2024/11/16 - 2024/11/16
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chiaki-kさん
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彦根の宿でGooglemapを見ながら考えた。このまま名神高速→中央道を走って帰れば明るい内に家まで帰れる。しかし、今回の主目的ではないが初日休館日だった敦賀ムゼウムはここから約1時間だ。ならば今一度敦賀に立ち寄って福井廻りで中部縦貫道を帰れば高速代や燃料の節約(軽は高速の燃費が悪い)になる。そして再びあの紅葉が見られるのではないか。同じ道を往復するのは、好まないのだが、まあ良いだろう。ということで、再びの北陸道そして中部縦貫道と相成った。
表紙の写真は初編の表紙にも登場した平湯の安房峠トンネル手前風景だが、他によさげな写真が無かったので、こちらも再登場と相成った。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11/16
コンフォートホテル彦根の朝食会場からはJR彦根駅が見える。 -
ここの朝食は洋食がメイン。家の朝食もパンとコーヒーなので、これで充分。
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チェックアウトを済ませてホテルの周囲を撮影。まずはJR彦根駅。ちなみに、この駅は近江鉄道のターミナルともなっている。
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駐車場無料は良いのだが、夕べ少し遅くなった(19:00)ので一番奥しか空いておらず、軽とはいえ駐めるのに少々苦労した。夕べは気がつかなかったが隣に駐まっていたのはシビックタイプR! スティングレーと比べて天井が21.5cm低いので乗り降りは大変だろうね。ちなみに、この5代目のタイプRはイギリス製です。
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彦根城は何度も行ったのでパスして彦根港に立ち寄ってみる。竹生島へ渡るオーミマリンの船はここから出ている。土曜日ということもあり釣り人が多かった。
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ボク、釣れたかい?
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彦根港を後に「さざなみ街道」を北へ。なかなか駐車できる場所が無く、やっと駐められそうなスペースで琵琶湖を撮影するが、湖岸のゴミが目立って興ざめだった。
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UPです。遠くに大きな建物が見えるがGrand Mercure Lake Biwa Resort & Spaかな?
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敦賀までノンストップでも良かったが、敦賀ムゼウムの開館時間に合わせるため時間調整で長浜城歴史博物館のある豊公園に立ち寄る。なお、豊公園の駐車場は3時間まで無料。
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駐車場の近くにはGrand Mercure Lake Biwa Resort & Spaがあるが、最近まではダイワロイヤルホテル長浜だったはず。何年前か忘れてしまったが一度だけ家族と泊まったことがある。琵琶湖の眺めの良いホテルだった記憶がある。
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長浜城は1573年に豊臣秀吉が浅井長政攻めの功で、織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜と呼ばれていたこの地を長浜に改名した。小谷城で使われていた資材などを流用し築城する。のちに天下人となる秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の領国・城下町経営の基礎を醸成した所とされている。
1606年に内藤信成・信正が城主になるが、大坂の陣後内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城になった。資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている。
なお、現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにした復興天守で、市立長浜城歴史博物館として運営されている。 -
築城当時の長浜城は水城で、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていたらしい。
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マンホールのデザインは千成りひょうたん。もちろん秀吉公の旗印。
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そして何故かニャン。
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駐車場脇の道路の紅葉が綺麗だった。
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北陸道長浜ICから敦賀ICまでは30分。10分ほど一般道を移動して敦賀ムゼウムに再開。
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ということでマジック完了。
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命のビザリレーで救われたユダヤ難民の話は初編に記述したので、1944年ワルシャワ蜂起についてスタディ。
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1944年7月30日、ソ連軍はワルシャワから10km地点まで進出、ワルシャワ解放も近いと思われていた。しかし、このままソ連軍にまかせては解放後のポーランド造りの指導権がソ連に取られてしまう、というポーランド亡命政府の思惑もあり、1944年8月1日17時、ここまで地下組織として生き残ったポーランド国民軍、国内軍、左翼化したポーランド人民軍など20,000~50,000人の混成部隊(ポーランド蜂起軍)がワルシャワを占領するナチス・ドイツ軍に対し一斉攻撃を開始する。
ワルシャワ市内には約12,000名のドイツ兵が駐屯、数では劣っていたものの蜂起軍を圧倒する豊富な物量装備を所有していた。その大半が小火器しか持たない蜂起軍では、わずかにドイツ軍の兵舎、補給所を占領しただけであり、たのみの綱はソ連軍の侵攻だけだった。ヴィスワ川対岸にいたソ連軍は、市街地への渡河が可能な状況にあったにもかかわらず、蜂起軍への支援をせずに静観した。ヒトラーは、これをみて、ソ連軍が蜂起軍を支援する気が全くないと判断、蜂起軍の弾圧と、報復としてワルシャワの破壊を命ずる。
