2022/06/19 - 2022/06/19
276位(同エリア617件中)
やまたまさん
この旅行記スケジュールを元に
千葉県の香取市を日帰りで訪問しました。
全国400社ある香取神社の総社で、歴史ある有数の古社である「香取神宮」を参拝。
参拝後には、江戸時代より水運で栄えた「佐原の町」を街歩き。
小野川沿いには現在でも古い街並みが続き、”小江戸”と称される景観が楽しめます。
佐倉は伊能忠敬が住んでいた町という横顔もあり、旧宅や記念館があるのも見どころです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回は車での訪問。香取神宮参道前の駐車場に車を停めて参拝に向かいます。
「香取神宮」は下総国一の宮であるとともに、関東を中心に全国約400社ある香取神社の総本社です。
そんな香取神宮の参道入口は昔ながらの観光地風で、ちょっとレトロな佇まいでした。香取神宮 寺・神社・教会
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参道に入るとお土産屋が並んでおり、なかなか雰囲気があって良いなあ。
茶屋には定番的な団子のほか、芋を使った大福というのは少し珍しいですね。
あとで調べたら、千葉県はサツマイモ産出量では全国で第3位を誇るとのこと。
香取もまたサツマイモ栽培に適した土壌に恵まれており、古くからサツマイモの名産地なんですって。 -
やがてその先に現れる大鳥居。
参道を歩いて最初の鳥居ですが、実はこれ二の鳥居なんです。
一の鳥居は少し離れた場所にあり、帰りに立寄ったので後ほどご紹介。
香取神宮の創建は、日本の初代天皇である神武天皇の御代18年(紀元前600年頃)といわれています。紀元前にできたとは、気が遠くなるほどの歴史をお持ちですなあ。。。 -
その先からは両脇に奉納された無数の灯籠がならび、木漏れ日とあいまってとても厳かな雰囲気。
豊かな社叢(しゃそう)林は、香取神宮の森として県指定の天然記念物となっています。 -
やがて参道の先の視界が開け、巨大な石の鳥居がド~ン!と現れます。
石鳥居と石段上の総門の組み合わが、参拝エリアの入口に相応しい威厳を感じさせます。 -
鳥居手前の一角に残る「勅使門」は、境内に残る唯一の茅葺屋根の建造物。
江戸時代中期にはこちらに大宮司邸があり、天皇よりの勅使を迎える役割も担ったそうです。
残念ながら邸宅自体は焼失しており、その門だけが残ります。 -
石段の先の総門を抜けた先に現われるのは、鮮やかな朱塗りが美しい「楼門」。
どしっとバランスの良い形をした、香取神宮のシンボル的な門です。
楼門は江戸時代の元禄13年(1700年)の建築物で、重要文化財に指定されてます。 -
楼上の額の筆は、海軍軍人・東郷平八郎によるもの。
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門内には随身像が納められています。
向かって右側は、古代皇族の武内宿禰(たけしうちのすくね)だといわれます。 -
左側は、飛鳥時代の貴族・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)だといわれます。
香取神宮は藤原氏とゆかりが深い神社です。 -
社殿エリアに入ると多くの参拝者がおり、活気のある境内でした。
拝殿前に設置されているのは、夏越しの大祓(おおはらえ)の茅の輪くぐり。
なかなか抜け方を覚えられない茅の輪くぐりですが(苦笑)、なんとかクリアーして拝殿へ向かいます。 -
昭和に造営された「拝殿」は、唐破風と千鳥破風がついた屋根が印象的。屋根は檜(ひのき)の樹皮を用いた檜皮葺き(ひわだぶき)です。
御祭神として祀られる経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、家内安全や産業指導の御神徳をお持ちです。
日本書紀の国譲り神話に登場する武徳がある神としても知られ、平和・外交の祖神としての勝運の徳もあるとされます。
それゆえ古来より朝廷からの深い崇敬を受け、中世の武家の時代には源頼朝・足利尊氏による寄進を受けます。
さらに天正19年(1591年)には、徳川家康より朱印地として1千石の領地が与えられました。 -
社殿周囲を歩けるので、塀越しに本殿を拝観できるのが嬉しい。
現在の本殿は、元禄13年(1700年)に徳川5代将軍綱吉により造営されたもの。楼門と同時期の建築物で、こちらも国重要文化財です。 -
妻下の極彩色の装飾が美しい。
黒の漆塗りを基調とした外観の全体的な印象は、”煌びやか”というよりは”重厚”という言葉が似合います。
ちなみに平安時代の香取神宮は伊勢神宮同様、20年ごとに本殿を建替する遷宮の慣習があったそうですよ。 -
社名にある神宮の呼称ですが、明治時代以前には伊勢・香取・鹿島のみに神宮の称号が与えられていました。
ではなぜ数ある神社の中で、香取神宮と鹿島神宮がこのように特別視されのでしょうか?不思議ですよね?
