2024/11/10 - 2024/11/10
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SamShinobuさん
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印象派の代表と言えば、クロード・モネ(1840~1926)だろう。
そんなモネが晩年何かに取り憑かれたかのように、睡蓮ばかり200点以上描きまくった。これだけあると正直言って良い睡蓮もあれば、?的な睡蓮もある。特に白内障を患って目がよく見えない状態で描いた睡蓮は、何を描いているんだかさっぱり分からない。
他にも連作としては「積みわら」「ポプラ」「ルーアン大聖堂」等、「睡蓮」ほどではないにしても、それぞれ30点以上描かれている。
それらを見るとモネは風景画家のように思われがちだが、若い頃は人物画も描いていた。モネの風景画もいいが、僕はどちらかといえば人物画のほうに惹かれる。
例えば奥さんのカミーユに日本の着物でコスプレさせた「ラ・ジャポネーズ」(1876)。見返り美人のポーズをとるお茶目なカミーユを見ると、奥さん大好きモネが絵から溢れ出ていて面白い。またカミーユと長男を描いた「日傘をさす女」(1875)は、宮崎駿が「風立ちぬ」のポスターでパクるほど実に見事な作品だ。
しかし奥さんを若くして亡くしてからのモネは、数点の例外を除けば人物画を描かなくなった。いや、描けなくなってしまったのかもしれない。
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国立西洋美術館の開館時間は9時30分だが、9時10分でこの長い列。相変わらずモネの人気は高い。
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「考える人」のケツを見ながら待つこと20分。ようやく入館が始まる。
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観覧料は2,300円。オンラインチケットで購入した。
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「モネ 睡蓮のとき」は、パリのマルモッタン・モネ美術館から50点を借りて、国立西洋美術館等の作品をプラスして計64点のモネの絵画を展示。
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それらの多くは、パリのオランジェリー美術館に展示されているモネの大装飾画8点(全長約90メートル)の習作だ。もちろん習作とは言えその芸術的価値は計り知れないし、それを言ったら有り難く拝見している国立西洋美術館常設の「睡蓮」も、その習作のひとつだ。とは言えモネ自身も習作は外に出したくなく、生前に売ったのは松方幸次郎だけだったと聞くと、オランジェリーの大装飾画見ずして結構と言うなかれなんじゃないかなと思う。今回のモネ展を見て、以前にも増してオランジェリーに行きたくなった。(大好きなアンリ・ルソーの絵もあるし)
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第三章
大装飾画への道
オランジェリー美術館の大装飾画の習作が並んでいる。ここだけ撮影可だった。 -
「光の画家モネ」の生涯を覗いてみよう。
10代で絵を描き始めたモネは、師匠のウジェーヌ・ブーダンに外に出て自然に寄り添い、自分の感性にしたがって絵を描くことを教わった。まずこれが良かったんだろうな。しかし25歳で念願のサロンに入選したものの、なかなか絵が売れない。カミーユとの子供が生まれたことで、結婚に反対だった父親から仕送りを止められてしまう。そこから長い貧困生活が始まるが、貧しくても奥さんをモデルにして前述のような素晴らしい作品を生み出している。 -
そんなある日、モネにデパート経営者のオシュデというパトロンができる。モネの絵を多く買ってくれたり、自宅に滞在させ居間に飾る絵を描かせたりした。ところが好事魔多しで、魔が差したモネはオシュデ夫人のアリスとできてしまう。そしてアリスはモネの子を妊娠、出産。すると今度はオシュデのデパートが潰れて破産し、オシュデは家族を残してひとり国外へ逃亡してしまう。
