2012/04/27 - 2012/05/06
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ウズベキスタンを訪問(2012年5月)
首都タシケントから国内線でヒヴァへ。ヒヴァからタクシーとバスを乗り継いで、ブハラ、サマルカンドを訪問し、タシケントへと帰還。ウズベキスタンの国土を陸路で横断した。
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ウズベキスタンの旅
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ウズベキスタンの美味しいグルメ【ウズベク料理まとめ】
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世界の旧市街42カ所ご紹介(アジア・中南米・アフリカ・ヨーロッパ:世界遺産33カ所)
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世界のモスク52カ所ご紹介(アラビア・トルコ・アフリカ・インド・マレーシア.etc)
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世界の美しい街並み・パノラマ風景37カ所(アジア・中南米・アフリカ・ヨーロッパ)
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- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ウズベキスタンの首都タシケントから西に約750Kmのところに「ヒヴァ」の町はある。
「ヒヴァ」は、17世紀の中世イスラム都市の面影が残っていることで知られる。
世界でもこれほど保存状態のいい町はほとんどないのだとか。 -
「ヒヴァ」には、2つの城壁(外城と内城)がある。
有名なのは内城の方。
内城は、「イチャン・カラ」と呼ばれ、20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットをはじめとする多くの歴史的建造物が残され、博物館都市として街全体が保存されている。
もちろん、「イチャン・カラ」は、世界遺産にも登録されている。 -
町には、無数のモスクやメドレセ(神学校)がある。
写真は「イスラム・ホジャ・メドレセ」
1910年に建てられた、わりと新しいメドレセだ。
併設されたミナレットは「ヒヴァ」で一番高い建物で、高さは45mあり、町のどこからでも見ることができる。
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中世イスラムの面影がそのまま残る町「ヒヴァ」の「イチャン・カラ」(ウズベキスタン)
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ミナレットには登ることもできる。
写真は118段の階段を登った塔の上から見た「イチャン・カラ」の街並み。 -
これは、未完成のミナレット「カルタ・ミナル」。高さは26m。
完成していたら約80mの高さになっていたそうだ。 -
イチオシ
「パフラヴァン・マフムド廟」
「パフラヴァン・マフムド」は、13世紀の人物。
彼は、毛皮職人であり、詩人であり、哲学者であり、ウズベキスタン武道の名手でもあったという。 -
こちらは、10世紀に建てられたという「ジュマ・モスク」の列柱礼拝室。
林立する木造の柱が有名で、柱の数は213本あり、それぞれに違った模様の彫刻が彫られている。
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中世イスラムの面影がそのまま残る町「ヒヴァ」の「イチャン・カラ」(ウズベキスタン)
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「タシュ・ハウリ宮殿」
ここは、ハン(君主)の宮殿。1838年に創建された。
163もの部屋と8つの中庭を持つ建物で、接見の間、くつろぎの間、ハーレムなどがある。 -
建物の壁面は見事な青い幾何学模様のタイルで埋め尽くされている。
-
「ヒヴァ」のハンは、かなりの権力を持っていたようだ。
そして、その政治は拷問や処刑を公衆の面前で行うなど、恐怖による統治であったという。
そんなハンも、この建物の創建の約40年後(1873年)にはロシアによって攻略され、「ヒヴァ」はその支配下に置かれてしまう。
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中世イスラムの面影がそのまま残る町「ヒヴァ」の「イチャン・カラ」(ウズベキスタン)
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サンセットを眺めるため、町を見渡せる「アクシェイフ・ババの見張り台」に登ることにした。
登ってみると、案の定、見張り台には、各国の旅行者たちが集まっていた。 -
夕日を浴びてオレンジ色に染まっていく砂色の城壁。
青いミナレットのタイルも黄金色に輝きはじめる。
「ヒヴァ」の一日が終わった。 -
夜のイチャン・カラ。
モスクやメドレセは、間接照明でライトアップされていて、とても幻想的だ。
人通りのなくなった路地は、本当に静か。
一人で歩いていると、怖くなってくるほど。 -
翌朝、朝の「イチャン・カラ」の路地。
朝早いのに、既に大勢の人々が街を歩いている。
この日は日曜日、周辺の村々から多くのウズベク人たちが集まってきている様子。
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中世イスラムの面影がそのまま残る町「ヒヴァ」の「イチャン・カラ」(ウズベキスタン)