遡ること奈良時代、東北地方に朝廷に従わない蝦夷(えみし)と呼ばれる勢力が大きな力を持っていました。
これに対して、桓武天皇から征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が大軍を率いて遠征し、長く激しく続いた戦いを制します。
この戦いで軍事物資を水運で補給する拠点となったのが、何を隠そう、鹿島神宮と香取神宮のある地でした。軍事的に重要な役割を持っていた、という歴史背景があったようです。 -
江戸時代に建てられた「旧拝殿」が、祈祷殿として残ります。
現在の昭和に築造された拝殿以前は、こちらが拝殿として使用されていました。 -
造営時期は本殿と同じ元禄13年で、江戸時代の社殿を知るうえで貴重。
現在の拝殿と比較すると、比較的質素な感じの建物でした。 -
香取神宮には国宝・重要文化財・県指定文化財など、約200点もの宝物が所蔵されています。境内の「宝物館」で、その貴重な宝物の品々を公開。
注目は「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」と呼ばれる白銅質の円鏡。
8世紀に中国からもたらされたとされる鏡で、一面は正倉院に伝えられ、一面は香取神宮に伝えられたものといわれます。正倉院との繋がりを示す点でもこれは貴重ですね!
海獣葡萄鏡は国宝指定を受けており、奈良の正倉院及び愛媛県の大山祇神社の神鏡と合わせて「日本三銘鏡」といわれています。
宝物館の見学には拝観料が必要ですが、時間があれば見学をお勧めします。 -
境内の一角に、ど~んと地面に突き刺さる船の錨を発見。
これは昭和45年より28年間に渡り航海訓練に使用された、海上自衛隊練習監・かとりのもの。
除籍後、船名と由緒深い香取神宮に奉献されたものなんですって。 -
境内を参拝した後、旧参道を歩いて「要石(かなめいし)」なるものを見に向かいます。その謎めいた石があるのは、森に囲まれた秘めやかな雰囲気の場所。
この石柱に囲まれているのが、要石と呼ばれる石です。 -
表面に突起部分がない、妙にツルンとした不思議な感じの石。
お子様サイズの力石が半分埋まっている、そんな形にも見えますが。。。
実はこれは地中深く差しこまれた石棒だといわれています。
しかも、地震の原因となる巨大ナマズの頭尾を刺し通していると伝わります。
さらに大ナマズのもう片端の頭部分は、鹿島神宮側にある要石で押さえ込まれていると伝わります。
20kmくらい離れた香取神宮と鹿島神宮で押さえているって、どんだけでかいナマズなのよ(苦笑)。 -
さらに旧参道内沿いにある「奥宮(おくのみや)」に向かいます。
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実は神様には「荒魂」と「和魂(にぎみたま)」という二面性がある、とされます。
こちらに祀られているのは、香取神宮の御祭神・経津主大神の荒魂(あらみたま)。
神様の荒々しい面なんてちょっと怖いですが、畏敬の念を感じつつ参拝させて頂きました。
ちなみにこちらの社殿は、昭和48年(1973年)の伊勢神宮御遷宮で発生した古材で築造されています。 -
参拝終了後、移動の道すがら「浜鳥居」と呼ばれる一の鳥居に立ち寄りました。
場所は香取神宮から3km程離れた、利根川の河川敷。
浜鳥居とも呼ばれ、河岸にポツンと素木の鳥居が立つ姿はちょっと不思議。
鳥居は平成14年(2002年)に作られたもので、香取神宮の御用材が用いられています。
香取神宮の御祭神の経津主大神は、海路にてここから上陸されたと伝わります。津宮鳥居河岸 自然・景勝地
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近くにあるのは、三社参詣の講中の人々が航路の安全を祈願して明和6年(1769年)に奉納した常夜灯。
