
ここは秋ぐらいに来たら木々の雰囲気がもっと良いかもしれないですねー。 -
予想以上に良い公園でしたー。
楽しめましたー。 -
東京都下水道局 桜橋第二ポンプ所から
目の前を走る鉄砲洲通りを渡った所に、
ボードウォークで整備されてる場所がありました。 -
亀島川公園のようです。
目の前が亀島川のようです。 -
おしゃれに整備されていますが今日は人がいません
-
ここから下に降りられるようです
-
亀島川の水際まで来ることができます。
水面が近くて良い気持ちです。
川面に映る景色もいい感じです。
川風もそよそよと吹いていていい気持ち。 -
亀島川沿いに遊歩道がありました
-
対岸の風景が都会的。
川面に映るビルがいい感じです。
ここから見る夜景も綺麗そうです。 -
上の手すりで鳩さんが休憩してます。
上から鳩さんに見下ろされながらのお散歩です。 -
亀島川とビル群
都会の水辺という風景ですねー。 -
亀島川の下流方面を見た感じ。
亀島川はあちらの方で隅田川に合流します。
正面に見える高層ビル群は佃島にある大川端リバーシティ21ですね。 -
左手に鍛冶橋通りの通る高橋が見えます。
奥に見える高層ビルはブリリア ザ・タワー 東京八重洲アベニュー
手前の小さいビルはPMO八丁堀新川 -
対岸の正面にはドーミーイン東京八丁堀が見えます。
亀島川向きの部屋は眺めが良さそうですねー。 -
亀島川の下流方面の景色。
南高橋が見えます。
南高橋は中央区の区民有形文化財だそうです。
鋼鉄トラス(三角形を基本とした骨組構造)橋なのが目をひきます。
今は明るい時間ですが
陽が落ちてビルに明かりが灯る頃だと
水面にビルの灯りが写って
さぞかし素敵だろうなー
なんて思いました。
川面を渡る川風が暑い日の夜には
さぞかし気持ち良いだろーなー
なんて思いました。 -
すっかり長居してしまいました。
川の水面を見ていると
時間が過ぎるのを忘れてしまいますねー。
私だけかもしれませんがーw
あの階段を上がって行きましょう -
階段を登っていくと
鳩さんが待ち伏せしていましたw -
上に上がってきました
-
ここから見る亀島川の眺めも目線が変わって良いですねー
ちょっと長居してしまいましたねー
ではそろそろ先に行きましょうー -
鉄砲洲通りを少し歩き
湊一丁目交差点を過ぎると
木立のある神社がありました -
この神社は鐵砲洲稲荷神社ですね。
この神社の創建は古くて平安時代の承和8年(841年)と言われています。
ただ現在のこの場所ではなくて
現在の京橋あたりだったそうです。 -
大鳥居
提灯に描かれている家紋は「抱き稲」ですねー。
そういえば稲荷神社の紋は「抱き稲」の紋が多いと聞きますねー。
そもそもが稲作に関係がある紋ですから当然といえば当然ですねー。
この神社はその後何度も場所を転々と移したようです。
何度か名前も変えたようです。
現在の場所に落ち着いたのは明治元年(1868年)だったようです。 -
大鳥居
この地で関東大震災に遭遇した神社は大きな被害を受けましたが、
昭和10年(1935年)以降に本殿や神楽殿が再興されて現在の形が整ったようです。
第二次大戦の空襲でも幸いな事に被害は免れたようです。
パワー強ーい!って感じの神社ですねー。 -
では境内にお邪魔しましょう
-
社号標
達筆ですねー
狛犬さんが可愛いですw -
手水舎
-
百度石
-
神楽殿
旧神楽殿は関東大震災で焼失してしまいましたが
昭和12年(1937年)に再建されたようです。
小ぶりながら均整の取れた入母屋屋根で素敵ですねー。
妻入り側に舞台がある感じですね。 -
本殿
御祭神は
稚産霊神
豊受姫大神
宇迦之御魂大神
旧社殿は関東大震災で焼失してしまいましたが
昭和10年(1935年)に再建された社殿は
第二次大戦の空襲でも奇跡的に被害は免れたようです。
昭和初期の神社建築の特徴が残っていて
良い感じに新しさを感じますねー。 -
本殿前の阿形の狛犬さん
-
本殿前の吽形の狛犬さん
-
火消しの桶でしょうか?
