2024/11/13 - 2024/11/13
11位(同エリア363件中)
chiaki-kさん
- chiaki-kさんTOP
- 旅行記260冊
- クチコミ144件
- Q&A回答139件
- 855,521アクセス
- フォロワー239人
敦賀港は第二次世界大戦中ナチスにより迫害されたユダヤ人の命を救うため、リトアニア・カウナスの日本領事館の副領事であった杉原千畝が発給した「命のビザ」を持ったユダヤ人が上陸した港である。幾度となく襲いかかる危機を乗り越え、命からがら敦賀港に到着したユダヤ難民にとって、生まれて初めて見る敦賀の町は天国に見えたという話が今でも残っている。
表紙の建物は、この歴史を後世に伝える資料館として、2020年にリニューアルオープンした「人道の港 敦賀ムゼウム」。ちなみにムゼウムとはポーランド語で資料館のこと。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11/13
解ってはいたが、ムゼウムは水曜日休館。では魔法を使おう!
(種明かしは後日) -
魔法が成功して入館するが残念ながら1Fは撮影禁止。では、不鮮明なところはご容赦いただき、パンフレットから説明を。
-
A 入館して最初にシアターで1920年のポーランド人孤児と1940年のユダヤ人難民についてのレクチャー。
-
B 孤児と難民が上陸した敦賀港を紹介。
-
C 1920年、第一次世界大戦の影響により、シベリアの地を彷徨っていたポーランド人孤児の救済についての展示。
-
D 1940年、杉原千畝が発給した「命のビザ」を持ったユダヤ人難民救済についての展示。となっているが、ここでDについてスタディ。
1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦が勃発する。1940年、ナチスの迫害を逃れてヨーロッパ各地からリトアニア・カウナスの日本領事館で日本経由オランダ領キュラソー行きのビザを手に入れたユダヤ人難民約6,000人は、シベリア鉄道でウラジオストクへ移動する。その後、ウラジオストク総領事代理・根井三郎による命のリレーにより日本海汽船が運航する連絡船天草丸に乗って敦賀港へ上陸、日本交通公社の手配により関西ユダヤ教団及び「神戸猶太協會」があった神戸、横浜に列車で移動する。
そして、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、南アフリカなどに船便で出国するが、1941年12月、太平洋戦争の勃発で、日本から海外への渡航が不可能になり、滞在期限が切れたユダヤ人たちは当時ビザが必要なかった上海租界に移動せざるを得なかった。上海では、ドイツの強硬な申し入れのもとにドイツを真似てユダヤ人ゲットー(上海ゲットー)が作られ、上海のユダヤ人たちはそこに収容されることになったが、もともと上海にはユダヤ人のコミュニティーがあり、待遇はヨーロッパのゲットーよりは良かったようだ。そして、強制収容所までは日本軍も作らなかったので、大部分のユダヤ人はそこで終戦を迎えることが出来た。
*詳細については「2016年 バルト3国&ポーランド旅行記4:カウナス」編をご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11142269 -
2Fは撮影可能
-
杉原千畝の出身地とされる岐阜県八百津町とは相互交流があるようだ。
-
ポーランドの民族衣装
-
難民を運んだ船かな?
-
特別展としてワルシャワ蜂起に関する展示もやっていた。
*詳細については「2016年 バルト3国&ポーランド旅行記5:ワルシャワ」編をご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11143461 -
ムゼウム専用駐車場には観光バスも駐まっていたが欧米系の団体さんが乗っていた。
-
時間は遡るが朝飯前に敦賀駅前を散歩。
-
駅前には洒落たレストラン街が出来ていた。
-
駅前にメーテルと星野鉄郎の像があった、作者の松本零士さんは久留米市出身なのに何故?
明治時代の敦賀は、東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、「日本でも有数の鉄道と港の町」だったので、敦賀市が「港と駅」のイメージで、松本零士作品を選んだのが、ここにできた理由。
松本零士さんの了承のもと、1999年に敦賀駅周辺にモニュメントロードが出来る。宇宙戦艦ヤマトが12体、銀河鉄道999は16体が気比神宮につながる約1.2Kmのシンボルロード(アーケード商店街)の両脇にある。 -
前編の最後に登場した佐渡酒造もいた。
-
ルートイン敦賀をチェックアウトして敦賀港に直行、ここが難民達を載せた船が着いた波止場。
-
釣り人が一人・・・
-
海上保安庁の船が数隻。
-
そして港の前には敦賀ムゼウム。
-
外国人に慣れた敦賀の人々は上陸したポーランド孤児や、ユダヤ難民にリンゴを差し入れたり銭湯を提供したりして暖かく迎入れ、難民達は敦賀の町を「天国」と表現したそうだ。
-
敦賀を後にR27を西へ向かう。途中に「美浜原電」の標識あり。若狭湾には敦賀、美浜、大飯(おおい)、高浜の4つの原発があり、そのほかに高速増殖炉もんじゅ、新型転換炉原型炉ふげん、という研究施設もあるので、いつからか「原発銀座」のアダ名がついてしまった。
-
福井県の希望ナンバープレートには恐竜がいるのね。
-
R27からR162へ右折して、やってきたのは三方湖。
-
「道の駅三方五湖」から見た三方湖。
-
EV急速充電器あり。
