2014/11/21 - 2015/03/06
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syuukouさん
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首都・リマの中心部から15kmほどに位置する
「ビジャ・エルサルバドル」というスラム街を訪れました。
ペルー全域から人々が移り住み、
生まれたというこのスラムですが、
世界の注目を集める場所でもあるのです。
それは、この街の自治システムによるもの。
ここは、スラムに暮らす住民自らが協力し、
「街作り」を行っているんです。
自分たちで医療や学校に関するシステムを作り、
スラムの「自治」を行う
こうした取り組みは世界でも類を見ない
たいへん画期的なものなんだそう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
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ビジャ・エルサルバドルの街に1泊した。
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現地の人々とサッカー交流をした。
サッカーするとき銃を持つガードマンに守られ交流し合いをした。 -
センデロ・ルミノソ(Sendero Luminoso、スペイン語で“輝ける道”の意)は、ペルーの極左ゲリラ組織。毛派共産党。正式名称「ペルー共産党」
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1920年代にラテンアメリカ全体でも知名度のあるマルクス主義思想家として活動したホセ・カルロス・マリアテギが、インディヘニスモに近い立場から独自の革命理論を説いた理論書『マリアテギの輝ける道』に因んで命名された。
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1969年に組織され、「農村が都市を包囲する」という毛沢東思想を掲げて、テロを繰り返している。一時、ペルーの国土の3分の1を制圧したこともあるが、
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その活動や統治の冷酷さから南米のポル・ポト派とも呼ばれるほど恐れられた。
積極的取締政策を行ったアルベルト・フジモリ大統領時代に弱体化したため
同氏又はその娘のケイコ・フジモリに投票しないように主張するテロを行っている -
ペルー南部,アンデスの貧困農村部を拠点に活動する革命ゲリラ運動。〈輝く道〉の意。ペルー共産党から分裂して元大学教授グスマンにより1970年に結成されたといわれる。マリアテギの1920年代農村社会の分析に基づき,毛沢東主義に依拠して1980年代以降激しい武力闘争を展開し,都市部にも進出。1990年フジモリ大統領の就任後,掃討作戦が開始され,1992年グスマンはじめ多数の幹部が逮捕されてから急速に衰えた。
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