桶に番号で「六」と書かれてますね。
積まれた桶の下には「六番組」と書かれています。
その下には「奉納 す組」と書かれています。 -
「六番組」は火消し番号で「す組」とも呼ばれていたようです。
京橋地区や築地などを担当だったらしいです。
「六番組」は火消し番号
と、聞いて、、、
007は殺しの番号
を連想した私は、、、
やっぱり骨の髄まで昭和の生まれ~w -
力石
中央区の区民有形民俗文化財なんだそうです。
力石自体はあちこちの神社で見かけることはありますね。
力石は江戸時代の娯楽の一つで
力自慢だけが取り柄のやつらが(←w)
みんなの前でマウント取るためのものでーす。
(←ひがみがキツーイw) -
こっちは三十五貫という文字見えますね。
キロに換算したら、、
3.75をかけると、、、
131.75kg ! -
こっちは少し小さいですねー。
三十貫という文字が見えます。
これをキロ換算すると、、
かける3.75だがら、、
112.5kg!
確かに重いわ、、
まぁね、
マウント取ってもいいよ、
って感じの重さですねーw -
境内の一番奥に鳥居がありました。
末社 鉄砲洲富士浅間神社
ですね。
鳥居の後ろでこんもりと盛り上がっているものが見えます。
鉄砲洲富士と呼ばれる富士塚ですね。
鉄砲洲富士浅間神社の社殿は鉄砲洲富士の頂上にあるようです。
小さく見えてるのがそうですかね? -
鉄砲洲富士は中央区で現在残る唯一の富士塚らしいです。
ちなみに余談ですが、
現在東京23区内で一番富士塚が残っているのは江戸川区で15残っているそうです。
その次が足立区で11残ってるそうです。
23区内では74残っているようです。
先日、台東スタンプラリーで見た入谷の小野照崎神社の下谷坂本富士も大きくて印象に残ってますね。
その台東区は2つあるようです。
そのうちの一つが下谷坂本富士だったんですね。
そう聞くと富士塚巡りも楽しそうですね。
ただし立ち入り禁止のところが意外に多そうですけどね。 -
この時期は頂上までは行けません。
富士塚の山頂までは富士山の山開きに合わせて7月1日のみ登拝が可能だtpいう話もどこかで読みました。
今はどうかはわからないですが。
でも山裾の一周は可能ですので
せっかくなので一周してみます。 -
少しだけ上り坂になっているのが気分が上がります。
この富士塚は富士山の五合目以上の姿を模したものなんだそうです。 -
途中に洞窟がありました。
この穴は御胎内という洞窟で人穴とも言われてるようです。
室町時代の修行僧の長谷川角行が修行した人穴を再現したのだそうです。
この長谷川角行という方が富士講の開祖と言われてるようです。
富士山登山百数十回、
断食300日などの苦行を成し遂げたそうです。
106歳のとき人穴で入寂したと伝えられているようです。
ものすごく健康だったんですねー。
究極のデトックスな人だったのでしょうかねー。 -
富士講の碑があちこちにあります。
-
中腹には末廣稲荷と稲荷大神の石祠が見えます。
その遥か上に鉄砲洲富士浅間神社の石祠の奥宮がチラッと見えます。 -
ところどころ合目表石があるのが登山感があって良いですね
-
山腹には富士講に関する32基の石碑があるそうです
-
遥か上の山頂の高さ5.4m地点に鉄砲洲富士浅間神社の石祠の奥宮があります。
ここから見ると見上げる感じでなかなかの登山感がありますねー。
山肌の岩は実際に富士山の溶岩を使っているそうです。
現在は国立公園に指定されているので岩石の採取は不可能です。
そういう意味では大変貴重な建造物(?)です -
丸藤講の名が見えますね。
丸藤講は富士講の一つで、
この富士塚の前身の寛政2年(1790年)の富士塚を築造したという縁があるようです。 -
稲荷神社もありました。
左にも富士講の碑が経ってますね。 -
お稲荷様
可愛い~ -
右上に烏帽子岩の丸っこい姿が見えます。
-
この富士塚には富士講に関する32基の石碑があります。
中でも丸藤講の碑が一番多いそうです。 -
富士講に関する32基の石碑があちこちに林立しています。
それくらい当時は富士講が盛んだった事がわかります。 -
鳥居の手前に登山道がありました。
現在はここから先は立ち入り禁止です。
絶対入っちゃダメです。 -
そろそろ1周したようです
-
この鉄砲洲富士はこの境内の敷地の中で3度ほど場所を点々としているのだとか。
現在の高さは5.4m
足を滑らせて落ちたら、、
かなりの重症にはなる高さですねー
(←例えが、縁起でも無いという、、)
当初、鉄砲洲富士はこことは違う場所で築造されました。
この神社がここに移転する前の場所です。
寛政2年(1790)のことです。
大きさは現在の3倍の大きさで当時の江戸でも大評判でした。
その当時の様子は
『江戸名所図会』
歌川広重の『絵本江戸土産』
『江戸自慢三十六興 鉄砲洲いなり富士詣』
でも描かれていますね。
どれも有名な版画なので1度はどこかでご覧になった方も多いと思います。
人物を配した絵でもその大きな富士塚も確認できます。
その当時の場所は現在では内陸ですが
当時は川沿いだったので船からの目印としても機能していたようです。
こちらの場所に移転してからは
これくらいのサイズで頑張っている感じですかねーw
(←十分に大きいです!)
