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2022年12月26日(月)午後の2時過ぎ、阪急池田駅からカップヌードルミュージアムへ向かう。池田駅の南東部出口から南に歩いて5分ほどの場所にある、正式には安藤百福発明記念館大阪池田と云う日清食品の企業博物館。<br /><br />安藤百福(ももふく)は1910年(明治43年)、日本統治時代の台湾の朴子(プーズー/ぼくし)生れの台湾人(国籍は日本人)。朴子は台湾新幹線の嘉義駅の西約10kmの町。その後、嘉義の南の台南市で育つ。<br /><br />1933年(昭和8年)には大阪市にメリヤス問屋を設立、以後日本で暮らす。翌年には実業家として活動する傍ら、立命館大学専門部経済学科(二部)を修了している。お、先輩や。なお、1996年には名誉経営学博士号を授与されている。<br /><br />前述したように2018年度下半期の朝ドラ「まんぷく」でも描かれたが、無実の罪で45日間拘束され拷問を受ける。解放後は終戦まで兵庫県上郡町に疎開。戦後は泉大津に移り、製塩業や栄養商品開発などを行う。しかし、1948年にGHQに脱税の嫌疑を掛けられ、巣鴨拘置所に収監される。その後、処分取り消しを求める裁判を起こし、1950年に無罪釈放される。この拘留中に家族は知人を頼って池田市呉服町に移り、百福も釈放後池田に住むようになる。<br /><br />1951年、全く無職となった百福だが、請われて大阪在住の華僑や華人の出資によって設立された民族系の信用組合、大阪華銀の理事長に就任する。しかし、これが彼の人生最大の失敗となる。実質的にはほとんど経営にタッチしてなかったのだが、1957年に大阪華銀は破綻し、借家であった自宅以外は全て差し押さえられ、一文無しに。<br /><br />しかし、これにめげないのが彼の凄いところ。「簡単に作れて安く家で食べられるラーメンを作れないものか」を実行に移し、自宅の裏に小屋を作り開発に乗り出した。そして1958年、見事に即席めんは完成、日清食品を創立してチキンラーメンを売り出した。その後インスタントラーメンが世界に普及したことは書くまでのこともない。<br /><br />1966年にはカップヌードルの開発に着手し、1971年に発売。当初は売れ行きは伸び悩んだが、1972年月に発生したあさま山荘事件でカップヌードルを食べる機動隊員の様子が日本全国に生放送され、これを契機に大ヒットとなった。<br /><br />百福は1981年まで社長を務め、会長に就任。以後、一時社長を兼任した時期もあったが、2005年までその役を務め、その後も、名誉職の1代かぎりの創業者会長や安藤スポーツ・食文化振興財団の理事長職として活躍したが、2007年の年明けに突然高熱を発し、半日で亡くなった。享年97(満96歳)。なお、1966年には日本国籍を取得している。<br /><br />前述の「まんぷく」の他、多くのドラマやドキュメンタリーで取り上げられている。「まんぷ」で百福をモデルとした立花萬平を演じたのは長谷川博己。朝ドラでは前述した池田が舞台の石原さとみ主演の「てるてる家族」にも百福がモデルの人物が登場しており、中村梅雀が演じた(妻役は堀ちえみ)。その他、渡辺いっけい、原田龍二など。<br /><br />日清食品は上述のように1958年創立だが、登記上は1948年に泉大津で創業した中交総社を引き継いでいる。現在の売上は約2000億円で、純利益は約200億円。現在の社長は7代目で百福の孫の安藤徳隆(百福の次男で4代目社長の安藤宏基の長男)。源氏は東京の新宿と大阪の西中島に2本社を置く。<br /><br />社名の由来は「日々清らかに豊かな味をつくる」という安藤百福の言葉。なお、おなじ「日清」が付く日清製粉グループ、日清オイリオグループ、日清医療食品、日清紡ホールディングスとは設立経緯・資本・人材含め全く無関係。<br /><br />JOCのオフィシャルパートナーで、アルビレックス新潟のオフィシャルクラブスポンサーの他、テニスの錦織圭、大坂なおみ、プロゴルファーの池田勇太や辻村明須香のスポンサーでもある。<br /><br />個人的にはチキンラーメンよりも出前一丁やどん兵衛にUFOやな。<br /><br />カップヌードルミュージアムは元々は1999年にインスタントラーメン発明記念館としてオープンした安藤百福の業績を記念して建てられた施設。2017年に横浜市にある旧称カップヌードルミュージアム(2011年開館)と施設名を統一し、安藤百福発明記念館大阪池田と安藤百福発明記念館横浜に改称した。なおその後、2021年にカップヌードルミュージアム香港もオープンしている。<br /><br />池田駅の東側、池田市観光案内所がある交差点から南に続く道は麺ロードと呼ばれている。350mほど歩くと右手にレンガ造りの細長い建物がある。建物の前で迎えてくれるのが安藤百福の銅像。2008年に大阪で開催された第6回世界ラーメンサミットを記念して建てられたもので、元総理大臣の中曽根康弘氏の碑文がある(下の写真1)。