2025/05/21 - 2025/05/24
36位(同エリア1655件中)
okawさん
2020年3月コロナにより中止になった西安旅行のリベンジです。到着日最高気温41℃なのでとても心配でしたが、翌日小雨で最高気温28℃に下がり、無事に旅行できました。秦始皇帝の兵馬俑が予想より大きかったのが印象的でした。
5月21日(水) 成田空港→西安国際空港→ホテル
5月22日(木) ホテル→兵馬俑坑博物館→大明宮遺跡公園→公慶宮公園→南城壁永寧門
5月23日(金) ホテル→咸陽博物館→秦咸陽宮遺跡博物館→阿房宮遺跡→大興善寺→青龍寺
5月24日(土) ホテル→西安国際空港→成田空港
ツァー会社 クラブツーリズム(株)
ツァー料金 89,000円 (燃料チャージ料17,000円別)
宿泊ホテル グランドノーブルホテル西安
両替金額 一元=21円
※表紙の写真は、夜景の鐘楼です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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5月21日(水)
成田空港 15:00→18:55 西安国際空港 海南航空 HU7928 -
3席ー通路ー3席です。
モニターはありません。 -
21:00 グランドノーブルホテル西安に到着しました。気温34℃.
ホテルのwifi yahoo japan が繋がりましたが、検索はできませんでした。 -
このホテルは街の中心部にあり、鐘楼へは徒歩圏内です。
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5月22日(水) 小雨のち曇り 最高気温28℃ 最低気温20℃
10:13 兵馬俑坑博物館入口に到着しました。
秦の始皇帝の像が迎えてくれます。
今回のツァー人数26人で、そのうち1人参加者18人です。 -
小雨の中、5分程カートに乗って行きます。
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1号館の前に到着しました。
※秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)
13歳で戦国時代の秦王に即位し、他の国々(燕・趙・魏・韓・楚・斉)を次々に滅ぼし、紀元前221年に全国を統一した。統一後、王の称号を皇帝と改め始皇帝と称し、色々な改革を行い中央集権を図った。各地を視察していた途中、紀元前210年に急死した。始皇帝は暴君として言われて来たが、近年の発掘により変わって来ている。
お墓の埋葬に生け贄でなく兵馬俑をお産めた、法により統治し、成績の良い者は昇格させる、飢えた農民には食糧を与える、焚書坑儒も戦国時代の諸子百家を整理するために行ったものと近年言われている。 -
1号館に入館します。
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入口付近は混んでいます。
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兵馬俑です。
ここは右軍で、歩兵・車兵が主としています。 -
大きな建物ですね。
東西230m 南北62m 深さ5mの中に約2000体の兵馬俑が38列にわたって並んでいる。 -
1974年 農夫が井戸を掘っている時に、兵馬俑を発見し、地方政府に報告したが、余り反応がなかった。それをメディアが発表すると、中国中央政府が動き出し調査した所、大発見との事で1975年国の保護遺跡となったとの事です。
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横からの景色です。
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武士俑は全体で8,000体あるとの事です。
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身長180cm以上との事ですが、ここからですとそう見えません、
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建物中央からの景色です。
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かなり深いです。
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2号館に入館します。
東西96m 南北84m の広さです。 -
ここは左軍で歩兵・車兵・騎兵などを主としています。
戦車89両 馬336体 騎兵・騎馬116体 歩兵562体に及びます。 -
実物の兵馬俑は、本当に大きくて迫力があります。弓の掃射前の姿です。
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騎兵の兵馬俑です。
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後ろからの騎兵です。
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3号館です。
ここは警備の隊列で構成されていて、指揮部隊となっています。
東西18m 南北22m の広さです。 -
初期の発掘写真です。
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秦始皇兵馬俑博物館の看板です。
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帰りは歩いて戻ります。
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通りの回りにはお店がいっぱいです。左手に巨大な兵馬俑像があります。
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この丘は始皇帝陵です。
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この快楽で昼食を頂きます。
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13:28 大明宮公園に到着です。
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唐代の宮殿の模型です。
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唐代を表したタペストリーです。
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大明宮国家城址公園の案内図です。
634年 唐第2代皇帝 太宗(李世民)が父のために夏の宮殿を建て永安宮と名づけ、翌年大明宮と改名した。 -
大明宮の南正門である丹鳳門です。
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14:22 公慶宮(こうけいきゅう)公園に入館します。
唐代三大宮殿のひとつで、玄宗皇帝と楊貴妃が遊んだ沈香亭などの建築物が再建されている。 -
ここに阿倍仲麻呂記念碑があります。
※阿倍仲麻呂(698年~770年)
奈良時代の717年 第9次遣唐使に吉備真備らと共に同行して、唐の都 長安に留学する。唐の太学で学び、科挙に合格または推挙で登用され、玄宗皇帝(685年~756年)に仕える。主に文学畑の役職を勤めた事より、李白・王維ら多くの唐詩人と親交を深めた。753年 第12次遣唐使(大使 藤原清河・副使 吉備真備)の日本帰国に同行したが、暴風により難破しベトナムに流された。755年長安に戻った。同年 安史の乱が起こった事により、帰国を断念し、唐で再び官吏に就き、唐の玄宗・粛宗・歴宗に歴任して、770年 73歳の生涯を閉じた。 -