-
若狭湾側に抜けて世久見展望台に寄る。三角おむすび、のような島は鳥辺島。
-
夕日の名所だそうだ。
-
舞鶴で最初に立ち寄ったのは「舞鶴引揚記念館」。本日休館日・・・あ~あ又か。
-
引揚記念公園となっている。
1945年10月、祖国をめざす人々を乗せて、引揚第一船「雲仙丸」により2100人の引揚者が舞鶴港に入港したのを皮切りに、1947年に約20万人が83隻の船で運ばれ舞鶴の地を踏んだが、旧ソ連で捕虜となり極寒のシベリアで抑留されている人々は帰国がままならず一時中断する事態となった。
引揚事業が再開された後は、舞鶴港だけが国内唯一の引揚港として、引き続き引揚者を受け入れ、1958年に最後の引揚船「白山丸」に乗った引揚者472人を最後に、66万人の引揚者及び1万6千柱の遺骨を受け入れて舞鶴港での引揚事業は完了した。 -
記念館の裏手に展望台があったので登ってみる。
-
「異国の丘」は増田幸治作詞(佐伯孝夫補詞)、吉田正作曲のヒット曲。ちなみに作曲者の吉田正自身が抑留された経験を持つ。「岸壁の母」は藤田まさと作詞、平川浪竜作曲、菊池章子歌唱のヒット曲。なお、二葉百合子盤はカバー曲。
-
当時の様子を撮影した写真もあった。後方にある建物は引揚援護局。
-
展望台から引揚船を受け入れた港は今はこんな感じ。
-
かつて引揚援護局の建物があった場所にはこんな工場が稼働していた。ベニヤ板を造る工場らしい。
-
引揚者に変わって海外産の材木が並べられていた。
-
手前の桟橋は復元されたもの。では行ってみよう。
-
桟橋まで降りてきた。
-
舞鶴クレインブリッジが見える。湾の水面にニョキニョキ生えているのは荷揚げを待つ船を繋ぐブイか。
-
続いてやってきたのは舞鶴赤煉瓦パーク。舞鶴市役所の隣にあり、元々は帝國海軍の施設だったがレトロな感じが受けて最近人気が出ている。
-
駐車場は現在無料だが、こんなゲートが工事中ということは近々有料化されるようだね。
-
すぐ隣には海上自衛隊の大型自衛艦が停泊していたが、こんなにオープンで良いの?
-
舞鶴海軍需品庫という名の建物が3棟あり。
-
国指定重要文化財「舞鶴旧鎮守府倉庫施設」となっている。
-
手前から赤煉瓦倉庫四号棟、三号棟、弐号棟と呼ばれている。内部はカフェやレストラン、お土産屋などになっている。
-
バリバリの観光施設だね。
-
こちらが舞鶴市役所。
-
赤煉瓦倉庫弐号棟
-
蔦のからまるチャペルならぬ赤煉瓦倉庫。
-
「日本の一番長い日」などの映画やTVのロケ地にもなっている模様。
-
一旦赤れんがパーク専用駐車場を出て丘の上の施設に移動。ここには最近建てられた赤れんがパークを見下ろすカフェ、衣料品店、お土産屋などが入っている「atikショッピングモール」という名のお店。
-
GOOD SOUND COFFEEというカフェでランチ。
-
雰囲気に合わせてサーモンレタスサンドとコーヒーを注文。
-
窓際席からコーヒーを飲みながら自衛艦を見学。海上自衛隊のサイトで調べるとこの船は第3護衛隊群の「181ひゅうが」というヘリコプター搭載護衛艦。
-
艦首にはファランクスと呼ばれる、まるでR2D2が乗ったような20mmバルカン砲が備えられている。飛んでくるミサイルやドローンを自らの判断で打ち落とす兵器だそうだ。
-
「177あたご」海上自衛隊初のイージス艦。「175みょうこう」同じくイージス艦。
-
「425ましゅう」他の自衛艦に燃料や水を補給する補給船。
-
敦賀を後に舞鶴若狭自動車道を南下する。取っつきは片側1車線だったがすぐに2車線になる。交通量はご覧の通りガラガラ。
-
吉川JCを右折、中国自動車道に入るが、こちらもガラガラ状態。中国道って人気無いのね。
この後、福崎ICを左折、播但連絡道から山陽姫路東ICを右折して山陽自動車道に入るが、山陽道はこれでもか、というくらい混雑しており写真は一枚も撮れなかった。 -
11月の夕暮れは早く、しかもラッシュアワー時に福山市到着。今夜の宿は福山駅前の「サンホテル福山」だが、Googleナビのおかしな案内もあり、なかなかホテルを見つけることが出来ず、同じ場所をグルグル2回廻ってやっとホテルを発見、地下の超狭い駐車場にやっとのことでクルマを駐めチェックインする。
*サンホテル福山の口コミは↓をご覧ください。
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/15209120
写真は福山駅ガード下の飲食店街、なかなかの賑わいだった。 -
荷物をホテルの部屋に置いて福山駅の高架下にあるお好み焼き店「広島焼 勝成」で、レモンサワーを飲みながら「広島風お好み焼き」を頂く。ボリュームがあってお腹いっぱい。
-
店を出ると行列が出来ていた。福山は活気のある街だね。
この後、ファミマでビールとつまみを買ってホテルの部屋でまったりする。部屋の窓の外がJR福山駅なので通勤電車や新幹線などの走行音は賑やかだったが、運転の疲れですぐに眠くなってしまった。
これで「2024年11月 天国に見えた街・敦賀:三方湖・舞鶴・福山」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。次は「2024年11月 しまなみ海道を往く:尾道・しまなみ海道・今治」です。
https://4travel.jp/travelogue/11944289
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
舞鶴(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
62