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そして歌人・与謝野晶子(よさのあきこ)の歌碑。
与謝野晶子が明治34年(1911年)に当地に立ち寄った際、宿屋で詠んだ歌が記されています。 -
香取神宮参拝の後は、古い街並みが残る佐原の町歩きにやって来ました。
JR佐原駅近隣の駐車場に車を停めましたが、駅もレトロで雰囲気がありますね。佐原駅 駅
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千葉県北東部に位置する香取市は利根川周辺の都市で、江戸時代中頃から昭和初期に水運で栄えた水郷商業都市でした。
町中を利根川支流の小野川が流れ、その両岸に河岸問屋や醸造などが軒を連ねる町並みは「小江戸」と称されました。 -
おっ!遊覧船も古風な感じで絵になるなあ~。
水上を涼し気に進む景観は、川の町ならではの風情を感じます。
遊覧船は、約30分の町並み遊覧が楽しめる有料のサービス。
写真の奥には「だし」と呼ばれる、江戸時代の荷揚げ場の石階段跡が見える。現在これは遊覧船の発着場として使用されています。 -
思っていた以上に多くの古い建物が並んでおり、町中がまるで時代劇のセットのようだ。あたかも江戸時代にタイムスリップしたような、古い景観がたまりません。
佐原は、平成8年に関東で初めて「重要伝統的建物群保存地区」に選定された場所なんですよ。 -
川沿いには土蔵造りの商家の建物が続きます。
これらの建物は家業が引き継がれ、現在も多くが使用されているらしい。そのため「生きている町並み」、なんて呼ばれ方もされるそうだ。
道端に続くシダレヤナギも、小江戸の街並みにマッチしており良い感じ。 -
佐原には小江戸の町並みに加えて、もう一つの見どころがあります。それは、かつて伊能忠敬が住んでいた町であるということ。
まずはその伊能忠敬ゆかりのスポットをめぐりつつ、その人物像をたどってみます。
樋橋(とよはし)越しに見えるのが「伊能忠敬旧宅」ですが、このあたりもそのまま時代劇に出てきそうな景観ですねえ。 -
伊能忠敬(1745~1818年)は江戸時代の商人でした。
後に天文学者・地理学者・測量家となり、日本で初めて実測による全国地図を作りました。そういえば、学生時代に歴史の授業で習ったな。
その忠敬が30年余りを過ごしたのが、この伊能忠敬旧宅です。伊能忠敬旧宅 名所・史跡
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忠敬が17歳から50歳までの30年余りを過ごしたのが、こちらの旧宅。
主な家業だった酒造業に使用された店舗や生活空間として使われた母屋など、江戸時代の建築物が残っています。
店舗だった建物は、忠敬が婿養子に入る以前の古い時代のものだとか。
国指定史跡ですが、無料で気軽に見学できるのが良いですね! -
伊能忠敬が江戸で本格的に測量などの勉強を始めたのは、49歳になり隠居してから。
それでもって55歳から測量の全国行脚を始めるって、凄くないですか?なかなかの気力・体力の持ち主です。
10回の測量に際して歩いた日数は3,736日、距離は約3万5千kmだったとのこと。その数字からも並々ならぬ情熱と根気強さを感じさせます。
写真は離れにある書院。 -
こちらは測量に使用された機器の模型です。
象限儀(しょうげんぎ)と呼ばれる右側の大きい機器は、緯度を求めるために北極星などの高度を観測したもの。分度器に望遠鏡を取り付けたような装置らしいです。
左の半円方位盤(はんえんほういばん)と呼ばれる機器は、遠方の山や島の方位を測るための方位磁石盤です。 -
庭の一角に立つ伊能忠敬先生之の像。
細身に見えますが、相当な体力をお持ちの方だったんでしょうなあ。 -
伊能忠敬旧宅前に架かる樋橋は、”じゃあじゃあ橋”という風変わりな名前。
江戸時代は対岸の水田へ用水を送るための大樋(とい)でしたが、戦前にコンクリートの橋に改築されました。
