2025/06/11 - 2025/06/12
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鯨の味噌汁さん
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爪に灯をともすようにチマチマと貯めていたANAのマイルが、このたび欧州往復分に達したので、旅に出ることにした。
行く先はとりあえずオランダとアイスランド。両方ともいつか行こうと思ってた国。ホントは別々で行きたかったけど、どちらかを後回しにするとそのうち死にそうな気もするので(老人あるある)、一度で両方済ますことにする。
コンビニに行くついでに郵便局に寄る足腰の弱ったジジイみたいで遺憾である。
アムステルダムに降りてゴッホとレンブラントを見物、そのあとレイキャビク周辺を物見遊山し、コペンハーゲン経由で帰ってくる、12泊14日の旅。今回は単独行で、かーちゃんは留守番だ。
マイルで行くから航空運賃タダかと思いきや、燃油サーチャージは別だった。さらにアイスランド航空はスタアラ提携外。追加で10万円ばかり取られてしまい、ショックのあまり毛が500本ほど抜けてしまう。
さらに服装も悩ましい。アムステルダムは浦和とあんまり変わらないが、レイキャビクはこの時期最高気温12度、最低気温2度。
ガイドブックには「アノラック持っていけ、セーター持っていけ、トレッキングシューズ持っていけ」なんてことが書いてある。ヒマラヤか。
ワシは単独行のさいは背中に5キロのリュックひとつであるから、セーターもトレッキングシューズも入るわけがない。
解決方法としては浦和出発の時点で全部着込む案が考えられるが、このクソ暑い中アノラックにセーターなんて着たら、成田到着前に儚くなってしまうであろう。(婉曲表現)
とゆうわけで今回はおとなしくスーツケースを引っ張って行くことにした。持っていく本は司馬遼太郎の「阿蘭陀(オランダ)紀行」、あとは村上春樹のアイスランド旅行記、地球の歩き方をちぎったヤツ。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
アムステルダムへはウィーン経由のオーストリア航空を使う。
プープーチンチンのせいでロシア上空を飛べないから(飛ぶと撃墜される)、中国と中央アジアの国々をながながと横断してゆくのである。シルクロードの上をなぞる感じだ。 -
タクラマカン砂漠、タジキスタン、ウズベキスタン、それからカスピ海を渡ってジリジリとヨーロッパに近づく。
窓から眺めてると、近くを飛ぶヒコーキがやたら目立つ。前後左右タテヨコナナメ、いつも視界のどこかにヒコーキがいて、並行して飛んだりすれ違ったり。
中には2,3キロほどの距離ですれ違うこともあり、ドキドキする。
ヒコーキのすれ違いで2,3キロって、実は危ないんじゃないのか。
どうもロシア上空が飛べないせいで、ヒコーキがここらへんに集中してるらしい。 -
ウィーンでトランジットして、アムステルダムには22時の到着。
空港からは電車とトラムを乗り継いで、日付が変わる直前、何とか旧市街のホテルにたどり着いた。 -
観光地区にあるホテルなのでカフェくらいは空いてるかと思ったが、残念、どこも灯を落としヒッソリしてる。
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ヒコーキでは眠れなかったので、まとめて10時間ほど爆睡。
翌朝はゆっくり起き、ホテルの朝食をいただき、看板猫のスミちゃんをもふもふしつつ、ロビーで地図を広げ「さて、どこへ行こうか」と考える。 -
一人旅ではおおまかな予定は立てるが、細かいスケジュールまでは決めないことにしている。お天気は当日にならないと分からないし、疲れたらホテルで寝ててもいい。
地図を眺めていると、アムステルダムの東に「ナールデン」と言う町名が目に入る。司馬遼も訪問してた星形の城塞都市だ。
google map で行き方を見たら、トラムとバスで1時間、最後の2キロは運河沿いに歩く、と出る。
じゃあ行ってみようかと、ぼちぼちと宿を出る。 -
