2023/01/01 - 2023/01/01
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ちふゆさん
2023年1月1日(日)昼の1時前、初詣に向日神社を訪れる。奈良時代初期の718年にこの地に創建された神社で、元々は同じ向日山に鎮座する上ノ社である向(むかへ)神社と下ノ社である火雷神社(ほのいかづち)と云う2つの神社だった。鎌倉時代の1275年にこの2社が併祭されて向日神社となった。
向神社は穀物神の御歳神(みとしのかみ)がこの峰に登られ向日山と名付られことに始まると伝わる。御歳神はこの地に永く鎮座され、御田作りを奨励されたことから、向日神(むかひのかみ)と呼ばれるようになる。向日神社の名前の由来。元々は現在地の約500m北、市役所の北西にある五塚原古墳の上に祀られたものが718年に現在地に移された。
火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山背国へ遷った際に火雷神を祀ったことが始まりと云われる。718年に社殿を新築し、玉依姫命と神武天皇を合祀した。鎌倉時代、1221年の承久の乱の際に後鳥羽上皇側について敗れ、以後衰退し、格下の向神社に合併される。
このような経緯があるので、向日神、火雷大神、玉依姫命、神武天皇を主祭神としている。また、神社があるのは向日市向日町北山だが、町名としての向日町は「むこうちょう」と読む。
西国街道に面して大鳥居が建つ。西国街道は江戸時代に整備された脇街道の一つで、律令時代に大路として整備された山陽道をベースとして京都と下関を結んだ。このうち京都から西宮までは大坂を経由せずに西国に抜ける街道として利用され、山崎街道(路、通)とも呼ばれた。現在の国道171号線と並行するような道だった。
この大鳥居の横には例年、干支の大絵馬が飾られ、毎年その前で記念写真を撮っている(下の写真1)。大鳥居を抜けると西に長い石畳の参道が続く。参道の先に初詣の列が出来ているが、我々は1993年からこの神社に初詣に来ているが、年々列が長くなっている(下の写真2)。30年前には多分10分くらいでお参りできたのが、この日は40分掛かった。
どうでもいいことだが、私は米国やジャマイカへの赴任があったので、その時は来てないし、息子の大学受験の年には浮気して(?)長岡天満宮に行ったし、2021年はコロナ禍真っ最中だったので来なかったが、それら以外の時はこの神社に初詣に来ている。
何回かは2日だったこともあるが、ほとんどは元旦の昼過ぎに来て、お参りして、その後実家に戻ってサッカー天皇杯の決勝を見るのがパターンだったのに、無くなったなあ、そのパターン。
参道を約250m進むと、舞楽殿前の石段に突き当たるが、その手前に18世紀後期の再建で国登録有形文化財の手水舎があり(下の写真3)、その奥には江戸末期の1833年に建てられた末社の天満宮社がある。正面の舞楽殿は2002年に江戸初期の1625年建立の建物が焼失し、翌年再建されたもの。
その奥の社殿の中にある本殿は1422年に再建されたもので、室町時代の流造を代表するもので、国の重文。明治神宮本殿のモデルでもある。ただし、覆屋に覆われているため、外から見ることは出来ない。この本殿は江戸末期までは南向きだったのを、参道と向き合うように配置替えした。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8775026389233974&type=1&l=223fe1adec
この覆屋に覆われている幣殿と拝殿、そして覆屋自体に周りを囲む瑞垣に北門、南門は江戸末期の1842年の建立もしくは再建で、いずれも国登録有形文化財。あと、社殿の横、鎮守の森に向かう場所では、コロナ禍真っただ中の2020年6月からフジテレビ系で放送された連ドラ「探偵・由利麟太郎」で、主演の吉川晃司が弓を射るシーンが撮影された。
また、社殿の南西にある客殿や摂末社の祖霊社、五社神社、春日神社、御霊神社、勝山稲荷神社も国登録有形文化財。
参道の南側にある向陽小学校は子供たちが入学(卒業までに転校)した小学校で、境内の南東にはプラネタリウムがある向日市天文館もあり、向日神社自体が桜の名所でもあるので、我々も何度も来ているが、そう云う観光地的な目で見たことがなかったなあ。次に行った時には、少し周りも散策してみよう。
以上
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