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日本人が珍しいのだろうか。
歩いているだけでかなり注目される。一緒に写真を撮って欲しいと何度も声を掛けられる。 -
ウズベキスタンは、民芸品の宝庫でもあり、この「ヒヴァ」にも、様々な民芸品が売られている。
-
写真は、ウズベキスタンの刺繍布「スザニ」のお店と、スザニを縫う女性たち。
スザニは、ウズベク語で「刺繍」を意味する。
女の子が生まれると母親は結婚の持参品として、このスザニを縫うのだそう。
スザニは地域によって、その柄や模様が異なっているという。 -
こちらは、木細工や家具を製作する少年たち。
木彫りの小箱や家具の柱の彫刻など、ウズベキスタンの木細工は見事。 -
夜、街をぶらぶら歩いていると、賑やかな音楽が聴こえてきた。
音楽の流れるお店に入ってみると、賑やかなダンス・パーティーが行われていた。
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中世イスラムの面影がそのまま残る町「ヒヴァ」の「イチャン・カラ」(ウズベキスタン)
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ウズベキスタンの「ヒヴァ」から「ブハラ」への移動。
それは、永遠に続くかのような不毛の地を眺めながらの旅だった。
前日のうちに「ブハラ」までチャーターする車は手配してあった。
宿の紹介のドライバーだ。
「ブハラ」までは約450Km。所要6時間ほど。
チャーター料金は米ドルで50ドル。
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ヒヴァからブハラへの移動(タクシーで所要9時間)【ウズベキスタン】
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ブハラまで乗った車は大宇のボロ車。
案の定、途中、車のトラブルが発生した。
どうやらタイヤの駆動系に不具合が発生したようで、エンジニアが現れて修理を始めてしまった。
ドライバーからは何の説明も無かったが、修理が完了するまでひたすら待った。 -
ランチは、街道沿いの食堂で食べた。
食堂と言っても、テント造りの雑貨屋にテーブルと椅子が置かれただけの簡素な店。
出された料理は、ウズベキスタンの主食であるパン「ナーン」と、サラミのかたまり!
それと、味をほとんど感じないミルクコーヒーが付いた。
これで、4,000Cym(150円)
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ヒヴァからブハラへの移動(タクシーで所要9時間)【ウズベキスタン】
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ブハラの町に到着したのは、午後4時半頃になっていた。
所要約9時間。予定を3時間もオーバー。
到着した「ブハラ」の町。
美しいメドレセやミナレットの数々。
宿までの街並みを眺めるだけで、この「ブハラ」が面白そうな街であることが伝わってくる。
宿泊した宿は、ホテル・オロン。
シングルで15ドル。お湯の出の良いホットシャワーとトイレ。シーツの綺麗なベッドの部屋で、朝食付き。 -
「ブハラ」は、ヒヴァから東におよそ450Km。ウズベキスタンの国土の中央に位置する町。
「ブハラ」の旧市街には、長い歴史を持つ数々のモスクやメドレセが建ち並んでおり、歴史地区は「世界遺産」にも登録されている。
写真は「ウルグベク・メドレセ」
中央アジアで最古の神学校だ。15世紀の初頭に建てられた。
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【世界遺産】ブハラ歴史地区(ウズベキスタン)|歴史的なモスクやメドレセを巡る
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こちらは、「アブドゥールアジス・ハン・メドレセ」
「ウルグベク・メドレセ」の向かい側に建っている。
「ウルグベク・メドレセ」の200年以上後に建てられたメドレセで、装飾はインドやオスマン・トルコの影響を受けているそうだ。 -
「アブドゥールアジス・ハン・メドレセ」の中庭は、青空バザールになってい。
細密画が描かれた木細工の数々。
魅力的だったので、いくつか購入した。
値段は3個で65,000Cym(2,500円) -
こちらは楽器屋。
ウズベキスタンは音楽に歴史と多様性があることでも知られている。
この楽器は、ギジャクと呼ばれる弦鳴楽器。
4本の弦を持つ胡弓の仲間で、西アジアから中央アジア、ウイグルに至る地域で広く演奏されている。
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【世界遺産】ブハラ歴史地区(ウズベキスタン)|歴史的なモスクやメドレセを巡る
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「ミル・アラブ・メドレセ」
1536年のティムール朝末期に建てられた巨大なアーチと2つの青いドームが印象的なメドレセ。
ここは、ソ連時代に活動を許されていた数少ないメドレセのひとつで、現在でも学生がイスラム法などを住み込みで勉強しているそうだ。 -
「ミル・アラブ・メドレセ」の外壁には、露天の陶器屋が品物を並べていた。
-
ここの売り子は女の子だったのだが、かなりしつこく売り込まれた。
ここを通る度に呼び止められ、買う買わないのやり取りの繰り返し。
女の子は、頑張っていたが、結局買わなかった。 -
イチオシ
高さ46mもある「ブハラ」の街のどこからでも見えるランドマークが「カラーン・ミナレット」
1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられたもので、14層にもなる塔の模様はそれぞれ違った組み方でレンガを積み上げたという凝ったもの。
