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2023年4月1日(土)11時半過ぎ、2時のサンガスタジアムの試合開始まではまだちょっと時間があるので、どうしようかと思ったら、来る時にも乗ったさくらシャトルの次の便がまもなくやって来るので、元々は歩いて移動しようと思ってた出雲大神宮まで乗って移動することにする(下の写真1)。<br /><br />11時45分頃のバスに乗り出雲大神宮へ(下の写真2)。5分ほどで出雲大神宮前に到着(下の写真3)。帰りの時間を確認すると12時12分(下の写真4)。あまり時間はないが出雲大神宮を早足でお参りする。<br /><br />出雲大神宮は亀岡盆地東部の御影(蔭)山の山麓に鎮座する神社で元々は出雲神社と称した。別称として元出雲や千年宮。元出雲の別称は、島根の出雲大社がこの出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来している。江戸時代末までは出雲の神と云えばこの出雲大神宮を指していたとされる(出雲大神宮に改称したのは戦後)。<br /><br />境内に横穴式石室を持つ後期古墳があるほか、西南には口丹波最大の前方後円墳である千歳車塚古墳があり、古くから御蔭山を神体として祀る氏族がいたと推測されている。創建の年代は不詳だが、社伝では奈良時代直前の709年に社殿が建てられたとされている。<br /><br />平安時代になると11世紀後半から12世紀頃に編纂された歴史書である日本紀略に弘仁8年(818年)にこの神社の記述があり、その時代にはすでに有力な神社になっていたことがうかがえる。鎌倉時代の吉田兼好の徒然草には「丹波に出雲と云ふ所あり」の記述があり、この時期には志田氏によって立派な社殿が建てられ、京の都人の崇敬を集めていた。南北朝時代の1345年に、足利尊氏により現在の社殿が造営された。<br /><br />主祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)とその妻の三穂津姫尊(みほつひめのみこと)。天津彦根命(あまつひこね)と天夷鳥命(あまのひなどりのみこと)が配祀神として祀られている。<br /><br />出雲を社名としているが、島根県の出雲大社や同じ亀岡市の南部、竜ヶ尾山の北側にある出雲大社京都分院とは別法人の神社。上述のように社伝では出雲大社に分霊したとあるが、一般的には大国主神を出雲大社から勧請したとされる。2009年の社殿創建1300年を境に出雲大社との一層の交流が始まっている。<br /><br />南側の千年宮鳥居から境内に入る。2014年の社殿創建千三百五年を記念して行われた記念事業の一環として2016年に完成した大鳥居で、同時に左側の社号標も建立された。千年宮は御神体山である御影山の古名の千年山から来ている。表参道を少し進んだ右手にある社名石碑も2014年に造られたもので、揮毫は島根の出雲大社宮司の千家尊祐(たかまさ)氏の筆。<br /><br />表参道の左手には宮池(神池)が広がり、辨財天社が鎮座している。福岡の宗像大社に祀られている三女神の一柱の市杵島姫命の御分霊をお祀りしている。参道には椿の花などで造られたハートがある。秋には落ち葉で造られるそうだ。よく見ると、花の中にうさぎさんが。もちろん大国さん繋がりですね。<br /><br />一乃鳥居の手前には、写真はないのだが、幕末に生まれ、出雲大社の国造として生き神様と呼ばれた千家尊福(たかとみ)氏の筆による「国幣中社 出雲神社」の社名標石碑と、「しあわせ、なでうさぎ」があり、体をなでることで幸せが訪れると云い伝えられている。<br /><br />一乃鳥居を抜けると左手に社務所があり、右手には手水舎。その奥に真名井の水。御神体山である御影山から湧出するご神水で、昔から延命長寿水として飲み水はもとより、お茶やコーヒー・紅茶、酒造りにも利用されてきた。古生代の石灰岩層をつたって火山噴火でできたマグマの接触変成岩層から湧き出ている「うまい水」で、ミネラルがバランスよく含まれる極めて健康によい理想の水であることが地質学的に実証されている。<br /><br />真名井の水の奥には夫婦岩。縁結びのご利益があるとされ、社務所で縁結び守りを購入し、お守りについている赤い紐を夫婦岩のまわりに結ぶと、幸せな縁が結ばれるとされる。さらに奥に進むと大国恵比寿舎。2014年の社殿創建千三百五年を記念して建てられたもので、縁結びのダイコク様(大国主大神)と商売繁盛のエビス様(事代主大神)の2像が祀られている。<br /><br />境内の正面奥には拝殿。入母屋造、妻入で檜皮葺を施した舞殿形式の建物で、1878年(明治11年)に造営された。