この阿倍仲麻呂の記念碑は、先月行った春日大社の掲示版に書いてありました。
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先月行った奈良 春日大社にあった阿倍仲麻呂公の掲示板です。
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先月行った奈良 平城京跡に展示してあった復元遣唐使船です。
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753年 阿倍仲麻呂が日本帰国中に遭難し亡くなったとの報告で旧友の李白が書いた唐詩です。「明月不帰沈碧海」の七言絶句「哭晁卿衡(ちょうきょうこう)」を詠んで仲麻呂を偲んだ。
実際はベトナムに流され一部の仲間達は亡くなったけど、なんとか生き延びて755年 西安に戻って来たとの事です。 -
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御笠の山に いでし月かも の歌碑です。
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15:52 明代の城門跡です。1370~1378年に築かれた。
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門を潜ります。
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城門の下の広場です。
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この階段を登ります。
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城門の上にある城廓です。
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城壁が続いています。
南北3km・南西4km 全長14kmで、高さ12m・横幅10m~15mです。 -
北側の彼方に鐘楼が見えます。
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城内の模型です。
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城廓です。
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先程登った階段が見えます。
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城壁の回りのお堀です。
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永寧門と書いてあります。
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南側の楼閣です。
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餃子宴の夕食です。いろいろな餃子が出ました。
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19:21 ホテルに戻りました。
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20:14 鐘楼に向かいます。
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ホテルより西へ10分程歩いて鐘楼に到着しました。正面の地下通路入口を下ります。
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5番出入口より地下通路を歩き、9番出入口に向かいます。
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9番出入口の前の広場です。
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イチオシ
ライトアップされた鐘楼(鐘により時を知らせる所)です。
1384年に創建され、高さ36mです。 -
広場にスタバがありました。
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広場からの夜景です。鐘楼と神楼飯店です。
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広場の回りにあるお店です。
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お店の先に鼓楼が見えます。
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鼓楼(太鼓により時を知らせる所)です。
1380年創建され、高さ33mです。 -
鼓楼の夜景です。
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鼓楼の先に回民街(イスラム教徒街)があります。
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回民街の奥です。
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5月23日(金) 晴時々曇 最高気温30℃ 最低気温19℃
8:15 鐘楼に到着しました。 -
とりあえず記念写真。
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広場にスタバが見えます。
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鼓楼です。
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8:59 青龍寺に到着です。
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青龍寺跡石碑です。
隋の文帝治下582年に建てられた霊感寺が、唐の睿宗治下711年に青龍寺と改名された。 -
青龍寺の門を潜ります。
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空海の石碑です。
※空海(774~835) 真言宗の開祖。諡名 弘法大師。三筆の一人(嵯峨天皇・橘逸勢)
803年遣唐使の長期留学生として唐に出発し、804年入唐する。最初、西明寺を住居としていたが、805年5月より密教第7祖である青龍寺の恵果和尚に師事し、8月10日阿闍梨の灌頂を受ける。翌年8月 帰国の途につく。10月 博多津に到着する。816年 修禅の道場として高野山の下腸を賜る。821年 満濃池を改修する。823年 東寺を賜り、真言密教の道場とする。835年3月21日 入定した。 -
空海は804年留学生として入唐し、密教の第七祖である青龍寺の恵果 和尚より密教の奥義伝授を受け、805年8月10日 阿闍梨(アジャリ)位を灌頂(かんじょう)された。同年12月15日恵果 和尚は入寂された。
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青龍寺内です。
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日中友好の掲示板です。