<br /><br />正面出入口から入ると今度は百福の胸像が迎えてくれる。エントランスホールに展示されている究極のラーメン鉢(下の写真2)は2004年にNHKの「おーい、ニッポン」と云う番組の企画で、有田焼の13の窯元が、「これまでにない、有田ならではのラーメン鉢の新スタンダードを作る」と云うテーマで開発したものの一部。<br /><br />さっそく展示室へ入る(下の写真3)。入館料は無料。展示室に入るとまずは右手に「安藤百福とインスタントラーメン物語」として、インスタントラーメン発明のエピソードから、その後の発展の歴史、知的財産の大切さなどについて年代順に、実物や触って動かせる展示が並んでいる。<br /><br />このコーナーの最後には世界初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」の展示が。2005年7月26日に打ち上げられたスペースシャトル「ディスカバリー」に乗せられていたもので、しょうゆ味、みそ味、カレー味、とんこつ味の4種類のスープが用意されていた。搭乗していた日本人宇宙飛行士の野口聡一さんは「びっくりするほど美味しかった」と感想を云われ、美味しそうに食べる写真やここを訪問された時の写真も飾られている。その隣には、宇宙船から写した大阪湾の写真も。<br /><br />その奥は自分でデザインしたカップに、好みのスープとトッピングを選んでオリジナルのカップヌードルを作ることの出来るマイカップヌードルファクトリー。1食500円で、受付で先着順の整理券をゲットする必要があったが、我々はパスした。完成まで45分掛かるそうだ。<br /><br />その壁には世界のカップヌードがずらり。全世界で年間約1,000億食も消費されるインスタントラーメンの世界的な広がりを、各国の年間消費量と世界のカップヌードルのパッケージの展示で表現している。1980年代のドイツ駐在や1990年代半ばのシリコンバレー駐在の時は見掛けなかったが、2000年代半ばのシカゴ駐在時や2010年代末のジャマイカ派遣時には普通に見掛けたわ。<br /><br />2階へ上がると安藤百福の軌跡のコーナー。百福が残した「語録」や、一年の計を元旦に定め毛筆でしたためた「年頭所感」、数々の勲章・表彰状や愛用していた品々を展示し、安藤百福の軌跡を紹介している。<br /><br />その奥にはチキンラーメンファクトリー。このミュージアムでは展示用と体験学習用の設備スペースの面積比が約2対1と、食育と関連付けた学習機会の提供にかなりの比重が置かれており、このチキンラーメンファクトリーでは、麺生地の小麦粉をこねることから始まって、味付け・製麺の過程を手作りで追体験することができる。有料で事前にネットなどでの予約が必要。<br /><br />1階に降りると大きなカップヌードルの断面模型。いや、でかい。その前にあるカップヌードルドラマシアターでは、カップヌードルの秘密を、アニメーションやCGを使った迫力ある大型映像でわかりやすく紹介している。約13分の上映。座って見ました。<br /><br />そこから展示室の出入口までインスタントラーメン・トンネルが続く。チキンラーメンから始まったインスタントラーメンのラインナップを展示。半世紀以上前にたったひとつの商品から始まったインスタントラーメンが発展していく様子を、約800種類のパッケージによって表現している。壮大よね。<br /><br />最後は、チキンラーメンの開発がなされた研究小屋。百福宅の裏庭にあったものの復元で、百福は早朝から深夜まで小屋に籠り、約1年掛けてチキンラーメンを完成させた。<br /><br />エントランスホールに戻り、ミュージアムショップを覗いて(下の写真4)、1時間余りでミュージアムを後にする。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27725400590436602&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />駅前に戻り、少し時間を潰した後、4時から駅南側に有る牡蠣料理の老舗、かき峰で忘年会。創業は1924年(大正13年)。船大工だった創業者が池田の猪名川に船を浮かべようとしたが許可がおりず、池田駅前に開業したそうで、広島産の牡蠣のみ使い、10月から3月までの半年間しか営業していない。<br /><br />私は家族と2回ほど来たことがあるが、親たちが元気だった時代なので、かなり昔の話。酢がき、味噌ベースの土手鍋(下の写真5)、かきフライ、かき飯のコース、5830円を、ビールや池田の銘酒、呉春などで戴いた。ちなみに呉春の名は池田の古名「呉服の里」の酒(唐代の通語で春)に由来している。1時間半ほどで食事と酒を満喫し、帰路に就いた。食事も酒も旨かった!<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8743877929015487&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上