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【世界遺産】ブハラ歴史地区(ウズベキスタン)|歴史的なモスクやメドレセを巡る
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「カラーン・ミナレット」に併設されているのが、「カラーン・モスク」
このモスクは、1514年のシャイバニ朝時代に建設された「ブハラ」で最大のモスクだ。
何と!1万人の信者が同時に礼拝できるとのこと。 -
「カラーン・モスク」の夕暮れ。
「カラーン・ミナレット」とモスクが橙色に色づき始める。
「ブハラ」が一番美しく見える時間帯だ。 -
夜のブハラ。
旧市街の中心にある「ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ」がライトアップされていた。
このメドレセは、モスクでありながら、イスラムで禁止されている人の顔や動物の姿が描かれていることで知られている。
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【世界遺産】ブハラ歴史地区(ウズベキスタン)|歴史的なモスクやメドレセを巡る
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翌朝は、ブハラの旧市街の周囲の見所を散策した。
こちらは、歴代のブハラ・ハンが住んでいたという「アルク城」
この場所は、ブハラ発祥の地だそうで、その歴史は2000年以上前に遡るのだとのこと。 -
アルク城からさらに西に進むと「バラハウズ・モスク」がある。
モスクの前面はテラス状になっており、クルミ材で作られた20本の柱が並んでいる。
その20本の柱がモスクの前にある池に映る様子がとても魅力的。 -
「バラハウズ・モスク」は1712年の創建。
ハン専用のモスクで、祝いの日、ハンは「アルク城」から絨毯の上を歩いてここまで来たといわれている。
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【世界遺産】ブハラ歴史地区(ウズベキスタン)|歴史的なモスクやメドレセを巡る
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「バラハウズ・モスク」から、さらにさらに西へ進むと「チャシュマ・アイユブ」がある。
「チャシュマ」は泉、「アイユブ」は旧約聖書に出てくる預言者ヨブのことだそう。
人々が水不足で苦しんでいたとき、預言者ヨブがここを杖で叩いたら泉が湧き出たという伝説があるため、多くの参拝者を集めている泉だ。 -
泉は現在でも湧き出しており、地元のおばさんたちが泉の水を汲みに来ていた。
-
旧市街を東に向かうと、「チョル・ミナル」がある。
「チョル・ミナル」とは、「4本のミナレット」という意味。
ミナレットは登ることができ、内部には土産物屋があった。
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【世界遺産】ブハラ歴史地区(ウズベキスタン)|歴史的なモスクやメドレセを巡る
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「ブハラ」の旧市街には、「タキ」と呼ばれるバザールがある。
「タキ」は、大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールのことで、「タキ」は、丸屋根という意味だそう。
このブハラには、かつては5つの「タキ」があったそうだが、現在残っているのは3つのみ。
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ブハラの交差点バザール「タキ」でお買い物(ウズベキスタン)
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こちらは、「タキ」を出た通りにあった絨毯屋。
「ブハラ」の絨毯は、その真紅の色の美しさと文様のきめの細かさにより、中央アジアでも特に人気があるのだそう。 -
こちらは、旧市街にあったチャイハナ。
高い天井、壁にはいくつもの絨毯が飾られていて、このチャイハナ、なかなかいい雰囲気。 -
出てきたチャイは、ポット入りのコク・チャイ(緑茶)
ウズベキスタン料理は、結構油っこいので、チャイを飲むことは必須。かなり飲んだ。
このチャイハナでは、チャイを頼むとつまみとしてナッツや干しぶどう、砂糖菓子などが美しいお皿に載せられて付いてきて、なかなかリッチな気分。
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ブハラの交差点バザール「タキ」でお買い物(ウズベキスタン)
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ウズベキスタン中部の町「ブハラ」から北東に約45Km、ブハラとサマルカンドを結ぶ街道沿いに「ギジュドゥヴァン」の町がある。
この町は、独特なデザインの陶器が作られることで有名。
ブハラからサマルカンドに行く途中、この町の工房に立ち寄った。
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ウズベキスタンの陶器の町「ギジュドゥヴァン」|アブドゥッロの工房を訪ねる
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「ギジュドゥヴァン」で訪問したのは、ナルズラエル・アブドゥッロ(Abdullo Narzullaev)という陶器名人の工房。