残されたアリスは実家が裕福にもかかわらず、なぜかモネの家に子供6人(一番下はモネの子)を連れて転がり込んだ。それでなくてもパトロンを失ったモネはまた貧乏ぐらしに逆戻りなのに、いきなり7人の面倒を見ることになった。 -
たまったもんじゃないのは奥さんのカミーユだ。そのタイミングでモネの次男を身ごもっていたカミーユ。そこは女の勘でモネとアリスの関係に気付かないわけが無い。ましてモネの子供まで連れてきているのだ。凄まじいほどの嫉妬と怒りの炎が見えるようだ。しかしどうしたことか、この奇妙な共同生活は続くのだ。もともとモネは奥さん大好きなので、カミーユとアリスの間に挟まれてどんな思いをしていたのだろう。
そんなカミーユは心労からか病気がちになり、モネの次男を出産してさらに体調を崩してしまう。病床に伏してからはアリスがカミーユの看病をしていたというのだから、カミーユの心境を慮ると何とも切なくなる。そして1879年にとうとうカミーユは亡くなってしまった。モネは罪の意識に苛まれて相当苦しんだようだ。 -
モネはクズ男かもしれない。でもほんの一時の気の迷いで出来た子供だけでなく、夫に逃げられた妻とその子供たち全員の面倒を最後までみたんだから、案外真面目だったのかもしれない。あるいは絵のこと以外には極端に無頓着だったのか。そこは憶測の域を出ないが、アリスの夫のオシュデが死んだ年、52歳のモネはアリスと再婚した。
そこからジヴェルニーの自宅に造園を始め、睡蓮を描き始めたのはモネが55歳になってからだ。アリスやアリスの連れ子の娘たちがモネの世話をし、モネは86歳(1926年)で亡くなるまでジヴェルニーで睡蓮を描き続けた。 -
ある時、第一次大戦でフランスを勝利に導いたクレマンソー首相に、モネがお祝いの絵を2枚描きましょうと提案。するとクレマンソー首相がジヴェルニーのモネ邸を訪ねてきた。もともと美術愛好家だったクレマンソーとモネは旧知の仲だ。
クレマンソーは「君の連作を一か所に展示したい。2枚と言わず、大作をたくさん描いてくれ。建物は私が用意するから」と依頼した。
一度は引き受けたモネだが、白内障になって思うように描けなくなり、創作意欲を失って制作を断念する。 -
さて、白内障のモネは、ずっと手術を拒み続けていた。しかし82歳になると、右目はほとんど見えなくなり左目の視力もわずかになってしまう。
そんなモネをクレマンソーが粘り強く説得し、ようやく1923年に右眼を手術したところ、無事に成功し視力は回復。
美術館は紆余曲折したが、オランジェリーをモネのために改修することが決まり、モネは1925年から再び制作を開始した。
そしてついに1926年、オランジェリー美術館の大壁画(計8点)は完成する。しかしモネはそれらがオランジェリーに飾られるのを見ることなく、その年の12月に亡くなった。 -
それから時が経ち、昔を懐かしんだクレマンソー元首相はオランジェリー美術館を訪ねてみた。するとかつてモネと作った「睡蓮の間」はがらんとしており、人けのない場所を求めて来たカップルがいるだけの展示室になっていた。
当時はピカソや抽象派の絵が人気を博しており、印象派はもはや時代遅れになってしまっていたのだ。寂しかったろうな、クレマンソー。 -
ところがモネの死から約30年後、1950年代になると抽象画の画家たちがモネを再評価することになる。たまたまモネが白内障の頃描いたモチーフの区別がつかないような作品が、「これってまさに抽象画じゃん、モネって凄くない?」と改めて注目されるようになったのだ。ちょうど印象派の再ブームと相まってモネもバズりまくり。
そして今や世界中で絶大な人気を誇るモネ。特に日本人は印象派が大好きなのでモネ展はいつも満員御礼になる。
その人気の一例として、2023年には未発表の「睡蓮」が見つかり、オークションにかけられた。なんと6500万ドル(約97億円)以上で落札されたらしい。200点以上ある「睡蓮」なので、睡蓮だけで一体幾らになるんだろうと下世話なことを考えてしまう。 -
「睡蓮、柳の反映」1916年。
オランジュリー美術館にある全長90メートルの「睡蓮」の大装飾画「木々の繁栄」の習作。
なぜ上半分が金色になっているんだろう。これはナチスから避難させていた時の保存状態が良くなくて、欠損してしまったのだ。 -
「ばらの庭から見た家」(1922~1924)