十分に充実している富士塚の施設です。
信仰の対象としての富士山の存在意義を確認するには最適ですねね。
では次に行きましょう~ -
本殿に戻ってきました。
この神社が年に一度ニュースなどに頻繁に取り上げられる事があります。
みなさんテレビなどのニュースでご覧になった頃が1度はあると思います。
鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会「寒中禊」
1月の中頃に褌一つで氷柱の浮かぶビニールプールに入って祈るというなかなかハードな儀式です。
一般の方も参加可能ですが、、
寒い冬の最中に冷たいビニールプールに入るという、、
逆ダチョウ倶楽部のようなお祭りです、、
「押すなよ!押すなよ!」の先が真冬の氷柱入りの冷たい水という、、
この儀式の後で、
これに参加した人たちは、
今日私がこれから行く「湊湯」で体を温めるそうです。
さぞかし、
縮こまってる事でしょう~
(←何が~?)
すごく昔からの行事に思えますが、
はじまったのは昭和30年と言いますから
思ったほどは古くからの行事というわけでも無いようです。 -
二宮尊徳さん
昔の小学校には必ずこの像がありましたねー。
本を読みながら芝を背負って
寸時も惜しんで勉学に励む姿の像
というのが一般的な解釈の姿です。
でも、歩きスマホを助長するという理由で
(←え!マジで言ってる??)
本を取り上げられてしまってる像がほとんどになってしまったようです。
私は普通の人よりも十分に頭が悪いという自覚がありますが、
そんな話しを聴くと
「自分よりも頭が悪い人間がいるーw」
って、嬉しくなっちゃいます~w
いや~~、
下には下がいるものなんですね~~w
(←結構これマジで~w) -
解説版
-
針塚
東京ファッション専門学校が1960年(昭和35年)にこの針塚を鉄砲洲稲荷神社に奉納したそうです。
毎年2月8日に針供養を開催しているようです。
使えなくなった針を最後は柔らかい豆腐に刺して休ませて供養してるそうです。
なんか良い話ですね。
針の穴がこれくらい大きいと
老眼の私でも糸が通しやすくて良いですねー
鉢通しの道具に糸を入れるのに苦労するくらいなんだからーw -
和平神繆斌(みょうひん)顕彰碑
南京国民政府と重慶国民政府が併立していた頃の中国のことのようです。
日本政府と天皇を巻き込んだ2つの中国政府とのスリリングなやりとりがあったようです。
漢字が多かったので集中力が続きませんでしたが~w
多分そんな感じだったような気がしましたw
かなりドラマ的にも面白そうな話ですね。
知らんけどw -
東久邇宮・蒋介石使者繆斌談笑画像碑
上の碑の時の写真のようです。
表面的にはにこやかですが、、
内心はハラハラドキドキという感じだったんでしょうねー。
それにしても東久邇宮は腹の座った大物ですねー。
一般人ではこの状況では押し潰されてしまうはずですよー。
宮家の帝王学は半端では無いという事がこういうギリギリの時にわかるのですねー。
やっぱりすごいです。 -
摂社八幡神社
中に入ると、
ガラスケースに入った随身像が左右にありました。
右が左大臣
左が右大臣
中央には丸い鏡
ここには八幡神社の他にも
天満社・浅間社三輪社・琴平神社・住吉社もここに祀られていました。
扉で閉じられているので直接は拝めませんが
5神様が祀られている事になりますねー。 -
鉄砲洲稲荷神社の境内を出て
すぐ裏に今日の目的地があります。
大きなマンションの1階にありました。 -
一見銭湯がある雰囲気ではありませんねー、、、、
-
今日お邪魔するのが
湊湯
です。
ここは先ほど言った
鉄砲洲稲荷神社で1月の中旬に行われる
鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会「寒中禊」
の後で、
縮こまった(←何を~??)