アブドゥッロ氏は、この「ギジュドゥヴァン」で代々陶芸を営んできた家系の6代目で、ウズベク陶芸の第一人者だそう。
「ギジュドゥヴァン」の陶器の魅力は、その大胆な柄と独特な色合い。
独特のターコイズブルーの釉薬を使用し、窯で裏向きに焼かれることが特徴だ。 -
工房では「ギジュドゥヴァン」陶器を購入することができる。
大きな皿も魅力的だったが、持ち帰るまでに割れそうな気がしたので、小さい器を2つだけ買うことにした(3ドルのものと4ドルのもの1つずつ)。 -
車を飛ばし、一路サマルカンドへ。
ランチは街道沿いにあるレストランで食べた。
ショルヴァ(スープ)とアッチク・チュチュク(サラダ)、この後シャシリク(肉の串焼き)も出てきた。
値段は16,000Cym(615円)
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ウズベキスタンの陶器の町「ギジュドゥヴァン」|アブドゥッロの工房を訪ねる
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シルクロード交易の中心地「サマルカンド」
そのシンボルとも呼べる場所が「レギスタン広場」だ。
正面に見えるのが「ティラカリ・メドレセ」(1660年創建)、左手にあるのが「ウルグベク・メドレセ」(1420年創建)、右手にあるのが「シェルドル・メドレセ」(1636年創建)
3つのメドレセが形作る空間の調和が素晴らしく、ウズベキスタンという国やサマルカンドの町の紹介では、たいていこの場所の写真や映像が使われている。
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【世界遺産】サマルカンド(ウズベキスタン) | シルクロードに輝く壮大な青の都
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こちらは、1420年に建てられた「ウルグベク・メドレセ」
ウルグベク・メドレセの特徴は、入口アーチに描かれた青い星をモチーフにしたタイル模様。
天文学者のウルグ・ベクらしいデザインだ。 -
1636年に建てられた「シェルドル・メドレセ」
「シェルドル」とは、”ライオンが描かれた”という意味。
入り口アーチのところに、イスラムではタブーとされる偶像(小鹿を追うライオンと人の顔をした日輪)が描かれている。 -
1660年に建てられた「ティラカリ・メドレセ」
レギスタン広場の正面に位置しており、建立以後、サマルカンドの主要礼拝所として使わた。
「ティラカリ」とは、”金箔された”という意味である。 -
「ティラカリ・メドレセ」内部のミフラーブ(メッカの方向の窪み)。
その名の通り、内装は金箔で埋め尽くされている。
この金箔、建立時には5Kg、修復時には3Kgも使用されたのだとのこと。
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【世界遺産】サマルカンド(ウズベキスタン) | シルクロードに輝く壮大な青の都
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ティムールが建てた中央アジア最大のモスク(の廃墟)が「ビビハニム・モスク」
建物は、高さ167m、幅109m、モスクのドームの高さは40m、入口アーチ部分の高さは35mもあるという大規模なもの。 -
この「ビビハニム・モスク」、あまりに巨大なため、内部が所々で崩壊し、次第に使用されなくなり、数世紀後には廃墟と化してしまったのだそう。
-
帝国の支配者「ティムール」が眠るのが「アミール・ティムール(グリ・アミール)廟」
「グリ・アミール」とは、タジク語で”支配者の墓”という意味。
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【世界遺産】サマルカンド(ウズベキスタン) | シルクロードに輝く壮大な青の都
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廟内は「ティラカリ・メドレセ」と同様、金箔で埋め尽くされている。
使用された金箔は約3Kg。 -
奥にある黒い墓石がティムールのもの。
ただし、ここにある墓石は、地下室にある墓の位置を示しているだけで実際の墓ではない。
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【世界遺産】サマルカンド(ウズベキスタン) | シルクロードに輝く壮大な青の都
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サマルカンドの町の北東、アフラシャブの丘の南麓にある墓地、それが「シャーヒズィンダ廟群」である。
一直線に続く通りの両側に並ぶ20以上の霊廟は、11世紀から19世紀までの9世紀の間に作られたもの。
ティムールゆかりの人々の霊廟が並ぶこの通りは、現在でも巡礼に訪れる人々が絶えない聖地のひとつだ。
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”死者の通り”シャーヒズィンダ廟群は、夕暮れが似合う(ウズベキスタン・サマルカンド)
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多くの巡礼者が訪れる霊廟。
ここでは、外国人ツーリストよりも地元ウズベキスタンの参拝者の姿が目立った。 -
イチオシ
シャーヒズィンダ廟群は、その装飾の多様さと美しさで中央アジア屈指と言われている。
-
シャーヒズィンダ廟群の横には、一般の方々の墓地があった。
イスラム教ではキリスト教同様、最後の審判の教義により、生前の肉体が失われることになる火葬は禁忌なので土葬が行われている。 -
広大な墓地には、無数のお墓があった。
墓碑には故人それぞれの遺影が飾られている。