これを見ると大概の人は「はぁ。どれが家ですか?」となるだろう。手前右側の薔薇は何となく分かるけど。
白内障でよく見えず色の判別もままならなかった時に描いた作品「ばらの庭から見た家」や「日本の橋」の連作。激しい筆触と色彩に、どれも言われなければ「家」や「橋」に見えないし、言われてもどこが?というような絵ばかりだ。
モネは視力が回復し本来の色の識別もできるようになった時、自分の描いたそれらの作品を見て、「なんじゃこりゃ!」とならなかったのかな。でもそこで処分しなかったということは、そういうことなんだろう。そして、それが後にモネ再評価のきっかけになるとは、その時は想像もしなかっただろう。 -
常設展
大好きな常設展を観よう。 -
エル・グレコ
「十字架のキリスト」
マニエリスムの巨匠エル・グレコの作品は、日本にはこれと大原美術館の「受胎告知」しかないのでとても貴重な絵画だ。
1541年生まれのエル・グレコの作品は、ダイナミックな劇画タッチで現代的と言える。どこか一昔前の少年漫画みたいじゃない?そのため当時は前衛的過ぎると評価されなかった。確かに16世紀にこの個性はヤバいでしょう。 -
マリー=ガブリエル・カペ
「自画像」(1783年頃)
カペはサロンに最初に参加した女性画家で、本作は22歳の時の自画像。見るからにロココ調なのがちょっと笑える。ドヤ顔のカペちゃん、絶対盛って描いたよね。 -
ジョン・エヴァレット・ミレイ
「狼の巣穴」(1863年)
ラフェエル前派のミレイは、綺麗な子供の顔を描く。この絵は子どもたちが自宅のグランドピアノを狼の巣にして遊んでいる。真ん中の子の目力が凄くて、遊んでいるというより何かに取り憑かれているようにしか見えない。 -
ウジェーヌ・ブーダン
「トルーヴィルの浜」(1867年)
モネの先生のブーダンだ!
それまではアトリエで絵を描くのが主流だったが、モネに外に出て自然に寄り添って絵を描くことを教えたブーダン。
カミーユ・コローに「空の王者」と言われるだけあって、画面の大部分が空だ。空と雲に筆触を残すタッチなど、印象派の先駆けのような絵だなあ。 -
クロード・モネ
「並木道(サン=シメオン農場の道)」(1864年)
初期のモネ。
1864年の夏、若きモネがバジールと仲良くノルマンディー地方に絵を描きに行った時の作品。
キャプションによると「道の上に戯れる光の描写にモネの個性の萌芽を見出すことができます」とのこと。なるほど。 -
クロード・モネ
「雪のアルジャントゥイユ」(1875年)
これもモネ。 -
クロード・モネ
「波立つプールヴィルの海」(1897年)
これもモネ。 -
クロード・モネ
「しゃくやくの花園」(1887年)
これもモネ。 -
ポール・セザンヌ
「散歩」(1871年)
のちに近代絵画の父といわれるセザンヌの初期の作品。この頃からすでにセザンヌだなあ。 -
これも見るからにセザンヌ。
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ベルト・モリゾ
「黒いドレスの女性(観劇の前)」(1875年)
印象派の女性画家モリゾは、エドゥアール・マネのモデルも務めているが、この絵はマネが描いた「ベルト・モリゾ」(1872年)の影響が強くないか?何もない背景、黒のドレス、左耳だけ出ていること等共通点も多いし、なんかマネっぽいし。印象派なのにあえて黒を使い、タイトルにも黒って言っちゃってるところも、マネを意識してるんじゃないの。ベルト・モリゾはマネの弟と結婚しても、やっぱりマネが忘れられなかったのかな。 -
ポール・ゴーガン
「海辺に立つブルターニュの少女たち」(1889年)
ブルターニュの少女たち、目つき悪っ!これ、不審者を見る目だよね。彼女たちの視線の先にいるのがゴーガンだから仕方ないか。更にもうひとつ言わせてもらうと、足でかっ!
サマセット・モームの「月と六ペンス」を読むと、ゴーガンがモデルとされている主人公の画家は破滅型の粗暴な変人として描かれている。語り部の「私」が初めてその画家の絵を見た時の感想が「はじめは、酔っぱらった辻馬車の御者が描いた落書きのようだ、と思った。(中略)色彩も、異様にどぎつい」と書かれていて笑った。 -
エドゥアール・マネ
花の中の子供(ジャック・オシュデ)(1876年)
オシュデって、モネのパトロンのオシュデ?
