2024/12/23 - 2024/12/23
665位(同エリア851件中)
naoさん
関西国際空港の玄関口に位置する大阪府泉佐野市は、北は大阪湾から、南は和歌山県との境界にあたる和泉山脈を擁する自然環境に恵まれた都市で、商業・工業・農業・漁業など、バランスの取れた産業活動によって活気に満ちています。
そんな泉佐野市の旧市街である「さの町場」は、現在の泉佐野市鶴原で紀州徳川家の公用道である紀州街道から分岐し、漁業や海運の発達に伴って生まれた大阪湾沿いの町々を結びながら和歌山市へ至る孝子越街道(きょうしごえかいどう)の北側に広がっています。
15世紀末頃にはすでに町場としての機能を整え、泉南地域の経済や流通の拠点としての役割を担っていた「さの町場」は、江戸時代には北前船の寄港地として、特に廻船業の発展が著しく、多くの商人たちが瀬戸内沿岸はもとより、遠くは東北や北海道とも交易していたと言われ、和泉国随一の港として独自の町人文化を開花させていました。
このことを踏まえて、「さの町場」は令和2年に『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~』として、文化庁により日本遺産に認定されています。
当初の「さの町場」は自然発生的に広がっていったこともあって、「迷宮都市」と揶揄されるほど細く曲がりくねった道が入り組んだ町並みではありますが、今も伝統的な本瓦葺き屋根に漆喰塗の重厚な主屋や土蔵が点在しており、「さの町場」の繁栄ぶりを偲ばせる町並みを見ることができます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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泉佐野市の旧市街である「さの町場」にやって来ました。
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建物の中央にくぐり戸付きの玄関を設けた、とても間口の広い町家です。
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こちらの町家とブロック塀に挟まれた路地を左に入ると、「泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)」があるので、まずはそちらに向かいます。
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こちらが「泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)」です。
江戸時代の天明年間(1781年から1789年)に二代目新川喜内が醤油の醸造業を営むために建てた町家で、当時の「さの町場」の繁栄ぶりや生活様式を今に伝える貴重な存在となっています。 -
「泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)」では落語会やマーケットなどのイベントも開催されているそうです。
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では、町並みへ戻ります。
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大きな妻面を見せる町家です。
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泉佐野市の汚水桝の蓋。
市章を中央に置き、市の木「イチョウ」の葉と実(ギンナン)を周囲に配したデザインとなっています。 -
古い町家をポップな外観によみがえらせているのは駄菓子屋さんのようです。
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「さの町場」の町並みです。
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町家の軒下に並んでいるのは、遠浅の沖に停泊していた北前船から、廻船業者が所有する蔵(いろは蔵)へ積み荷を揚げ降ろしする労働者が、力だめしや鍛錬のために使っていたと考えられている「力石」で、重さは120~150kgあるそうです。
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この辺りの通りは、江戸時代の廻船業者が所有していた蔵(いろは蔵)が建ち並んでいた所で、「いろは蔵通り」と呼ばれています。
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「いろは蔵」の名前の由来は、廻船業が全盛期の頃は50棟近くの蔵があったことから、いろは48文字に因んで「いろは蔵」と呼んだという説があるそうです。
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「いろは蔵通り」の町並みです。
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かつての蔵は全て「いろは蔵通り」に妻面を見せる本瓦葺切妻屋根の鰻の寝床と例えられる建物で、外壁は板葺、内壁は土壁仕上げになっているそうです。
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現在、ほんの数棟しか残っていない蔵のほとんどが住居やタオル工場として使われていますが、最も古い蔵の建築年代は江戸時代までさかのぼることが判明しているんだそうです。
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下見板張りの外壁にペンキを塗った町家です。
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片流れ屋根の工場のような建物に接続する下見板張りのペンキ塗りの町家。
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「いろは蔵通り」を抜けて、伝統的な町家のある町並みに出てきました。
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この辺りの町並みから、曲がりくねって入り組んだ細い道が現われるようになりました。
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「さの町場」の景観です。