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”死者の通り”シャーヒズィンダ廟群は、夕暮れが似合う(ウズベキスタン・サマルカンド)
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日が地平線の向こうに徐々に沈み始め、廟群が次第に闇に包まれていく。
廟群に灯りが灯り始める。
参拝客はすっかりと姿を消し、歩いているのは我々を含めた少数の外国人ツーリストのみとなった。 -
「クサム・イブン・アッバース廟」は、モンゴル来襲の際、破壊されずに残された唯一の廟。そのため、この廟はサマルカンドで最も古い建造物となっている。
この廟に3回詣でると、メッカに詣でたのと同じことになると信じられているそう。 -
夜の闇に包まれた霊廟群。
”死者の通り”シャーヒズィンダ廟群は、やっぱり夕闇の風景が似合う。
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”死者の通り”シャーヒズィンダ廟群は、夕暮れが似合う(ウズベキスタン・サマルカンド)
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レギスタン広場の北東。ビビハニムモスクの隣に、サマルカンド最大のバザール「シヨブ・バザール」がある。
2000年もの歴史があるという「シヨブ・バザール」には、ウズベキスタンで一番美味しいと言われる「サマルカンド・ナン」を売るお店がたくさん並んでいた。
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シヨブ・バザール(サマルカンド・ウズベキスタン)|ほかほかのナンがたくさん!
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イチオシ
ウズベキスタンでは、サマルカンドのナンが一番美味しいと言われ、ウズベキスタンの人もここのナンをお土産に持って帰るほどだそう。
サマルカンドのナンは、直径20センチほどで、5センチくらいの厚みがあって、真ん中がくぼんでいて、テカテカしている。
写真を撮っていたら、おばさんがホカホカのを1つプレゼントしてくれた。
焼きたてのナンは、かなり美味しかった。 -
こちらは、キムチのお店。
ウズベキスタンには、ソ連時代に沿海州から強制移住させられた朝鮮民族が少なからず住んでおり、市場にはキムチを売る店も多い。 -
こちらは、砂糖屋。
「アヴォット」と呼ばれる砂糖の結晶で、万能薬としても利用されていて、地元の人は下痢をしたときにアヴォットをお湯で溶かして飲むのだそう。 -
市場といえば、青果。
このシヨブ・バザールでもたくさんの種類の野菜や果物が売られていた。
市場を行き交う人々の人種も様々。色とりどりの民族衣装が華やかだ。
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シヨブ・バザール(サマルカンド・ウズベキスタン)|ほかほかのナンがたくさん!
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ある日、宿の裏手の、外国人のあまり来ない裏路地をぶらぶら散歩した。
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サマルカンドの街角で出会った人々をご紹介(ウズベキスタンの民族について)
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裏路地を歩いている見慣れない外国人の姿を見て、子供たちがわらわらと集まってきた。
この界隈ではあまり外国人を見ることはないのだろう。
子供たちは興味津々の面持ちで私を眺める。
そのうち、子供たちが私にいろいろちょっかいを出してきた!
カバンとか引っ張られる。 -
どこへ行っても、子供たちが集まってきて、まじまじと見つめられる。
カメラを向けると、笑顔になり、手を振ってくれる子もいる。
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サマルカンドの街角で出会った人々をご紹介(ウズベキスタンの民族について)
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サマルカンドからバスで首都タシケントへ移動した。
タシケントはガラーンとしてだだっ広い、旧ソビエトの雰囲気を感じさせる町。
車は結構走っている。韓国製の車が多い気がした。
商店は、旧ソ連風のカウンターの向こうに商品があるお店が多い。
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ウズベキスタンの首都タシケント観光|ティムール広場、日本人が作った「ナヴォイ劇場」
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タシケントにある伝統的なバザール「チョルスー・バザール」
青いドームが印象的な、昔ながらのオールドバザールで、香辛料、ナッツやドライフルーツ、野菜や果物、肉や魚、乳製品、穀物類、日用品などあらゆるものが売られている。
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チョルスー・バザール(タシケント・ウズベキスタン)|青いドームが印象的な巨大市場
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ナンも売られている。
サマルカンドのシヨブ・バザールに比べて、ナンの店の数は少なかった。
ナンの形も違う。 -
こちらは、「クルト」と呼ばれる乾燥させたチーズ。
酸味がきつくて塩辛いのが特徴。 -
ウズベクの民族服を売るお店。
掲げられている民族服は、かなり豪華!