トラムもバスもクレカのタッチ決済で行けるから、切符を買うストレスはない。地元の方はスマホのアプリかプリペイドカードを使っているようだ。
トラムの終点でバスに乗り換え、アムステルダム郊外へ。 -
やがてバスは高速道路に乗り、運河に沿うように東を目指す。羊があちこちに放され、のんびり草をはむ。
そこに牧柵や鉄条網はない。代わりに水路が羊の脱走を防いでいるらしい。
高速道路がトンネルに入る。
平らな土地でなぜトンネル、と思いきや、大きな運河の下をくぐったのだった。
なるほど。この国では高速道路より運河がエラいらしい。 -
google mapの教えてくれた停留所で降り、あたりをきょろきょろすると、「ナールデン」の標識が現れた。
google map だけ見て歩いてると却って道に迷うことがある。おそらくだが、老人はスマホの中の情報と、目と耳と足が連動できないせいではないかと思われる。(書いてて情けない)
よって時にはスマホをポッケに収め、景色や標識などを確認しながら行くのが吉である。 -
周囲はクルマのディーラーが立ち並ぶ一画だった。
運河と並行した通りにベンツ・BMW・フォルクスワーゲンが賑やかに看板を出している。みんなドイツ車だ。
オランダはヒトラーにヒドイ目に遭ってる国なんだけど、「それとこれとは話は別」らしい。
ちなみに日本車はあんまり走っていない。 -
運河沿いを歩いて30分、水濠の向こうに尖塔が見えてくる。それがナールデンの教会だった。
街の入口にはカフェ。城外に向けて大砲が置いてあったけれど、これはレプリカ。
司馬遼が訪ねた36年前は「乗用車も入らない」町だったが、今はフツーにクルマが行き交い、路線バスも来ている。 -
1572年、ナールデンはスペイン軍に包囲された。
当時オランダはスペインの植民地でプロテスタント、いっぽうのスペインはカトリック。
スペイン国王のフェリペ2世はプロテスタント大嫌い、というよりカトリック教徒以外は殺してもかまわん、というトンデモ王だった。
(そういえばフェリペ2世って天正の少年使節を大歓迎した人だった) -
反発したオランダ人は一揆みたいな形で独立戦争を始める。世にいう八十年戦争だ。
ナールデンに籠った一揆勢は意気盛んだったのだが、スペイン軍の「開城すればおとがめなし」の甘言にうっかり乗って門を開けてしまい、女子供に至るまで700人がひとり残らず虐殺された。
フェリペ2世にすれば「カトリックを守る正義の戦い」だったろうが、オランダ人は
「スペインの言うこと聞いてたらナールデンみたいに皆殺にされる、独立するしかない」
と考えるのが当然で、この事件をきっかけに八十年戦争は「一揆」から「独立戦争」にギアチェンジした。 -
・・・という凄惨な歴史を背負う街なのだけれど、今は郊外のひなびた観光地になっていて、お堀にはボートが浮かび、観光客がぽつぽついるくらいだ。
-
教会は週末だけの公開なので周りを歩くだけだが、お隣の市庁舎は中を見物できた。管理人みたいなオッサンに「日本から来た」と言ってみたら、市長室もちょっとだけ見せてくれた。中では若いカップルが結婚の署名をしているところだった。
そういえば司馬遼も市長室で結婚の署名を目撃していたっけな。もう30年以上前の話。 -
いい天気の中、2時間ほど町を歩く。
町を取り巻く土塁は高さ5メートルほど。
素材は泥で、運河から掘り出した土をすくい、踏み固めて作ったもの。 -
なおかつ運河の岸辺には、古い木材が杭として打ち込まれていた。
しっくいや金属は水の中で腐食するが、木材は数百年保つ。
丘に見える土塁も小川に見える運河も、実はオランダ人の手作りなのだ。
「神は世界を創り給うたが、オランダはオランダ人が造った」
司馬遼が出所不明の「ことわざ」のように書いていた。
検索してみたら1973年に出版された土木技術書の書名にあった。作家はこれを読んでいたのだろう。
ひょっとしてオランダ人のお国自慢の定番セリフなのかもしれない。 -
運河沿いを歩くと、水面がすぐ近くにあることに気づく。
なんとなくではあるけれど、堤の高さは1メートルあるかないか。
