2025/07/18 - 2025/07/18
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polodaddyさん
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奈良時代に白山を開山した泰澄法師によって創建された平泉寺白山神社を訪れました。
此処はかつて司馬遼太郎が訪問した際に「ふとんを敷き詰めた様な苔の寺」と称した様に境内は広く苔に覆われています。
同じく泰澄法師と縁が深く白山信仰の修行場であった加賀の那谷寺も境内が広く苔に覆われておりどちらも風光明媚な境内ですが、観光客が殺到するほどではなく落ち着いて散策できる場所です。
その後永平寺にも立ち寄って参拝して来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この境内にはかつて僧坊6千と云われ一大宗教都市だったそうです。
比叡山の庇護を受け僧兵が8000人も居たそうで一向宗との争いも多く、全山が焼かれた後に復興し、その後は細々と越前松平家の庇護を受けて存続し、明治期の神仏分離を経て現在に続きます。 -
此処からが境内ですが、この手前に杉木立が続く長い参道があります。
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一の鳥居
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明治期の神仏分離令によって現在は神社なので手水舎があり参道は二の鳥居に続きます。
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二の鳥居をくぐって裏側側から見た処。鳥居の上に屋根が付いています。
支柱が6本あり宮島の厳島神社と同じ両部鳥居構造です。 -
此処から奥は境内が広く苔に覆われています。
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苔の種類は主に杉苔と檜苔だそうです。
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しばらく晴天と高温が続きましたが数日前の雨で苔の色も少し戻ったそうです。この神社は京都の有名な苔寺の様に拝観料を取る訳でもなく、人工的な潅水はしていないのですが背後に白山山系を背負っているので地下水も豊富なのでしょう。
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杉木立の木陰はひんやりします
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所々にモッコリした苔も見られます。
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拝殿の後ろにある本社(御前峰御本社)祭神はイザナミノミコトです。
この左手に越南知社、右手に別山社がありそれぞれが白山3峰に対応しています。
この奥に三宮へ続く道があり白山登拝の越前禅定道へと続きます。 -
この奥に南谷の僧坊群が有った場所があります。
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延暦寺の庇護下にあり僧坊が立ち並んでいた全盛期には境内の両側に南谷と北谷の僧坊群があり、南谷は独身者、北谷には家族持ち(妻帯者)の僧坊が有ったそうです。
つまり織田信長に焼き討ちされた延暦寺と同様にこの地でも本来は妻帯を禁じられていた破戒僧達が沢山居たという事の様です。 -
近年発掘され復元された僧坊の間に続く石畳みの道。
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この道の両側にも沢山の僧坊が有ったそうです。
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僧坊の1区画は大体25m四方でこの様な区画が境内の南北両側に広がっていた様です。
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復元された僧坊の塀と門
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此処もかつて僧坊の入り口が有った所
司馬遼太郎によると室町後期、この平泉寺には修行、教育機能は無く、荒くれた僧兵集団が狼藉し放題だったらしい。
その後一向宗徒に全山を焼かれ顕海和尚が再興するまでは荒れ果てていたそう。
何しろ自殺で有名な「東尋坊」の地名の由来はこの寺の中でもひと際荒くれ者だった東尋坊と云う坊主を皆で謀って断崖から突き落とした場所だという何とも言えない由来だそうだ。 -
開山社の周りも苔で覆われていました。
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かつて荒くれた暴力集団が拠点としていた寺とは思えない程、苔むして落ち着いた境内でした。
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さて折角福井まで来たので少し足を延ばして、修行も教育もせず荒くれ集団だった平泉寺から、日本でも最も修行が厳しいと言われる永平寺にやって来ました(笑)
私はほぼ半世紀ぶり、家内は初めてでした。 -
平成6年に改築された傘松閣の来賓控室である「絵天井の間」
広さは156畳敷もあり、天井には改築当時の著名な画家144名によって描かれた230枚の色彩画があります。 -
山門脇から結構急な斜面に建てられた七堂伽藍を見学します。
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東司(お手洗い)から僧堂に向かう階段
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中雀門から山門を見下ろしたところ
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山側には仏殿が見えます
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仏殿の中
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仏殿脇から法堂に向かう長い登り階段。
早朝4時(夏3時半、冬4時半)には修行僧を起床させるために当番の修行僧がリンをカランカラン鳴らしながら駆け上り駆け降りる階段です。(当然冬でも裸足です)
走って登り下りするので階段は少し手前側に前傾しています。 -
法堂の横手にある承陽殿
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道元禅師を祀る廟です。
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白山水と云う名の井戸
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法堂の中
毎朝のお勤めも此処で行われます。 -
法堂から下の方を眺めると結構な傾斜があります
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法堂の前廊下
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反対側の急な階段を大庫院の傍まで降りて来ました。
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大庫院から僧堂を見たところ。僧堂は修行僧が寝泊まりし、座禅を組む1畳の「単」が90人分設けられています。
大庫院はいわば寺の庫裏、修行僧達の食事を作る典座寮や維持管理をする部署があります。 -
大庫院正面には韋駄尊天が祀られています。
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屋根のある急な階段に並行して外にも石段があり、修行僧は毎日掃除をしています。
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山門から中雀門
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一旦外に出て、外側から唐門へ続く石段
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唐門の脇から山門
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永平寺川に沿って寂光苑へと続きます
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寂光苑の奥にある道元像
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歴代住職のお墓
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