2025/04/26 - 2025/04/27
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Lavender.osatoさん
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2025年4月23日~27日岩手県の旅第3弾。遠野~花巻~奥州と南下し、いよいよ旅の目玉、世界遺産に登録されている平泉編です。
表紙の写真は、中尊寺鎮守の白山神社にある能舞台。1853年伊達藩により建立されたそうです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ここからは前夜合流した息子と3人旅。
一関のビジネスホテルからレンタカーで平泉へ。
まずは毛越寺(もうつうじ)。
旅の初めの遠野から平泉へは、桜前線とは逆行しているのでここの桜は終盤。毛越寺 寺・神社・教会
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毛越寺は850年慈覚大師円仁が開山。なんと奈良時代!
平安末期、奥州藤原氏の時代に多くの伽藍が建立されるも、藤原氏の滅亡後はその多くが焼失。現在は建物の遺構と浄土庭園が保存されています。毛越寺 寺・神社・教会
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浄土庭園 大泉が池 出島石組と池中立石が見えます。
毛越寺 寺・神社・教会
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毛越寺本堂
現在の建物は1989年建立。 -
毛越寺内 開山堂 この地を開いた慈覚大師円仁をお祀りする堂。
毛越寺 寺・神社・教会
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毛越寺内 遣水(やりみず)
紫式部の一生を描いた2024年の大河ドラマ『光る君へ』の印象的なシーンに遣水を使って「曲水の宴」を行うという雅な催しがありました。しかし現在、京都には遣水の遺構は残っていないそうです。
平泉に残る遣水の遺構は貴重なものですね。毛越寺 寺・神社・教会
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毛越寺 大泉が池を一周してきました。近づいて出島石組と池中立石を眺めます。
毛越寺 寺・神社・教会
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いよいよ中尊寺へ。
中尊寺とは小高い山を含む一帯を指し、有名な金色堂は月見坂と呼ばれる坂を登った所にあります。
まずは麓の駐車場に車を停め、徒歩で月見坂を登ります。
写真は月見坂の起点にある武蔵坊弁慶の墓。中尊寺 寺・神社・教会
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弁慶堂 月見坂の途中にあります。
兄・源頼朝に追われ、1189年に自害した源義経と義経を守って討ち死にした弁慶の像が祀られていました。
このお堂は1827年に再建されたもの。中尊寺 寺・神社・教会
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中尊寺本堂 中心となる建物。1909年に再建。
中尊寺 寺・神社・教会
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中尊寺本堂内の釈迦如来像。
荘厳な佇まい。中尊寺 寺・神社・教会
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いよいよ金色堂へ。
え?地味?と一瞬思いますが、この建物は金色堂を風雪などの劣化から守るための覆堂。中尊寺 寺・神社・教会
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中尊寺金色堂 内部は写真撮影不可なのでパンフレットを載せます。
須弥壇(しゅみだん)と呼ばれる仏壇内にミイラ化した藤原清衡・基衡・秀衡のご遺体と源頼朝に討ち取られた泰衡の首級が納められているそうです。
12世紀初め、初代清衡公により造営が行われました。
当時のままの素晴らしい装飾に目を奪われました。 -
松尾芭蕉像と奥の細道碑。金色堂の近くにあります。
芭蕉は元禄期(1700年前後)にこの地を含む奥州、北陸道を旅し『奥の細道』を執筆。奥州藤原氏の繁栄~滅亡からおよそ500年後ということになります。
今を生きる私達と芭蕉の方が時代的には近いということです。
時の流れのスピード感の違いを感じます。中尊寺 寺・神社・教会
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旧覆堂 金色堂はかつてこの覆堂内にあり、最初の覆堂は鎌倉時代に創建、この建物は室町時代に造られたと考えられています。松尾芭蕉、伊達政宗、明治天皇もこの覆堂に入り金色堂を参拝したそうです。
中尊寺 寺・神社・教会
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さらに歩を進めると中尊寺鎮守白山神社がありました。
中尊寺 寺・神社・教会
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白山神社の鳥居をくぐります。
中尊寺 寺・神社・教会
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白山神社
茅(ち)の輪。これをくぐってお参りし、参拝後は左右どちらかに抜けます。茅の輪をくぐることは産道(参道)を通ることを意味し、生まれたばかりの穢れのない心に戻る事を意図しているそうです。中尊寺 寺・神社・教会
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ランチタイム。白山神社近くのかんざん亭で自然薯そばを。
1500円也。世界遺産価格かな。かんざん亭 グルメ・レストラン
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こんな風景を見ながら下山します。
中尊寺 寺・神社・教会
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中尊寺を後にして、次は高館義経堂(たかだちぎけいどう)へ。
高館とは北上川に面したこの丘陵地帯を指すそうです。高館(義経堂) 名所・史跡
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義経はここ平泉で幼少~青年期を過ごし、武人の技を磨きました。
そして伊豆に流されていた兄頼朝の挙兵を聞き、兄の元に駆けつけ、数々の武勇を残します。しかし結局は頼朝に疎まれ、追われる身となり、逃亡し再び平泉へ。三代秀衡公は義経を庇護し、この高館に居を与えたそうです。
その後秀衡は病死。秀衡の息子泰衡は頼朝からの圧迫に耐えきれず苦渋の末、義経を急襲。そして義経は妻子と共にこの地で自害しました。(泰衡も最後は頼朝により斬首)高館(義経堂) 名所・史跡
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義経堂
時は流れ、この地は伊達藩によって治められるようになりました。
義経堂は四代藩主伊達綱村公が義経を偲んで建てたそうです。高館(義経堂) 名所・史跡
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源義経主従供養塔 義経堂の近くにありました。
一説によると泰衡が頼朝に差し出した首級は義経ではなく義経に似た家臣のもので、泰衡は密かに義経を北方へ逃した、という逸話もあります。
実際、北海道には義経を祀る神社があります。義経はさらに宋へ渡り、チンギスハンになった、という話もありますね。高館(義経堂) 名所・史跡
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高館義経堂を後にし、次は達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ。
始まりは、801年、坂上田村麻呂が悪路王を討伐して建てた寺院だそうです。達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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達谷窟毘沙門堂 入り口
現在は天台宗西光寺という寺ですが、入り口には鳥居があり、神仏習合の社寺になっています。
鳥居は3つあり、これは壱の鳥居。達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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達谷窟毘沙門堂
弍の鳥居達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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達谷窟毘沙門堂 参の鳥居
それぞれに趣があります。達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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これがまさに達谷窟毘沙門堂。
何度か火災に遭い、現在の建物は1961年の再建。
境内は神域とされ、喫煙、飲食、ペット同伴が禁じられています。達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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お堂の前を少し進むと「顔面大仏」が。顔の感じがわかるでしょうか。
平安中~後期、源氏の棟梁・源義家(頼朝は義家の玄孫)が、前九年後三年の役で亡くなった敵味方の霊を供養するため、馬上から弓を用いて彫りつけた、とパンフレットに書かれています。達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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顔面大仏側から達谷窟毘沙門堂を眺めた様子。
この日の観光はこれにて終了。
宿泊先である一関の厳美渓(げんびけい)温泉へ親子3人で向かいます。
岩手県の旅 その④に続く。達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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