カップヌードルミュージアム 大阪池田(Cup Noodles Museum,Ikeda,Osaka,Japan)

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2022/12/26 - 2022/12/26

113位(同エリア154件中)

ちふゆ

ちふゆさん

2022年12月26日(月)午後の2時過ぎ、阪急池田駅からカップヌードルミュージアムへ向かう。池田駅の南東部出口から南に歩いて5分ほどの場所にある、正式には安藤百福発明記念館大阪池田と云う日清食品の企業博物館。

安藤百福(ももふく)は1910年(明治43年)、日本統治時代の台湾の朴子(プーズー/ぼくし)生れの台湾人(国籍は日本人)。朴子は台湾新幹線の嘉義駅の西約10kmの町。その後、嘉義の南の台南市で育つ。

1933年(昭和8年)には大阪市にメリヤス問屋を設立、以後日本で暮らす。翌年には実業家として活動する傍ら、立命館大学専門部経済学科(二部)を修了している。お、先輩や。なお、1996年には名誉経営学博士号を授与されている。

前述したように2018年度下半期の朝ドラ「まんぷく」でも描かれたが、無実の罪で45日間拘束され拷問を受ける。解放後は終戦まで兵庫県上郡町に疎開。戦後は泉大津に移り、製塩業や栄養商品開発などを行う。しかし、1948年にGHQに脱税の嫌疑を掛けられ、巣鴨拘置所に収監される。その後、処分取り消しを求める裁判を起こし、1950年に無罪釈放される。この拘留中に家族は知人を頼って池田市呉服町に移り、百福も釈放後池田に住むようになる。

1951年、全く無職となった百福だが、請われて大阪在住の華僑や華人の出資によって設立された民族系の信用組合、大阪華銀の理事長に就任する。しかし、これが彼の人生最大の失敗となる。実質的にはほとんど経営にタッチしてなかったのだが、1957年に大阪華銀は破綻し、借家であった自宅以外は全て差し押さえられ、一文無しに。