身体を暖めに来る銭湯ですw -
ここって、、、
銭湯だよね、、、
なんか、、、
入っても良いのかしら、、
中が全然見えないし
おしゃれすぎるし
ドアも自動ドアなのかな?
ドアが開いたら、、
一斉に大勢いる中の人に
上から下まで舐められるように見られてしまって
「あなた、どなた?何か用事?誰かの紹介?」
なんて言われたり、、、
、、、怖くて近づけないです、、
なんて思って、
ちょっとビビってしまって
しばらくこの場で
立ちすくんでしまいました、、、 -
泡がブクブク出ている壁の外観写真を撮る風を装って~
この場でしばらく待っていたら、、
若い普通な感じのお兄さんが中に入っていきました。
ここはやっぱり自動ドアのようでした。
開いた自動ドアの隙間からチラッと見えた店内は
秘密クラブ風ではなくキレイな入りやすそうな店内でした。
では安心して入りますw
(←入るまでがナゲーよw) -
自動ドアが開いて中にはいると、
カウンターのある広い待合スペースがあります。
女性の方がにこやかにお迎えしてくれました。
ここで銭湯お遍路のQRコードを出してもらいました。
立派なビルのためか少し電波が入りづらくQRコードを読み取るのに少し手間取りました。
これで37湯目ですね。
受付カウンターの横から男湯に入ると、
脱衣場はかなり狭い感じです。
ロッカーが1面にあってその後ろの1メートルちょっとのスペースで更衣する感じなので少々慌しい感じでした。
浴室はそこそこの広さで奥に長い感じです。
明るさを抑えた落ち着いた感じの綺麗な浴室でした。
入ってすぐに立ちシャワーと上がり湯の小さな湯がありました。
カランは入って左側の1列がメインで、
それとは別に3席ほどのカランが裏表であるのが入り口付近にもありました。
カランはシャワー付きです。
シャンプー、ボディーソープは氷的のものがありました。
普通のタイプのもありました。
浴槽は右側に並んでいて
奥にメインの浴槽の比較的ぬるい湯の白湯があり一人用のジェットバスもありました。
この湯船の前に2人用の水風呂と一人用のブクブクのある熱湯がありました。
手前側には3~4人入れるシルク風呂がありました。
サウナは一番突き当たりの右側にありました。 -
フゥ~~
良いお湯でした~
お風呂を出てフルーツ牛乳を飲みましたが
カウンターには若いお兄さんがいました。
とても可愛くて良い感じでした~。
(←若さがまぶしーw) -
泡がブクブクの壁は夜はライトアップされてて素敵です。
夕方5時ごろの訪問でしたが割と混んでいました。
若い人がとても多くてみなさんサウナに入られているようです。
この時間は高齢者も多くいました。
私が出る頃にも次々にお客さんが来ていてなかなか愛されている感じの活気がある銭湯です。 -
とても居心地が良い銭湯ですが、
ここは滞在時間の時間制限が厳密にあるので
そこは気をつけなければいけないですね。
それほど大きな銭湯ではないですが
必要なものがコンパクトにまとまっていて
使いやすい銭湯のような気がしました。
お客さんもマナーが良い印象でした。 -
夜に見るとものすごくかっこいいですねー
-
銭湯と知らなければ
会員制のクラブとかに見えてしまいます。
絶対に入れない感じですよねー。 -
いやはや~
すんごくオシャレ~
あそこの中にいたとは信じられないですねー -
楽しい銭湯でした~
また来たいですねー。
では、八丁堀駅に向かいましょうー。 -
中央区立桜川公園まで戻ってきました
-
八丁堀(桜川)跡の解説版
この辺りは徳川家康が江戸に入ってから埋め立てられた土地なのだそうです。
その後、
その埋立地を開削したのがこの八丁堀になったという歴史があるようです。 -
新大橋通りが見えてきました
-
公園の出口に今日来た時に最初に見た
「MOON LIGHT STAGE -月舞台-」吉田昇
夜になると灯りがついて雰囲気が変わるんですね。 -
八丁堀駅に戻ってきました。
今日のお散歩は見どころが満載のエリアでしたねー。
実は他にもちょこちょこ見どころがあったのですが
時間が無くて立ち寄りできませんでした。
さすが江戸が出来てから埋め立てられて作られたというバックボーンは伊達では無い街です。
でもねー
そんな歴史には全然関係なく
ただ銭湯が気持ち良かったので良い夢が見られそうです。
さぁ~早くおうちに帰らなければ~
今にも眠ってしまいそう~~
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