写真はワルシャワ市内にあったワルシャワ蜂起軍の像。(2016年6月3日撮影) -
ドイツ軍は重火器、戦車、火炎放射器など圧倒的な火力の差で徐々に蜂起軍を追いつめていった。8月31日、蜂起軍は分断された北側の解放区を放棄し、地下水道を使って南側の解放区に脱出、9月末には蜂起軍はほぼ潰滅する。写真の像はまさに下水道へ逃げるシーン。
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その後、報復攻撃によりワルシャワは破壊される。蜂起参加者はテロリストとされ、市民も合わせて約22万人が戦死、又は処刑されたと言われる。10月2日、蜂起軍はドイツ軍に降伏し、蜂起は完全に鎮圧された。降伏した蜂起軍は、そのまま絶滅収容所に送られた。
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1945年1月12日、ソ連軍はようやく進撃を再開。1月17日、廃墟と化したワルシャワを占領した。その後、こともあろうにレジスタンス幹部を逮捕し、自由主義政権の芽を完全に摘み取った。ソ連は、ロンドンのポーランド亡命政府とは別に、ポーランド国民解放委員会なる傀儡政権を樹立していた。そのため、ワルシャワ蜂起は、ポーランド亡命政府主導の組織を壊滅させるための、ソ連の陰謀であったという説すらある。
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駐車場に駐まっていたバスには欧米系外国人さんの団体が乗っていた。そして乗用車は30台ほど駐まっており、なかなかの盛況だった。
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敦賀ムゼウムを後に、敦賀ICから北陸道を北へ。南条SAで休憩。
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恐竜王国福井に逆戻り。
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2007年に福井県で発掘された「フクイティタン」という名の草食大型恐竜の可動模型があり、写真のように草をあげようとすると首が下がり息を吹きかけるという芸の細かい造りだった。
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福井北ICで北陸道から中部縦貫道に入り勝山ICから5分ほど走った所にある「道の駅恐竜渓谷かつやま」に立ち寄る。ちなみに無料の高速道にはSAやPAは無いのでトイレ休憩は一旦ICを降り道の駅などに寄る必要あり。
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道の駅のレストランで越前かけそばを頂く。疲れた胃にやさしい。
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昼時ということもあり、なかなかの繁盛ぶりだった。
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勝山ICから一気に九頭竜ICまで移動し、九頭竜湖を見ながらR158を東へ進む。
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九頭竜湖にかかる全長266mのつり橋で、正式な名前は箱ヶ瀬橋。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の試作品として1967年11月に建設されたもので、別名は「ゆめの架け橋」だそうだ。
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この九頭竜湖沿いにあるR158は紅葉が綺麗だね。
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縦貫道九頭竜-油坂峠間は絶賛工事中。
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油坂峠も紅葉中。
この後、東海北陸道、高山、安房峠、松本とR158を走り抜け、三才山トンネルを通過して自宅まで無事帰宅しました。
これで「2024年11月 再びの敦賀、そして中部縦貫道を東へ:長浜城・敦賀・福井・中部縦貫道」及び、今回の福井・尾道・愛媛旅行記は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。そして全編ご覧頂いた方には最大の「だんだん」を差し上げます。 -
RESULT
スズキ・ワゴンR・スティングレーの5日間の走行距離は1,880km、燃料は88.57Lを給油、燃費は21.23km/Lとなりました。走行距離は64,000kmを越え、来年は7年目となるので、いつもより少し早いですが、次期戦闘機の選定に入りました。 -
OMAKE1
では恒例のお土産大公開です。今回も購入品は全て食糧品です。 -
OMAKE2
勝山の道の駅で購入した生原酒・永平寺白龍。香り高い高級ライスワインでした。 -
OMAKE3
福山駅構内お土産店で買った錦もみじ饅頭。やさしい餡が良いです。 -
OMAKE4
大島の道の駅で購入したみかん、甘さ控えめでさわやか味でした。舞鶴海軍カレーは1年以上持つので、まだ未開封です。 -
OMAKE5
これも大島道の駅で購入した瀬戸内レモン、本当に甘くないレモンサワーがよかです。 -
OMAKE LAST
大飯の道の駅でオバマまんじゅう購入しました。まだ売っていたんですね。大統領選挙、残念でした。
おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねもさん 2025/02/20 11:01:38
- ワルシャワ蜂起
- chiaki-kさん ご無沙汰しています。
ワルシャワ蜂起のご紹介ありがとうございます。ソ連やナチスの冷酷さは胸が痛みます。
今ウクライナが、同じとまでは言いませんが……(゚д゚)! 正義の味方だったはずのあの国によって!?
敦賀は通ったことしかないので、歩いてみたいと思いました。
- chiaki-kさん からの返信 2025/02/20 16:00:28
- アメリカも時には・・・
- ・
ねもさん、こんにちは。私の旅行記に、いつもたくさんの
”いいね”をいただきありがとうございます。
>ソ連やナチスの冷酷さは胸が痛みます。
結局、ヒトラーとスターリンはいろいろな点において、同じ
思考回路で繋がっていたのでしょうね。
> 今ウクライナが、同じとまでは言いませんが…
トルーマンとスターリンとの密約などありましたから
たいへん心配ですね。歴史は繰り返すと言いますから。
>正義の味方だったはずのあの国によって!?
ネイティブアメリカン迫害、原子爆弾投下、ベトナムへの
軍事介入などありますから全面的に信頼できるかは怪しい
ところもあります。
> 敦賀は通ったことしかないので、歩いてみたいと思いました。
是非一度、足をお運びください。
では、また。
chiaki-k
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