4月18日の花鎮祭や、10月21日に斎行される例祭にて、巫女による御神楽「浦安の舞」が奉納される。<br /><br />その奥の本殿は、上述のように709年に建立されたものを、鎌倉時代末期から室町時代前期に足利尊氏が改修したと伝わる。造りは中世神社建築に多く見られる三間社流造平入で、前室を有し、屋根は檜皮葺。国の重文に指定されている。<br /><br />拝殿背後に建つ中門の背面に祝詞舎を接続し、拝殿、祝詞舎後方の本殿とともに主要社殿の中軸をなす。中門は四脚門、切妻造、平入。祝詞舎は中門の背面柱を共有した桁行二間の吹放し形式で、本殿側に軒唐破風を付け、総檜皮葺。和様を基調とし復古的細部を用いている。<br /><br />平面は正面に一間の向拝をもうけ、前庇を外陣、身舎を内陣・内々陣にあて、奥に行くに従い格式を高めている。外陣と内陣部分には高欄付きの縁をまわし、身舎側面の中央柱の所に脇障子を立てて見切り、身舎後半部には縁をまわしていない。装飾は蟇股・手挟程度に止め、太い木割を使用した豪壮な社殿である。<br /><br />本殿内陣の三間に神体として祀られている木造男神坐像3躯は平安時代(1躯は鎌倉時代)の作で、国の重文に指定されている。この他、鎌倉時代の作の「出雲神社ぼう示図並びに関係文書」は亀岡市の有形文化財。さらに、春の鎮花祭で奉納される出雲風流花踊は京都府の無形民俗文化財。<br /><br />本殿前、左手にある招霊木(オガタマノキ)は暖地に生える常緑高木で、古くから神事に用いられて来た。京都府では自生種は見つかっていない。主に神社に植えら、材は固く、家具などに用いられる。反対側、本殿前右手には舟の形をした舟岩もある。<br /><br />本殿前右手から鎮守の杜に入る。入ってすぐの右手奥にあるのが崇神天皇社。ご祭神は御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト)で崇神天皇のこと。このお宮は崇神天皇により再興されたとの社殿が伝わっている。崇神天皇は10代目天皇だが、実際した最初の天皇と推測され、その御業績を神格化したのが初代神武天皇ではないかとも考えられている。<br /><br />山道を登って行くと、分かれ道があり、さらに登ると、社殿が建てられる以前から国常立尊をお祀りする磐座(いわくら)があるが、先に進むには受付が必要なので、今回は時間もないのでパスした。<br /><br />左手に進むと上の社。ご祭神は大国主神の祖先にあたる素戔嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)。向拝を設けるなど出雲大神宮本殿を模倣した大型の一間社流造で、一間社としては珍しく前室を有する。創建は江戸後期の1813年と擬宝珠に刻まれている。<br /><br />上の社から石段を少し降りると御蔭の滝と稲荷社。御蔭の滝は竜神乃神をお祀りする滝として、いにしえより崇められている。稲荷社は、お稲荷さんで親しまれている穀物の育成を司る神様を祀る。<br /><br />さらに降りていくと春日社。神が宿る岩である磐座が祀られている。大国主命の国造り後の国譲りの際、天津神の使者として遣わされた建御雷之男神(たけみかづち)とこの神社の領家職であった藤原氏の一族、一条(後の西園寺)家の氏神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)が主祭神。<br /><br />その横にある横穴式石室を持つ後期古墳は5世紀から6世紀前半のもの。西南には口丹波最大の前方後円墳である千歳車塚古墳があり、古くから御影山を神体として祀る氏族がいたと推測されている。その先には行かなかった磐座とは別の磐座がある。<br /><br />短い時間だが、参拝終了しバス停に戻る。バス停の手前の丘には社殿創建1200年記念石碑が建ち、その奥は神饌田となっている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.28692649467045038&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />12時12分発のさくらシャトルで亀岡駅に戻る(下の写真5)。12時半過ぎ、サンガスタジアムに到着し、1階でコーヒーを買って、七谷川で買ったお弁当を食べて一休みしてからスタンドへ。この日の試合はヴィッセルに0-3の完敗でした。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9266877366715538&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