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四国八十八ヶ所 札所0番札の御朱印を貰う事ができます。
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青龍寺よりいただいたものです。
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11:37 大興善寺(だいこうぜんじ)に到着しました。こちらで、精進料理の昼食をいただきます。
西安で最も古い仏教寺院のひとつで、西晋の武帝(司馬炎)治下256~289年に創建された。隋の文帝治下に大興善寺と改名された。 -
昼食後、咸陽(かんよう)に向かいます。
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13:54 秦咸陽宮遺跡博物館に到着しました。秦代の歴史を展示しています。
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紀元前227年 燕の太子丹より刺客を依頼された荊軻(けいか)が秦の始皇帝を暗殺しようとして失敗した話を掲示しています。
燕の一部を献上するとの事から、燕の地図の絵巻を荊軻が始皇帝に献上していますが、その絵巻の中に匕首を隠しておいて、落ちた匕首を拾い始皇帝に襲ったが、上手く逃げられ刀で斬り殺された話です。 -
秦代の宮殿の模型です。
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秦咸陽宮の跡地の石板です。
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15:05 咸陽博物館に到着しました。
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西漢軍園に入ります。西漢とは前漢の事です。
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左手の博物館に入館します。
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これは漢の高祖 劉邦(紀元前256年~紀元前195)の陵墓である長陵の中にあった兵馬俑です。ただし身長は50cm 位しかありません。
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彩色が残っています。
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騎馬軍団です。
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この兵馬俑は三千人馬と言われ、騎兵俑583件・歩兵俑1965件が含まれています。
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16:28 阿房宮(あぼうきゅう)の跡です。
※阿房宮
秦の始皇帝が受刑者70万人を動員して、紀元前219年より建設開始し、始皇帝死後も続けられていたが、紀元前206年 項羽の軍隊により略奪・放火され焼失した。宮殿は3ヶ月間燃えていたとの事です。 -
阿房宮発掘の写真です。
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秦代の文字(隷書)で、天下と書いてあります。
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西安に戻ります。このようなマンションがたくさんありますが全部埋まっているのでしょうか。土地は全て国のもので、国民が所有する建物の所有権は70年との事なので西安人口1300万人が住むにはこれ位の数が必要なのでしょうか。
なお、米の値段は5kg 600円との事、現在日本では5kg 4,000円以上なので非常に安いです。 -
19:03 芙蓉新天地で火鍋料理の夕食をいただきます。
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19:50 大唐芙蓉園に入園します。入園料120元です。
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奥に行きます。
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唐代テーマパークですね。
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唐代の景色ですね。
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柳と合っています。
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夕暮れの景色です。
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大唐芙蓉園出口の夜景です。
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玄奘法師の像です。
※玄奘(602~664) 玄奘三蔵と呼ばれている。
629年 シルクロード陸路でインドに向かい、ナーランダー僧院等の巡礼・仏教の研究を行い、645年 仏典・仏像などを持って帰国し、仏典の翻訳作業をして法相宗の開祖となった。そのインドへの旅を「大唐西域記」として著した。 -
顔真卿の像です。
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道路の向う側が大唐不夜城です。
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大雁塔の夜景です。
大雁塔は高さ64mの塔で、玄奘がインドから持ち帰った経典や仏像を保存するために、652年建立された。 -
大雁塔広場でプロジェクションマッピングが始まりました。
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孫へのお土産はパンダ親子です。90元(1,890円)
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5月24日(土) 晴
西安国際空港 8:05→13:35 成田空港 HU7927 海南航空
最後までご覧いただきありがとうございました。次の旅行記は北京の予定です。
※中国での個人旅行は年寄りには難しいと思います。
①地下鉄代・バス代・物品の購入にほとんど現金使えず、QR決済のためアリペイ等のアプリが必要となる。
②グーグル地図アプリが使えないので、百度等アプリが必要となる。
③yahoo・LINE等のアプリが使えない。wifi使うには、VPNが必要となる。
④Visa等のクレジットカードが使えない。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
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- 周爺ちゃんさん 2025/06/21 09:22:55
- ようこそ西安へ。
- 十年以上前からずっと使える通信手段がありますよ。
それは、ヤフーメールです。
ホテルのWi-Fiでやり取りできますよ。
今度また来られた時は、お孫さんにホテル着いたよ。っとか送ってみてください。
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