そのすぐ横に道路が通り、住宅街が広がっている。洪水がしょっちゅう起こる日本では考えられない風景だ。 -
農地ならともかく、なんで住宅街の真横を走る運河の堤がこんなに低いか。
タバコを喫みながら、のんびり歩いてるうちに思い当たる。
「洪水は起こらない」。だから堤が低くていいんだ。
おそらく、ここでは水は完璧にコントロールされている。
ここらへん一帯が巨大な干拓地であり、1年365日、ポンプで揚水されているに違いない。
(かつては風車が水を汲み上げるための大事な装置だった) -
そういえば。
明治維新後の日本で、治水土木のお雇い外国人はオランダ人だった。
そして彼らオランダ人は、わが故郷のエチゴもやってきていた。
信濃川の反乱を防ぐために運河を掘った明治の大土木事業「大河津分水」は、オランダ人技師がかかわっていた・・・と、小学校の教科書で習った気がする。 -
なんてことを思い出しながら、運河に沿った道を行く。
所々に橋がかかり、ときにそれは跳ね橋にになっていて、船が通過するときは電動で橋がふたつに割れる仕組みになっている。跳ね橋はオランダでは堂々の現役なのだ。
橋が上がる瞬間をとらえたくて、しばらくの間橋のたもとで待っていたが、通っていくのは地元の方々の小さなボートばかりであった。 -
だがしかし、あきらめかけたとき、上流からキャアキャアにぎやかな声がして、ナニモノかが橋の下を通過した。
本能的にスマホのカメラを橋脚の出口に合わせて待ち構えていると、おお神も照覧あれ、露出度最大級のビキニの少女がふたり、ボードを漕ぎながらワシの真下を通過していった。
まだ10代の前半だろう、小さめのオッパイに真っ白な肌がツヤツヤぴかぴか光り、そのめでたは筆舌に尽くしがたい。
本能的に、ザバンと飛び込んでボードに取り付きそうになるが、カッパと間違われるのも心外なので断念する。
とりあえずあまりの眼福に司馬遼もナールデンの悲劇もまとめてどこかへ飛んで行くイキオイなのだった。めでたしめでたし。
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この旅行記へのコメント (2)
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- norio2boさん 2025/07/26 17:50:49
- 旅行記拝見
- 鯨の味噌汁さん
旅行記楽しく拝見しました
次回の旅行の候補にアムステルダムを考えています
ANAのスタアラのメンバーです
KLMで行けば楽ですが
スタアラのマイルが欲しくてブリュッセル経由でアムステルダムとかイスタンブール経由でとか
考え中です
鯨の味噌汁さんウィーン経由良いですね
帰りはどうなさったのですか?
旅行記楽しく拝見しました
この続きも拝見させて頂きます
今後とも宜しくお願いします
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2025/07/27 11:35:21
- 帰りはエアチャイナで
- norio2boさん
おてがみありがとうございます。
>スタアラのマイルが欲しくてブリュッセル経由でアムステルダムとかイスタンブール経由でとか
実はヒコーキでのマイルはあんまり貯めてないです(笑) そんなしょっちゅう旅行行けんし!行ってもLCCが多いし!
カード支払いをANAカードに寄せてるだけ。だから3年で一回ぶん貯まるくらいです。
それにしたって、最近必要マイルが上がってしまい、だんだんヨーロッパが遠くなります。最近はLCC一回乗り継ぎでヨーロッパまで行けるんで、マイル貯めるよりもそっちのほうが経済的かもなー、なんてせこく考えてます。ワシはヒコーキに快適さは求めてないというか、旅行のためにガマンして乗るもの、という位置づけなので。。。
>帰りはどうなさったのですか?
コペンハーゲンから中国国際航空を使いました。中国系はロシア上空を飛べるので早い早い、8時間半で北京着です。サーチャージも安かったんで助かりましたよ。
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