ウズベキスタンの礼服だそうで、結婚式の時などに着る服であるとのこと。ウズベクの結婚式は数百人も人が集まる豪華なものなのだそう。 -
陶器屋。
ウズベキスタンは陶器の産地としても有名だ。
特に有名なのは、鮮やかな青と細かい模様が特徴の「リシタン」の陶器。 -
チョルスー・バザールの外観。
青いドームが印象的で、遠くからもよく目立つ。
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チョルスー・バザール(タシケント・ウズベキスタン)|青いドームが印象的な巨大市場
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タシケントの中心部、ティムール広場の界隈。
ティムール像を中心に大通りと建物、緑地帯が放射状に伸びていて、会議場とかホテル、博物館、政府機関の建物が並んでいる。
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ウズベキスタンの首都タシケント観光|ティムール広場、日本人が作った「ナヴォイ劇場」
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この建物は、「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」
第二次世界大戦後、タシケントに抑留させられた旧日本兵が強制労働によって建設した建物である。 -
劇場の脇には、建設に関わった日本人を称えるプレートが設置されている。
これは、1996年、ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフの指示の上、設置されたものであるとのこと。
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ウズベキスタンの首都タシケント観光|ティムール広場、日本人が作った「ナヴォイ劇場」
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こちらは、新市街にあるショッピングモール「ツム百貨店」
タシケントには現在、たくさんのモールやブティックなどが出来てきているが、このツム百貨店は老舗。
店内にソビエト時代の雰囲気を色濃く残すショッピングモールだ。 -
電化製品を売るコーナー。
右側のカウンター部分がソビエト時代の雰囲気を彷彿とさせる。
ソビエト時代では、商品はカウンターの向こうにあって、自由に取って見たりはできないスタイルだったそう。 -
服を売るコーナー。
民族衣装から洋服まで様々。また、このお店には観光客も来るので土産物用の民芸品なども売られていた。
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ウズベキスタンの首都タシケント観光|ティムール広場、日本人が作った「ナヴォイ劇場」
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ウズベキスタンは食のバリエーションがそれほど多く無かった。
油っこい料理が多いが、味は日本人の口にも合う。
ウズベキスタンを代表する料理がこの「プロフ」
羊肉や玉ねぎ、にんじんを混ぜて炊き込んだご飯で、中には豆やレーズンなどもたくさん入っている。
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ウズベキスタンの美味しいグルメ【ウズベク料理まとめ】
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こちらは、ブハラの民家でご馳走になったプロフ。
ブハラやサマルカンド、ヒヴァのプロフは、ご飯の上ににんじんと肉が盛り付けられているのが特徴。タシケントのプロフのように全ての具材を一緒に混ぜて炒めるのではなく、肉やにんじんは別に茹でて最後に盛り付けるようだ。 -
こちらも中央アジア全域で一般的な肉串料理「シャシリク」
羊肉や牛肉の角切りを串に刺して焼くシンプルな料理で、角切りだけでなく、ミンチにした肉やレバーなどを使ったバージョンもある。 -
「ラグマン」は、中央アジア全域でよく食べられているスープうどん料理。
このスープはトマトベースのスープで、羊肉とかにんじん、じゃがいも、かぶなどが入っている。上にかかっているのは香菜(コリアンダー)。 -
こちらは、サマルカンドで食べたラグマン。
ラグマンはどこで食べても似たような味。安心して食べられる。 -
「ショールヴァ」は、肉や野菜がたくさん入ったスープ料理。
ヒヴァで食べたショールヴァは、羊肉やじゃがいも、にんじんなどが入っていた。 -
ウズベキスタンで食事をすると、必ずついてくるのが「アッチク・チュチュク」というトマトとキュウリと玉ねぎのサラダ、そして、ナン。
どんな料理を頼んでも(プロフでもラグマンでも)、カゴに入ったナンがテーブルにドサッと置かれる。
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