しかし、これにめげないのが彼の凄いところ。「簡単に作れて安く家で食べられるラーメンを作れないものか」を実行に移し、自宅の裏に小屋を作り開発に乗り出した。そして1958年、見事に即席めんは完成、日清食品を創立してチキンラーメンを売り出した。その後インスタントラーメンが世界に普及したことは書くまでのこともない。

1966年にはカップヌードルの開発に着手し、1971年に発売。当初は売れ行きは伸び悩んだが、1972年月に発生したあさま山荘事件でカップヌードルを食べる機動隊員の様子が日本全国に生放送され、これを契機に大ヒットとなった。

百福は1981年まで社長を務め、会長に就任。以後、一時社長を兼任した時期もあったが、2005年までその役を務め、その後も、名誉職の1代かぎりの創業者会長や安藤スポーツ・食文化振興財団の理事長職として活躍したが、2007年の年明けに突然高熱を発し、半日で亡くなった。享年97(満96歳)。なお、1966年には日本国籍を取得している。

前述の「まんぷく」の他、多くのドラマやドキュメンタリーで取り上げられている。「まんぷ」で百福をモデルとした立花萬平を演じたのは長谷川博己。朝ドラでは前述した池田が舞台の石原さとみ主演の「てるてる家族」にも百福がモデルの人物が登場しており、中村梅雀が演じた(妻役は堀ちえみ)。その他、渡辺いっけい、原田龍二など。

日清食品は上述のように1958年創立だが、登記上は1948年に泉大津で創業した中交総社を引き継いでいる。現在の売上は約2000億円で、純利益は約200億円。現在の社長は7代目で百福の孫の安藤徳隆(百福の次男で4代目社長の安藤宏基の長男)。源氏は東京の新宿と大阪の西中島に2本社を置く。

社名の由来は「日々清らかに豊かな味をつくる」という安藤百福の言葉。なお、おなじ「日清」が付く日清製粉グループ、日清オイリオグループ、日清医療食品、日清紡ホールディングスとは設立経緯・資本・人材含め全く無関係。

JOCのオフィシャルパートナーで、アルビレックス新潟のオフィシャルクラブスポンサーの他、テニスの錦織圭、大坂なおみ、プロゴルファーの池田勇太や辻村明須香のスポンサーでもある。

個人的にはチキンラーメンよりも出前一丁やどん兵衛にUFOやな。

カップヌードルミュージアムは元々は1999年にインスタントラーメン発明記念館としてオープンした安藤百福の業績を記念して建てられた施設。2017年に横浜市にある旧称カップヌードルミュージアム(2011年開館)と施設名を統一し、安藤百福発明記念館大阪池田と安藤百福発明記念館横浜に改称した。なおその後、2021年にカップヌードルミュージアム香港もオープンしている。

池田駅の東側、池田市観光案内所がある交差点から南に続く道は麺ロードと呼ばれている。350mほど歩くと右手にレンガ造りの細長い建物がある。建物の前で迎えてくれるのが安藤百福の銅像。2008年に大阪で開催された第6回世界ラーメンサミットを記念して建てられたもので、元総理大臣の中曽根康弘氏の碑文がある(下の写真1)。

正面出入口から入ると今度は百福の胸像が迎えてくれる。エントランスホールに展示されている究極のラーメン鉢(下の写真2)は2004年にNHKの「おーい、ニッポン」と云う番組の企画で、有田焼の13の窯元が、「これまでにない、有田ならではのラーメン鉢の新スタンダードを作る」と云うテーマで開発したものの一部。

さっそく展示室へ入る(下の写真3)。入館料は無料。展示室に入るとまずは右手に「安藤百福とインスタントラーメン物語」として、インスタントラーメン発明のエピソードから、その後の発展の歴史、知的財産の大切さなどについて年代順に、実物や触って動かせる展示が並んでいる。