京都 亀岡 出雲大神宮(Izumo Daijingu Shrine,Kameoka,Kyoto,Japan)

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2023/04/01 - 2023/04/01

327位(同エリア363件中)

旅行記グループ 出雲大神宮

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5

ちふゆ

ちふゆさん

2023年4月1日(土)11時半過ぎ、2時のサンガスタジアムの試合開始まではまだちょっと時間があるので、どうしようかと思ったら、来る時にも乗ったさくらシャトルの次の便がまもなくやって来るので、元々は歩いて移動しようと思ってた出雲大神宮まで乗って移動することにする(下の写真1)。

11時45分頃のバスに乗り出雲大神宮へ(下の写真2)。5分ほどで出雲大神宮前に到着(下の写真3)。帰りの時間を確認すると12時12分(下の写真4)。あまり時間はないが出雲大神宮を早足でお参りする。

出雲大神宮は亀岡盆地東部の御影(蔭)山の山麓に鎮座する神社で元々は出雲神社と称した。別称として元出雲や千年宮。元出雲の別称は、島根の出雲大社がこの出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来している。江戸時代末までは出雲の神と云えばこの出雲大神宮を指していたとされる(出雲大神宮に改称したのは戦後)。

境内に横穴式石室を持つ後期古墳があるほか、西南には口丹波最大の前方後円墳である千歳車塚古墳があり、古くから御蔭山を神体として祀る氏族がいたと推測されている。創建の年代は不詳だが、社伝では奈良時代直前の709年に社殿が建てられたとされている。

平安時代になると11世紀後半から12世紀頃に編纂された歴史書である日本紀略に弘仁8年(818年)にこの神社の記述があり、その時代にはすでに有力な神社になっていたことがうかがえる。鎌倉時代の吉田兼好の徒然草には「丹波に出雲と云ふ所あり」の記述があり、この時期には志田氏によって立派な社殿が建てられ、京の都人の崇敬を集めていた。南北朝時代の1345年に、足利尊氏により現在の社殿が造営された。

主祭神は大国主神(おおくにぬしのかみ)とその妻の三穂津姫尊(みほつひめのみこと)。天津彦根命(あまつひこね)と天夷鳥命(あまのひなどりのみこと)が配祀神として祀られている。

出雲を社名としているが、島根県の出雲大社や同じ亀岡市の南部、竜ヶ尾山の北側にある出雲大社京都分院とは別法人の神社。上述のように社伝では出雲大社に分霊したとあるが、一般的には大国主神を出雲大社から勧請したとされる。2009年の社殿創建1300年を境に出雲大社との一層の交流が始まっている。

南側の千年宮鳥居から境内に入る。2014年の社殿創建千三百五年を記念して行われた記念事業の一環として2016年に完成した大鳥居で、同時に左側の社号標も建立された。千年宮は御神体山である御影山の古名の千年山から来ている。表参道を少し進んだ右手にある社名石碑も2014年に造られたもので、揮毫は島根の出雲大社宮司の千家尊祐(たかまさ)氏の筆。

表参道の左手には宮池(神池)が広がり、辨財天社が鎮座している。福岡の宗像大社に祀られている三女神の一柱の市杵島姫命の御分霊をお祀りしている。参道には椿の花などで造られたハートがある。秋には落ち葉で造られるそうだ。よく見ると、花の中にうさぎさんが。もちろん大国さん繋がりですね。

一乃鳥居の手前には、写真はないのだが、幕末に生まれ、出雲大社の国造として生き神様と呼ばれた千家尊福(たかとみ)氏の筆による「国幣中社 出雲神社」の社名標石碑と、「しあわせ、なでうさぎ」があり、体をなでることで幸せが訪れると云い伝えられている。

一乃鳥居を抜けると左手に社務所があり、右手には手水舎。その奥に真名井の水。御神体山である御影山から湧出するご神水で、昔から延命長寿水として飲み水はもとより、お茶やコーヒー・紅茶、酒造りにも利用されてきた。古生代の石灰岩層をつたって火山噴火でできたマグマの接触変成岩層から湧き出ている「うまい水」で、ミネラルがバランスよく含まれる極めて健康によい理想の水であることが地質学的に実証されている。

真名井の水の奥には夫婦岩。縁結びのご利益があるとされ、社務所で縁結び守りを購入し、お守りについている赤い紐を夫婦岩のまわりに結ぶと、幸せな縁が結ばれるとされる。さらに奥に進むと大国恵比寿舎。2014年の社殿創建千三百五年を記念して建てられたもので、縁結びのダイコク様(大国主大神)と商売繁盛のエビス様(事代主大神)の2像が祀られている。

境内の正面奥には拝殿。入母屋造、妻入で檜皮葺を施した舞殿形式の建物で、1878年(明治11年)に造営された。4月18日の花鎮祭や、10月21日に斎行される例祭にて、巫女による御神楽「浦安の舞」が奉納される。