調べてみると、ジャック・オシュデは例のデパートのオーナーでモネのパトロンだったエルネスト・オシュデの子供のようだ。オシュデはこの絵の描かれた翌年、破産して家族を置いて国外に逃亡してしまう。オシュデはモネ以外にも、マネ、シスレーに絵の発注をしていたようだ。
ちなみにモネとマネはフランス人でも間違えやすいそうだ。スペルも「Monet」「Manet」と一字違いだし。 -
藤田嗣治
「坐る女」(1929年)
レオナール・フジタ。線が細っ!やっぱ日本の金屏風を意識したのかな。 -
アンドレ・ドラン
「ジャン・ルノワール夫人 (カトリーヌ・ヘスリング)」(1923年頃)
この絵は面白い。
ルノワールの次男のジャン・ルノワールはフランスを代表する映画監督。「大いなる幻影」「ゲームの規則」等、映画史に残る名作を多く残している。これはそのジャンの奥さんの肖像画だが、実はこの奥さん、ルノワールの裸婦のモデルをしていた。まだ20歳そこそこのジャンにとって、素っ裸のモデルが家でうろちょろしていたらたまったもんじゃない。案の定、パパの目を盗んでふたりはできてしまう。カトリーヌは映画女優になるのが夢で、ジャンに「あなた、パパが有名な画家で金持ちなんだから、映画を製作して私を出してよ」と迫る。そしてジャンは本当にカトリーヌ主演の映画を製作して、ふたりはめでたく結婚。後にジャンは映画監督になって大成功しました、ジャンジャン。(結局は離婚しちゃったけど)
そのあたりのエピソードは、映画「ルノワール 陽だまりの裸婦」(2012年)を観るとよく分かる。 -
それにしても同じ部屋に、ルノワール、ドガ、マネ、モネ、ベルト・モリゾ、シスレー等が一堂に介しているなんて、名画の大渋滞じゃないか。
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きりがないので、今日はこのへんでおしまい。
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カフェ・ヒビキ
東京文化会館内にあるセルフタイプのカフェ。 -
オープンテラスも気持ち良さそうだが、今日は店内にしよう。
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上野精養軒がやっているだけあって、セルフといえどもちゃんとしている。僕の生ビールをサーバーから注ぐのを見ていたら、最初泡ばかりになってしまい、ちょうどいい具合になるまで何度も入れ直してくれていた。そういうの凄くいい。
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生ビール600円
ソーセージドッグ580円 -
今しがた観たモネや常設展を振り返りながら飲むビールは格別だ。
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正面は上野動物園。
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右に行くと東京国立博物館。
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旧東京音楽学校奏楽堂
東京音楽学校(東京芸大音楽学部の前身)の演奏会場として、年に建てられた日本初の本格的な西洋式音楽ホール。1987年に東京芸大の校舎からここに移築された。 -
重要文化財に指定されている歴史的建造物だ。
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瀧廉太郎や、山田耕筰など、日本の近代音楽の礎を築いた音楽家たちが集った学び舎だ。
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東洋のロダンと呼ばれた彫塑家、朝倉文夫の瀧廉太郎像。台東区立朝倉彫塑館にもいつか行こうと思っていたので、ちょっと嬉しい。
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入館料300円。
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2階はホールだ。
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310席あるホール。
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パイプオルガンは、1920年に徳川頼貞侯がイギリスから購入し東京音楽学校へ寄贈したもの。
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1,379本のパイプを有する、コンサート用としては日本最古のパイプオルガン。現在でも、第2第4の日曜日コンサートでその演奏を楽しむことができる。なんと入館料の300円で聴けるそうなので、今度ぜひ聴きに来よう。
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国立国会図書館 国際子ども図書館
2020年にBSテレ東でオンエアされた「名建築で昼食を」というテレビシリーズで観て、ずっと訪れたかった。建物の前は何度か通ったことがあったが、たまたま休館日だったり時間がなかったりで、今回ようやくゆっくり見学することができた。 -
国際子ども図書館の建物は帝国図書館として1906年に建てられ、1929年に増築された明治期ルネサンス様式の建物。2000年に国立国会図書館国際子ども図書館となった。
初めてこの荘厳な建築を目の当たりにした時は度肝を抜かれた。明るいグレーの石とベージュ色の煉瓦の壁は、クラシカルでお洒落にも程がある。 -
それもそのはず、ジョサイア・コンドルの弟子だった久留正道、真水英夫が東洋一の図書館を目指して設計したそうだ。ちなみに先ほど訪れた旧東京音楽学校奏楽堂も久留正道の設計だ。
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高さ約20mの吹き抜けに設置された大階段。
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創建時からの天井のシャンデリア。天井の漆喰のデザインは「鏝絵(こてえ)」と言って、漆喰に鏝で彫刻する職人技だ。
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窓から降り注ぐ太陽の光が美しい。