水が小野川に「ジャージャー」と音を立ててあふれ落ちるので、「じゃあじゃあ橋」の通称が付いたとのこと。
現在は観光用に30分ごとに落水されています。
落水音は「残したい日本の音風景100選」の一つに選ばれているそうですよ。 -
その樋橋を挟んだ西側には、伊能忠敬に関する資料が公開されている「伊能忠敬記念館」があるので、伊能忠敬旧宅と併せての立ち寄りがオススメです。
記念館は旧宅とは対照的な、コンクリート造りの建物。伊能忠敬記念館 美術館・博物館
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実は伊能忠敬関連の資料は一括で国宝に登録されており、その点数は2,345点!これは凄い数だ。
資料群は地図・絵図類のみならず、文書類や器具類など広範囲に渡ります。
記念館ではその国宝資料の一部や複製の展示とともに、地図製作の方法や忠敬の生涯が紹介されています。 -
館内は基本写真撮影不可ですが、一部は撮影可能なエリア。
忠敬と弟子たちが全国を歩いて作った「大日本沿海輿地全図」は、現代の日本地図と比較してもかなり精度が高いものだったというのが素晴らしい。 -
ところで訪問の少し前に、伊能忠敬を題材にした映画「大河への道」が公開されました(2022年5月公開)。
撮影に際しては、小野川沿いの町中や佐原駅前ロータリーなどがロケで使われたそうだ。
主演の中井貴一さんが企画まで手掛けたこの映画なんですが、元ネタは意外にも落語家・立川志の輔さんの創作落語。
伊能忠敬記念館で忠敬の日本地図を見た志の輔さんは感動し、これをなんとか落語に!という思いで作ったそうなんですね。へえ~、ですよね。 -
佐原の偉人の功績に触れたところで、古い町並みを歩いてみます。
魅力的な建物群が多く目移りするので、県指定文化財の建築物を中心にめぐってみた。
保存地区の中心部にある「中村屋商店」は、形の良い建物でランドマーク的な存在。安政2年(1855年)に建築された母屋は、雑貨や畳材などを扱う店でした。
母屋は、現在はさつま芋のモンブランが人気の喫茶店となっています。 -
中村屋商店の母屋の横に連なるのは、明治27年(1894年)築の白壁で3階建ての土蔵。
1階は和雑貨や小物を販売する店舗として使用されています。 -
2階・3階部分は店の歴史を振り返るミニ博物館として公開されていました。
土蔵の中は、外観の見た目よりも広々した感じ。古い人形などが並び、まるで時が止まったような空間だった。 -
寛政10年(1798年)に建てられた「旧油惣(あぶそう)商店」は、佐原最古の土蔵といわれます。
町をめぐってみると、江戸時代に建てられた建築物が実は少ないことに気づきます。
佐原では明治25年(1892年)に大火が起きており、中心部の町並みに大きな被害を与えました。
そのため江戸時代の建造物は、残念ながら土蔵造りを除き大部分が焼失。現在の景観は、その後に再建された建物を中心に構成されています。 -
最後に紹介する「旧三菱銀行佐原支店」は、他とは少し毛色が違うレンガ造りの2階建て洋館。
大正3年(1914年)の建築物で、レンガはわざわざイギリスから輸入されたものが使われています。
このようなレンガ造りやモルタル外壁の洋風建築が点在しているのも、佐原の町のユニークなところ。
町の繁栄期が昭和初期まで続いたため、多様な時代の建物がミックスされています。 -
建物内の見学もできます。
内部は広い吹き抜けで、2階周囲に回廊があるのが特徴的。
古いアメリカの映画でギャングに襲われる銀行のイメージだな(笑)。 -
建物は市に寄贈されており、ギャラリーなどに活用されています。
金庫室内も展示スペースに改造されています。
ありえないのですが。。。、バタン!と急に閉まったりしないよな?と、金庫室内ではなんとなく落ち着きませんでした(苦笑)。
以上、ご覧頂きありがとうございました。
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