2025/02/16 - 2025/02/16
87位(同エリア198件中)
やまたまさん
この旅行記スケジュールを元に
早稲田は文豪・夏目漱石が生まれた場所。そしてその生涯を終えた場所でもあるゆかりの地です。
そんな早稲田で漱石ゆかりのスポットに立ち寄りつつ、終焉地に建つ「漱石山房記念館」まで街歩きしてみました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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最初に向かった漱石ゆかりのスポットは、東京メトロ東西線・早稲田駅2番出口を上がりすぐの場所にある「夏目漱石誕生の地碑」です。
夏目漱石は慶応3年(1867年)に、夏目直克の5男として誕生しました。本名は夏目金之助。
石碑は漱石生誕100年を記念して、昭和41年(1966年)に生家があった場所に立てられたものです。夏目漱石誕生の地 名所・史跡
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地碑の向かいにある道は「夏目坂」と呼ばれます。
漱石の父・直克はこの地の公務を扱う名主でしたが、その直克が自分の名を付けて呼んでいた坂の名が広まったもの、と漱石は随筆「硝子戸の中(がらすどのうち)」で語っています。
「硝子戸の中」は晩年に胃潰瘍を患い体調が優れない漱石が、自宅の漱石山房の書斎に籠もりながら執筆した随筆で、早稲田にあるスポットが多く出てきます。夏目坂 名所・史跡
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漱石の生家跡の隣に「小倉屋」という酒屋がありますが、この店も「硝子戸の中」で触れられています。
江戸時代から続く酒屋で、赤穂浪士・堀部安兵衛が「高田馬場の決闘」に駆けつける際、この店で升酒をあおった、という逸話が残ってるそうだ。 -
次に漱石誕生の地碑からも近い、「誓閑寺(せいかんじ)」を訪問。
夏目坂通りから少し奥まった路地の先にあるので、ちょっと分かりづらい場所だった。というか、少し迷った(苦笑)。誓閑寺 寺・神社・教会
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夏目漱石は「硝子戸の中」で寺の鐘の音について、「悲しくて冷たい或る物」として聞こえた幼少期の記憶を振り返っています 。(原文では西閑寺)
漱石は里子や養子に出されるなど少々複雑な家庭環境で育っているので、その頃の心情と重なっているのかもしれませんね。 -
梵鐘は天和2年(1682年)の鋳造で、新宿区内最古の梵鐘とのこと。貴重なものですね。
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次に訪問したのは、漱石誕生の地碑からは1km程離れた「穴八幡宮」です。
台地状の三角地帯が鎮座地という、特徴的な立地にある神社でした。穴八幡宮 寺・神社・教会
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亀の形の石が鳥居を支えていました!これはユニーク。
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鳥居の左手には勇ましい「高田馬場流鏑馬((やぶさめ)」の像があります。
享保13年(1728年)に徳川8代将軍・吉宗が高田馬場で、後の徳川9代将軍・家重となる長男の疱瘡(ほうそう)平癒祈願のための流鏑馬を穴八幡宮へ奉納しました。
それをきっかけに、この地で流鏑馬がおこなわれる風習ができたとされます。 -
イチオシ
穴八幡宮は江戸時代に徳川3代将軍・家光の厄除の祈祷をおこなって以来、歴代将軍の信仰を厚く受けたとのこと。
江戸庶民の間においては、小児の虫封祈祷所として知られていました。
境内も広く、なかなか立派な神社です。 -
そんな穴八幡宮へは、鏡子(きょうこ)夫人が漱石の虫封じの祈願をしています。
漱石は年齢とともに病気がちになり、肺結核・トラホーム(眼の結膜炎)・神経衰弱・痔・糖尿病などにかかりました。これはかなりの病気持ちですよね。
さらに亡くなる原因となった胃潰瘍まで、生涯さまざまな病気を抱えたそうです。 -
早稲田エリアの象徴でもある、早稲田大学のキャンパスにも立ち寄りました。
キャンパスのシンボルである大隈記念講堂は、地下1階・地上3階建てのヨーロッパ調のゴシック様式の建築物。
昭和2年(1927年)に竣工されたもので、国重要文化財に指定されています。
夏目漱石は明治25年(1892年)からおよそ2年間、早稲田大学(当時は東京専門学校)の講師を務めました。早稲田大学大隈記念講堂 名所・史跡
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キャンパス内に立つ、早稲田大学の創始者「大隈重信像」。
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キャンパス内には、広々とした「大隈庭園」があります。
元々は大隈重信が造った庭園ですが戦中の空襲の被害を受けており、現在の庭園はその後に復元されたものとのこと。大隈庭園 公園・植物園
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創立150年を記念して韓国交友会より贈られたという梵鐘がありました。異国情緒のある建造物です。
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そして漱石山房記念館へ向かいます。
早稲田通りを外れて、「漱石山房通り」の名が付く静かな住宅街の道を進みます。 -
ほどなく漱石終焉の地にある「漱石山房記念館」に到着。
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まずは記念館に隣接した「漱石公園」に立ち寄ります。こちらは無料で見学ができる公園です。
新宿区立漱石公園 公園・植物園
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イチオシ
公園入口には夏目漱石の胸像。
漱石は大正5年(1916年)に亡くなりますが、その前の9年間をここにあった住居で過ごし、「三四郎」「こゝろ」「道草」などの代表作を執筆しました。 -
公園内には「猫の墓(猫塚)」もあります。
「吾輩は猫である」のモデルになった猫の十三回忌にあたった大正9年(1920年)、夏目家で飼われた生き物たちを供養するために作られたお墓です。 -
公園を見学した後「漱石山房記念館」へ。
漱石山房記念館は夏目漱石の生誕150周年を記念して、平成29年(2017年)に開館された新宿区立の施設です。
建物は全面ガラス張りで、館内に自然光がたっぷり入る開放的な造りでした。新宿区立漱石山房記念館 美術館・博物館
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イチオシ
展示物の見学は有料です。無料で見学できる箇所もあります。
写真撮影NGですが、いくつか撮影OKなスポットも用意されているのはありがたい。
こちらにはかつての書斎であった「漱石山房」が再現されています。
漱石山房は昭和20年(1945年)の山の手大空襲で焼失しました。しかし山房にあった遺品や写真類は一部疎開されていたため、焼失を免れました。
それらを元に復元がおこなわれています。 -
回廊を進むと漱石の人形があるのですが、これがリアルでびっくり!人がいるのかと思ったわ(苦笑)。
こちらは漱石人形と一緒に記念写真が撮れるスポットですよ。 -
館内では「吾輩は猫である」をモチーフにした猫ちゃんが、行き先案内をしてくれています。2階は全面写真NGでした。
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地下1階は図書室で漱石作品や関連図書が閲覧できるほか、講座室では講座やイベントも開催されます。
1階には漱石作品や関連図書を読みながら喫茶できるブックカフェ「カフェ・ソウセキ」もあり、漱石の世界に浸って一日のんびり館内で過ごすのも良さそうですね。
以上、最後までご覧頂きありがとうございました。
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