その奥の本殿は、上述のように709年に建立されたものを、鎌倉時代末期から室町時代前期に足利尊氏が改修したと伝わる。造りは中世神社建築に多く見られる三間社流造平入で、前室を有し、屋根は檜皮葺。国の重文に指定されている。

拝殿背後に建つ中門の背面に祝詞舎を接続し、拝殿、祝詞舎後方の本殿とともに主要社殿の中軸をなす。中門は四脚門、切妻造、平入。祝詞舎は中門の背面柱を共有した桁行二間の吹放し形式で、本殿側に軒唐破風を付け、総檜皮葺。和様を基調とし復古的細部を用いている。

平面は正面に一間の向拝をもうけ、前庇を外陣、身舎を内陣・内々陣にあて、奥に行くに従い格式を高めている。外陣と内陣部分には高欄付きの縁をまわし、身舎側面の中央柱の所に脇障子を立てて見切り、身舎後半部には縁をまわしていない。装飾は蟇股・手挟程度に止め、太い木割を使用した豪壮な社殿である。

本殿内陣の三間に神体として祀られている木造男神坐像3躯は平安時代(1躯は鎌倉時代)の作で、国の重文に指定されている。この他、鎌倉時代の作の「出雲神社ぼう示図並びに関係文書」は亀岡市の有形文化財。さらに、春の鎮花祭で奉納される出雲風流花踊は京都府の無形民俗文化財。

本殿前、左手にある招霊木(オガタマノキ)は暖地に生える常緑高木で、古くから神事に用いられて来た。京都府では自生種は見つかっていない。主に神社に植えら、材は固く、家具などに用いられる。反対側、本殿前右手には舟の形をした舟岩もある。

本殿前右手から鎮守の杜に入る。入ってすぐの右手奥にあるのが崇神天皇社。ご祭神は御真木入日子印恵命(ミマキイリヒコイニエノミコト)で崇神天皇のこと。このお宮は崇神天皇により再興されたとの社殿が伝わっている。崇神天皇は10代目天皇だが、実際した最初の天皇と推測され、その御業績を神格化したのが初代神武天皇ではないかとも考えられている。

山道を登って行くと、分かれ道があり、さらに登ると、社殿が建てられる以前から国常立尊をお祀りする磐座(いわくら)があるが、先に進むには受付が必要なので、今回は時間もないのでパスした。

左手に進むと上の社。ご祭神は大国主神の祖先にあたる素戔嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)。向拝を設けるなど出雲大神宮本殿を模倣した大型の一間社流造で、一間社としては珍しく前室を有する。創建は江戸後期の1813年と擬宝珠に刻まれている。

上の社から石段を少し降りると御蔭の滝と稲荷社。御蔭の滝は竜神乃神をお祀りする滝として、いにしえより崇められている。稲荷社は、お稲荷さんで親しまれている穀物の育成を司る神様を祀る。

さらに降りていくと春日社。神が宿る岩である磐座が祀られている。大国主命の国造り後の国譲りの際、天津神の使者として遣わされた建御雷之男神(たけみかづち)とこの神社の領家職であった藤原氏の一族、一条(後の西園寺)家の氏神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)が主祭神。

その横にある横穴式石室を持つ後期古墳は5世紀から6世紀前半のもの。西南には口丹波最大の前方後円墳である千歳車塚古墳があり、古くから御影山を神体として祀る氏族がいたと推測されている。その先には行かなかった磐座とは別の磐座がある。

短い時間だが、参拝終了しバス停に戻る。バス停の手前の丘には社殿創建1200年記念石碑が建ち、その奥は神饌田となっている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.28692649467045038&type=1&l=223fe1adec

12時12分発のさくらシャトルで亀岡駅に戻る(下の写真5)。12時半過ぎ、サンガスタジアムに到着し、1階でコーヒーを買って、七谷川で買ったお弁当を食べて一休みしてからスタンドへ。この日の試合はヴィッセルに0-3の完敗でした。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9266877366715538&type=1&l=223fe1adec


以上

  • 写真1 七谷川バス停時刻表

    写真1 七谷川バス停時刻表

  • 写真2 七谷川バス停

    写真2 七谷川バス停

  • 写真3 出雲大神宮前バス停到着

    写真3 出雲大神宮前バス停到着

  • 写真4 出雲大神宮前バス停時刻表

    写真4 出雲大神宮前バス停時刻表

  • 写真5 出雲大神宮前バス停から戻る

    写真5 出雲大神宮前バス停から戻る

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