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レンガ棟の裏にはアーチ棟が増設され、そのふたつの棟の中庭にはカフェがある。
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カフェテリアのテラス席。
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Cafe Bell
国際子ども図書館のカフェ。国立の図書館のカフェなので、いたってリーズナブル。ここでちょっと休憩。 -
「名建築で昼食を」のポスターが貼ってあった。
このドラマ、名建築マニアのおっさん(田口トモロヲ)と若い女性(池田エライザ)が古い建物をめぐるだけの話で、よく企画が通ったなと思うほどテーマがニッチだったが、僕にはめちゃくちゃ刺さった。 -
ドラマの中で主役のふたりが食べていたのはナポリタンだった。メニューを見るとなんとナポリタンは650円。破格の値段に惹かれたが、お腹はすいていなかったのでコーヒーにした。
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コーヒーもびっくりの300円。
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清水観音堂 1631年開山。
天海大僧正は1625年(寛永2年)から、上野の山に比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立した。 -
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清水観音堂はその名の通り、京都の清水寺を見立てたお堂だ。徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺の観音様を祀っている。
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国の重要文化財。京都の清水寺と同じ舞台造り。
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眼下に不忍池を望む。
歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」に登場する「月の松」。 -
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あっ、カマキリだ。
いにしえから神の使いとして崇められてきたカマキリ。 -
ここにもいた。どんだけ神の使いがいるんじゃ。
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不忍池を眺めて。
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いつもの立ち飲み屋「味の笛」で、軽く一杯。
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帆立串焼1本400円✕2
つぶ貝300円
山海漬け250円 -
スーパードライ生330円
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上野酒悦
1675年創業。上野の寄席、鈴本演芸場のお隣りさん。
福神漬発祥の店として有名だ。 -
店のホームぺージによると、日清日露戦争で兵士のごはんのおかずとして、福神漬の缶詰が重宝されたそうだ。
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福神漬いなりを作ろうと思い、瓶詰めと缶詰めを購入。
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アメ横をぶらぶら。
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珍々軒
創業70年以上の老舗町中華「珍々軒」。
ちょっと迷ったが、今日はもうひとつの老舗町中華「珍満」にしよう。→どちらも絶対、店名で選んでるよね。 -
中華 珍満
1950年創業。 -
相変わらず混んでる。
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ここの餃子(590円)が食べたくなったのだ。野菜たっぷりのジューシー餃子はなかなかのクオリティ。
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醤油味の太麺焼きそばが名物だが、僕はソース焼きそば(660円)を注文。
お腹いっぱいになりました。 -
JR上野駅の中央改札口で、ふと見上げると否応がなしに大きな壁画が目に入る。1951年に猪熊弦一郎が描いた。フランスでアンリ・マティスに学んだだけあって、自由奔放な絵だな。
猪熊弦一郎といえば、三越の赤い包装紙も彼のデザインだ。1950年から使われているそうなので、この壁画同様70年以上も何となくみんなの目に焼き付いている。
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この旅行記へのコメント (1)
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- Minty Pinkさん 2025/01/07 20:05:16
- こんにちは
- 私の旅行記に「いいね」をありがとうございました。
「どこに行ってらっしゃる方かしらん?」とお邪魔してみまして、あら、モネ展に行ってらっしゃる! 近々、上野近辺にでかける用事がありつつ、「モネ、どうしようかなー」とぐだぐだ考えておりました。しかし「すごく混んでるにちがいない」とか「モネオンリー、しかも水連オンリーはちょっとお腹いっぱいかも」とも思ってしまっており、こちらで見せていただけたので、満足してしまいました。写真だけでなく、文もおもしろく、楽しませていただきました!モネは「絵のこと以外には極端に無頓着」説、あると思います…。
西洋美術館の常設展、いいですよね。モネの部屋、好きです。上野界隈の知らなかった見どころも教えていただき、ありがとうございます。「名建築で昼食を」、いいですね。私も見たかったな。
長々と失礼いたしました。
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