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曲がりくねって入り組んだ道が続く町並みです。
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こちらの町家は、手入れの行き届いた松が塀越しに頭を出しています。
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入口横に掲示されている説明板によると、こちらの町家は「旧覚野兵蔵家屋敷跡と米蔵」になります。
覚野兵蔵家は廻船、米、肥料の商いを生業とする江戸中期に始まった有力商人だったそうです。
現在この建物は、創造力豊かなまちづくりに寄与することを目的に活動されている、「泉州佐野にぎわい本舗」というNPO法人の事務所として使われています。 -
こちらの町家の門は、晒葺屋根と瓦葺屋根が複雑に重なり合って架けられています。
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客船の操舵室を思わせるデザインがされている、ちょっと工夫を凝らした町家です。
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「泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)」のある通りにやって来ました。
2階に虫籠窓のあるこちらの町家は、「泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)」の西側に位置しています。 -
銅板張りの庇が架かった、妻入りの町家です。
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こちらの地蔵堂は、地元の皆さんから本町地蔵尊と呼ばれています。
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本町地蔵尊のお隣の町家です。
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妻面の下屋は持ち送りで支えられています。
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入口に唐破風が付いているこちらの建物は、大正時代に建てられた「大将軍湯」という銭湯です。
昔の銭湯の姿を色濃くとどめていたこともあって、「関西レトロ温泉100選」にも選出されていましたが、残念ながら平成29年に営業を終えられたそうです。
なお、平成30年からこの建物を管理している泉佐野市は、「泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)」など、「さの町場」にある他の歴史的建造物と一体となったまちづくりを目指して、「大将軍湯再生支援プロジェクト」を立ち上げ、保存再生のための取り組みを進めておられます。 -
大屋根を直交させ、妻面の破風を見せる町家です。
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その町家には、虫籠窓や外格子が設けられています。
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汚水桝と同じデザインの雨水桝の蓋。
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こちらは、南北朝時代初期の開基とされる明厳寺です。
江戸時代には門前に高札場があったそうです。 -
「さの町場」の町並みです。
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白漆喰塗の壁に格子窓のある町家です。
この辺りも細く曲がりくねった道が入り組んでいる様子がうかがえます。 -
町並みの上に頭を出しているのは、高さ256.1m のSiSりんくうタワー(旧りんくうゲートタワービル)です。
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瓜型の虫籠窓のある伝統的な町家で営業されているのは八百屋さんです。
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こちらの町家の板塀には、松竹梅の透かし彫りが組み込まれています。
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簡潔な美しさを見せる二軒長屋です。
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泉佐野市立第一小学校の前には、廻船業で巨万の富を築いた豪商「食野(めしの)家」の邸宅址の石碑が立てられています。
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外格子をめぐらせた、妻入りの町家です。
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こちらは、京都の本山興正寺の御坊に取り立てら、佐野御坊といわれた西法寺です。
西法寺の元々の山門は境内の東側にあったとのことですが、本山興正寺の門跡さんが京都からお出でになられるにあたり、孝子越街道からまっすぐに繋がる参道を開いた際に現在の位置に移動させたんだそうです。 -
西法寺の山門前に立つ「おかごよせあと」の石碑。
本山興正寺の門跡さんが来られた時、ここで駕籠を降りられたんでしょうね。 -
西法寺の山門と孝子越街道を結ぶ参道沿いにある町家です。
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孝子越街道にある、格子の美しい町家です。
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現在、孝子越街道は「つばさ通り」と呼ばれ、アーケードのある商店街になっています。
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この道(駅前通り)を南へ行くと、南海本線泉佐野駅に突き当ります。
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商店街にある、本瓦葺き町家の荒物屋さん。
では、これで「さの町場」の町歩きを終わります。
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