このコーナーの最後には世界初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」の展示が。2005年7月26日に打ち上げられたスペースシャトル「ディスカバリー」に乗せられていたもので、しょうゆ味、みそ味、カレー味、とんこつ味の4種類のスープが用意されていた。搭乗していた日本人宇宙飛行士の野口聡一さんは「びっくりするほど美味しかった」と感想を云われ、美味しそうに食べる写真やここを訪問された時の写真も飾られている。その隣には、宇宙船から写した大阪湾の写真も。

その奥は自分でデザインしたカップに、好みのスープとトッピングを選んでオリジナルのカップヌードルを作ることの出来るマイカップヌードルファクトリー。1食500円で、受付で先着順の整理券をゲットする必要があったが、我々はパスした。完成まで45分掛かるそうだ。

その壁には世界のカップヌードがずらり。全世界で年間約1,000億食も消費されるインスタントラーメンの世界的な広がりを、各国の年間消費量と世界のカップヌードルのパッケージの展示で表現している。1980年代のドイツ駐在や1990年代半ばのシリコンバレー駐在の時は見掛けなかったが、2000年代半ばのシカゴ駐在時や2010年代末のジャマイカ派遣時には普通に見掛けたわ。

2階へ上がると安藤百福の軌跡のコーナー。百福が残した「語録」や、一年の計を元旦に定め毛筆でしたためた「年頭所感」、数々の勲章・表彰状や愛用していた品々を展示し、安藤百福の軌跡を紹介している。

その奥にはチキンラーメンファクトリー。このミュージアムでは展示用と体験学習用の設備スペースの面積比が約2対1と、食育と関連付けた学習機会の提供にかなりの比重が置かれており、このチキンラーメンファクトリーでは、麺生地の小麦粉をこねることから始まって、味付け・製麺の過程を手作りで追体験することができる。有料で事前にネットなどでの予約が必要。

1階に降りると大きなカップヌードルの断面模型。いや、でかい。その前にあるカップヌードルドラマシアターでは、カップヌードルの秘密を、アニメーションやCGを使った迫力ある大型映像でわかりやすく紹介している。約13分の上映。座って見ました。

そこから展示室の出入口までインスタントラーメン・トンネルが続く。チキンラーメンから始まったインスタントラーメンのラインナップを展示。半世紀以上前にたったひとつの商品から始まったインスタントラーメンが発展していく様子を、約800種類のパッケージによって表現している。壮大よね。

最後は、チキンラーメンの開発がなされた研究小屋。百福宅の裏庭にあったものの復元で、百福は早朝から深夜まで小屋に籠り、約1年掛けてチキンラーメンを完成させた。

エントランスホールに戻り、ミュージアムショップを覗いて(下の写真4)、1時間余りでミュージアムを後にする。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.27725400590436602&type=1&l=223fe1adec

駅前に戻り、少し時間を潰した後、4時から駅南側に有る牡蠣料理の老舗、かき峰で忘年会。創業は1924年(大正13年)。船大工だった創業者が池田の猪名川に船を浮かべようとしたが許可がおりず、池田駅前に開業したそうで、広島産の牡蠣のみ使い、10月から3月までの半年間しか営業していない。

私は家族と2回ほど来たことがあるが、親たちが元気だった時代なので、かなり昔の話。酢がき、味噌ベースの土手鍋(下の写真5)、かきフライ、かき飯のコース、5830円を、ビールや池田の銘酒、呉春などで戴いた。ちなみに呉春の名は池田の古名「呉服の里」の酒(唐代の通語で春)に由来している。1時間半ほどで食事と酒を満喫し、帰路に就いた。食事も酒も旨かった!
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8743877929015487&type=1&l=223fe1adec


以上

  • 写真1 安藤百福銅像碑文

    写真1 安藤百福銅像碑文

  • 写真2 究極のラーメン鉢

    写真2 究極のラーメン鉢

  • 写真3 展示室入口

    写真3 展示室入口

  • 写真4 ミュージアムショップ

    写真4 ミュージアムショップ

  • 写真5 かき峰の土手鍋

    写真5 かき峰の土手鍋

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